朝、バス停まで歩く道の途中で、紗里は風変わりな洗濯物に気づいた。
2階のベランダに並んでいるのは、大きさといい形といい、料理用のミトンそっくりに見える。けれど、キッチングッズとして売っているようなカラフルなものではなく、色がすべてベージュ系だった。
淡いピンクベージュから、茶色に近いものまで、グラデーションを作るように干してある。
(奇妙なテルテル坊主、なにかのおまじないかな?)
風に吹かれて揺れているようすが可笑しくて、見上げながら歩をゆるめた。
ちょうどその時、いちばん端に干してあったミトンが、風にあおられてふわりと舞いあがり、紗里の目の前に落ちてきた。
あわてて両手で受けとめる。
まぢかで見ると、濃いベージュ色をしたミトンには、指の境い目や爪の形が刺繍で描かれている。リアルというよりはデフォルメされたデザインが、なんともユーモラスだ。
手首のところにボタンで閉じられるフラップが付いているから、料理に使うミトンではない。
(なんだろう、これ?)
会社に遅刻してしまいそうだとは思ったけれど、このまま持って行くわけにはいかないし、だからといって、道ばたに置き去りにもできない。
ミトンが干してある家は2階家で、1階と2階の入り口が別々になっている。
取りあえず持ち主に返さなければと思い、紗里は外階段を上っていった。
ドアにはプレートが掛かっていて、
アトリエ 容(YO-U) ~柳沢 容子~
と、飾り文字で記されていた。
インターフォンのボタンを押すと、おだやかな声で応答があったので、落ちてきたミトンを拾ったことを伝える。
少し間があってからドアが開き、銀髪の女性が現れた。
「出るのが遅くなってごめんなさい。ひざが痛くて、さっと動けないのよね」
と言いながら、表情は明るくかがやいている。紗里はひと目で親しみを覚えた。
ミトンを渡した後、思わず問いかける。
「ここで創っていらっしゃるんですか?」
「ええ、ここは私が半分趣味で始めた工房なのだけれど、このミトンのおかげで、すっかりいそがしくなってしまったの」
「料理用のミトンではないですよね?」
「これ、ミトン型のカイロケースなの。すべてオーダーメードで作っているのよ」
紗里が目をみはると、容子さんは微笑みながら、アトリエの中を見せてくれた。
大きな窓から光が差し込んでいる部屋には、型紙や布、ミシン、裁縫道具があり、広々とした作業台の上に立てかけられた「手」のイラストが目を引いた。
「すべすべとしたシルク混の布は若い女性の手、働き者のお母さんなら麻かしら。年齢を刻んだ手の肌理を表すには、縮緬や厚味のある帆布ね。そして、色やサイズ、デザインの見本の中から、いちばんイメージに近いものを組みあわせて、お客さまに選んでいただくの」
「このミトンは、実際のだれかの手をイメージして作られているんですか?」
紗里は好奇心に駆られてたずねた。
「ええ、指の長さや、爪の形など、その方にだけわかる大切な個性や特徴を付け加えてね。そうして、この世でたったひとつのミトンが出来あがるというわけ」
説明する容子さんの声は楽しそうで、紗里も自然と笑顔になった。
カイロを入れたミトンはあたたかく、身体に当てれば、その痛みやこわばりをやわらげてくれるのだろう。
幼いころ、「おなかがいたい」と訴えると、やさしく包むように手を当ててくれた母を思いだす。
容子さんは、作業台に置かれたミトンを指し示して、
「ふつうのサイズの手より、かなり大きめでしょう。きっと、幼い頃の思い出のなかでは、これが『実物大』なのね」
と、言った。
「たしかに、そうですよね」
「そうそう、もっと大きな、野球のグローブみたいなのを作ったこともあるのよ。昔、かわいがってくれた、職人のお祖父さまの手で、その方にとっての『実物大』ね。ずっしりとしたそのミトンを頭の上にのせると、子供時代に帰ったようでなつかしく、心が落ち着くと、知らせてくださったわ。作り手冥利につきるわねぇ」
聞いているうちに紗里自身も、なつかしい手のあたたかさが思い出され、身体ごと容子さんに向き直った。
「私にもミトンを作ってくださいますか?」
いきおい込んでお願いすると、
「もちろんですよ」
にっこりとうなずいて、引き受けてくれた。