人から聞いたばかりの「セレンディピティ」という言葉を、受け売りで解説し始めると、
「舌をかみそうな言葉ですね」
カウンターの向こうでコーヒーを淹れながら、店主のハヤさんが言った。
セレンディピティは、18世紀のイギリスの作家ウォルポールの造語で、ペルシアの寓話『セレンディップの三人の王子たち』が語源となっている。
物語のなかで王子たちが旅に出て、途中で遭遇する思いがけない出来事を、機転によって幸運に変えていくところから、もともと探していなかった何かを発見し、その価値を見い出すことをセレンディピティというのだ。
おもしろそうに話を聞いてもらえて満足した私は、香り高いコーヒーをゆっくりと味わった。
「このあいだは、伊作とザシキワラシの話をしたので、今日は長太郎のことを話しましょうか」
ふと思いついたようにハヤさんが、前世で寸一という行者だったころの昔語りを始める。
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ある日のこと、寺の庭で薪割りをしていた寸一のところへ、長太郎が息を切らして駆け込んできた。
聞けば、不思議な石を見つけたという。
長太郎は今朝、裏山へ山菜を採りにいった。
しかし、いつになくよいものが見つからず、つい奥へ奥へと分け入っていく途中、足をとられてころんでしまったのだ。
つまづいたのは、枕くらいの大きさの石だった。ずいぶん長い年月そこにあったらしく、すっかり苔むしているが、自然のままの形ではないようだ。
しゃがみこんでつくづく見るうち、はっと気がついた。
「これは、観音さまじゃないか」
飛び退くようにして離れると、そのまま駆け出して知らせにきたのだった。
寸一は早速、長太郎と共にその場所へ向かった。
「たしかに観音像だが、仏師の仕事ではないな」
付近を探してみると、他にもふたつ、人の手が加わったらしい石が見つかった。
兜のような形の石と、平たい面に花が彫られている石。
「これらはみな……、墓石だ。埋まっていた身体は、はるか昔に土に還り、成仏を果たしているようだが」
それでも、石に込められた深い思いは残っており、幻影のように、寸一の心に浮かび上がってきた。
落ち延びてきた、身分の高い武家の妻女。老母と幼い姫を連れていた。屈強な家臣が一同を護り、少年がかいがいしく働いている。
ようやくたどりついた地に、四人は隠れ住んだのだ。和やかな家族のように支え合い、厳しい暮らしを生き抜いた。
やがて老母が亡くなると、少年は観音像を彫って墓石とした。
武士には兜を、奥方のときには花を刻んだ。
「お姫様と、男の子は、それからどうなりましたか?」
草むらのなかに倒れている石を見つめながら、長太郎が尋ねる。
「少年も立派な若者になっていただろうから、姫と一緒に里へ下りて、仲良く暮らしたのではないかな」
寸一は長太郎と一緒に墓石を起こし、よごれをぬぐい、読経して丁重に供養した。
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「長太郎が石工になりたいと言い出したのは、それから間もなくでした。お千代様の口利きで石屋の弟子にしてもらったんですよ」
「山の中で石につまづいたおかげで、一生の仕事が決まったんだね。長太郎は立派な石工になったのかしら」
私が聞くと、ハヤさんはにっこり笑って答えた。
「それはもう──。寸一の墓石を彫ったのも、長太郎だったんですから」