かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

屋鳴り(創作掌編)~銀ひげ師匠の魔法帖⑫~

 

toikimi.hateblo.jp

 

(こちらの掌編に出てきた泰一郎君が、少しだけ再登場します) 

 

 

 銀ひげ師匠の職業は書道の先生だが、本業は魔法使い、晶太はその弟子である。特に公表はしていない。

 けれど、書道教室に通う泰一郎君が、小耳にはさんだ噂話を真に受けて、魔法使いの弟子入りを志願してきたことがあった。 

 一番弟子として晶太も参加した面接は、いつのまにか恋愛相談に変わり、弟子入りの話は立ち消えた。泰一郎君は、銀ひげさんの微妙な魔法で煙に巻かれて帰って行ったが、それでも、しばらくして告白に踏み切ったようだ。

 晴れて意中の人、明里さんとおつきあいを始めた。

「案ずるより産むが易しとは、このことだね」

 と、師匠は言っている。

 

 その泰一郎君が、ふたたび相談事を抱えてやってきた。

 泰一郎君の家は伝統芸能の家元で、広い稽古場がある。稽古場といっても、発表会の舞台にもなる立派な部屋で、控えの間が三つも付いているそうだ。三つのなかで最も格式の高い、つまり一番偉い演者の使う部屋は、「楽の間」と呼ばれていた。

 その「楽の間」で異変が起きているらしい。

 

「母には、先生が魔法使いだということは話していません。ただ、先生はこういうことに詳しいから相談してみたら、と勧めただけです。それなのに、勝手に先生を陰陽師だと思い込んでしまったようで……、すぐ早とちりするんですよね」

 困ったように眉をひそめて、泰一郎君が言う。

 そばで聞いていた晶太の脳裏に、「似たもの親子」という言葉が浮かんだ。

 銀ひげ師匠本人は、陰陽師だとか霊媒師などと思われても気にしない。書道教室の定休日に訪問することを約束した。

 

 当日、学校から帰った晶太は、師匠と一緒に泰一郎君の家へ向かった。

 泰一郎君は明里さんと図書館デートの先約があったため、出迎えたのはお母さん一人だ。

 着物姿のお母さんは、すずやかな声で「清秋(セイシュウ)」と名乗った。本名というより芸名のような感じだから、きっとお母さんも「名取」なのだろう。

 まずは客間に通されて、お茶と和菓子でおもてなしを受ける。

「さて、『楽の間』というお部屋で、不思議な現象が起こっていると伺いましたが──」

 頃合いを見て、銀ひげさんが水を向けると、

「はい、どこからともなく、音が聞こえるのです。低く響くような『ゴーッ』という音で、最初は耳鳴りかと思いましたわ」

 説明しながら、清秋さんは耳に手を当てた。

「ところが、他の者にも同じ音が聞こえると知り、これはただ事ではないと気づきました」

 早速、その怪音を確かめに行く。

 

 銀ひげ師匠は「楽の間」の外に立ち、引き戸を開ける前に「ウタ」を唱えた。

 晶太が習っている魔法では、万物にはそれを司る神がいると考えている。八百万(やおよろず)の神というわけで、初めに「ウタ」と呼ばれる古風な日本語を使って、神様に挨拶をする。神様が挨拶を受け入れると、合言葉を返してくれる。その合言葉に「ウタ」を組み合わせて、頼みごとを引き受けてもらう、という手順なのだ。

 師匠は「楽の間」を司る神様に挨拶して親しくなり、奇怪な物音の正体を明かしてもらおうとしていた。

 ところが、いつもなら難なくやってのけてしまうのに、今回はちょっと勝手が違うようだ。

「おや? ふーむ、これはこれは……」

 ぶつぶつとつぶやきながら振り返る。

「晶太、めったにないことだから、君もご挨拶して確かめてごらん」

 晶太は「楽の間」の神様に向かって「ウタ」を唱えた。まだ修行中の魔法使いなので、必ずしも答えてもらえるとは限らないが、いつもなら神様から返ってくる合言葉は、胸のなかに生きた言葉が一文字ずつ舞い落ちてくるように感じる。

 けれど、今回は違った。

「なんだろう、返ってきたけれど合言葉じゃありません。いつもが手書きなら、これはコピーした文字みたいな感じです」

 晶太の感想に、銀ひげさんは顔をほころばせた。

「えらいぞ、腕を上げたなあ。まさにその通り、これは『休業中』の張り紙や、ホテルで邪魔されたくないときに掛けておく、ドント・ディスターブ・カードのようなものさ。ほら、音も聞いて覚えておくといい」

 といって、引き戸を少しだけ開ける。

 すると、戸の隙間から「ゴーッ」という音がもれてきた。海鳴りのような響きが、部屋中の空気を震わせているのだ。

 

 銀ひげ師匠はそっと引き戸を閉めると、少し離れた場所で様子を見守っていた清秋さんに向き直った。

「この物音は『屋鳴り(やなり)』という現象です。部屋を司る神様からのメッセージといったところでしょうか。怒りや警告、いたずらなど、いろいろな場合がありますが、今回は『いびき』です」

「まあ……、いびきですか?」

 これ以上、休息中の神様を邪魔しないよう、くわしい話は客間に戻ってから続けることにした。

 

「立ち入ったことをお聞きしますが、この半年か一年くらいのあいだに、こちらのご一家、あるいは流派などで、大きなトラブルが起こりませんでしたか?」

 師匠の質問に、清秋さんは驚いて目を見張った。

「確かにございました。家元も深く信頼していた高弟の一人が、こっそり謝礼を取って免許を与えていたことが発覚したのです。随分と前から組織的に行われていたようで、屋台骨を揺るがすような騒動になりました。ほんとうに、一時はどうなることかと思いましたわ」

「すると、その事態は収束したのですね」

「はい、お金が人の心を惑わす力には暗然といたしましたが、芸道を志す者たちが思いを一つにした結果、どうにか丸く収めることができました。──もしや、そのことと『楽の間』の現象には、何か関係があるのでしょうか?」

 尋ねられて、銀ひげ師匠は深くうなずいた。

「おそらく『楽の間』を司る神様も、皆様と同じように心を痛め、解決のために尽力されたのでしょう。それで今は疲れて、ぐっすりお休みになっているのですよ」


 銀ひげさんの見立てを受け、「楽の間」は当分のあいだ使用停止の「開かずの間」となった。

 当分といっても、神様の時間は計り知れないものだから、休息を邪魔せずに「開かずの間」の封印を解く時機を見極めるには、専門家が必要だ。

 そのため毎月一度、部屋の外から「いびき」の有無を確かめる仕事が、銀ひげ師匠に依頼された。せっかくなので、ついでに、門下の人たちを相手にお習字の稽古をつけることも決まった。

「私の魔法はお金になるものではないが、その方が気楽でいいものさ」

 と、常々言っている師匠だけれど、今回ばかりは現金収入に結びついたのだった。

 

 一方、晶太の収穫は、めったに聞けない神様の「いびき」を聞けたことである。