かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

庭木戸の音(創作掌編)

 

 サトシの母親は、小鳥の声でその日の天気がわかるから、洗濯物を干したまま出かけても平気だった。人間以外のものたちと、少しだけ通じ合えるというのは、それほどめずらしいことではないらしい。

 

 サトシ自身も、庭木戸が語りかけてくることばがわかる。だから、表玄関よりも庭を通って外へ出るのが好きだった。

「ギギギーィ」ときしむときは、杉先生。

「すすっ」と開くときは、まなみ先生。

 通っているピアノスクールのクラスでは、2人の先生が個人レッスンを受け持っている。今日のレッスンは、どちらの先生が担当なのか、庭木戸の音が教えてくれるのだ。

 

 杉先生はとても厳しい男の先生だから、スクールまで歩いていくあいだ、心の準備をしなければならない。

 やさしくてきれいな、まなみ先生だとわかった日は、思わずスキップしたくなる。

(いつも、まなみ先生だったらいいのに)

 と願っていた。

 

 それなのに先週からずっと、庭木戸が「ギギギーィ」としか言わない。ゆううつな気分になったサトシは、ため息をついた。

 ピアノは好きだけれど、杉先生のレッスンは空気が張りつめていて、とても疲れる。そのうえ、スクールの友だちに聞いてみると、サトシほどは厳しくされていないようなのだ。

(ぼくのことがキライなのかな……?)

 そう思うと、ますます気が重くなった。

 庭木戸が耳ざわりなきしみ声をあげ、今日もまた杉先生のレッスンだと伝えてきたとき、サトシは思わずにらみつけた。

「ひょっとして、君がきしむから、杉先生に振りあてられちゃうんじゃないの?」

 頭にきたサトシは、家にもどってサビ落とし用のスプレーを持ってくると、金具のところに、これでもかというくらい吹きかけた。

 八つ当たりをして気が晴れたせいか、その日は杉先生の指導にも、なんとかついていけた。


 庭木戸はもう、きしまない。いつ開けても、「すっ」と開く。

 すると、ほんとうにレッスンは、まなみ先生だけになった。

 けれど、なぜかあまりうれしくない。自分がしたことのせいで、庭木戸にも、杉先生にも、見はなされてしまったような気がするのだ。

 

「サトシくん、このごろ元気がないみたいね。どうかした?」

 ある日、まなみ先生が、サトシの顔を正面から見つめて聞いた。

「ぼく、杉先生にきらわれているのかなって思って……」

 肩を落として答えると、まなみ先生はやさしくほほえんだ。

「杉先生はサトシ君のことを、とてもほめていたわよ。めったにない音感の持ち主だと感心していた。それでつい、指導にも熱が入って厳しくなってしまうと、苦笑いされていたわ」

「ほんとに?」

「ほんとうよ。私は杉先生のことを、ピアニストとしても、教育者としても尊敬しているの。先日、ある音楽学校に講師として招かれて、このスクールを離れていかれたのよ。急なことだったので、みんなにちゃんとお別れができなかったけれどね。サトシ君がこのままピアノを続けて、いつか自分が教える学校へ入学してくれたらいいなって、杉先生はおっしゃっていたわ」

 

 サトシは走って帰った。

 家に入る前に、荷物を地面に置くと、庭木戸のそばで両ひざをついた。

「ぼく、バカなことしちゃった。ほんとに、ごめんね」

 すると、庭木戸は小さく「ギッ」と蝶番をならして、サトシをゆるしてくれたのだった。

 

 

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