かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

蓮の音(創作掌編)~ハヤさんの昔語り#2-14~

 

「蓮の花は音をたてて開くというけど、ほんとだと思う?」

 私が尋ねると、ハヤさんは驚いたように目を見開いた。

 

「そのように言われてますよね。けれど確か、あれは迷信だという話も、聞いたことがあります」

「私は何となく、ありそうなことだと思っていたの。でもね──」

 といって、本日仕入れたばかりの雑学話を披露する。

 ある蓮池で80年以上続いている、観蓮会(かんれんえ)という蓮花の観賞会、その発端が蓮の開花音論争だった、という話だ。

「蓮の開花は無音である」

 そう主張した植物学者の一派と、それに反駁する人たちが、蓮池近くの旅館に泊まり込んで研究発表や議論を行い、一夜明けた早朝には池の周りに佇み、全員無言のまま耳を澄ませたという。

 

「結局、花が開く音は聞こえず、蓮の無音開花が発表されたけれど、納得できない人も多かったみたい。翌年、再検証のための会合が行われ、その翌年もまた……、だんだんと趣旨は変わりながら続いて、現在に至るというわけ」

「なんだかんだ言っても、楽しかったということでしょうか」

 ハヤさんが面白そうに聞いてくれたので、私は満足した。

「そういえば、さっき質問したとき、ずいぶんびっくりしていたけど、どうして?」

「え? ああ、そうでした。以前、ちょうど同じような質問をされたことがあったので──、以前といっても、僕が寸一だったときの話ですが」

 

 ハヤさんの頭のなかには、江戸から明治にかけて「寸一」という名の行者だった前世の記憶が眠っていて、ふとしたはずみで再生する。私はこれまでいくつも、ハヤさんの昔語りを聞いてきた。だから、そこに登場する人たちを、まるでご先祖様のことのように親しく感じるのだった。

「ひょっとして質問したのは、お千代様?」

「いえいえ、旅の途中で一夜の宿を借りた寺の小僧さんです。突然、宿坊へやってきて、真剣な顔で聞いてきました。確か、恵念さんという名前だったかな……」

 

 そういって、ハヤさんは昔語りを始めた。

 

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   △ ▲ △ ▲ △

 

「蓮の花は音をたてて開くと言いますが、まことでしょうか?」

 寸一に向かい、恵念は真顔で問いかけた。

 聞けば、寺に入ってまだひと月あまり。初めて見た蓮花の美しさに、強く心を引かれたという。

 さらに、花が咲く時の音には悟りを開く力がある、と聞き知ってからは、明け方ひそかに蓮池のほとりへ通い、耳をそばだてていたそうだ。

 

「さて、私は耳にしたことはないので、何とも言えぬな。恵念さんこそ、それらしき音を聞かなかったのかい?」

 と、問い返す。

 恵念はしばらくためらった後、小さな声で答えた。

「昨日の朝ですが、これまで聞いたことのない物音がしました。玉がころがるような音で、澄んだ響きが耳に残ります。それも一度きりではなく、間を置いて二度、三度……」

 

 音をたよりに近づき、淵近くの水面に目をこらす。 

 日の出前の薄明かりに浮かびあがって見えたのは、うなだれた蓮の蕾だった。辺りの花がとうに咲き終わったなか、後れたことを悔やむように、さびしげに揺れている。

(この蕾が音をたてたのだろうか)

 蕾の周りには、すでに実をつけた蓮が立ち並んでいた。

 蓮は花びらが散り落ちた後、蜂の巣のように穴があいた花の根元が残り、次第に大きくなっていく。ひとつひとつの穴の中で蓮の実は育つが、それはまるで、たくさんの目がついた小さな顔のようにも見える。

 水面から細長くのびた茎をたわませ、目玉だらけの面を蕾に向けて取り囲む有り様は、少々気味が悪い。

(蕾のことを見張っているみたいだ……)

 息をのんで見つめるうち、泡がはじけるような音が鳴って、蓮の実がひとつこぼれ出た。葉の上にころがり落ち、朝露に当たって止まってからも、玲瓏とした余韻が残る。

 先程から聞こえていたのは、この音だったのだ。

 しばらく待ってみたが、それきりだった。

 

「あの時は、なにやら恐ろしくなって逃げるように離れましたが、ずっと心にかかり、今朝方また見に参りましたところ、なんと、しおれかけた蕾が見事に咲いていたのです」

 感に堪えぬ面持ちで語ると、もの問いたげに、寸一を見る。

「それはよかった。蓮というものは、それぞれが別々に花を咲かせているように見えても、水底の泥の中では、一つにつながっていると聞く。先達の蓮たちは、実を投げ落として音を鳴らし、花咲かぬ蕾を励ましたか、あるいは、喝を入れて目覚めさせたのかもしれぬな」

 

 寸一の言葉に、恵念は神妙な顔つきでうなずき、

「私も目が覚める思いです。仏門に入ったというのに、ふらふらと心定まらずにおりましたが、ここより先は、身を尽くして精進いたします」

  と言って、深く頭を垂れた。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 「瑞樹さんは、蓮の実を見たことがありますか?」

「さあ、蓮池に行ったことはあるけれど、花や葉しか思い出せない……」

 するとハヤさんは、スマートフォンを取り出し、その場で検索した画像を見せてくれた。

  

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 「あら、これはずいぶん独特な見た目ね。恵念さんが気味悪く思ったのもわかるわ。でも、だからこそ、強く印象を受けたのね。めったに聞けない蓮の音(ね)を聞いたわけだから、ひょっとして、かなりの名僧になったんじゃない?」

 と言うと、ハヤさんは目を細めて笑った。

「聞いたところでは、立派な和尚さんになったそうですよ。修行も熱心にしたのでしょうが、蓮の手入れや研究にも熱を入れ、毎年、蓮の花の観賞会を開きました。集まった人たちに、小僧のとき耳にした蓮の音の体験談を、面白おかしく語って聞かせる法話が大人気だったとか」

 

 どうやら恵念さんは、名僧というより、名物和尚になったようだ。