自習帖
ハロウィンの仮装パーティに招かれた佳奈は、衣装を買いに出かけた。 店内をひととおり見て回り、魔女になろうと決める。帽子とマントのセットを選んで、レジへ向かう途中、パーティグッズのコーナーで足が止まった。 『魔法ラベル』というのが気になる。 他…
ハヤさんの店は珈琲の専門店なので、フードメニューに載っているのはトーストとゆで卵だけだった。 それでも、午後になると「本日の焼き菓子」なるものが現れ、私はよくコーヒーと一緒に注文している。 ある日、店に入ろうとして、その焼き菓子を納品してい…
行きつけの珈琲店で、店主のハヤさんと雑談をしているうち、話題が「おふくろの味」になった。 「すいとん、という料理をご存知ですか?」 「もちろん。子供のころ、よく母が作ってくれましたね。休みの日のお昼ごはんに食べることが多かったかな」 作るのを…
人から聞いたばかりの「セレンディピティ」という言葉を、受け売りで解説し始めると、 「舌をかみそうな言葉ですね」 カウンターの向こうでコーヒーを淹れながら、店主のハヤさんが言った。 セレンディピティは、18世紀のイギリスの作家ウォルポールの造語…
ついさっき結婚を約束したばかりの僕と初音は、降りしきる雨のなかを歩いていた。 (あれ、いったい僕たちは、どこへ行こうとしているんだろう?) 傘を打つ雨音で、ふと我に返る。 フレンチレストランでプロポーズして、初音が承諾してくれたあと、極度の緊…
にぎやかな6名様が、財布を取り出し立ちあがるのを見て、私はほっとした。これでようやく、ハヤさんの昔語りを聞けるというものだ。 テーブルの片付けが済んだ頃合いを見計らって、コーヒーのお替りをオーダーする。 「ハヤさん、このあいだ聞かせてもらっ…
在宅の仕事が一段落つくと、近所の珈琲店に出かけるのが、私の楽しみのひとつだった。なるべく空いてそうな時間帯を選んで行くことに決めている。 店主のハヤさんは、親しくなると面白い話を聞かせてくれるようになった。 何と言っても彼は、自分の前世を思…
菫青館は、長年ホテル業界でキャリアを積んだ夫婦が、退職後に始めたペンションだった。料理とワインには定評があり、個性的なイベントが含まれた宿泊プランも用意されている。 ウェブサイトによると、オーナー夫妻の趣味はカメラで、2人とも「平賀源内」の…
※ ひとつ前の掌編『新しい家~New Home~』の続きになります。 バルコニーというものは、家の内と外を分ける境界のひとつだ。小鬼が住むのにちょうどいい場なのかもしれないと、紀久代は思った。 朝、窓を開け、さり気なく姿を見せてくれる小鬼に、 「おはよ…
紀久代が引っ越してきたマンションの部屋には、ルーフバルコニーが付いていた。 とはいっても、その名から連想される高級なものではなく、建築基準法の斜線規制によって、建物の造りが途中から階段状なった結果、中途半端に広いバルコニーが出来てしまった、…
朝、バス停まで歩く道の途中で、紗里は風変わりな洗濯物に気づいた。 2階のベランダに並んでいるのは、大きさといい形といい、料理用のミトンそっくりに見える。けれど、キッチングッズとして売っているようなカラフルなものではなく、色がすべてベージュ系…
春香が庭先ですわっているところに、キクおばあさんが通りかかりました。 「春ちゃん、どうした? そんなにしょんぼりして」 「きのうの朝、おなかが痛くなって、病院にいったの。お薬のんだからなおってきたけれど、学校を休んじゃった」 小学校に入学した…
幼い頃、星葉の部屋には小さなフクロウ型の常夜灯があった。 ドアの脇近く、コンセントに取りつけられたほのかな灯りは、暗闇の中で頼もしい見張り番だった。 夜中に目が覚めてしまったときは、フクロウにそっと話しかける。 「さみしい」 「こわい」 「いや…
春分の日も過ぎて、もう大丈夫と思っていた矢先だった。 「真冬のような寒さです。ところによっては雪が舞うかもしれません」とか、 「昨日との気温差は10度以上」など、気象情報の声がテレビからあふれてくる。 千佳は、冬のコートをクローゼットの奥から…
晴天の日曜日、香澄は午後になってから、近くの河川敷へ出かけた。 都会の端を横切って流れる川は、再開発が進んで遊歩道も完備されている。けれど香澄は、少しだけ残った土手のほうが好きだった。 立ち枯れしている葦(ヨシ)の陰に座ると、日々のわずらわ…
年末は忙しすぎて、部屋の大掃除もままならなかった。 星葉が「一時的な書類保管箱」の整理に手をつけたのは、1月も半ばを過ぎてからのことだ。 この1年間に溜まった箱いっぱいの紙片や印刷物を、内容を確かめながら分類していく。ほとんどの書類は、必要…
サトシの母親は、小鳥の声でその日の天気がわかるから、洗濯物を干したまま出かけても平気だった。人間以外のものたちと、少しだけ通じ合えるというのは、それほどめずらしいことではないらしい。 サトシ自身も、庭木戸が語りかけてくることばがわかる。だか…
満開の桜の下で、宴を開いている人たちの声がする。 木造2階建てアパートの敷地だった。板塀のすき間から、なごやかな雰囲気が伝わってくる。 「おめでとう」 「おめでとう」 祝福の声が、通りがかった美弥の耳にも届いた。 ゆっくりと歩き続けながら、美弥…
庭に咲く花を摘むことにあこがれて、翠は園芸を始めた。 土作りをした花壇に種や苗を植え、夢中で育てているうち、家じゅうに飾ってもありあまるほど、花があふれてきた。 それでも、次に咲かせたいと思う花は、尽きることがない。 友だちや知り合いにプレゼ…
坂道をかけおりながら、いきおいをつけてジャンプしたら、そのまま空を飛べた、という話。 いつものバス停を乗りすごすと、次に着いたのは、見たこともない緑の牧場だった話。 みんな、学校の友だちが見た、夢の話です。 ユリカはうらやましくてしかたありま…
気持ちがふさぐとき、行き詰って出口が見えないとき、 (どこか遠くへ行きたい)と、思う。 けれど、人混みと乗り物が苦手で、そのうえ冒険嫌いな真希が、思いにまかせて旅立ったことは、一度もなかった。 今日も気ままに出てきたわけではない。 会社に電話…
近所のベルギービール・カフェで食事をするのは、和樹にとって週に1度の楽しみだ。 平日は仕事がいそがしく、帰りが遅い。土曜日にはのんびり朝寝をして、掃除や洗濯、買い物、こまごまとした雑用を済ませると、もう午後の日は傾きはじめている。 和樹はい…