年末は忙しすぎて、部屋の大掃除もままならなかった。
星葉が「一時的な書類保管箱」の整理に手をつけたのは、1月も半ばを過ぎてからのことだ。
この1年間に溜まった箱いっぱいの紙片や印刷物を、内容を確かめながら分類していく。ほとんどの書類は、必要だからではなく、すぐに捨てるかどうか決めかねて取っておいたものばかりだった。時間を置いた今なら、あっさりゴミ箱行きにできる。
仕分けを終えたとき、絵はがきの束がひとつ、底に残った。
それは、いつだか思い出せないくらい前に考えついた、旅先のゲームだった。
旅行したときに、地元のお店で絵はがきを買い、その場で思い浮かんだ旅の感想を走り書きして、自分宛に投函する。
ネット上に写真や記事を投稿するのとは違う楽しさがあり、スロウフードということばを真似て、スロウメールと呼んでいた。
スロウメールは、風景や建物が写っているとはいえ写真でもないし、自分から自分へ出したものを、他の手紙やカードとまぜてしまうのもどうかと思い、分類に迷った。それでずっと、一時保管扱いになっていたのだった。
母親の昔のアルバムに、写真と並べて絵はがきが貼ってあったことを、星葉は覚えている。それが今では、写真もデータ保存があたりまえになった。
絵はがきの束をほどき、テーブルいっぱいに並べてみた。
(結局、去年も旅行しなかったなぁ……)
今年こそはと思いながら、気がつけば1年があっという間に過ぎていた。仕事に追われる毎日だった。多忙であっても、時間を見つけて旅に出る同僚がいるけれど、星葉は自分の疲れを癒すことを優先してきた。
ひざをかかえて、写しだされた構図をながめていると、行楽シーズンの春と秋、あるいは、まとまった休みがとれる夏の風景がそろっていて、「風光明媚」などという言葉が浮かぶ。
一面に咲きそろう花、新緑にかがやく山々、まぶしい青空と海、そして、風が吹きわたる黄金色の野原。
1枚だけ、覚えのない雪景色があることに気づいた。
なだらかな山と樹々に降りつもった雪が、あわい日差しにきらめき、透明な静けさに満ちている。
「あれ、おかしいな。冬の絵はがきなんてあったかしら」
手にとって、文面を読んでみた。
すごくいい旅館だった
若女将は私と同い年!
雪見のお風呂が人気らしい
「雪もおもてなしのひとつになります」
と、若女将のことば
今度は冬に来てみたいな
日付を見ると、9年も前だ。
それでも、「同い年の若女将」がキーワードになって、記憶の扉が開いた。
同期入社のメンバーで企画した旅行だった。新入社員研修で親しくなったものの、配属された部署は別々だったから、情報交換も兼ねて語り明かそうと、星葉が発案したのだ。
宿泊した旅館では、みんなすっかりくつろいで楽しく過ごした。幹事役を引き受けていた星葉は、若女将の誠実であたたかい人柄に触れ、打ち解けて親しく話をした。
女性がひとりでも気楽に泊まれる宿を目指すと語る彼女に、心からエールをおくったことを思い出す。
(でも、あの旅行は、秋の連休に行ったはずよね)
絵はがきを裏返して、目をみはった。
写っているのは、紅葉に彩られた山だったのだ。
(さっきは、たしかに雪景色だったのに。光の当たりぐあいで、白く見えたのかな?)
何度かひっくり返しているうち、すみに小さく印字されている旅館の名前が目にとまった。宿のおみやげコーナーで買った、オリジナルの絵はがきだったのだ。
ふと、9年の時を超えて、スロウメールがメッセージを運んできたように感じた。
あの若女将は、どんな女性になっているだろう。
また、会ってみたい。
「久しぶりに、お母さんをさそって旅行しようかな。そうね、もし予定が合わなかったら、ひとり旅だっていい」
胸の奥で錆びつきかけていた車輪が、きしみながら回りだそうとしている。
星葉の旅心が、動き始めたのだ。