かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

ゲシュタルト療法「蛇口のワーク」

 

2ヶ月ほど前「蛇口をさがしてみよう」という記事で、統御感(物事を自分でコントロールできるという感覚)について書きました。

 

一般に、ポジティブ・シンキングとは、コップに半分入った水を見て「もう半分しかない」と考えるのではなく、「まだ半分もある」と考えることだといわれている。

しかし、統御感の高い人たちは、人生の舵は自分が握っているという強い意志を持っているので、コップの水を見て、

「蛇口はどこですか?」と質問する。

──というような内容でした。

 

すると、はてブ・フレンドの、なまケモノさんが、

flightsloth.hatenablog.com

 
という、すごくおもしろい記事のなかで、この蛇口の件に触れ、冒頭で「イラストは抜きでいきます」と表明されながら、すばらしい絵をさらりと(2枚も)お描きになりました。絵心と遊び心──、うらやましいなぁ。

そのうちの1枚がこちらです。

f:id:toikimi:20180322101838j:plain

 

見れば見るほど心引かれるイラストなので、いつかテーマとして記事を書ければと思っていたのですが、ここにきてようやく思いつきが実現し、この絵でゲシュタルト療法のワークをすることができました。 

ゲシュタルト療法とは「今‐ここ」に意識を向ける気づきの心理療法です)

 

半年ぶりのワークショップでした。

ファシリテーターは、長老的存在の「しげさん」です。 

まずプリントした絵を見せて、それまでの経緯を説明しました。

「この絵には、いろいろなものが描かれていますが、今、特に気になっているのはどれですか?」

と聞かれ、私は答えました。

「しずく、です」

 

蛇口の先から、ぽとりぽとりと落ちている水滴を見ていると、落ち着かない気分になるのです。

その瞬間にしか現れない、とらえどころのなさ。

思い浮かんだのは、このブログに載せている掌編のことでした。

過去に書きためたものを、いわば再創作しているのですが、ストックは残り半分どころか、そろそろ底をついてきます。

使い切ってしまったあと、ペースを落としても創作は続けていきたいのですが、新作のアイデアが湧いてくるかどうか心配でした。

出てくるかどうかわからないアイデアのイメージが、しずくと重なったのです。

「1滴1滴がとても大切。それなのに、量が少なくて足りるかどうか不安」

という気持ちでした。

 

しげさんの提案により試みたのは、ゲシュタルト療法のエンプティチェアという技法で、「しずく」の座布団を置いて対話をするワークです。

ワークショップの会場は20畳ほどの座敷なので、椅子の代わりに座布団を使います。

自分の座布団から「しずく」の座布団へ移り、「しずく」になってみました。

 

「私はただ現れて落ちるだけ。量が少ないとか大切だとかは、あなた(toikimi)の問題であって、私には何の関係もない」

という言葉が出てきました。

 

「しずく」との対話は平行線のままなので、自分の座布団に戻った私は、今いちど、絵に注意を向けました。

当初は、自然に地面から生えたような印象を持っていた蛇口ですが、ワークが進むにつれ変化してきました。

蛇口は、ハンドルをひねればいつでも、必要な量の水が出るように、私自身が設置したものだと感じたのです。ただし、実際に水が出るかどうかは、まだわかりません。

鳥のことも気になりました。何かを見張っているようにも見えます。

そこで、「鳥」の座布団を置いて座ってみると、言葉に詰まりながら、

「私は、水を飲みに来ただけ……」

と言ったところで──、

ホワイトアウトが起こったように、頭のなかが真っ白になりました。

 

もう何も出てきません。

しばらく固まっていると、

「今、何が起きていますか?」

しげさんが聞きました。

ゲシュタルト療法の基本的な問いかけのひとつです。

「頭のなかが空っぽになりました」

と現状報告して、私はがっくりとうなだれました。

「はぁ……」

思わず、大きなため息が出ます。

「疲れました。いろいろがんばってきたけれど、もう疲れました」

言いながら、前に傾いていく上半身を、両ひざに手を置いて支えました。

 

「姿勢が変わってきていることに気づいていますか? そのまま自分のとりたい姿勢をとっていいんですよ」

と言われ、ごろっと倒れてしまおうかとも思ったのですが、そうせずに、うつむいたまま両手のひらを見つめました。

「手が痛いのです」

 

1年近く前になりますが、両手の親指に腱鞘炎が発症し、日常的な動作(蛇口のハンドルをひねる、ボタンをとめるなど)に支障をきたすほどの痛みがありながら、治療を先延ばしにして悪化させてしまいました。

結局、数か月後に治療を受け、ステロイド注射で症状は治まったのですが、右手の親指は第1関節で軽く曲がったままです。

その腱鞘炎が再発したのです。

今度は左手だけで、気がつくと右手以上の関節拘縮が生じていました。すぐに前回と同じクリニックへ行き治療を受けたのが、ワークショップの2日前です。

 

手のひらを見ているうちに、さまざまな思いがあふれてきました。

こんなふうになって残念だ、申し訳ない、悲しい、という気持ち。

器用でも頑丈でもない自分の手が、ここまで働いてきたことへの労いと感謝。 

言葉に出していくうち、どうしようもなく泣けてきました。

 

「今度は手になって、toikimiさんに話しかけてください」

そうそう、ゲシュタルトのワーク中だったと思い出し、「手」になってみました。

「手」は、なんだかとてもさっぱりしていて、別に怒っても恨んでもいないし、先行きを心配してもいないようです。

「今までもこれからも、ずっと一緒だから」

という言葉が出てきたのが、印象的でした。

 

さいごにまた、自分の座布団に戻り、絵を眺めたとき、

「あっ」と声が出ました。

蛇口の下に置かれたコップを指さして、

「これは、私の両手です。いちばん大切なのは、しずくを受け留めようとしている、この両手なのです」

と言い、その瞬間、とてもあたたかい気持ちになりました。

自分の身体と「一心同体」というくらいに強い結びつきを覚えると、安心します。

そのあたたかさを充分に感じきって、ワークは終了しました。

 

ワークのあとの雑談タイムで、しげさんからセルフワークをひとつ教わりました。

入浴中、湯船につかってリラックスしているとき、自分の身体の一部と対話するというワークです。

しげさんご自身も時折、

「今日はよく歩いたから、ずいぶん疲れたろう」

と足に話しかけ、

「こき使いやがって、少しは加減しろよ」

と、文句を言われたりするそうです。

 

私も「食べすぎちゃってゴメンね」と胃にあやまることはありますが、「胃」になって対話するという発想はなかったので、今度やってみようと思います。

 

なまケモノさんのおかげで有意義なワークをすることができました。

ありがとうございます。

 

 

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