かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

ふつうの風邪も大変

 

6~7年振りに、寝込むほどの風邪をひきました。

8月下旬の金曜日、気管支あたりがひりひりして一日中乾いた咳が続き、やがてのどの痛みや発熱の症状も出てきたので、翌朝、初診のWEB予約をしてから内科クリニックへ行きました。

5月に職場で向かいの席の人がコロナにかかったとき、もし自分も感染したらと心配になって、初診でも大丈夫な「発熱外来」のある近所の病院をリサーチしていたのですが、それが役に立ちました。

 

受付で名前を告げると、すぐに個室へ通されて待つことしばし。看護師さんや医師の先生が代わる代わるやって来ては、検温やパルスオキシメーターによる測定・問診・コロナ及びインフルエンザの検査をしてくれます。

15分後には両方とも陰性が判明し、再び先生とお話して、咳やのどの痛み、発熱などを抑えるお薬を出してもらうことになり、診察終了です。コロナ感染拡大状況下で、ずっと発熱外来をされていたクリニックだけに、とてもスムーズで安定した流れでした。

 

さて、週末はいつも通り、食料品の買い出しや常備菜作りなどをしながらも、それなりにおとなしく過ごしたのですが、日曜の夜に熱が上がってしんどくなり、結局月曜日からの3日間、会社を休むことになりました。猛暑で体力が落ちていたせいもありますが、やはり風邪はあなどれません。

それでも、徐々に症状もおさまってきたある日、ふと「におい」を感じないことに気づきました。今回の風邪では、咳に続いて、ものすごい鼻づまりになったので、物理的に鼻が利かない期間はあったのですが、少しずつ鼻が通ってきたのに、まったくにおいを感じません。

 

嗅覚の障害というとコロナの後遺症が思い浮かびます。しかし、風邪による炎症でも、鼻の粘膜がにおいを感じとれなくなることがあるようです。たいていは、風邪の症状が改善すると共に嗅覚も回復するらしいのですが、なかには、ウイルスによって嗅細胞や嗅神経などがダメージを受け、長期間の治療が必要となるケースもあるとか…。

もしそうなったら、生活に支障をきたす(食べる楽しみが半減・ガス漏れや腐敗臭がわからないなど)だけでなく、医療費もかさんでしまうと心配していたところ、発症から1週間くらいで嗅覚が戻ってきたのでした。

忘れもしません(笑)、会社のトイレで手を洗っていたとき、マスク越しにビオレu泡ハンドソープの香りを感知したときは、飛び跳ねるくらい嬉しかったです。

その後、日を追うごとに、だんだんと嗅覚は回復していきました。

 

そしてもうひとつ嬉しかったのは、処方されたお薬のなかに、のどの炎症を抑える漢方薬「桔梗蕩(キキョウトウ)」があったことです。

 

桔梗蕩

 

服用するのは初めてでしたが、一昨年に書いた掌編『百合根さんのお告げ』で登場させていたお薬です。

ご縁を感じながら、しみじみとありがたく飲んだためもあり、とてもよく効きました。

toikimi.hateblo.jp

 

久しぶりの風邪で、ふだんは忘れている自分の身体の生命力・治癒力を実感できました。すっかり治った今では、その記憶も薄れつつありますが、こうして書き記すことで、身体への感謝を新たにしたいと思います。

 

 

初めてのレンタルスペース利用

 

フォーカシング・クラスの課題で、講座時間外に受講生が2人一組になって複数回セッションする必要があり、ほとんどZoomのオンラインで済ませたのですが、

「一度、対面でもやってみたい」

と希望する方がいて、「ぜひ!」と乗ることに──。

相手の方が私のホームグラウンドへ来てくださるというので、会場探しを引き受けました。以前から興味があった「レンタルスペース」を利用してみる絶好の機会です。

 

ネットで検索すると、レンタルスペースの予約サイトでは2023年8月現在、

  • スペースマーケット
  • インスタベース
  • スペイシー

などが有名なようです。

エリア・駅名・会場のタイプ・利用目的や人数などで絞り込みができ、写真が豊富に掲載されていて、実際にそのスペースを使った人の評価やレビューも読めるので、時間を忘れて見入ってしまいました。

初めてのレンタルスペース利用で、いろいろ不安もありましたから、レビューは熱心に読み込みました。部屋の清潔感とか騒音の有無、貸し手側のレスポンスの速さ、この時期必須な冷房の効き具合まで…参考になる情報の宝庫です。また、空き状況や料金などの確認も容易でした。

 

今回は「インスタベース」というサイトを利用することに決め、選びに選んだ候補スペース3ヶ所のURLを、相手の方にメールで送ります。

「どちらでもOK。おまかせします」

との回答を得て、会社の帰りに当該物件を見て回り、建物の外観や周辺の環境を吟味した結果、ついに決定しました。

予約したのは、1階が店舗、2階からは住居になっている大規模マンションの一室です。桜並木の通りに面した建物で、何度も前を通ったことがあります。そんなふうに見知ったマンションの内部を探検できるのは楽しみでした。

 

サイトから予約すると、レンタルスペースの管理会社から返信メールがあり、駅からの道順や入退室の仕方、インターネット(Wi-Fi)利用方法、キャンセルポリシーなどが詳しく書かれた【利用日当日のご案内】が送られてきました。

レンタル料金は2時間の予約で2,376円(税抜き1,080円/時間)でしたが、リーズナブルな価格だと思います。2名で利用するので、実際の支払額は半分になりますし。

 

当日は駅で待ち合わせて、コンビニで飲み物など買ってから、時刻通りに入室。こちらのスペースは、あらかじめ管理会社が解錠してくれていて、退室するときも施錠は不要という気楽さも高評価ポイントでした。

お部屋は6帖ほどのワンルームで、テーブルや椅子、ホワイトボード、ひと通りの備品がそろっており、窓も開けられます。かなりはしゃぎながら見回ったあと、写真撮影しました。

写真は記念としてだけでなく、利用後に備品・設備を原状復帰する時に役立ちます。ちなみに、ゴミは必ず持ち帰るお約束で、もし置き去りにした場合、撤去費用を請求されるかもしれません。

 

お部屋の様子

 

完全個室なので、落ち着いてセッションすることができました。

かなり時間に余裕をもって退室しましたが、後で「ご利用終了時間の15分前となりました」というメールが来ていたことに気づきました。もし延長を希望する場合、次の予約がなければ可能とのことでした。

 

レンタルスペース・デビュー、おもしろかったです。

最終候補に残したほかの2つもそれぞれ個性的なスペースなので、何か機会があれば利用してみたいと思いました。

 

 

バックグラウンド・フィーリング

 

前回の記事で、フォーカシングという心理療法の第一段階「クリアリング・ア・スペース」の体験について書きました。

 

toikimi.hateblo.jp

 

意識を自分の内側に向け、あれこれと浮かんでくる気がかりを簡潔に分類しながら、ひとつずつふさわしい置き場所を設定して、そこへ片づけていくワークです。

これで全部というところまで続ければ、すっきりとした心の空間を感じられるはずだったのですが、私の場合、確かにもう何もないけれど、どこか薄暗い感じが満ちていて、クリアーな感覚にはなりませんでした。

この「薄暗さ」が、私の「バックグラウンド・フィーリング(背景としての気持ち)」だったのです。

 

最初のクリアリング・ア・スペースは、フォーカシング・クラスの実習として行いましたが、とても印象的だったので、数日後に参加した「フォーカシングを楽しむ会(オンライン)」で、このバックグラウンド・フィーリングをテーマにフォーカシングをしました。

 

聴き手となってくれるリスナーの方にテーマを伝え、まずはクリアリング・ア・スペースから始めます。出てきた気がかりは、前回と同じものもあれば、違うものもありました。

そして、今の自分にとっての気がかりをすべて脇に置いた後、ふたたび「薄暗い感じ」を感じたときは、ほっとしました。テーマですから、出てきてくれないと困るので(笑)。

リスナーさんに、それもどこかへ置けるかどうか聞かれ、ちょっと無理みたいだと答えます。なぜなら、その「薄暗さ」の範囲はかなり広大だったからです。

浮かんできたイメージは、ビルの地下にある大きな駐車場のような空間でした。駐車場といっても車は1台もなく、ところどころに太い柱が立っているだけで、四方を囲んでいる壁は薄闇の彼方です。

 

意想外の広大さを充分に感じとったあと、次に質感(その薄暗さは空気のようなものなのか、それとも液体や固体みたいなのか?)について問いかけられました。

すると反射的に、「もちろん液体や固体ではない、それは空気のようなもの」という感覚が起こりました。これがフォーカシングのおもしろいところで、「○○である」とはまだ言えない段階でも、「○○ではない」ということは即座にわかったりするのです。

 

今回のフォーカシングでは、リスナーの「質問力」にとても助けられました。

傾聴と伝え返しのなかに、適切な質問や提案を加えるのは、絶妙なバランス感覚が必要です。熟練したリスナーを「ガイド」と呼ぶこともあるそうですが、たしかに、すごく漠然とした「薄暗い感じ」に分け入っていき、先が見えない状態が続くなか、さりげないガイドの存在に勇気づけられました。

 

リスナーの質問に答える過程で、「薄暗い感じ」は空気のように、形もなく触れることもできないけれど、なくてはならない存在だということを感じます。でも、空気そのものかというと少し違っていて、暑くもなく寒くもなく、つまり外界に左右されず常に安定していて、まるでクッションのように緩和してくれている、あるいは包んでくれているのだとわかってきました。

しばらくその「包まれている感じ」にひたっている時、変転が起こります。

 

だだっ広い薄暗闇のなかに、小さな明かりが現れました。まるでソロキャンプのテント(三角でなくて、カプセル型の楕円形)のような感じで、内に灯った明かりが透けて見えています。

明かりは、ランタンのようなあたたかみのある色をしていました。

「その明かりを見て、どんな感じがしますか?」とリスナーに聞かれ、私はこみあげてくる涙と共に、

「とても大切な明かり」だと、答えました。

自分の内側に、泣けてくるほど大切な存在を感じたのです。

その感覚をしっかりと感じきって、フォーカシングを終了しました。

 

実はこの日、最初の自己紹介で、

「フォーカシングに出会って、おもしろい、楽しい、という気持ちのまま1年以上続けてきましたが、もしかしたらフェルトセンスとか、よくわかっていないかもしれません」

などと言っていたのですが、まさにその1時間後、なるほどこれが「フェルトセンス」、そして「フェルトシフト」なんだ…、と実感する体験をしたわけです。

 

自分のなかのとても大切な存在に気づくという、ほんとうに貴重な体験となりました。

 

 

クリアリング・ア・スペース

 

このあいだ、フォーカシングのオンラインクラスで「クリアリング・ア・スペース」というものを教わりました。

フォーカシングの創始者ジェンドリンが、著作の中で「フォーカシングの手引き」として示している6つのステップの最初の段階です。

 

 

  1. 空間を作る
    自分自身にたち戻って静かにし、しばらく楽にしてください……結構です……そこで、自分の内部、内面の方に注意を向けてください。おなかと胸のあたりです。「自分の生活はどうなっているのだろう? 今自分にとって大きなことは何だろう?」と自分に尋ねたらそこに何がで出てくるか見てください。からだで感じてみてください。その感じのなかからゆっくり答えを出させてください。何か気になることが出てきたら、そのなかに入り込まないようにしてください。少し待って、感じてください。いくつかのことがあるのが普通です。

 

ちなみに、残りの5ステップは以下の通りです。

  1. フェルトセンス…焦点をあててみたいことをひとつ取り上げ、その問題全体を思い起こすときに感じる、漠然としたからだの感じ(フェルトセンス)を味わう。
  2. 取っ手(ハンドル)をつかむ…フェルトセンスに最もよくあてはまる言葉やイメージを探る。
  3. 共鳴させる…出てきた言葉やイメージとフェルトセンスのあいだを行ったり来たりして、一致しているかどうか確かめる。
  4. 尋ねる…フェルトセンスが何を伝えようとしているのか、からだに問いかけ、気持ちが動いて答えを与えてくれるのを待つ。
  5. 受け取る…どんなものが浮かんできても歓迎し、批判せずに受け取る。

 

第一段階の「空間を作る:クリアリング・ア・スペース(Clearing a Space)」は、単独でも使えるそうです。

やり方はシンプルで、まずはゆったりと自分の内側を感じながら、浮かんできた気がかりなことを短い言葉で言ってみます(たとえば「仕事のこと」とか「あの人のこと」など)。

ジェンドリン先生の「そのなかに入り込まないように」という教え通り、あまりこまごまとディテールを掘り起こさず、その気がかり全体の感じを感じてみて、それをちょっと「脇に置く」としたらどこがいいかを問いかけます。

いい感じに置けたら、次に浮かんできた気がかりを同じように片づけていき、今の自分が抱えているものはこれだけと思えるまで続けます。

最後に、整理整頓された心の空間の、すっきりとしたクリアな感じをしばらく味わって終了です。

 

クリアリング・ア・スペースを行うと、抱えている問題とのあいだに適切な距離がとれるため、気持ちに余裕をつくることができます。一人でも行えますし、誰か聴いてくれる相手(リスナー)がいると取り掛かりやすいです。

 

クラスでは受講生がそれぞれペアになって実習しました。

最初に出てきた私の気がかりは「仕事のこと」でした。仕事そのもののストレスや、苦手な人との人間関係などをひとまとめに感じてみます。

これを置いておくのは、職場にある自分の机の中がふさわしいような気がしました。

次に出てきたのは「コロナの心配」。たまたま身近で複数の感染者が出て、しかも症状がわりと重めだったので、5類感染症への移行後おさまりつつあった不安感が、ぶり返してきたところだったのです。

こちらは、体温計などを入れている小さな引き出しにしまっておくことにしました。

次に浮かんだ、クラスで今後取り組む課題についての気がかりは、とりあえず「2週間後の未来」に置きます。

 

──という感じで続けていき、やがて何もなくなりました。

そこには、すっきりと片づいた空間があるはず…なのですが、なんとなく薄暗い感じに満ちています。

それでも、「今の気がかり」はもう出てこないので、クリアリング・ア・スペースを終了しました。

 

実習後にクラスの先生が、私が感じた薄暗さは「バックグラウンド・フィーリング」というもので、ジェンドリンの本にも「背景としての気持」という訳語で記述されていることを教えてくださいました。

 

 普通に出てくる5つか6つのことのあとに、もうひとつ何があります。そこに、それぞれの人にとって、いつでもそこにある「背景としての気持」があるのが普通です(例えば「いつも灰色」、「いつももの悲しい」、「いつもこわがっている」、「いつも懸命に努力している」など。)いつもそこにあり、今もあり、あなたといい感じとの間に出てくるそのものの特質はなんでしょうか。それもまた脇におきましょう

 

背景としての気持ちすら脇に置けるとは、思ってもみないことでしたが、さらにジェンドリンは、

「あなたは脇においたもののどれでもないのです。あなたは何かの内容物ではありません!」と、強く語りかけます。

 

クリアリング・ア・スペースは、やり方が特に難しいわけではないのですが、全部取り出して片づけると聞くと、とても面倒な気がして、実習という機会でもなければ、やってみたいと思わなかったかもしれません。

けれど、実際に「置き場所」を決めることができると、それはその場限りではなく、次からも使えることがわかりました。

部屋の片づけでも、物の「定位置」を決めるのが大切で、一度決めてしまえば、後はそこに戻すだけだから楽だといいます。

心の片づけにも通じるところがあって、今では、漠然と浮かんでくる「仕事の気がかり」は、とりあえず職場の机の引き出しにしまっておくことをイメージできるようになりました。その引き出しは、座るとお腹のあたりにある、浅くて広い引き出しで、鍵はついていません。つまり、それほど深刻でも大事でもなかったりするのです。

 

そして、バックグラウンド・フィーリングについては、非常に興味を引かれたので、後日「フォーカシングを楽しむ会」で、じっくりとフォーカシングしてみました。

とても印象深いフォーカシングになったので、あらためて記事として書きたいです。

 

 

みずち橋~ハヤさんの昔語り#2-17~

 

 ハヤさんの頭のなかに眠っている前世の記憶は、ふとしたひと言をきっかけに目を覚ます。前世では、江戸から明治にかけて生きていた「寸一」という行者だったので、

「そういえば、僕が寸一だった時のことですが……」

 という前置きから、昔語りが始まるのだった。

 

 ハヤさんと暮らしている私にとって、普段の会話のなかに突然、生き生きとした昔話が混ざりこむのは珍しいことではない。

 今日も、買い物袋から食材を取り出しながら、

「このタマネギ、橋の欄干に飾ってある擬宝珠(ギボウシュ)、それともギボシだったかしら? あれにそっくり」

「そうですね、なんとも立派なタマネギだ」

「擬宝珠って橋だけじゃなくて神社やお寺でも見かけるけど、ただの飾りではなくて、なにか特別な意味がありそうね」

「ああ、確か魔除けになるとか──。僕が寸一だった時に聞いた話ですけれどね」

 

 

   ▽ ▼ △ ▼ ▽

 

 長い修行の旅から帰る途中、寸一は橋のたもとで甘酒を売っている老翁に声をかけられた。

「お帰りなさいませ。よい修行をなされたようですな」

 その福々しい顔には見覚えがあり、往路で甘酒を振る舞われ、話し込んだことを思い出す。甘酒屋を営むかたわら、橋番の役目も買って出ているというひとであった。

 橋の名は、みずち橋。さほど大きな橋ではないが、人の往来は多い。

 老翁は、悪ふざけが過ぎる子供を叱り、身投げを企てる娘は思い止まらせ、若い者の喧嘩も手際よく仲裁するなどして、厄介事が起きぬよう目を配っているのだった。

 

 寸一は笑みを浮かべて挨拶を返し、促されるまま店先の縁台に腰を下ろした。

 すると目に付くのは、橋の親柱に輝く真新しい擬宝珠である。前に通った時には、無かったはずのものだ。聞けば、川向こうの町で店を構える商家の寄進により、取り付けられたばかりだという。

「これについては、わたしも一役買っておりまして──」と、老翁は顔をほころばせた。

 

 擬宝珠を寄進した商家には、信吉という跡取り息子がおり、父親の供をして度々こちらの町を訪れていたそうだ。

 ある時、みずち橋を渡っていて若い女と目が合った。髪を長く垂らした女で、欄干にもたれるように立ったまま、信吉を見てあでやかに笑う。はっとして目を伏せ、足早に通り過ぎたが、後ろ髪を引かれて振り返ると、女はこちらにひたと目を据えていた。

 その夜から、立て続けに同じ夢を見るようになった。

 夢に現れるのは橋の上で会った女で、近々と顔を寄せ「つぎの満月の晩に、みずち橋へおいで……」などと繰り返し囁く。

 毎夜、うなされて目を覚ましていた信吉は、やがて、何ものかに引きずられるように、満月が照らすみずち橋までやってきたのだった。

 

 夕暮れ時、見るからに若旦那といった身なりの男が、青い顔で橋の上を行ったり来たりしているのだから、甘酒屋の老主人の目に留まらぬわけがない。

 ちょうど店仕舞いを済ませたところだったが、呼び止めて話をするうちに、放っておけることではないとわかった。

「この川には、百年も生きて化け方を覚えたという、かわうそが棲んでおりましてな、時おり悪さをするのですよ」

 おそらく信吉を操っている女の正体も、かわうそが化けたものであろう。

 そこで信吉と共に、店先へ立てかけたよしずの陰に身をひそめ、みずち橋を見張ることにしたのだった。

 

 日が落ちて人通りも途絶え、川の流れる音だけが響く頃。

 橋の中ほど、薄暗闇からにじみ出るように長い髪の女が現れた。首を揺らして左右を見回し、せわし気に舌打ちながら佇む様子がいかにも怪しい。

 老翁はおもむろに立ち上がり、よしずを払いのけて飛び出すや、

「そこで何をしておる!」と、大音声で呼ばわった。

 女はよほど驚いたとみえ、己の背丈ほども飛び上がり、そのまま欄干の向こうへ姿を消した。さぶりと水音がする。

「やはり、かわうそがいたずらを仕掛けておったようですな」

 笑いながら振り返ると、信吉は腰を抜かしてへたり込んでいた。

 

 信吉の父母は、大事な跡取り息子が化け物に目を付けられたと知り、たいそう慌てふためいた。後難を恐れて菩提寺の和尚に相談したところ、魔除けの力を持つ擬宝珠の寄進を勧められたそうだ。

 この和尚、甘酒屋の老翁とは長年の碁敵らしい。

「冗談好きな和尚なので、うそかまことかわかりませぬが、擬宝珠だけでは心もとないゆえ、みずち橋のかわうそにもよくよく言い聞かせておいたと、笑っておりました」

「なるほど、かわうそ相手に説教をされたと?」

「はい。──おまえはからかって遊んでいるつもりでも、一つ間違えば人から憎まれ、大変な目に合うかも知れぬ。遊ぶならもっと上手に遊べよ──と諭したそうでございます」

 

   ▽ ▼ △ ▼ ▽

 

 聞き終えて、私は深くうなずいた。

かわうその気持ち、わかる気がする。化け方を覚えたら化けたくなるし、人間をからかって遊ぶのはさぞ楽しいでしょうね」

 ハヤさんは苦笑している。

「実は後日談があるんですよ。このことがあってから二十年後にまた、旅の途中でみずち橋を渡る機会がありました。橋のたもとの甘酒屋はもう跡形もなかったのですが──」

 

 橋の上では、ちょっとしたさわぎが起こっていた。どうやら、つまずいてころんだ老女を、通りがかりの人が介抱しているらしい。受け答えしている老女の声はしっかりしているが、すぐに立ち上がるのは無理な様子だ。

 手を貸そうとして近寄った寸一は、老女を背負って人だかりから抜け出てきた人物の顔を見て驚いた。介抱していたのは、あの甘酒屋の老主人で、二十年前とまったく変わらぬ姿だったのである。

 老翁は道の端の木陰に老女を下ろすと、その辺で遊んでいる子供を呼び寄せ、

「この先の味噌問屋まで駆けていき、ご隠居さまを迎えに来るよう言っておいで」

 と頼んでいる。ころんだ老女は味噌問屋の女隠居なのだろう。

 しばらくは女隠居の話し相手をしていた老翁だが、先程の子供が味噌問屋の人びとを連れて戻ってくるのを見て、いずこへともなく姿を消した。

 

「これって、二つに一つだと思うんですよね。甘酒屋のご主人が、亡くなった後もなお、みずち橋の守り神になって橋番を続けているのか、それとも、かわうそが人から憎まれないような上手い遊び方を覚えたのか……。瑞樹さん、どっちだと思いますか?」

 と、ハヤさんは私に問いかけた。

 

 

 

 

 

 

炊飯器でパルメザンチーズケーキ

 

チーズケーキ好きなので、ゼラチンで固めるレアチーズケーキから、クリームチーズと卵と砂糖だけで作るベイクドチーズケーキまで、いくつかの種類を作ってみました。

それぞれ普通においしかったのですが、何度も繰り返し作りたいか?というとそうでもなく、どれも決め手に欠ける感じでした。

自分のなかで「決め手」となるのは、①材料や作り方がシンプルであること、②お店にはあまり並んでいない特徴があること、あたりでしょうか。ケーキ作りに米粉やハチミツ、てんさい糖などを使っているのも、健康によさそうというだけでなく、市販品との違いを楽しみたいからでもあります。

 

そこで思い出したのは、高校生のときお店で食べた、少し塩がきいているチーズケーキのこと。まだ「塩スイーツ」が流行する前だったので、とても新鮮なおいしさでした。

次に作るのは塩味系にしよう!とネット検索したところ、粉チーズ(パルメザンチーズ)を使ったチーズケーキを見つけました。いくつかのレシピを参考に、適当にアレンジして作ってみたら、なかなかの出来だったので定番入り決定です。

 

【材料】

  • クリームチーズ 200g(1箱)
  • パルメザンチーズ 40g
  • てんさい糖(砂糖)50g 
  • 卵 2個
  • 水切りヨーグルト 200g
  • 薄力粉 30g

 

40gは粉チーズ1本の半量でした。

 

〔水切りヨーグルトの作り方〕

①ふたを開けたプレーンヨーグルト(400g入り)の容器にキッチンペーパーをかぶせ、輪ゴム2本でとめる。

②計量カップの上に斜めにしてのせ冷蔵庫で一晩置くとホエー(乳清)約200mlが出る。

※ペーパーが破れる、輪ゴムがはずれる、冷蔵庫内で倒れるなど不測の事態に備えて、ポリ袋に入れました。

 

パルメザンチーズケーキ

【作り方】

  1. クリームチーズは室温に戻すか、包装フィルムから出して電子レンジで30秒ほど加熱してやわらかくしてから、ボウルに入れよくかき混ぜる。
  2. パルメザンチーズ、てんさい糖、卵1個ずつの順で加え、そのたびによく混ぜる。
  3. 水切りヨーグルト、小麦粉を入れて、なめらかになるまで混ぜあわせ、炊飯器のケーキモードで焼く。
  4. 焼きあがったら炊飯釜ごと外に出し、充分に冷ましてから取り出す。

 

焼き上がり直後はやわらかく、くずれやすいので注意


充分に冷めてケーキの表面がしっかり固まっているのを確認してから、ケーキクーラー代わりの焼き網へ移しました。

すると──、

 

!?


謎の水玉模様が…(笑)。4~5回作って毎回です。

たぶん、材料の一部がダマになって残っているせいだと思います。粉をふるったり、裏ごししたりというひと手間を省略すると、こういう形で現れるのですね。

 

それでも、ゴールデンウィーク中に身内の集まりがあったとき、このチーズケーキを持参しました。水玉模様がついているほうは、底側なので誰も気づくことはなかったです。

味の評判の方は…「可もなく不可もなし」でした(^^;)。

 

 

アーカイブ動画の活用

 

去年の3月に出会った「フォーカシング」という心理療法がおもしろくて、ワークショップの参加を続けてきましたが、さらに通年のフォーカシングクラスも受講することにしました。Zoomを使ったオンライン講座で、約1年かけて深く学べるクラスです。

前年度までは開講時間が平日午後だったので、会社勤めをしているあいだは無理だとあきらめていたのですが、今年は夜の時間帯になると知り「渡りに船」とばかりに申し込みました。

 

第1回目を受講したのが、先週のことです。

こちらのクラスでは、講義の内容を復習したいとの要望に応えるため、小グループに分かれて行うワーク以外は録画するということで、事前に受講生全員の同意確認が行われました。「録画中」のマークがついた瞬間は少し身構えましたが、その後はほとんど意識しないまま(というか、初参加でそんな余裕もないまま)充実した講座が終了し、翌日にはアーカイブ動画のURLが送られてきました。

 

ここ数年、Webミーティングやビデオ通話など、自分の姿をリアルタイムで見る機会が増えました。ちらっと視界に入る程度とはいえ、なかなかなじめていません。セルフイメージに対する希望的観測を打ち消す現実を目の当たりにして、ため息をつきたくなることも多いです。

それが動画ともなると、さらに心理的抵抗が増しましたが、こわいもの見たさの好奇心で視聴してみたら、予想外に楽しめたのでした。

他のメンバーの方たちはとても魅力的なのに、自分だけイケてないなぁ…というぼやきはさておき──、

自己紹介で緊張しているときも、ワークの後で興奮気味なときも、自分が伝えたいことを一生懸命伝えようとしているところは、われながら好感が持てた(笑)。

あたたかく受けとめてもらえる雰囲気あってこそですが、素直に自分を表現することの大切さをあらためて感じました。

 

また、私はよく初対面の人から「知り合いにそっくりな人がいる」と言われるのですが、動画を見ているあいだ、自分の表情や口調が誰かに似ていると思うときが、何度かありました。

特定の人物というわけではなく、身近に接している人や、テレビ・ネットなどの画面を通して見た人たちが混ざっている感じです。目や耳から入ってくる情報から、知らず知らずのうちに影響を受けているのがわかりました。

 

もちろん、本来の目的でも、アーカイブ動画は有用です。

今回動画を視聴してみて、重要なことを聞きのがしていたり、自分の話した内容さえうろ覚えだったりしているのに気づきました。

記憶力に自信がないので、ときどきメモをとっていましたが、むしろその場では話に集中したほうがいいようです。後で動画を見ながらポイントを書き留めるやり方に変えようと思いました。

次回の講座までの期間限定アーカイブ動画、いろいろ活用したいものです。