かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

マインドフルネスストレス低減法(8週目とその後)

 

8週目では、自分の状況に合わせて、独自のプログラムを作っていきます。静座瞑想法、ヨーガ瞑想法、ボディスキャンのうち1つだけを選んでも、あるいは、いくつかを自由に組み合わせてもかまいません。

私の場合、7週目とほぼ同様の内容で、平日は30分の静座瞑想に加えて、マインドフル・ヨーガの座位と立位を交互に行い、時間的余裕のある休日には、音声誘導のCDを使ってボディスキャンなどを行いました。第7週はCD不使用だったので、久しぶりに聴く甲斐田裕子さんのナレーションに、とても癒されました。

 

 第八週は、私たちのトレーニング・プログラムの最終週であると同時に、あなたなりのトレーニングを始める最初の週でもあります。私たちは、第八週を”終わり”というより、”始まり”だと考えています。第八週はこのあとに続く人生のあいだ中、続くものなのです。本書の指示が終わったからといって、瞑想トレーニングが終わるわけではないのです。今度は、運転席に座るのはあなたなのです。今までの七週間、規則正しくトレーニングを続けてきた人なら、これから先、自分で自分を導いていく力は十分に身についているはずです。”正式なトレーニング”と”ふだんのトレーニング”を通じてつちかった注意集中力を、より高めて、これからの人生で直面するさまざまな状況にうまく対処していってください。

 『マインドフルネスストレス低減法』8章 プログラムをどう組みたてるか

 

8週間のトレーニング・プログラムを終了し、生活にマインドフルネス瞑想が定着しつつあります。今や瞑想は、自分の中で「娯楽・趣味」の範疇に入った感じです。 

思えば、坐蒲(ざふ:瞑想用のクッション)を購入するにあたり、いろいろ調べたり選んだりするのが妙に楽しかった時点で、かなり趣味感覚でした。瞑想の効果はいろいろ挙げられていますが、「新しい趣味」は思いがけない収穫です。

 

それ以外に、自覚している大きな変化はありませんが、『マインドフルネスストレス低減法』の著者であるジョン・カバットジン博士も、

「瞑想中に突然、新しい見方が開けるといった劇的な体験をする人」もいるが、一般的には「変化は、劇的にやってくるというより、ほんのすこしずつ深まっていくことのほうが多い」と説明しています。

「あなたは、誰かのようになることはできません。人は、”より自分らしくなる”ことしかできないのです」

という言葉には、真実の重みがあります。

 

とはいっても、今までとはちょっと違うと感じる出来事はありました。

先日、仕事で立て続けにミスをしてしまったのですが(より自分らしくなった?)、事態を収めたあと、メンタルの立ち直りが意外なほど早かったです。以前なら数日間は、くよくよ凹むケースでした。

 

ものごとにとらわれやすい性格なので、「マインドフルネス瞑想に取り組むにあたって大事な7つの態度」のなかの「(7)とらわれないこと」に出てくるお話は身に沁みました。

インドで猿をつかまえるときの方法、というお話です。

ハンターは椰子の実の殻に、猿の手が通るくらいの穴をあけ、中にバナナを隠しておきます。その「罠」をワイヤーで木の幹に固定しておくと、猿がやってきて穴から手を突っこんでバナナをつかみます。

この穴は、バナナを握った手では通れない大きさに作ってあるので、「罠」から自由になるには、バナナを手放さなければなりません。けれど、ほとんどの猿は、バナナを手放そうとしないのです──。

私の中にも、「罠」にかかったままの猿がいるようです。それも多分、1匹や2匹ではありません。少しずつ、解放してあげたいと思います。

 

さて、歩行瞑想についてちょっとした発見がありました。

本当なら、室内で十分に練習してから、外を歩こうと考えていたのですが、なかなか時間が取れないので、とりあえずぶっつけ本番でやってみることにしたのです。

すると、何年か前に、

『反応しない練習──あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』
(草薙龍瞬:作 KADOKAWA 2015年)

 という本を読み、歩行瞑想を試みて挫折したことを思い出しました。

足の裏の感覚に意識を向けながら歩き、同時に「右、左、右、左…」と心のなかでラベリング(言語化して認識)するというやり方です。

 

今なら思い当たるのですが、私はとっさに左右を認識して反応することができない「クロスドミナンス(左右盲)」で、そもそもラベリングの「右、左」と、実際の足の感覚が結びつかないこと自体がストレスだったのです。

箸を持つ手が左だった私は、

「右手はお箸を持つほうの手、左手はお茶碗を持つほうの手」

と幼稚園で教わり、左右の初期設定が混乱しました。

そこで、「右、左…」の代わりに「茶碗、箸、茶碗、箸…」とラベリングしながら歩行瞑想してみたら、おもしろいくらいスムーズでした。速足のときは「ちゃわんはしちゃわんはし…」とアップテンポしますが、左右がずれると、その瞬間に体感で気づきます。

言葉と体の感覚が一致しているというのは、こんなにも自然で楽なことなんですね。

 

やってみる前は、慣れない歩行瞑想をしながら通りを歩いて、自転車や歩行者にぶつかったりしないか心配だったのですが、大丈夫でした。むしろ、あれこれ考えごとをしながら歩いているときのほうが、まわりが見えていません。

これは歩行瞑想が、一点集中型の「サマタ瞑想」ではなく、今この瞬間に自分の心と体が経験していることに気づき、ありのままを観察していく「ヴィパッサナー瞑想」だからなのだと思います。

こういうことを調べるのも、趣味だと楽しいです。

 

 

マインドフルネスストレス低減法

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