一緒にトレーニングコースを受講していたメンバーは、セラピストやカウンセラー、医療関連の仕事をしている人などが多かったです。
私の場合は個人的興味だけだったので、専門的なアドバンスコースに進む予定はなく、今後は単発のレギュラーワークショップに参加しながら、メンテナンスを続けていくつもりです。
「ゲシュタルト療法は、セラピーというより生き方だと思っている」
という、あるファシリテーターの言葉に、強く共感しました。
ゲシュタルト療法を職業とするしないに関わらず、その生き方を実践している人の総称が『ゲシュタルティスト』であるならば、私はゲシュタルティストを目指そうと思います。
さて、
なにか不調や問題を抱えているとき、どうしてこうなってしまったのか、なにがいけなかったのか、原因は、理由は(Why?)……と、考えたくなります。
けれど、ゲシュタルト療法では「なぜ(Why)」ではなく「どのように(How)」を重視するのです。
といっても、疑問を持ち、情報を集め分析して原因を探ることを、否定しているわけではありません。
ゲシュタルト療法の創設者のひとりフレデリック・パールズは、著作『ゲシュタルト療法 ─その理論と実践─』で、以下のように説明しています。
- 作者: フレデリック・S.パールズ,日高正宏,倉戸由紀子,井上文彦,倉戸ヨシヤ
- 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
- 発売日: 1990/07
- メディア: 単行本
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「なぜ」という問いかけは際限のない疑問を生じ、もともとの原因は自分にあったなどと言わざるを得ないことになる。もしもある人が神経症的であり、その「原因」は、母親が早く亡くなったので、厳しい未婚の叔母に育てられ、やりたいことを何もさせてもらえなかったので、自分の欲求を抑えるようになったことにあるのだとしたら、叔母さんを悪の元凶とするような説明は問題の解決にどのように役に立つのであろうか。
〈中略〉
しかしここで、事実の流れを思い起こすことはセラピーへの手がかりとなる。このことは次の問題にも触れることである。もしも叔母さんが彼の望むことをさせてくれなかったのなら、彼の子ども時代は外側からの叔母さんの妨害と内側からの彼自身の妨害が続いていたことになる。もしもクライエントが自分の自己妨害の方法に気づき、それが過去のことであれ、現在のことであれ、自分が実際にどのように自分を妨害するのかということを経験できるようになれば、妨害されない真実の自分や本当にやりたいことに迫ることができるようになるものである。
もしもセラピーがうまくゆけば、自分でもどうしようもなく自己妨害をしている状態から、自分で自分を支える状態にもってゆけるであろう。
「今、どんなことに気づいていますか」
というのは、ゲシュタルト療法のもっとも大切な問いかけですが、時には、
「今、どのような方法で止めていますか(気づくことをどんな方法で止めていますか)」
と聞かれ、ハッとすることもありました。
自覚できなかった自己妨害に気づく瞬間です。
”ギリシャ、サンフランシスコ、シドニーで招待されている日本で唯一の国際ゲシュタルト療法ファシリテーター” 百武正嗣さんも『WhyではなくHow』という文章を書いています。
ゲシュタルト療法は、人の心の悩みに「何故そうなったのか(Why)」という原因を追究しません。その理由などを解釈しても評価をしません。その代わりに「どのように(How)」と問いかけます。心の悩みはその人の心が混乱している「状態」と考えるからです。その混乱をどのように(How)創り出しているかが分かれば解決できるのです。
たとえてみれば「心の悩み」は、心という糸が絡(から)み合っている「状態」のようなものです。何故、その糸が絡まってしまったか(Why)、その原因がわかっても糸は解(ほぐ)れません。その代わりに、糸はどのような絡み方(How)をしているのか。それが分かれば糸を解すことが出来ると考えます。
(月刊『大法輪』2015年11月号
ゲシュタルト療法における「リトル・サトリ」シリーズ②)
「どのように(How)」を自覚的に体験するためのアプローチとして、
1.ゆっくり意識を向ける
2.ゆっくり経験する
3.小さな気づきを表現する
(月刊『大法輪』2015年9月号
ゲシュタルト療法における「リトル・サトリ」シリーズ①)
が紹介されていますが、私はこの「今、ここ」にゆっくり意識を向け続けることや、マインドフルネス、瞑想などが、あまり得意ではありません。
しかし、ゲシュタルティストを目指すからには、いろいろ工夫して取り入れていこうと考えています。
最近、定期的に書くことは、一種のワークだと思うようになりました。
創作に限らず、公開することを前提としたブログ記事を書いていると、行き詰ったところから思いがけない展開があったり、予想を超えた着地点を見いだしたりします。
そういう時は、独特の達成感を得られるのです。
心理療法のなかには「筆記療法」というものがあり、治療的な効果が認められているようです。
私は一気に早く書くことができないので、数日にわたって一進一退を繰り返したあげく、睡眠時間を削ってパソコンに向かうこともまれではありません。
いったい自分は、なんでまたこんなことをしているのかと、疑問に感じたりもします。
この「Why」の答えは「やってみたいから」につきるのですが──。