かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

「薔薇は薔薇であり、薔薇であり、薔薇である」

 

A rose is a rose is a rose is a rose.

薔薇は薔薇であり、薔薇であり、薔薇である。

アメリカ合衆国の詩人ガートルード・スタイン(1874.2.3~1946.7.27)の言葉です。

 

ゲシュタルト療法の創設者フレデリック・パールズの弟子で、1985年に来日し指導・実践を行った故ポーラ・バトム博士が好きだった詩だと聞きました。

 私がワークを受けたファシリテーターには、ポーラからゲシュタルト療法を学んだという方々がいて、

「ポーラがこう言っていた」

と、なつかしそうに話してくれるのです。

 

ゲシュタルト療法は、ゲシュタルト心理学をはじめとして、さまざまな哲学・心理学を取り入れていますが、そのなかのひとつが「現象学」です。

げんしょうがく【現象学

意識に直接的に与えられる現象を記述・分析するフッサールの哲学。現象そのものの本質に至るために、自然的態度では無反省に確信されている内界・外界の実在性を括弧に入れ(エポケー)、そこに残る純粋意識を志向性においてとらえた。

実存哲学などにも影響を与え、サルトルによるイマージュの現象学メルロ=ポンティによる知覚の現象学などが生まれた。

三省堂大辞林 第三版より抜粋)

 

ほとんど何を言っているのか理解できませんが、エポケー(判断中止、判断を留保すること)という態度は、ゲシュタルト療法に通じるように思います。

しかも「括弧に入れる」とは、面白い表現ですね。

ごく当たり前だと思い、疑うことのなかった価値判断を(括弧)のなかに入れ、ちょっと留保しておいて、今のありのままを記述する。

ゲシュタルト療法の「気づきのトレーニング」に似ています。

 

さて、冒頭の詩ですが、

「薔薇は薔薇である。薔薇の花が薔薇であり、薔薇のとげが薔薇である。薔薇の根が薔薇であるように、それ以外に薔薇の本質は存在しない」

と、解釈することができます。

物事の本質はどこか見えないところにあるわけでなく、現実に現れている薔薇そのものが本質なのである。

人の存在も同じである。あなたがどこかにすばらしい本質を隠し持っているわけではなく、あなたの存在があなたであり、あなたの本質なのだ。

(ポーラ・バトム) 

 

「禅」的になってきました。使いこなすには相当の修行が必要な感じです。

 

過去の失敗や後悔に引きずられたり、あるいは、認めたくないような痛い感情が湧きあがってきたりするとき、無かったことにしようと無駄な労力を費やすよりも、

「ローズ・イズ・ローズ・イズ・ローズ・イズ・ローズ(深い根っこも私、鋭いとげも私)」

と唱えて、受け入れる場を心のなかに作ってみる。

それは、なかなか有効な手段ではないかと思います。

 

 

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