行きつけの珈琲店で、店主のハヤさんと雑談をしているうち、話題が「おふくろの味」になった。
「すいとん、という料理をご存知ですか?」
「もちろん。子供のころ、よく母が作ってくれましたね。休みの日のお昼ごはんに食べることが多かったかな」
作るのを手伝ったこともある。煮立てたしょうゆ味のだし汁に、小麦粉と水を混ぜた生地をスプーンですくって落とす。小麦粉の団子は初め鍋底に沈み、火が通ると浮かび上がってきた。
具は大きく斜めに切った白ネギだけ、最後にとき卵を回し入れて出来上がり──。
「おや、卵でとじるんですね」
「そうしません?」
「それぞれでしょう。キノコや葉物野菜、根菜類を入れたり、味噌仕立てのすいとんもあるようです」
この上なくシンプルな料理だと思っていたけれど、バリエーションは豊富なようだ。
「私が寸一だったころ、長く暮らしていた村では、すいとんについて独特の風習がありました」
と、ハヤさんが話し始めた。
「江戸から明治にかけての時代です。他家に嫁いだ女性は、料理の味付けから何から、嫁ぎ先に合わせるのが当然とされていました。ところが、すいとんだけは実家での作り方を持ち込めたのです」
「おもしろい。どうして、すいとんだけ?」
「それほど主要な料理ではなかったからでしょうか。だとしても、お嫁さんにしてみれば、生まれ育った家の味を伝えられるわけですから、嬉しかったに違いありませんよね」
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寸一が寄宿していた寺のそばに、サトという娘が住んでいた。
幼くして母親を亡くし、父親とふたりで暮らしてきたが、このほど嫁に行くことが決まったばかりだ。相手は同じ村の若者で、本人も家族もいたって気のいい人たちだった。
ところが、父親と一緒に挨拶にきたサトの顏を見て、寸一はふと胸騒ぎを覚えた。白い花のような笑顔の裏に、翳りを感じたのだ。
(何か心配事があるのではないか……)
懸念を抱いたまま、帰っていく後ろ姿を見送った。
それとなく気に掛けていたため、サトが流行り病で寝付いたと耳にした折には、いち早く家を訪ねた。
一睡もしていないのだろう、赤い眼をした父親が寸一を出迎えた。
「ただの風邪だと思っていたら、急に熱が上がり、うわごとばかり言うようになって……」
寸一は付きっきりで、出来る限りの手当てをした。傍らで父親が声をふるわせ、娘の名を呼び続ける。
その甲斐あってか、幾度か生死の境をさまよいながらも、サトは病の峠を越えた。
ひと月後、婚礼はつつがなく行われた。
先立って礼を述べに来たサトは、曇りひとつない晴れやかな顔をしていた。
「病にふせっていたとき、ふしぎな夢をみました。いままで見たことがないほどきれいな場所で、おっかさんに会ったのです。なつかしくて、うれしくて、もう二度と離れるのはいやだと言ったのに、追いかえされてしまった」
「おふくろ様は、おサトが生きて、幸せになることを望んでおられたのだよ」
寸一は、おだやかに答えた。
「はい、おっかさんは嫁入りのことも知っているようでした。それで別れるまえに……」
と、サトは声をひそめ、
「すいとんをこしらえるときの、かくし味をおしえてくれたのです」
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「おサトは幼いころに食べた、すいとんの味を覚えていました。けれど、作り方を教わる前に、母親は亡くなってしまったのです。自分でいろいろ工夫してみたものの、母の味とはどこか違う、何か足りない気がする。そのことを人知れず悲しく思っていました」
生真面目で心の優しい娘だったのだろう。
けれど、私が気になっているのは、かくし味のほうだ。あの世まで聞きに行って来たとは、いったいどういうレシピだったのか。
「土地には『ツルイモ』という、細長いイモの一種が自生していました。固くて繊維が多いので、そのままでは食べられませんが、すりおろして乾かし、粉にしたものをすいとんの生地に混ぜると、とても風味がよくなるそうです」
ハヤさんの話では、おサトは5人の子の母になり、そのうち娘は3人だったそうだ。
もしかしたら、今でもどこかで、かくし味が利いて風味ゆたかなすいとんを、よろこんで食べている家族がいるかもしれない。