しばらくブログを休んでいました。
記事の更新はともかく、読むほうは休まないつもりだったのに、結局「全休」になりました。
耳の不調が再発したり、突然ネットを開くのが怖くなったりなど、心身ともにいろいろありましたが、ここへ戻れて嬉しいです。
これからも無理せず、マイペースで続けていきたいと思います。
耳の不調とは、右耳の閉塞感と聞こえにくさ・めまいなどで、発症したのは去年の5月が最初です。その時点では「突発性難聴」でしたが、今回3度目なので、病名が「メニエール病」に変わりました。
メニエール病は、初期段階では突発性難聴と区別できない場合が多く、再発しやすいかどうかが診断の分かれ目になるそうです。不定期に症状を繰り返すたび、少しずつ難聴が進行していくのも特徴のひとつ。原因は不明ですが、ストレスや疲労、睡眠不足が引き金になって発症するといわれています。
さて、
私は今年、生活費を節約するため、『個人主義的小遣い帳』というフリーソフトで出費を記録し始めました。レシートをためておいて、週に1度パソコンに入力するという簡単な方法です。
耳鼻科を受診したときも、診療費や調剤薬局の領収書を見ながら「帳簿つけ」をしました。初診料に加えて、詳しい聴力検査をしたので、結構な金額でした。
さらに今回は、混んだ待合室で長時間待つのを避けたくて、友人から教えてもらった完全予約制の耳鼻科医院に行ったため、交通費もかかっています。
やれやれ…と、ため息をついたとき、
「私よりお金が大切?」と、右耳が言いました。
といっても、実際に右の耳が声を出してしゃべったわけではありません。
私は「ゲシュタルト療法」という心理療法を2年ほど学び、現在も独習中なのですが、そのゲシュタルト療法には、身体の症状や「部位」と対話する、というアプローチ方法があります。
ゲシュタルト療法のアプローチはシンプルです。心理学的な理論づけや原因の、分析をしません。その人の身体の「部位」に声を与えるのです。すると身体が話してくれるのです。その身体と私が「対話する」のです。すると小さな気づきが起こり、自然にものの考え方が広がります。そのことでまた気づきが起きてきます。
このようにして、分離していた「私」と「身体」が統合される瞬間が気づきでもあるのです。私たちが自分の本当の気持ちに気づき、それを受け入れた瞬間が統合です。『気づきのセラピー』百武正嗣・著(春秋社/2009年)
同書のなかで、具体例としてあげられているのが、ある保健室の先生の体験です。
「お腹が痛い」と言って、しばしば保健室を訪れる子に、「どうしたの?」と聞いても子どもは「お腹が痛いの」としか答えなかったのです。
そこでアプローチの方法を変えて「もし、お腹が話すことができるとしたら何と言っているのかな?」と聞いたら、「嫌だって言っている」と答えました。
「何が嫌なのかなぁ?」と聞いてみます。
子どもは「お父さんとお母さんが喧嘩するから」と答えました。
そこで保健室の先生は、その女の子に「お父さんとお母さんに、仲良くしてねと言ってごらん」と教えたそうです。
「私よりお金が大切?」
と、右耳に問いただされて、私はドキッとしました。不快な症状を起こして医療費もかかる右の耳を自分から「分離」し、厄介者扱いしていたことに気づいたからです。
「ごめんね、もちろん、あなたのほうが大切よ」
右耳に答えると、
「言葉だけじゃ足りない。行動で示して」
と、言われました。
何だか恋人どうしの口論みたいですが、思い当たる節があります。
診察のとき先生に睡眠時間を聞かれ、6時間と答えたら、7時間に増やすよう指導を受けたのです。
「はい」と頷きはしましたが、内心では難しいと思って聞き流していました。
睡眠時間については、すでに去年から心掛けているものの、実際のところあまりうまくいっていません。物事をさっさと手早く済ませるのが苦手なせいですが、そんなこと言い訳にすぎないと反省しました。
そこで、目標消灯時間を設定し、夕方からの行動をチェックして時間管理をすることにしました。
優先順位を決め、期限に間に合うよう作業を配分する──、思えば仕事上では、タイムマネジメントとしてやっていることでした。お給料のためなら出来るのに、右耳のためにはしていなかったのですから、まさに、自分よりお金を大切にしていたわけです。
自分を大切にする、というと、何となく自分に優しくして、楽をさせるイメージを持っていました。けれど、場合によっては、手間を惜しまず、地道な努力を続けなければならないようです。
めんどくさいですが、そもそも「大切にする」とは、そうしたものですね。
そうこうしているうちに緊急事態宣言が発令されて、勤め先の会社が休業状態になり、出勤日や勤務時間が減った結果、7~8時間の睡眠をとれるようになりました。
時間管理の地道な努力は、通常勤務に戻るまで先送りです。