「ふたつよいことさてないものよ」とは、河合隼雄さんの著書『こころの処方箋』(新潮社・1998/6)で紹介されている言葉です。
私は「法則」は好きでないが、それでも割と好きなのが、「ふたつよいことさてないものよ」という法則である。
「ふたつよいことさてないものよ」というのは、ひとつよいことがあると、ひとつ悪いことがあるとも考えられる、ということだ。抜擢されたときは同僚の妬みを買うだろう。宝くじに当るとたかりにくるのが居るはずだ。世の中なかなかうまくできていて、よいことずくめにならないように仕組まれている。
《中略》
それでも、人間はよいことずくめを望んでいるので、何か嫌なことがあると文句のひとつも言いたくなってくるが、そんなときに、「ふたつよいことさてないものよ」とつぶやいて、全体の状況をよく見ると、なるほどうまく出来ている、と微笑するところまでゆかなくとも、苦笑ぐらいして、無用の腹立ちをしなくてすむことが多い。
初めて『こころの処方箋』を読んだのは、もうずいぶん前のことですが、そのときは「ふたつよいことさてないものよ」にあまり感銘を受けませんでした。なぜなら私もまた、よいことずくめを望む人間なので(笑)。
しかし、河合隼雄ファンとして、この言葉を重視してきましたし、年齢を重ねるにつれ「なるほど、そうだよなぁ…」と胸に落ちることも多くなってきました。
もともと「都々逸(どどいつ)」の歌詞の一節のようで、このあとに「下の句」が続きます。
ふたつよいこと さてないものよ
月が漏るなら 雨が漏る
隙間だらけの家に住んでいれば、居ながらにして月の光が漏れ入って風流であるが、一方では雨漏りにも悩まされることよ──という感じでしょうか。
都々逸は、三味線に合わせて唄う民謡(俗曲・端唄)の1ジャンルで、「七・七・七・五」の26音を基本詩型とする短詩型文芸です。江戸時代から寄席や座敷などの場において親しまれてきました。
よく知られているところでは、
立てば芍薬 坐れば牡丹 歩く姿は百合の花
ざんぎり頭を叩いて見れば 文明開化の音がする
三千世界の烏を殺し 主(ぬし)と朝寝がしてみたい
私が好きなこちらの歌も「七・七・七・五」です。
恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす
室町時代の歌謡集に入っている小歌らしいですが、本歌取り的に変化して都々逸になっています。
恋し恋しと鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす
都々逸がどんな風に唄われていたのか知りたくなり、
『ビクター邦楽名曲選(13)都々逸名曲集』(柳家三亀松、都家かつ江、日本橋きみ栄 日本伝統文化振興財団 1997/4/9)
というCDを図書館で借りて聴いてみました。
都々逸はこれと決まった旋律があるわけではないようです。耳慣れた人には、都々逸か他の唄かの違いは判然としているそうですが、ちょっと聴いただけの私にはさっぱりわからない奥深さでした。
歌詞のほうでは、基本詩型の「七・七・七・五」以外に、最初に五文字を加えた「五字冠り」というのがあります。
ほととぎす いきな声して 人足を止めて 手を出しゃお前は 逃げるだろう
他に「字余り都々逸」もありますし、『新内「蘭蝶」入り』とか『民謡「博多節」入り』といった別ジャンルの歌謡の一節が入るという形もありました。
とにかく自由で、遊び心にあふれた文芸です。
そして、今現在もライブで都々逸を鑑賞することができそうなのです。
2000年に最年少俗曲師として高座デビューした「日本髪三味線アーティスト」の桧山うめ吉さんという方が、絶賛活躍中であることをこのたび知りました。
浮気同士が ついこうなりゃなったで いいじゃないか
(五字冠り+字余り都々逸でしょうか)
うめ吉さんの都々逸、機会をとらえて観に行きたいと思います。