私は河合隼雄さんのファンですが、本を読むのは久し振りでした。
『河合隼雄のカウンセリング教室』(河合隼雄 著/創元社/2009年6月)は、四天王寺カウンセリング講座での講演記録をまとめたものです。
行間から著者の人間味あふれる声が聞こえてきそうな本です。
カウンセリングを学ぶ人に向けての講演集ですが、私のような一般の読者にも興味深く楽しく読めました。
特におもしろいと思ったのは、著者が交換留学生制度のフルブライト奨学生としてアメリカに留学し、ユング派の分析を受けていたときのお話です。
当時、月に170ドルが支給されていたのですが、物価が安い時代だったとはいえ、アルバイトをしてはいけないという規則もあり、ギリギリの線だったそうです。
その頃の分析代は1回25ドルくらいで、勉強のために受けなければならないのに、とても払えそうにありません。分析家の先生に事情を話すと、
「いやいや、おまえの場合は特別だ。日本人ではじめてこういう分析を受けにきたわけだし、自分も日本人の分析をするのに非常に意義を感じるから、料金なんか問題ではない」
と言って、破格の1回1ドルで分析してくれることになりました。
そういう経緯があって、著者はクリスマスに、日本から持参していた物をプレゼントとして持っていきます。ところが先生は「いや、これは受け取れない」と言うのです。
理由を尋ねると、次のように説明されました。
- われわれはちゃんとした職業的な関係であり、契約している。
- 私は1ドルもらって50分の時間、分析していこうと決めているんだから、それ以上おまえに何かもらうことは、自分としては負担を感じる。
- おまえも、そういう物を渡したということで関係が甘くなったり、こちらが何かしてくれるんじゃないだろうかと思ったり、そういう気持ちが出てくることがある。
- われわれはあくまでも契約関係に基づいて厳しい仕事をしているんだから、プレゼントは受け取らない。
そこで「そうですか」と引き下がる人もいるかもしれませんが、私はそういうときに、なおも頑張るわけです。
私自身は「引き下がる人」なので、この言葉に思わずわくわくして続きを読みました。
隼雄さんの主張は以下の通りです。
- あなたはそう言うけれども、いかに契約関係であると言っても、日本人の場合は「恩義を感じる」ということがある。
- あなたが1ドルで僕に会ってくれているということはすごいことであって、その恩義を感じていることに対してプレゼントをしないということは、日本人としては心がおさまらない。
- だいたい日本にはお歳暮という習慣があって…(延々と説明)
- 普通は日本人は「心ばかりのものですが」と言って、何か渡したりもらったりしており、プレゼントをするときに長々と説明する者などいないが、これは日本の物で、日本人としてこれを差し上げる。
すると先生は、「わかった、この際、自分はルールを破ってもらうことにする。おまえは日本のルールを破って長々と説明したから、自分は西洋のルールを破ってこれをもらうことにする」と言いました。
お互いにルールを破っているのだけれど、破ることにちゃんと理屈があり、ここまできちんと話し合いをしていると、あとであまり問題が起こらない、それは「非常に面白いことだ」と、隼雄さんは語っています。
アメリカ留学を終えた著者は、さらにスイスのユング研究所で、日本人として初めてユング派分析家の資格を得て帰国し、日本でカウンセリングを始めました。
まだカウンセリングにお金を払うなどと思っている人があまりいない時代だったので、最初は無料で始めたのだそうです。
無料でやってみて著者が感心したのは、カウンセリングを受ける人が必ずお歳暮を持ってくることでした。お世話になっているということをお歳暮によって示し、著者がそれをありがたく受け取ることによって、あまりベタベタになったり依存されたりするのではなく、2人の間に何か距離がとれたといいます。
「無料でもできるのか」と心配して手紙をくれたアメリカの友だちに、隼雄さんは答えました。
「日本では無料でするけれども、お歳暮というものをもらうのだ」
「ああ、なるほどな。それは面白いシステムだな。いったいおまえは何をもらったのか」
「大根とか人参とかをもらった」と言うと、アメリカ人がむちゃくちゃ喜んでいました。そこで日本的なかたちがつきます。
おもしろいエピソードを交えながらも、主題であるカウンセリングについての実際的な話が、正面から語られていました。
カウンセラーにとって大切な「開かれた態度」──理解をあせらず、カウンセラー自身の倫理観を括弧に入れてしばらく脇に置き、「どんな話であれ聞きましょう」「私も一緒に深いところまで下りていく」という態度──を身につけるには、長い修練が必要だと言います。
「悩んでいる」ことが強いのです。悩んでいる人は何とかしようという力をもっているし、何とかしようという意欲をもっている。
という言葉が、とても印象的でした。
闇の向こうに光を見ているような、河合隼雄さんの言葉にはいつも勇気づけられます。