かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

河合隼雄著『「出会い」の不思議』が開く扉

 

先月、河合隼雄さんについて記事を書いたとき、この『「出会い」の不思議』をまだ読んでいないことに気づき、タイトルにも引かれ、図書館から借りてきました。 

「出会い」の不思議

「出会い」の不思議

 

中央公論』の巻頭言として連載していた36本に加えて、新聞・雑誌に発表した単行本未収録のエッセイを集め、Ⅰ言葉との出会い、Ⅱ人との出会い、Ⅲ本との出会い、Ⅳ子どものこころとの出会い、Ⅴ新しい家族との出会い、Ⅵこころの不思議との出会いと、6つのテーマを「出会い」というキーワードでつないであります。

 

まえがきを読み始めたとたん、親しみやすい独特の文体が語りかけてくるようで、なつかしさに胸が詰まりまりました(数十年来の河合隼雄ファンです)

 

「出会い」にふさわしく、この1冊のみで完結するというよりも、次々と扉が開いて世界が広がっていくような本です。

特に、第1章の「言葉との出会い」は、隼雄さんが「書物や新聞、テレビなどでふと触れる印象的な言葉を書きとめていった」もので、多岐にわたる内容はどれも楽しく、興味深いお話ばかりでした。

 

 

「 演奏は完全で、完全に退屈でした」

フルートの名手、サー・ジェームズ・ゴールウェイの言葉です。

彼は音楽の演奏において「うたう」ことの重要性を強調する。ところが、クラシックの演奏者は細かいことに気を使い、完全を求めすぎて「うたう」のを忘れてしまう。彼は、ある交響楽団の演奏を自らのフルートで真似してみせる。「これは何もうたっていない」。

 その演奏はまさに完全であり、完全に退屈してしまった、と言う。 

 

これを読んで、同じくヴァイオリンの名手、イツァーク・パールマンの言葉を思い出しました。ジャパンツアー2017のプログラムに載っている、スペシャルインタビューでの言葉です。

「上手とか下手ではなく、相手に『面白い』と感じさせること。それが大切です」

「音楽の本質を感じる以前に、その音楽をきちっと正しく弾くことにとらわれてしまっているのですが、それは大きな間違いです」

と、彼は語っています。

 

やはり超一流の演奏者どうし、通じ合うものがあるのですね。

そしてこれは、クラシック音楽の世界だけに当てはまる言葉ではありません。

  多くの人間は芸術家ではない。しかし、各人がかけがえのない唯一の人生を、いかに生きるかという、その生涯そのものが「芸術作品」なのだ、と私は思っている。すべての人が、世界にひとつしかない作品を創造している。この意味において、すべての人は芸術家である。〈中略〉

 こう考えてみると、多くの人――特に日本人――は、完全を求めすぎて退屈な作品をつくっているのではなかろうか。

 

 

「ローソクを灯して、瞑想しましょう」

ダライ・ラマ、イエスを語る』(中川新一訳 角川書店)は、「ダライ・ラマが『聖書』を読み、自由かつ率直に自分の考えを述べ、それに対してベネディクト会の神父やシスターたちが感想を述べたり、質問したりするというセミナー」の記録です。

 この試みをするにあたって、ダライ・ラマは一同で瞑想する時間を必ず取ってほしいと申し入れ、ベネディクト会の人たちもすぐに同意した。セミナーは何日間にもわたって行われたが、その間一刻を惜しんで話し合うというのではなく、一同が瞑想する時間が設けられているところが実に素晴らしい。

〈中略〉

 明確に意見を異にすることを認識しつつも、互いに相手を尊重することができる。その基礎に「瞑想」があった。

 

「控え目で簡素な動作で、儀式ばったところも華やかさもなく行われた」という瞑想。

その瞑想の様子を想像すると、なにかとても光に満ちたものを感じます。

シンプルで具体的、そして限りなく有意義な提案、その提案に対するすみやかな同意と実行。確かに「実に素晴らしい」ことだと思わずにはいられません。

 

さらに――、

「平凡な魂など存在しない」

 この言葉は、ユング派の分析家ジェームズ・ヒルマンの著作、『魂のコード』(鏡リュウジ訳 河出書房新社)から引用されています。

 

「神話をなくした民族は命をなくす」

 これは、日本の神話学の権威である、大林太良、吉田敦彦の両氏による対談『世界の神話をどう読むか』(青土社)のなかで、吉田敦彦氏がその師デュメジルの言葉として語っているものです。

 

 これらの本を、今年の必読図書リストに加えようと思いました。

 

とはいえ、若い頃は活字中毒傾向がありましたが、年を取っていく過程で治ってしまったらしく、本を読むと眠くなることが多くなってきました。

以前なら、図書館から借りてきた本が積んであるのを見て、豊かな気持ちになったのに、今では返却期限にプレッシャーを感じるのです。

というわけで、1冊ずつ、じっくりと読んでいくつもりです。

 

 

「陽遁(ようとん)」

3年間連載していた「巻頭言」の最終回にぴったりの言葉として、隼雄さんが選んだのは、有名な免疫学者、多田富雄さんの退職に伴う挨拶状にあった「面白い造語」です。

 

「公職を辞して、これから隠遁しよう思うが、隠遁はイメージが暗いから、『陽遁』にした」というのを「実に味わいの深い言葉」だと、隼雄さんは讃えています。

わずらわしい俗事を離れて、自分の好きな世界へと陽気に入っていく。何かを失うのではなく、新しい生活を拓くことになる。

 ここまで書いて、はたと思いあたることがあった。多田さんも私も、白洲正子さんの晩年にずいぶんと親しくしていただいた。その白洲さんがこの世から去ってゆかれた姿は、まさに「陽遁」ではなかったかと思ったのである。〈中略〉

そのときを迎えたとき、陽遁できるような人間になりたいと思う。  

 

河合隼雄さんはその言葉どおり、みごとに陽遁されたのだなと、しみじみ思いました。