かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

今年の彼岸花

 

通勤途中に彼岸花が咲いているのを見つけました。先週のことです。

この道を歩いて7年以上になりますが、ここに彼岸花が咲くとはついぞ気づきませんでした。自分のうかつさにおどろきつつ写真を撮りました。

今秋のお彼岸は、9月19日から9月25日まで。写真を撮ったのは10月3日ですから、1~2週間遅れの彼岸花ということでしょうか。

 

赤と白の彼岸花

 

 

すると、朝のラジオでも、今年の彼岸花は開花が遅いと伝えていました。彼岸花がお彼岸に咲きそろわないほど、今年の夏は暑かったのですね。

 

  まことお彼岸入の彼岸花

 

と詠んだ種田山頭火もびっくりするほどの猛暑でした。

今朝、小雨のなか通りかかると、あの彼岸花は枯れていました。気温と気圧の乱高下を繰り返しながら、秋は深まっていくようです。

 

仕事帰りに映画『きみの色』

 

好きな発信者さんが紹介していた映画『きみの色』を観てきました。

調べてみたら職場近くの映画館で上映中だったので、どの座席にしようか?フードは?ドリンクは?とあれこれ考えるのがとても楽しかったです。

128席というこじんまりとしたスクリーン(上映室)で、今まで選んだことのない一番後ろの席にしてみたのですが、思った以上に観やすく、落ち着いて鑑賞できました。

金曜日の晩ごはんとしては異例のホットドッグとコーラを、上映前にロビーで美味しくいただきました。しかし、映画に感動して胸がいっぱいになると同時に、元気と食欲がわいてきて、帰宅してから夜食を追加してしまったのでした。

 

kiminoiro.jp

 

「映画 聲の形」「平家物語」などの山田尚子監督が、思春期の少女たちが向き合う自立と葛藤、恋模様を、絵画のような美しい映像でつづったオリジナルアニメーション映画。

 

全寮制のミッションスクールに通うトツ子は、うれしい色、楽しい色、穏やかな色など、幼いころから人が「色」として見える。そんなトツ子は、同じ学校に通っていた美しい色を放つ少女・きみ、街の片隅にある古書店で出会った音楽好きの少年・ルイの3人でバンドを組むことになる。離島の古い教会を練習場所に、それぞれ悩みを抱える3人は音楽によって心を通わせていき、いつしか友情とほのかな恋のような感情が芽生え始める。……

 

~総合映画情報サイト:映画.com「きみの色」作品情報より~

 

作品情報からだけでは映画館に足を運ぶことはなかったかもしれませんが、ほんとうに素敵な映画です。

主人公のひとりトツ子は人が「色」として見えるという「共感覚」の持ち主。出会う人たちを、外見や評価などに頼らず、独自のセンサーで見ることができるという設定に心が引かれました。

物語の後半に、はっと胸を打つ場面があるのですが、それがあまりにさらりと描かれているため、いっそうあざやかに感じられたのでした。

 

何年か前に読んだ『9つの脳の不思議な物語』ヘレン・トムソン 著 仁木 めぐみ 翻訳 文藝春秋(2019/01)を連想しました。

大学で脳を研究し、科学ジャーナリストとなった著者がインタビューした「奇妙な脳」を持つ人たちのひとりに、色盲共感覚者・ルーベンがいます。ルーベンは、出会う人の多くにカラフルなオーラが見えるのですが、好きなものにはみな赤を感じやすく、そして、彼自身のオーラの色は赤だというのです。

そんなふうに自分を好きになれたらいいですね。

 

上映中の映画の感想を書くのはむずかしいですが、ずっと後になって、ふとしたときに、登場人物の表情やそこに見えていた光景を思い出すような、そういう作品でした。

 

 

お世話を忘れる夢

 

一緒にフォーカシングを学んでいる方と、じっくりセッションする機会がありました。

私がフォーカサー(クライエント役)で、テーマとして選んだのは前の晩に見たばかりの、ちょっと印象的な夢です。

「小鳥のロボットみたいなもので遊んでいたら、壊れてしまったらしく動かなくなった。なんとか直そうとして、部品を調べたりコードを引っぱったりする」という夢。

 

フォーカシングのセッションでは、テーマを思い浮かべながら、ゆっくりと自分の内側に意識を向け、からだに感じる感覚や、湧いてくるイメージを言葉にして、リスナー(セラピスト役)に伝えていきます。

最初に浮かんできたのは、「胸のなかの暗い空間に、複雑にからみあったコードや部品がひとかたまりになって浮かんでいる」というイメージでした。手のひらに乗るほどの小さな塊です。

しばらくすると、それはすごく嫌な感じに変わってきました。コードや部品の集まりではなく、小さな生き物の繊細な骨格とか残骸のように思えてきたのです。

 

同時に、長年にわたって繰り返し見ている、ある夢を思い出しました。

「小動物を飼っていることを忘れ、もう何ヶ月もお世話をしていないと気づいて狼狽する」という内容で、罪悪感でいっぱいになって目を覚ます、とても後味の悪い夢です。

そういう「嫌な感じ」でも、無くそうとか解釈しようとかしないで、ただそのまま抱えていると、おもしろいことが起こる(かもしれない)のがフォーカシングの醍醐味だと、個人的には思っています。

とはいえ、セッションのこの時点では、私は「もうどうしよう…どこ行くの?」という感じでしたし、後で聞いたところではリスナーの方も同じだったそうです。

 

今回の場合は、ふと気づくと、小さな残骸だったものが無数の光の粒子となって、星雲のように渦を巻いているイメージに変化していました。色は淡くあたたかみのある橙色で、非常にゆっくりと動き続けています。

 

渦状星雲のイメージ

 

↗↗↗ フリーのイラスト素材を加工してみましたが、実際にはこんなにクリアな感じではなく、おもちゃの望遠鏡で眺めたような、解像度の低い心象です。

 

生物/無生物の区別がない世界だという感じがしました。始まりと終わりの区別もありません。取り返しのつかない失敗も、永久に「失敗」のまま在り続けるわけではないことを体感できて、なかなか楽しいフォーカシングになりました。

 

ちなみに「ペットの世話を忘れる夢」の夢占い的な意味は、

  • 何か大切なものを忘れているという警告
  • 自己ケアへの呼びかけ
  • 責任からの解放
  • 人間関係を修復することの必要性

など、いろいろあるようです。

 

新聞の紙

 

私は毎朝バナナを食べるのですが、この夏の暑さのなか常温で置いておくと、あっというまに食べごろを通り越してしまいます。けれど冷蔵庫に入れれば、低温障害で皮が変色し味も低下する「バナナが風邪をひいた」状態になるため、どうしたものかと思っていました。

困ったときは検索ということで──、

長持ちさせたいときは、常温で好みの状態に追熟させてから新聞紙またはビニール袋にくるみ、冷蔵庫の野菜室に保存しましょう。 新聞紙でくるむと湿度をほどよい状態に保ち、冷気が直接バナナにあたるのを防げます。

バナナの保存方法 | Dole(ドールジャパン)

DoleさんのWEBサイトなどを参考にさせていただきました。

 

バナナの皮に「スター」「シュガースポット」と呼ばれる茶色の斑点が出始めたときが、私にとって好みの状態です。

熟成を促進する「エチレンガス(植物ホルモンの一種)」は柄の部分から放出するそうなので、軸のところで切って1本ずつばらばらにしてから、冷気・湿度対策の新聞紙とラップにくるみ、冷蔵保存することにしました。

 

とはいえ、我が家では新聞を取っていません。

そこで、無地の新聞紙というものをネット購入しました。

 

無地の新聞紙

 

新聞の片面1ページの端を20mmほどカットした大きさ(約385mm×546mm)で、4つ折りにしたものが30枚入ったお試しパックです。お値段は480円(送料無料)、商品の下に敷いてある角形2号の封筒で、郵便受けに届けられました。

 

実際の新聞印刷に使われている用紙ということで、ほのかにインクの香りを感じます。野菜や果物を包むだけではなく、発送用の緩衝材やペットの床材として利用する人も多いようです。

さっそくバナナを包んでみました。

 

冷蔵保存用バナナ

 

1本ずつ包むので、紙を4つに切った大きさがちょうどよかったです。

そこでふと、これならキッチンペーパーでもよかったのでは…?と気づきました(笑)。

まぁいいです。この新聞紙大のサイズと質感の紙は、バナナを包む以外にも役に立ちそうですから。

思えば昔、読み終わった後の新聞紙は、いろいろな使われ方をしていました。父は爪を切るとき新聞紙を広げていましたし、母は掃除や炊事などのさまざまなシーンで使っていました。弟は折り紙の「兜」を新聞紙で作ってかぶり、私は習字の宿題をするとき下に敷きました。使いきれなかった分は、軽トラで回ってくる「毎度おなじみ、ちり紙交換」に出したものです。なつかしいですね。

 

メディアの多様化が進むにつれ、新聞の発行部数も減少しているようですが、使い勝手のよい「紙」としての需要はけっこうあるのではないでしょうか。

 

新聞紙の兜

 

 

疑義照会(ぎぎしょうかい)

 

先日、メニエール病の治療で耳鼻科のクリニックに行きました。4月から通院しているので、一連の流れは慣れたものです。めまいや聴力などの検査結果をもとに、いろいろ先生とお話した後、受付で会計を済ませ処方箋を受け取りました。

 

薬は、職場のすぐそばに処方箋受付の窓口を設けている薬局があるため、いつもそこで調剤してもらっています。

処方薬は数種類、顔見知りの薬剤師さんに、ひとつひとつ説明を受けつつ、一緒に数量を確認しているとき、あれっ?と思いました。前回、治療の進捗に応じて一部の薬が変わり、それを今回も継続するはずなのに、前々回の内容に戻っていたのです。

クリニックの受付で処方箋をもらったとき、ノールックでしまいこんだため、まったく気がつきませんでした。

一瞬、頭のなかがフリーズ状態になった後、

(となると、まずはクリニックに電話して事情を説明し、処方箋を再発行してもらい、それからまた電車に乗って取りに戻らなければ……)

あれこれ対処手順を考え始めたとき、薬剤師さんから救いの一言がありました。

「こちらから問い合わせましょうか?」

そんなことができるのですか!とびっくりでしたが、「できます」とおっしゃるので、飛びつくようにお願いしました。すると、すぐに電話で確認してくださり、処方箋の訂正が行われたらしく、無事に前回と同じお薬を購入することができました。

 

薬剤師さんに厚くお礼申しあげ、よかったよかったと喜びながら薬局を後にした次第です。

気になって調べてみると、これは「疑義照会(ぎぎしょうかい)」というものでした。

今回の私にとっては、とてもありがたく親切なサービスという印象でしたが、実は、

(処方せん中の疑義)
第24条 薬剤師は、処方せん中に疑わしい点があるときは、その処方せんを交付した医師、歯科医師又は獣医師に問い合わせて、その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによつて調剤してはならない。〔薬剤師法〕

と、法律に定められた義務であり、患者の健康や生命にかかわるリスクの発生を未然に防ぐため、薬剤師さんたちが担っている大切な役割の一つなのでした。

 

人間のすることなので、どうしてもミスは起きます。ミスが起きたときカバーするための仕組みがちゃんと作られていることを、たまたま今回、知ることができました。

 

薬剤師さん ありがとうございます。

 

高血圧本を1冊

 

春の定期健康診断を受診したところ、血圧で引っかかってしまいました──と6年前に記事を書いたのですが、今回また引っかかってしまいました。

産業医の先生と面談するにあたり、2週間分の血圧記録を作っておく必要があります。

前のとき購入した家庭用血圧計を物入れから探し出し、切れていた電池を交換して、朝と夜の血圧を測ってみると、明らかに6年前より数値が上がっていました。

 

先生に血圧記録を見ていただくと、微妙なラインらしく、「年齢的にもそろそろ降圧治療を始めたほうがいいかもしれないけれど、どうします?」という感じです。

現在治療中の病気の有無を聞かれたので、今年の4月からめまいの治療を続けており、耳鼻科の先生に血圧の件を報告したら、「降圧薬によってめまいが悪化する場合がある」と言われたことを伝えました。

それも踏まえて、まずはめまいの治療を優先し、回復してから降圧治療について考えましょうということで、ひとまず落着しました。

 

一難去ってもすぐまた一難が待っているような、気が重い状態ですが、こんなときこそ高血圧についてきちんと知るタイミングだと考え、本を探しました。以前、精神科医・作家の樺沢紫苑さんが、

病気について書かれた本を 1冊 通して読んでみる 

とおっしゃっていたことを思い出したからです。

 

toyokeizai.net

 

「あなたはパニック障害です」と言われたら、パニック障害の本を1冊読んでみましょう。「あなたは糖尿病です」と言われたら、糖尿病の本を1冊読んでください。病気について書かれた本には、その病気の原因、治癒までの期間、治療の内容、生活習慣改善の方法、生活上の注意などが一通り書かれています。患者さんが抱く疑問はほとんど網羅されているので、その病気について必要な情報、知識の全体像が学べます。

《中略》

 インターネット上の医療情報は玉石混淆で、役に立つ情報もある反面、完全な間違いも多く、そのまま信じると病気や健康を悪化させる情報も見られます。ネットの情報は安易に信用しないことです。

 わからないことがあると、不安はどんどん大きくなります。必要な情報は自分から得るようにして、不安を減らしていきましょう。

 

──ということで読んだ1冊が、

『ゼロからわかる高血圧 聖路加国際病院の健康講座』

聖路加国際病院:監修/西 裕太郎:著/世界文化社 2013/6/5)です。

 

目次を見ると、高血圧について知りたいことが網羅されていました。

Part1 高血圧を知る

  • 血圧の仕組み/高血圧はどんな病気/診察・検査について/なぜ治療が必要なの?/高血圧と合併症/降圧目標を立てる
  • 【コラム】低血圧は体に悪い?

Part2 血圧を下げる薬

  • 薬の飲み方/降圧薬の種類/薬との相性
  • 【コラム】女性・子どもの高血圧

Part3 生活習慣と血圧

  • 生活改善で血圧を下げる/日常の血圧変動/生活習慣と血圧の関係/食生活で血圧を下げる/聖路加国際病院の献立例/運動を日常生活にとり入れる/運動を行う際のポイント
  • 【お悩み解決Q&A】

 

あらためておもしろいと思ったのは、「白衣高血圧」(病院などで診察を行う際はつねに高い血圧値なのに、それ以外では正常な値をしめす特殊な高血圧)と、逆タイプの「仮面高血圧」というネーミング。私の場合、6年前は「白衣高血圧」だったわけですが、

「白衣高血圧」の場合は10年を経たとき、本格的な高血圧に移行する割合が大きい(およそ半数弱)というデータもあって要注意なのに加え、「仮面高血圧」では、原因が生活上のどの場面にあるかを予測するためにも家庭血圧を測る習慣が有効です。

との解説を読み、いよいよ本格的な高血圧に移行する時が来たのか…と覚悟しました。

 

降圧目標が一目でわかる表も載っていて参考になります。

脳血管障害の人に関しては、血圧を極端に下げた場合、正常な脳神経細胞に血液がじゅうぶんに届かなくなり、なんらかの障害を起こす可能性がでてくるため、ガイドラインでも血圧の下げすぎに注意する旨が明記されている。

 

この本のなかで最も印象的だったのは、「高血圧治療はマラソン~何のための治療か」というところです。

 高血圧の治療は、風邪などの治療と違って数日~1週間程度で済むものではありません。薬を飲むことをやめると、また血圧が上昇することも珍しくなく、長期間にわたって治療を継続しなければなりません。そのためには血圧を管理することの目的、すなわちゴールがどこにあるのかをつねに考えておくことが大切です。何度も触れているように、血圧管理の目的は「脳疾患、心疾患を起こさせないこと、それによる死亡を防ぎ、再発を防止する」ということ。もっというとリスクをなるべく減らすということです。そのためには、マラソンのように完走を目指して少しずつでも前進していく必要があります。

 

血圧の薬を一生飲み続けなければならない、と思うと不安だったのですが、降圧薬についてのくわしい解説を読み、「合併症によるリスクを減らすのがゴール」「生活習慣の改善、薬で治療しながら完走を目指しましょう」という言葉に触れて、かなり前向きな気持ちになりました。

 

月が漏るなら 雨が漏る

 

「ふたつよいことさてないものよ」とは、河合隼雄さんの著書『こころの処方箋』(新潮社・1998/6)で紹介されている言葉です。

 

 

私は「法則」は好きでないが、それでも割と好きなのが、「ふたつよいことさてないものよ」という法則である。

「ふたつよいことさてないものよ」というのは、ひとつよいことがあると、ひとつ悪いことがあるとも考えられる、ということだ。抜擢されたときは同僚の妬みを買うだろう。宝くじに当るとたかりにくるのが居るはずだ。世の中なかなかうまくできていて、よいことずくめにならないように仕組まれている。

《中略》

それでも、人間はよいことずくめを望んでいるので、何か嫌なことがあると文句のひとつも言いたくなってくるが、そんなときに、「ふたつよいことさてないものよ」とつぶやいて、全体の状況をよく見ると、なるほどうまく出来ている、と微笑するところまでゆかなくとも、苦笑ぐらいして、無用の腹立ちをしなくてすむことが多い。

 

初めて『こころの処方箋』を読んだのは、もうずいぶん前のことですが、そのときは「ふたつよいことさてないものよ」にあまり感銘を受けませんでした。なぜなら私もまた、よいことずくめを望む人間なので(笑)。

しかし、河合隼雄ファンとして、この言葉を重視してきましたし、年齢を重ねるにつれ「なるほど、そうだよなぁ…」と胸に落ちることも多くなってきました。

もともと「都々逸(どどいつ)」の歌詞の一節のようで、このあとに「下の句」が続きます。

 ふたつよいこと さてないものよ
 月が漏るなら 雨が漏る

隙間だらけの家に住んでいれば、居ながらにして月の光が漏れ入って風流であるが、一方では雨漏りにも悩まされることよ──という感じでしょうか。

 

都々逸は、三味線に合わせて唄う民謡(俗曲・端唄)の1ジャンルで、「七・七・七・五」の26音を基本詩型とする短詩型文芸です。江戸時代から寄席や座敷などの場において親しまれてきました。

よく知られているところでは、

 立てば芍薬 坐れば牡丹 歩く姿は百合の花

 ざんぎり頭を叩いて見れば 文明開化の音がする

高杉晋作桂小五郎作など諸説ある、

 三千世界の烏を殺し 主(ぬし)と朝寝がしてみたい

 

私が好きなこちらの歌も「七・七・七・五」です。

 恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす

室町時代の歌謡集に入っている小歌らしいですが、本歌取り的に変化して都々逸になっています。

 恋し恋しと鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす

 

都々逸がどんな風に唄われていたのか知りたくなり、

『ビクター邦楽名曲選(13)都々逸名曲集』(柳家三亀松都家かつ江日本橋きみ栄 日本伝統文化振興財団 1997/4/9)

というCDを図書館で借りて聴いてみました。

 

 

都々逸はこれと決まった旋律があるわけではないようです。耳慣れた人には、都々逸か他の唄かの違いは判然としているそうですが、ちょっと聴いただけの私にはさっぱりわからない奥深さでした。

歌詞のほうでは、基本詩型の「七・七・七・五」以外に、最初に五文字を加えた「五字冠り」というのがあります。

 ほととぎす いきな声して 人足を止めて 手を出しゃお前は 逃げるだろう

他に「字余り都々逸」もありますし、『新内「蘭蝶」入り』とか『民謡「博多節」入り』といった別ジャンルの歌謡の一節が入るという形もありました。

とにかく自由で、遊び心にあふれた文芸です。

 

そして、今現在もライブで都々逸を鑑賞することができそうなのです。

2000年に最年少俗曲師として高座デビューした「日本髪三味線アーティスト」の桧山うめ吉さんという方が、絶賛活躍中であることをこのたび知りました。

 

www.youtube.com

 

 岡惚れで いればよかったに ついうかうかと
 浮気同士が ついこうなりゃなったで いいじゃないか

(五字冠り+字余り都々逸でしょうか)

 

うめ吉さんの都々逸、機会をとらえて観に行きたいと思います。