かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

『やさしいフォーカシング』

 

ゲシュタルト療法のニュースレターで、フォーカシングとのコラボワークショップのお知らせを見て、参加はしなかったのですが、フォーカシングという心理療法に興味をひかれました。

 

『やさしいフォーカシング──自分でできるこころの処方』
アン・ワイザー・コーネル〔著〕/大澤美枝子・日笠摩子〔共訳〕
コスモスライブラリー(1999年)

 

フォーカシングは、アメリカの哲学者・臨床心理学者ユージン・ジェンドリン(1926-2017)が創始した心理療法ですが、その成り立ちがおもしろいです。

ジェンドリンは1960年代の初め、「なぜ、心理療法で効果がある人とない人がいるのか」という疑問から、実証的な研究を始めました。

まことにもっともな疑問だと思います。

同僚の研究者といっしょに、何百という心理療法場面の録音テープを検討し、クライエント(セラピーを受ける人)に有効な変化があった事例となかった事例の2つのグループに分け、成功と失敗の違いを決定づけるものが何かを調べました。

その結果、うまくいったセラピーとそうでなかったセラピーには明らかな違いがあり、どのテープでも、最初の1~2回の面接を聴いただけで、セラピーの成功を予測できるという、驚くべき発見をしたのです。

 

成功と失敗を決定づける違いとは「クライエントの話し方」でした。

 彼らが発見したのは、こういうことだったのです。治療が成功したクライエントは、面接のどこかで、話し方がゆっくりになって、言葉の歯切れが悪くなり、その時に感じていることを言い表す言葉を探し始めます。《中略》

 つまり、成功したセラピーのクライエントたちは、面接の過程で直接からだで感じている、漠然とした、言葉では表現しにくい身体的な気づきがあったのです。それとは逆に、セラピーがうまくいかなかったクライエントたちは、面接の間ずっと言いよどむことなくすらすらと話しています。

「頭で考えるレベル」にとどまっていて、からだで感じてみることがありません。最初はどう言っていいかわからないようなことをまず直接からだで感じてみるということがないのです。問題について、いくらいろいろと分析しても、説明しても、考えても、あるいは涙を流しても、セラピーは結局はうまくいきませんでした。

 ~第1章 フォーカシングって何 フォーカシングの発見

 

ジェンドリンは、この「漠然とした、言葉では表現しにくい身体的な気づき」を、

「フェルトセンス(感じられた意味感覚)」と命名しました。

フェルトセンスに焦点を当て、的確なことばやイメージで表現することができたとき、「ああ、そうだ」という深い納得感とともに、行き詰っていた状態から解放され、前に進める感覚をからだで感じる、これがフォーカシングのプロセスです。

 

著者アン・ワイザー・コーネルさんご自身の、書きたくても書けない状態から抜け出すために行なった複数回のセッションが、例として紹介されていました。

【1回目】まず、からだの内側に注意を向けて、書けないことについてのフェルトセンスを感じようとする。:胸に暗闇の感じ、隠れている感じ

 

【2回目】今度も暗闇の感じと隠れている感じから始まる。もう少し何かありそう。数分後、微妙な違いを言葉にすることができた。:ただ隠れているのではなく、頭を引っ込めている感じ

「もし頭を上げたら、何かが私をつかまえにくる。書くことは頭を上げることで、私の一部が、そんなことをしたら大変なことが起こると怖がっているのです」

 

【3回目】頭を上げることを怖がっている感じから始まり、自分が射撃場にいるイメージが出てくる。:姿を見せると狙い撃ちされてしまう

「狙い撃ちする」という言葉がとても重要な感じがしました。その言葉が出てきた時、からだの内側が変わるのを感じました。熱いものが胸に拡がってきました。自分でその言葉を何回か言ってみました。「狙い撃ちする、狙い撃ちする。」すると、突然、皮肉な表情を浮かべた父の顔のイメージが浮かんできたのです。そして、父の声で、「自分を何様だと思っているんだ」という言葉が聞こえてきました。

 いろいろなことがいちどきにわかって、洪水のようにからだとこころに押し寄せてきました。父が私をどんなに嫌味な言い方で狙い撃ちしたかを思い出しました。特に、のびのびと自分のことを表現すると、父は「ひけらかす」と言いました。感じやすい創造的な部分は、そういう攻撃を怖がって、自分を守るために隠れてしまったのです。

 このセッションが終わって目を開けた時、自分が変わったと感じました。からだ全体が新しく生まれ変わったように新鮮で自由な感じでした。何が変わろうとしているのかはわかりせんでしたが、何かが変わったのはわかりました。そこには、まったく新しい世界が開けていました。

 そして、私の書き方は変わりました。完全に書きやすくなったというわけではありませんが、ずっと楽になりました。書くことを邪魔している部分と話し合うことを、フォーカシングは手伝ってくれたのです。話し合うという行為だけで、すなわち、その部分が本当にどう感じているかを聴いてあげたのです。

 ~第7章 フォーカシングを使いましょう 作家が書けない状態から脱する

 

これは大きな変化を生んだセッションの事例ですが、フォーカシングはもっと日常的な場面にも使えます。単独で行うこともできますし、フォーカサー(フォーカシングをする人)とリスナー(フォーカサーを援助する人)に分かれて2人で行うこともできます。また、フォーカサーとリスナーをかわりばんこにすることもできるのです。

 

フォーカシングについて調べるうち、ある体験を思い出しました。

私は去年の10月に心理セラピストの大鶴和江さんの講演会に参加してから、自分自身のダークな部分をノートに書き出すというワークをほそぼそと続けています。

 

toikimi.hateblo.jp

 

自分のなかにあるけれど認めたくない嫌な感情や感覚を、ノートに書いて言語化することで、抑圧していた感情を解放し、ありのままの自分を受け入れるための作業です。

かなり痛いワークですが、続けているうちに、だんだんとおもしろくなってきました。

書き始めはいつも、「むかつく!」とか「ふざけんなー!!!」など罵詈雑言のオンパレードです。まさになぐり書きで、字も大きく、ひらがな・カタカナ・びっくりマークが中心になります。

けれど、ひとしきり書きなぐったあとに、ふと手が止まる瞬間が訪れます。胸のなかに、もやもやとしたかたまりを感じ、「それ」を表す言葉を探し始めるのです。ぴたりと当てはまる言葉を思いついたときは、けっこう嬉しかったりします。

その言葉がたとえば「屈辱」だったとすれば、スマホで漢字を確かめて、ノートにきちんと書き写します。そうやって書いた文字を見つめていると、ほっとゆるむ感じがあり、なんとなく気分が軽くなるのです。

 

本を読んでフォーカシングへの興味が深まったので、何度かオンラインのワークショップに参加してみました。実際にセッションを体験してみると、ゲシュタルト療法やマインドフルネスに通じるところも多く、もっと知りたくなりました。

私にとって今年はフォーカシングイヤーになりそうです。