僕の宝物は、ガラスの小石だった。1500万年前、巨大な隕石が地上に落下した時、すさまじい衝撃と高温のなかで生まれた、天然のガラスだ。
小学校の夏休み、自然博物館のミュージアムショップで、貯めいていたお金をはたいて買った。ざらざらとして黒っぽく見える、重さ5グラムの小さな塊を光にかざしてみると、深く透きとおった緑色が、すいこまれそうなほどきれいだった。
持ち主を守り、願いを叶えるという言い伝えのある石だ。
子どもの頃に集めていた宝物は、いつのまにかどこかへいってしまったけれど、この小石だけはお守りのように持ち続け、ずっと大切にしている。
ガラス工芸の道に進んだ僕は、いろいろな縁に恵まれて、自分の工房を持つまでになった。10年間修業していたグラスアートの会社からの依頼が、受注の大半をしめる小さな工房で、自由に楽しみながら仕事をしていた。
ある日、自信作の水差しを、表の飾り窓に置いてみると、
「あの作品を絵に描かせてください」
と言って、飛びこんできた人がいた。
「売ってください」ではなかったけれど、僕の工房にとって、初めてのお客だ。
彼女の名前は礼奈、画家の卵だった。絵の勉強をするために、アルバイトのかけもちをしている礼奈は、仕事の合間をぬって、毎日やってくるようになった。短い時間を積み重ね、絵がゆっくり出来あがっていくあいだに、僕たちは少しずつ親しくなっていったのだ。
天職と思える仕事を見つけ、そして、運命の相手にめぐりあえた。僕の幸運は、ガラスの小石によってもたらされたのに違いない。
明るい秋の午後、ふたりで町を歩いていると、礼奈が花屋の前で立ち止まった。
「千日紅がある。去年、花を描く課題で、私は千日紅を選んだのよ」
僕はその時、センニチコウという名を初めて知った。赤紫色の、まるくてかわいらしい花だ。
「野原に咲いているような感じの花だね」
「そうね。この花の時間はゆっくりと流れるの。長く色あせずに咲いているから、こういう名がついたのよ。私にとって、ありがたいお花だった」
礼奈のために花を買いながら、僕は聞いた。
「ありがたいって?」
「こまぎれにしか描く時間がつくれなかったから、どんなに美しくても、すぐにしおれてしまう花はダメだったってこと」
と言って、はにかんだように笑う。
その笑顔を見て、胸が痛んだ。できることなら礼奈に、毎日好きなだけ絵を描いていられる時間をプレゼントしたい。けれど、今の僕にその力はないのだ。気楽な暮らしに満足しきっていた、自分自身を悔やむ思いだった。
(何か、礼奈のためにできることはないだろうか)
次のアルバイト先へ向かう礼奈と別れた後、帰り道の途中ずっと考えていた。
外出から戻ると、いつものように持ち歩いていた小石をポケットから取り出し、窓ぎわの定位置に置く。僕の石は、まるで光合成でもするように、日に当たることで力を蓄えている感じがするのだ。
(そうだ、これを礼奈にあげよう。きっと幸運を引き寄せてくれるはずだ。――でも、僕がこの石をどれほど大切にしてきたか、礼奈はよく知っているから、すんなりと受け取ってもらえないかもしれない。心から望んで手にしなければ、石の魔法は有効にならない気がする)
仕事の準備をしながら、ふと見ると、いつの間にか小石が、窓辺の作業台に転がり落ちていた。ここ数日間、僕はシンプルでバランスのいい花瓶のデザインに取り組んでいたのだが、その完成イメージのデッサン画の真上だった。
まるで操り人形になったように、僕は動いた。宝物の小石を拾いあげ、ガラスを溶かす溶解炉へと向かう。そのわずかな距離のあいだ、握りしめた手の中の石は、僕の腕を通って心臓へとつながり、確かに鼓動していた。
出来上がった花瓶は、光にかざすと淡いボトルグリーンがゆらめくように映えて、悲しくなるくらい美しかった。
礼奈は目を輝かせて喜び、そのプレゼントを受け取った。
しばらくして、
「あなたの宝物の石、いつもの場所に置いてないけど、どうしたの?」と聞かれたとき、僕は用意していた答えを口にした。
「実は、昨日からどこを捜しても見当たらないんだ。僕がもう充分すぎるくらい幸せになったから、役目を終えて、ふるさとの宇宙に帰ったのかもしれないね」
冗談めかして告げると、礼奈はなぐさめるように抱きしめてくれた。
ガラスの石の力を、僕は信じて疑わなかったから、礼奈に思いがけないチャンスが舞い込んできたと聞いても、驚きはしなかった。
美術学校の恩師が、海外留学の奨学生として推薦してくれることになったのだ。思う存分に描くことができる1年間を約束され、礼奈は旅立っていった。
残った僕の胸のなかに、大きな空洞ができた。もう、宝物の小石はなく、大切な人も遠くへ行ってしまった。時間の流れは人の心を変える。1年後、礼奈が僕のもとへ帰ってきてくれるかどうかは、その時にならないとわからない。
余計なことを考えてしまうのに飽きて、僕はガラスの仕事に没頭した。注文品だけではなく、オリジナルの作品にも力を入れた。あの緑の小石が溶け込んだガラスの、木漏れ日を思わせる色と質感を、自分の技術で再現してみたくなったのだ。
数えきれないほど失敗を繰り返しながら、それでもいつかは、限りなく近いものが作れる日が来ることを信じていた。
礼奈とは、まるで細い糸でつながるように、電子メールのやりとりだけだったから、いきなり小包が送られてきたのにはおどろいた。
厳重に梱包された小さな包みと一緒に、手紙が入っていた。なつかしい礼奈の字で、スケッチ旅行に行った町のフリーマーケットで、おもしろいものを見つけたと書いてある。
――きっと、あなたなら興味を持つわ。大昔、隕石が衝突したときにできた、天然ガラスだというの。
そこまで読んだところで、あわてて、包みを開けにかかった。
「もしかして……」
幾重にもくるまれていたものは、黒っぽい小石だった。光にかざすと、思わず見入ってしまうような深いグリーンだ。
石を握ったまま、手紙の続きを読んだ。
――おみやげに持って帰ってもよかったんだけど、荷物のなかにまぎれてしまうのが心配だから、先に送ることにします。私とどっちが早く着くかしら? もう航空機の予約はしてあるの。フライトナンバーは……
僕は、ガラスの小石をポケットに入れ、上からそっとたたいた。
「君のほうがひと足早かったね。さあ、一緒に空港まで、礼奈を迎えに行こう」