かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

光を運ぶもの(創作掌編)~ハヤさんの昔語り#2-11~

 

「今日、『無知の知ノート』というコラム記事を読んだの」

 と、ミルクコーヒーを作っているハヤさんに話しかけた。

 私はこの頃、夕食後にコーヒーを飲むと寝付きが良くない。そこでハヤさんが、普通のコーヒーから変えてくれたのだ。

 

無知の知というと、ソクラテスですよね。知らないと自覚することが、真の知へ向かう出発点だといいますね」

「そうそう、何かを知るという楽しみは、一生のあいだ尽きないってことでしょ?」

 ハヤさんは少し首をかしげて、カップにミルクコーヒーを注ぎ分けた。受け取ってお礼を言い、飲み頃の温度になるのを待ちながら、話を続ける。

「読んだのは、元素についての記事だったの。人の血の一滴には、宇宙に存在する元素の大半が含まれているんですって。人体は小宇宙なのね。体内と海水に多く含まれる元素も、すごく似かよっているそうよ。だけど不思議なことに、体重1kgあたり10gを占める多量元素なのに、海水にはほとんど存在しない特殊な元素があるというの」

 

 その元素とは「リン」原子番号15番、元素記号はP。

 

「そうなんですか。リンといえば骨や歯、細胞などに必須の重要な元素ですよね」

「私は真っ先に、人魂を思い浮かべたわ。人魂の正体がリンというのは、科学的根拠のない迷信らしいけれど。でもね、ふと、リンの元素記号のPって何だろうと思って検索してみたら……」

 もったいぶって間を置く。

ギリシャ語の『ポースポロス( phosphoros)』から命名された記号で、その意味とは『光を運ぶもの』だったの!」

 

 一瞬の沈黙の後、ハヤさんは、

「人魂といえば、僕が寸一だったとき━━」

 と、江戸から明治にかけて、寸一という行者として生きた「前世」の記憶をたどり始めた。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 寸一が寄宿していた寺には、松吉という年寄りがいた。

 先代住職の頃から寺男を務めており、年老いても、子供のように無邪気な眼をした働き者であった。

 しかし、急ぎの使いには向いていなかった。外を歩いている最中、つい気を取られるまま道を逸れ、半日も帰らぬということがあるからだ。

 

 ある時、寸一は村はずれの辻で松吉を見かけ、驚いたことがある。

「松吉さんではないか? どうした、こんな場所で」

「あ、寸一さん、ちょうどよいところへ来なさった。帰り道がわからず困り果てていたんだよ」

 と言うわりには、気楽そうな顔つきで笑いかけてくる。

 当時、寸一は寺に身を落ち着けたばかり。松吉とはまだ、よく知り合っていなかった。そこで共に帰る道すがら語り合い、初めて、松吉の目に見えている不思議について知ったのである。

 

 松吉は幼い頃から、たびたび人魂を見てきたという。

「寸一さんは、人魂が二通りあることをご存知か?」

 人が亡くなった後、しばらくのあいだこの世に留まっている魂魄の他に、もう一つ、これから生まれる子供の元へ飛んで行く光りものがあるそうだ。

「赤子の人魂は、丸くて清らかで、迷うことなくまっすぐに飛ぶ。見つけると、晴れ晴れと明るい気分になるよ」

 

 一方、亡くなったばかりの者の人魂は、いびつに揺らぎ、消えそうで消えず、なかなか地上を離れることができない。

「墓地の掃除をしていると、ときおり見かける。あわれに思うけれど、どうもしてやれない。何かしら俺にできることがあればよいのだが……」

 うつむいてしんみりと話す松吉に、寸一は答えた。 

「松吉さんが、お経のひとつもあげて手を合わせてやるだけでも、大分なぐさめになるだろうね」

「お経なら、少し知っている。和尚さんが毎朝毎夕、本堂でおつとめされているから聞き覚えた。だがなぁ、意味がさっぱりわからんので、どうしようもない」

「意味など、聞いている人魂の方だってわからぬさ。たとえわからなくとも、ただ有難く思う、それだけで十分なのだよ」

 と、和尚が聞いたら苦笑いしそうなことを言った。

 

 松吉は律儀にも和尚に伺いを立て、許しを得ると、さっそく墓所で読経を始めた。

「寸一さんの言われた通りだ。人魂はお経をよろこんで聞いてくれたよ。毎日続けるうちに、だんだん丸く明るくなってくるから、俺も張り合いがある」

 と、顔をほころばせて告げに来た。

 

 人知れぬ、松吉の行いである。

 ところが、半年一年と経つ頃には、幾ばくかの金品が、松吉のもとへ届けられるようになった。故人が夢枕に立って頼むらしく、残された身内がお布施を包んで渡しにくるのだ。

 松吉は大いによろこんで受け取り、その金を使って犬と猫を一匹ずつ飼うと、家族のように仲良く暮らした。

 

 年を経て、松吉が世を去ったとき、その人魂を見たという者が幾人も現れた。

 目を奪われるほど明るく輝き、あっと言う間に空の彼方へ飛んで行ったという。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 「松吉さんは、人は本心どおり素直に生きるのがいちばんだと言っていましたが、簡単なことじゃありませんよね。そもそも自分が本当はどういう人間かなんて、案外わからないものですから」

 ハヤさんの言葉に、私はうなずく。

「そうよね、ただ好き勝手に生きればいい、というわけではなさそう」

 

「……そういえば瑞樹さん、ソクラテスには『無知の知』と並ぶ有名な言葉が、もう一つありましたね?」 

 私が思いついて答えるのと同時に、ハヤさんも声をそろえた。

「汝自身を知れ」

 

  

   △ ▲ △ ▲ △

 

無知の知ノート』は実在します。

知らないことを知る楽しさに満ちた、雷理 (id:hentekomura)さんのブログです。

思わず笑ったり、時に涙ぐんだり、さらには、コメントのやりとりから掌編が生まれることもあります。

  

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