2ヶ月ほど前「蛇口をさがしてみよう」という記事で、統御感(物事を自分でコントロールできるという感覚)について書きました。
一般に、ポジティブ・シンキングとは、コップに半分入った水を見て「もう半分しかない」と考えるのではなく、「まだ半分もある」と考えることだといわれている。
しかし、統御感の高い人たちは、人生の舵は自分が握っているという強い意志を持っているので、コップの水を見て、
「蛇口はどこですか?」と質問する。
──というような内容でした。
すると、はてブ・フレンドの、なまケモノさんが、
flightsloth.hatenablog.com
という、すごくおもしろい記事のなかで、この蛇口の件に触れ、冒頭で「イラストは抜きでいきます」と表明されながら、すばらしい絵をさらりと(2枚も)お描きになりました。絵心と遊び心──、うらやましいなぁ。
そのうちの1枚がこちらです。
見れば見るほど心引かれるイラストなので、いつかテーマとして記事を書ければと思っていたのですが、ここにきてようやく思いつきが実現し、この絵でゲシュタルト療法のワークをすることができました。
(ゲシュタルト療法とは「今‐ここ」に意識を向ける気づきの心理療法です)
半年ぶりのワークショップでした。
ファシリテーターは、長老的存在の「しげさん」です。
まずプリントした絵を見せて、それまでの経緯を説明しました。
「この絵には、いろいろなものが描かれていますが、今、特に気になっているのはどれですか?」
と聞かれ、私は答えました。
「しずく、です」
蛇口の先から、ぽとりぽとりと落ちている水滴を見ていると、落ち着かない気分になるのです。
その瞬間にしか現れない、とらえどころのなさ。
思い浮かんだのは、このブログに載せている掌編のことでした。
過去に書きためたものを、いわば再創作しているのですが、ストックは残り半分どころか、そろそろ底をついてきます。
使い切ってしまったあと、ペースを落としても創作は続けていきたいのですが、新作のアイデアが湧いてくるかどうか心配でした。
出てくるかどうかわからないアイデアのイメージが、しずくと重なったのです。
「1滴1滴がとても大切。それなのに、量が少なくて足りるかどうか不安」
という気持ちでした。
しげさんの提案により試みたのは、ゲシュタルト療法のエンプティチェアという技法で、「しずく」の座布団を置いて対話をするワークです。
ワークショップの会場は20畳ほどの座敷なので、椅子の代わりに座布団を使います。
自分の座布団から「しずく」の座布団へ移り、「しずく」になってみました。
「私はただ現れて落ちるだけ。量が少ないとか大切だとかは、あなた(toikimi)の問題であって、私には何の関係もない」
という言葉が出てきました。
「しずく」との対話は平行線のままなので、自分の座布団に戻った私は、今いちど、絵に注意を向けました。
当初は、自然に地面から生えたような印象を持っていた蛇口ですが、ワークが進むにつれ変化してきました。
蛇口は、ハンドルをひねればいつでも、必要な量の水が出るように、私自身が設置したものだと感じたのです。ただし、実際に水が出るかどうかは、まだわかりません。
鳥のことも気になりました。何かを見張っているようにも見えます。
そこで、「鳥」の座布団を置いて座ってみると、言葉に詰まりながら、
「私は、水を飲みに来ただけ……」
と言ったところで──、
ホワイトアウトが起こったように、頭のなかが真っ白になりました。
もう何も出てきません。
しばらく固まっていると、
「今、何が起きていますか?」
しげさんが聞きました。
ゲシュタルト療法の基本的な問いかけのひとつです。
「頭のなかが空っぽになりました」
と現状報告して、私はがっくりとうなだれました。
「はぁ……」
思わず、大きなため息が出ます。
「疲れました。いろいろがんばってきたけれど、もう疲れました」
言いながら、前に傾いていく上半身を、両ひざに手を置いて支えました。
「姿勢が変わってきていることに気づいていますか? そのまま自分のとりたい姿勢をとっていいんですよ」
と言われ、ごろっと倒れてしまおうかとも思ったのですが、そうせずに、うつむいたまま両手のひらを見つめました。
「手が痛いのです」
1年近く前になりますが、両手の親指に腱鞘炎が発症し、日常的な動作(蛇口のハンドルをひねる、ボタンをとめるなど)に支障をきたすほどの痛みがありながら、治療を先延ばしにして悪化させてしまいました。
結局、数か月後に治療を受け、ステロイド注射で症状は治まったのですが、右手の親指は第1関節で軽く曲がったままです。
その腱鞘炎が再発したのです。
今度は左手だけで、気がつくと右手以上の関節拘縮が生じていました。すぐに前回と同じクリニックへ行き治療を受けたのが、ワークショップの2日前です。
手のひらを見ているうちに、さまざまな思いがあふれてきました。
こんなふうになって残念だ、申し訳ない、悲しい、という気持ち。
器用でも頑丈でもない自分の手が、ここまで働いてきたことへの労いと感謝。
言葉に出していくうち、どうしようもなく泣けてきました。
「今度は手になって、toikimiさんに話しかけてください」
そうそう、ゲシュタルトのワーク中だったと思い出し、「手」になってみました。
「手」は、なんだかとてもさっぱりしていて、別に怒っても恨んでもいないし、先行きを心配してもいないようです。
「今までもこれからも、ずっと一緒だから」
という言葉が出てきたのが、印象的でした。
さいごにまた、自分の座布団に戻り、絵を眺めたとき、
「あっ」と声が出ました。
蛇口の下に置かれたコップを指さして、
「これは、私の両手です。いちばん大切なのは、しずくを受け留めようとしている、この両手なのです」
と言い、その瞬間、とてもあたたかい気持ちになりました。
自分の身体と「一心同体」というくらいに強い結びつきを覚えると、安心します。
そのあたたかさを充分に感じきって、ワークは終了しました。
ワークのあとの雑談タイムで、しげさんからセルフワークをひとつ教わりました。
入浴中、湯船につかってリラックスしているとき、自分の身体の一部と対話するというワークです。
しげさんご自身も時折、
「今日はよく歩いたから、ずいぶん疲れたろう」
と足に話しかけ、
「こき使いやがって、少しは加減しろよ」
と、文句を言われたりするそうです。
私も「食べすぎちゃってゴメンね」と胃にあやまることはありますが、「胃」になって対話するという発想はなかったので、今度やってみようと思います。
なまケモノさんのおかげで有意義なワークをすることができました。
ありがとうございます。