連休明け、晶太が銀ひげ師匠の書道教室へ行くと、顔を合わせるなり聞かれた。
「どうした? 目の下にクマができてるじゃないか」
「寝不足です。3日連続で変な夢を見てるから」
「ほう、どんな夢なんだい?」
とにかく、やたらに暗闇がせまってくる夢だ。
右側に闇があると気づいて、左へよけようとすると、いつのまにかそこもまっ暗闇になっている。闇は互いつながり合うように増殖して晶太を包みこみ、息苦しさのあまり目を覚ますまで、動くに動けない状態が続くのだった。
晶太の説明を聞いて、師匠はまゆをひそめた。
「えらく疲れそうな夢だね。育ち盛りの子供が睡眠不足とはよろしくない。そうだ、私がその夢を買ってあげよう」
「師匠が、ぼくの夢を買う……。どうやって?」
すると、銀ひげさんは台所へ行き、小さな包みを大切そうに持って戻ってきた。
「夕食用にとっておいた握り飯だけれど、これで晶太の夢を譲り受ける」
晶太は合意を表明し、3個のおにぎりのなかからひとつを選んで、すぐさま食べた。
その夜、夢のなかに暗闇は現れなかった。
翌日、熟睡して元気になった晶太が報告に行くと、銀ひげ師匠は嬉しそうにうなずいた。
「師匠に買われていった夢は、どうなったんですか?」
「見せてあげよう。ちょうどいい機会だったので、前々から考えていたことを実行したんだがね──」
といって、今後は書庫として使うという小部屋を披露する。
「魔法関係の資料や道具は、日の光を嫌うものが多い。押し入れに収納していたのだが、スペースが足りなくなってきたから、こちらの部屋へ移すことにした。けれど、その前に遮光カーテンを買わなければと思っていたのさ。ここは西日が差すんだよね」
職業としてではなく、生き方として魔法使いを選んだ銀ひげ師匠は、魔法の研究が大好きだ。弟子の晶太が見ても、うさんくさく思えるグッズを、悩んだすえにネットで買ったりもする。
銀ひげさんが案内してくれた書庫の窓にかかっていたのは、ごく普通のグレーのカーテンだったけれど、一筋の西日も差し込んでいなかった。
窓は、墨を塗ったようにまっ黒だ。
「夢のなかにおられた暗闇の神様は、この部屋の窓へお移りいただいた」
晶太が習っている魔法の考え方は、森羅万象にはそれを司る神様が存在する、というものである。それぞれの神様に「ウタ」と呼ばれる古い言葉であいさつして交流し、頼み事をかなえてもらうという一連の流れが、魔法の働きなのだ。
「それからね、こっちは昨日、ちとせさんが忘れていった日傘なんだけど、この傘の内にも宿っていらっしゃるんだよ。晶太に夢の代価として渡したおにぎりは、彼女の手土産だったわけだから、お裾分けみたいなものさ」
ちとせさんは、銀ひげ師匠の妹弟子で、おにぎりの専門店を経営している。魔女だから、普通の日傘が突然、完全遮光日傘に変わっても気味悪がったりせず、むしろ喜んで使うだろう。
すべてが丸くおさまり、銀ひげさんは上機嫌だった。
季節が一回りした。
連休明けに晶太が書道教室へ行くと、銀ひげ師匠はネット通販のダンボール箱をたたんでいるところだった。
「遮光1級のカーテンさ。遮光率はなんと99.99%以上らしいよ。さっきまで、これを書庫に取り付けていたんだ」
「えっ、暗闇の神様は?」
「昨夜、出て行かれた。これまで誰かをびっくりさせたり、役立ったりしてきたが、今度はまた別のこと、御自身の幸福を追求してみたいそうだ。それでも、遮光カーテンの配達予定通知メールを確認するまで、出立を待っていてくださった。まことに心優しき神様だ」
感謝の面持ちで話し終えた銀ひげさんに、晶太は尋ねた。
「ちとせさんには知らせました?」
「おお、よく気づいてくれたね。急に普通の日傘に戻って、戸惑っているかもしれないな。晶太がしっかり者なので助かるよ」
さっそくメールで連絡すると、5分も経たずに着信音がなった。
ちとせさんの返信メールを読んだ師匠が、笑いをこらえるような表情になる。
その文面には──、
「あら? 今、両親を連れて2泊3日の温泉旅行をしているの。初日の今日は、渓谷やテーマパークを巡ったのだけれど、日傘の内にいらっしゃる暗闇の神様も大喜びでしたわ」
と、書かれていた。