お寺の本堂で開催されている、マインドフルネス瞑想のクラスに参加しました。2年と3ヶ月ぶり、2回目です。
前回、参加者が私を含め初めての人ばかりと聞き、一期一会という思いが湧いたことを覚えています。
今回は、初参加の人もいれば、そうでない人もいましたが、
「この場に同じ人が集まって時を過ごすのは一度きりですから、両隣の人に笑顔で挨拶してください」
と講師の先生にうながされ、目と目を見かわして挨拶できたことが、何となくうれしくて心に染みました。
最初の自己紹介では、一人ずつ順番に名前と、マインドフルネスに興味をもった理由や、今日の講習に期待していることなどを話していきます。
私が話したのは、もともと雑念が多く瞑想は敬遠していたけれど、2年あまり前にこちらでマインドフルネス瞑想を体験してから、自分なりに続けてきたこと、瞑想を習慣にできたのはよかったものの、慣れてしまった分、あまり集中できないことなどです。
すると先生は、瞑想は日々の思いを「ちょっと脇に置いて」行いますが、日常空間ではなかなかうまくいかないこともある。たとえばお寺の本堂のようにシンプルで非日常的な場であれば、瞑想に集中しやすくなるので、そのときの感覚を覚えておいて、自宅で行う際それを思い出すようにする、という練習方法を教えてくださいました。
また「雑念とは、川に落ちた葉のようなもの」という言葉も、とても印象的でした。
落ちては流れる葉に付いていくことなく、川のほとりに座ったまま、その葉が落ち、通り過ぎ、流れ去るようすに、ただ気づく。そういうスタンスでいられることが、私の努力目標なのだなぁと思います。
「ただ気づくだけでいい」は、ゲシュタルト療法を学んでいたとき、しげさんというファシリテーターから聞いた言葉で、当時はよくわからなかったのですが、なぜかずっと頭の片隅にあって、繰り返し浮かんでくる呪文のような言葉です。
自己紹介の後は、リラックスするための短めの瞑想。軽くストレッチしてから、自分の体をゆっくりと感じつつ緊張をゆるめます。
次に15分の静座瞑想を行いました。
常時、過剰な情報にさらされ、自動的に反応し続けている頭と心が、警戒を解いてほっと一息ついているのを感じられる時間でした。
そして、最後は「食べる瞑想」ということで、個包装のチョコレートが配られました。
食べ始める前に、まず、チョコレートの原材料であるカカオ豆が栽培・収穫・加工され、日本の工場まで運ばれたこと、包装紙やパッケージも含め、私たちの手に渡るまでのあいだに経てきた、数えきれないほどの工程や、直接的・間接的に関わった人たちのことに思い馳せました。
包み紙を開け、チョコレートの色、形、質感、香りなど感じ取り、直接手のひらに載せて溶ける様子を観察したり、唇に当ててみたりします。(ウェットティッシュも配られました)
そして、ごく少量をかじり取り、目を閉じてじっくりと味わいます。ふたくち目はもうちょっと大きめに、その後は自由に食べきりました。
チョコレートは大好きですが、ここまで丁寧に食べたのは初めてです。
そのためか、最初のひとくちの味わいは、とても新鮮な感じでした。2度目になるとインパクトは薄れたものの、チョコレートにまつわるポジティブな思いが湧いてきて、幸せな気持ちになりました。もしかすると「食べる瞑想」の趣旨(?)からはずれるのかもしれませんが、とても楽しい体験でした。
帰り道、不思議な多幸感を感じながら、駅まで歩きましたが、それがマインドフルネス瞑想の効用なのか、チョコレートによって、幸福感をもたらす脳内物質が放出されたためだったのか……(笑)。
お寺でマインドフルネス瞑想、ぜひまた参加しようと思います。