かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

よしなし言(創作掌編)~ハヤさんの昔語り#2-13~

 

 外出から戻ると、ハヤさんが私の顔を見て、

「お帰りなさい。何かありましたか?」

 と、聞いた。

「あら、そんなに剣呑な顔つきかしら?」

「というより、すごく無表情だったので……」

  私は思わず苦笑する。

「打ち合わせの相手が、慇懃無礼を絵に描いたような物言いをする人でねえ。社会人スマイルを張り付けて応対していたから、表情筋がすっかり固まってしまったわ」

 

 ハヤさんは少し考えてから、

「それなら、ホットチョコレートかな」

 と言って、作り始めた。

 処方は大当たりで、私の顔は即座に緩んだのだった。

 

「人が口にする言葉というものは、毒にも薬にもなりますよね。そういえば、僕が寸一だった頃の話ですが━━」

 ハヤさんは、江戸から明治にかけて「寸一」という行者だった前世の記憶をたどり始めた。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 この度、寺の世話役に選ばれた理之助が、妻女のちかを伴って寸一の居室を訪れた。

 寄宿している行者にまで、丁寧な挨拶をするところに人柄が偲ばれる。 ちかもまた、理之助に輪をかけてよく出来た人物だった。

 しばらく和やかに談笑していたが、ふと、理之助が眉をくもらせて問い掛ける。

「寸一さん、常盤木がいっせいに葉を落とすというのは、どうしたことでしょうか。植木屋に見せても首をひねるばかり。何か異変の前触れではないかと案じております」

「その木とは?」

「庭のマサキでございます。実は、半年ほど前にも、別のマサキが落葉しまして。その折は、さほど気に留めていなかったのですが……」

 庭の木が枯れると家運が傾く、という言い伝えもある。

 寸一は見分を申し出た。

 

 理之助は檀家の寄り合いがあるというので、ちかが寸一を案内した。

 落葉し裸木となったマサキは哀れな姿であったが、悪い気を感じることはなく、すでに新芽も出始めている。

 ゆっくりと木を調べている最中、驚いたことに、ちかが深々と頭を下げたのだった。

「お許しくださいませ。この木の葉を落としたのは、私の仕業でございます」

 

 常日頃、賢く気を遣いながらも、奥ゆかしさを忘れないちかであるが、いつとはなしに胸に溜めこんだ愚痴を、庭の木に向かってこぼしていたのだ。半年ほど前、そのマサキの葉が落ちた。偶々の出来事と考え、別の木に変えて続けていたところ、またもや落葉したのだという。

 罪人のようにうなだれるちかに、

「物言わぬは腹ふくるるわざなり。これからは私が、このマサキの代わりを務めよう」

 と、寸一は言った。

 

 世話役の妻女というものは、寺に出向く用事が多い。

 帰りがけ、ちかは寸一と話をしていくようになった。

 本堂の隅や縁側で、一杯の茶を喫するほどの短い間に、小言、文句、恨み言の数々を息もつかずに語り尽くす。けっして大きな声ではなかったが、その勢いは雨あられのようであった。

 寸一は、常に変わらず緑の葉を揺らす常盤木の心持ちで、静かに耳を傾け続けた。

 

 三月ほど経った頃、ちかが不思議そうに言う。

「寸一さんは、相槌を打つわけでもなく、こちらに目を向けるわけでもないのに、言い分が聞き届けられているとわかります。有難いことです」

 

 さらに三月ほどすると、

「こんなに愚痴を聞かせて、マサキが葉を落としたように、寸一さんの髪が抜け落ちて丸坊主になってしまわれたら、いかが致しましょう」

 などと、剃髪頭の寸一に向かい、冗談を口にするようになった。

 

 ある朝のこと。

 境内の庭掃除をしている寸一のところへ、駆け寄るようにやって来たちかは、

「昨夜初めて、理之助を相手に口喧嘩をいたしました」

 と、清々しい顔で告げた。

 この日をもって、寸一のマサキ代わりは、お役御免となったのだ。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 「おちかさんが、ほんとうに話を聞いてもらいたかった相手は、理之助さんだったのね」

 私の言葉に、ハヤさんはうなずいた。

「そうですね。本音というのは、闇雲にぶつければいいものではなく、伝え方が重要です。寸一は、その練習台になったわけですよ」

「延々と愚痴を聞かされるのは、寸一にとっても、かなりの難行だったんじゃない?」

「常緑樹のマサキが、いっせいに葉を落とすくらいのストレスですからね。けれど、滝に打たれるばかりが修行じゃありません」

 

 喧嘩ひとつしないということは、もしかしたら、どちらかが気まずさを避けるため、我慢しているのかもしれない。

 私はちょっと心配になった。

 ハヤさんと私は、喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかったからだ。

 思わず、窓際に置いてある観葉植物に目を向けると、ハヤさんもまた、振り返って同じ鉢植えを確かめていた。