前回の記事で、フォーカシングという心理療法の第一段階「クリアリング・ア・スペース」の体験について書きました。
意識を自分の内側に向け、あれこれと浮かんでくる気がかりを簡潔に分類しながら、ひとつずつふさわしい置き場所を設定して、そこへ片づけていくワークです。
これで全部というところまで続ければ、すっきりとした心の空間を感じられるはずだったのですが、私の場合、確かにもう何もないけれど、どこか薄暗い感じが満ちていて、クリアーな感覚にはなりませんでした。
この「薄暗さ」が、私の「バックグラウンド・フィーリング(背景としての気持ち)」だったのです。
最初のクリアリング・ア・スペースは、フォーカシング・クラスの実習として行いましたが、とても印象的だったので、数日後に参加した「フォーカシングを楽しむ会(オンライン)」で、このバックグラウンド・フィーリングをテーマにフォーカシングをしました。
聴き手となってくれるリスナーの方にテーマを伝え、まずはクリアリング・ア・スペースから始めます。出てきた気がかりは、前回と同じものもあれば、違うものもありました。
そして、今の自分にとっての気がかりをすべて脇に置いた後、ふたたび「薄暗い感じ」を感じたときは、ほっとしました。テーマですから、出てきてくれないと困るので(笑)。
リスナーさんに、それもどこかへ置けるかどうか聞かれ、ちょっと無理みたいだと答えます。なぜなら、その「薄暗さ」の範囲はかなり広大だったからです。
浮かんできたイメージは、ビルの地下にある大きな駐車場のような空間でした。駐車場といっても車は1台もなく、ところどころに太い柱が立っているだけで、四方を囲んでいる壁は薄闇の彼方です。
意想外の広大さを充分に感じとったあと、次に質感(その薄暗さは空気のようなものなのか、それとも液体や固体みたいなのか?)について問いかけられました。
すると反射的に、「もちろん液体や固体ではない、それは空気のようなもの」という感覚が起こりました。これがフォーカシングのおもしろいところで、「○○である」とはまだ言えない段階でも、「○○ではない」ということは即座にわかったりするのです。
今回のフォーカシングでは、リスナーの「質問力」にとても助けられました。
傾聴と伝え返しのなかに、適切な質問や提案を加えるのは、絶妙なバランス感覚が必要です。熟練したリスナーを「ガイド」と呼ぶこともあるそうですが、たしかに、すごく漠然とした「薄暗い感じ」に分け入っていき、先が見えない状態が続くなか、さりげないガイドの存在に勇気づけられました。
リスナーの質問に答える過程で、「薄暗い感じ」は空気のように、形もなく触れることもできないけれど、なくてはならない存在だということを感じます。でも、空気そのものかというと少し違っていて、暑くもなく寒くもなく、つまり外界に左右されず常に安定していて、まるでクッションのように緩和してくれている、あるいは包んでくれているのだとわかってきました。
しばらくその「包まれている感じ」にひたっている時、変転が起こります。
だだっ広い薄暗闇のなかに、小さな明かりが現れました。まるでソロキャンプのテント(三角でなくて、カプセル型の楕円形)のような感じで、内に灯った明かりが透けて見えています。
明かりは、ランタンのようなあたたかみのある色をしていました。
「その明かりを見て、どんな感じがしますか?」とリスナーに聞かれ、私はこみあげてくる涙と共に、
「とても大切な明かり」だと、答えました。
自分の内側に、泣けてくるほど大切な存在を感じたのです。
その感覚をしっかりと感じきって、フォーカシングを終了しました。
実はこの日、最初の自己紹介で、
「フォーカシングに出会って、おもしろい、楽しい、という気持ちのまま1年以上続けてきましたが、もしかしたらフェルトセンスとか、よくわかっていないかもしれません」
などと言っていたのですが、まさにその1時間後、なるほどこれが「フェルトセンス」、そして「フェルトシフト」なんだ…、と実感する体験をしたわけです。
自分のなかのとても大切な存在に気づくという、ほんとうに貴重な体験となりました。