かきがら掌編帖

10年あまり通っていた童話教室で「宿題」として書いたものに加筆修正して載せています。

呪文、掛け声、ゲシュタルトの祈り

私は、考えごとを対話型でしている。脳内会話というものらしい。場合によっては、脳内会議になっていることもある。言葉のやりとりはごく自然に、絶え間なく続いていて、止むのは眠る時と、何かに集中している時くらいだ。

 

みんなそうだと思っていたので、中学生の頃だったか、なにげなく友だちに話したら、「私は違うよ」と言われ、びっくりしたことを覚えている。

「じゃ、なにしてるの? どうなってるの?」と聞くと、

「特になにも、空白。ずっと頭の中で会話して、考え続けていたら疲れない?」

ほんとに、その通りだ。

近頃「脳疲労」という言葉を耳にして、ぴったりのネーミングに出合えたと感じた。会話でも、会議でも、いたずらに長びくと堂々めぐりになるのは当然の成り行きで、とても疲れる。

 

 この頃では、脳内の不毛な行き詰まり状態に気づくと、

「いま、ここ」

という言葉を繰り返して、自分の呼吸に意識を向けるようにしている。頭から身体へ、シフトするイメージで――。すぐ自動的に脳内会話へ戻ってしまうとしても、根気よく手動で切り替える習慣を身につけたいと思っている。

私にとって「いま、ここ」という言葉は、呪文のようなものだけれど、「呪」という字に抵抗がある。 この種の、効力を持った言葉のことを何と呼べばいいのだろう。

いつも声に出しているわけではないけれど、掛け声?

 

「いっこずつ」もよく使う。

やらなければならない事があるのに、やる気がおきない時、まずは目の前のことだけを見て、ひとつずつ片付けていこうと、うながすための言葉。

とりあえず動き出してしまえば、案外に、弾みがついて次から次へと進めることができるのだ。

 

こういう言葉は、流行語ほどではないにしても、使いすぎて効き目が薄れてきたり、いつのまにか使わなくなったりということも多い。そんな中で、私がいちばん長くひんぱんに、となえ続けているのは、

「だいじょうぶ」

 

もう少しまとまった文章もある。

ゲシュタルト療法という心理療法の創設者のひとり、精神分析フレデリック(通称フリッツ)・パールズの「ゲシュタルトの祈り」だ。

 

 Gestalt Prayer

I do my thing. You do your thing.

I am not in this world to live up to your expectations.

And you are not in this world to live up to mine.

You are you and I am I.

If by chance we find each other, it’s wonderful.

If not, it can’t be helped.

 

  ゲシュタルトの祈り

私は私のことをする。あなたはあなたのことをする。

私はあなたの期待にそうために、この世に生きているのではない。

あなたも私の期待にそうために、この世に生きているのではない。

あなたはあなた、私は私である。

もし、たまたま私たちが出会うことがあれば、それはすばらしい。

もし出会うことがなくても、それは仕方ないことだ。

 (フリッツ・パールズ)

 

百武 正嗣 著「気づきのセラピー はじめてのゲシュタルト療法」より

 

この文章に出合ったのは2年ほど前のこと。それ以来、どれだけ支えられてきたかわからない。