めったに乗らないタクシーで、私は結婚披露パーティの会場へ向かった。
スピーチの原稿を何度も読み返す。
(道が大渋滞して、たどりつけなければいいのに)と考えていたら、むしろ早めに到着してしまった。
ホテルのエレベーターが故障して閉じ込められる、というアクシデントも起こらない。
エレベーターの扉が開くと、迷う間もなく受付を見つけたのだが、そこに立っていたのは、ウサギのかぶりものを着けたタキシード姿の2名だった。
白いウサギと、茶色いウサギである。
新婦は私の親友で、新郎は数年来の仕事仲間だ。
(どっちのこともよく知っていると思ってたけれど、こういう趣味があったとは……)
まだ早い時間のせいか、ほかに人の姿は見えない。
驚きを顔に出さないようにしながら、型通り挨拶してご祝儀袋を差し出すと、ウサギたちは、なぜかおもしろそうにクスクスと笑い合った。
失礼というより、ひたすら奇妙な感じである。
大きく《抽選券》と書かれたカードを受け取り、どこからともなく現れた案内係の男性に先導されて受付を離れた。
パーティ会場に入るなり、自分の間違いに気づいた。
正面の壁には、大きなスクリーン、
そして、
『第5回 海外おもしろ動画 愛好家の集い』
という横断幕が掲げられていたのだ。
スクリーン横には、見あげるようなシャンパンタワーが設置されている。
ピラミッド型に積み上げられたクープグラスは、すでにシャンパンが満たされ、スポットライトを浴びて金色に輝いていた。
各テーブルで朗らかに語り合っている「愛好家」たちのようすを見ると、まさに宴たけなわという感じだ。仮装している人も少なくないようで、なかにはウエディングドレス姿の女性もいる。遊び心にあふれた集まりのようだ。
(受付のウサギたちは、私のことを結婚式の招待客コスプレだとでも思ったのかしら? いやいや、そんなことはどうでもいい。降りる階を間違えたんだわ。ご祝儀袋を返してもらって、正しいフロアに行かないと)
ところがその瞬間、ふいに照明が暗くなり、ドラムロールの音が響き始めたのだった。
スクリーンに、『会長』という名札を着けた人物の姿が映し出される。
知的な顔立ちの紳士だが、ブロンドの巻き毛にリボン、青いエプロンドレスで『アリス』の仮装をしていた。
「これより、シャンパンセレモニー遂行者の抽選を行います」
厳粛な面持ちで宣言すると、抽選箱に手をいれてかき混ぜ、ゆっくりと1個のカラーボールを取り出す。ボールには3桁の数字が書かれていた。
会場中の人がいっせいに、ボールの数字と手元の《抽選券》とを見比べる。
つられて私も、受付で渡されたカードに目をやった。
……同じ数字だ。
「おめでとうございます」
声をかけられて振り返ると、さきほどの案内係がほほ笑みながら立っていた。彼が合図したのだろうか、私の真上だけライトが点灯し、歓声と拍手がわきおこる。
『アリス』姿の会長も、テーブルのあいだをぬって駆けつけてきた。
「すみません、ちがいます!」
と、あわてて説明する。
「私は会場を間違えて、ここに来てしまったんです」
ところが驚いたことに、会長を始め愛好家たちは大喜びである。おもしろ動画を愛する人びとは、ハプニングが大好物らしい。
「これも何かのご縁です。よろしければ、ぜひお付き合いくださいませんか? 3分とかからないセレモニーですので」
と会長が言い、再び拍手と歓声が起こる。
押し問答をしているより、そのセレモニーというものをやってしまったほうが早く戻れそうだ、と私は判断した。
「わかりました。で、何をすればいいんですか?」
「シャンパンタワー崩し、です」
美しく積み上げられたシャンパンタワーから、ある特定のグラスを取り去ると、ドミノ倒しのように他のグラスが落ち始めるらしい。最初の1、2個はゆっくりだが、みるみる連鎖はひろがり、さいごには雪崩を打ってシャンパンタワーが崩壊する。
それは、わずか十秒ほどのスペクタクルだという。
人びとが席を立ち、スマートフォンやカメラを手に、それぞれの撮影ポイントへ移動し始める。
撮影準備が整うのを待っている私のところに、案内係がやってきた。透明なレインコートを手にしている。
「特殊な加工を施してあるグラスですので、お怪我の心配はありませんが、シャンパンは本物ですから、そのままではドレスが台無しになってしまいます」
一瞬のうちに、私の頭の中を、さまざまな考えがかけめぐった。
今日、結婚するふたりを引き合わせたのは、この私だ。
私が職場近くで親友と落ち合って、ランチの店を探していたとき、たまたま仕事仲間の彼と一緒になったのだ。
ふたりはあっという間に意気投合し、半年も経たないうちに結婚が決まった。
もちろん、私が彼に思いを寄せていたことは知らないままで━━。
そう遠くないいつか、素直にふたりを祝福できる日が来ると思う。
とはいえ、結婚披露パーティで、縁結びのキューピッドとしてスピーチをリクエストされたのには、心底参った。
傷口に塩を塗るようなめぐりあわせだ。
(なんとか笑顔で乗り切るつもりだったけれど……、でも、シャンパンを全身に浴びてしまったら、披露宴に出席するどころじゃないわよね)
決意した私は、案内係に向き直った。
「ハプニング動画を撮ろうというときに、あらかじめレインコートなんて着ていたらネタバレになりそうですね」
すると『アリス』会長が、我が意を得たりとばかりに、一歩進み出た。
「おっしゃる通りです。当然のことですが、クリーニング代、いえ、ドレス代は弁償いたしますので」
「そうしていただくと助かります。ただし、どれだけ拡散してしまうかわからない動画に顔を晒すのは控えたいので、受付のかたからお借りしたいものがあります」
かぶりものを着け、ドレスアップした白ウサギの格好で、シャンパンタワーのわきに立つ。
期待に満ちあふれた人たちの視線を一身に受けていると、お腹の底から笑いがこみあげてきた。
時が流れれば、つらかった出来事も笑って思い出せるというけれど、今回は同時進行で、笑い話に変わっていくようだ。