かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

業の秤(ごうのはかり)~ハヤさんの昔語り#2-15~

 

 ハヤさんがコーヒーを淹れるとき、コーヒーサーバーの下に置いてあるのが「はかり」だと知って、少し驚いた。

「ヒーターか何かだと思った」

「これは、コーヒースケールといって、毎回安定した味にするための専用器具です。挽いた粉の重さや抽出量、そして抽出時間を同時に計測できるんですよ」

 どんなに高級なコーヒー豆でも、淹れ方次第で美味しさが半減することもある。ドリップコーヒーのレシピでは、分量や温度と共に、時間も非常に重要なのだ。

 

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「コーヒーじゃなくても、はかることは重要よね。健康診断なんて、計って量って測って、数値化した結果を突きつけてくる感じだもの」

 ついこの間、生活習慣病健診を受けた私が、苦笑いしながら言うと、

「あんまり気にすることないですよ、ただの数字じゃないですか」

 優しい気休めで対応してくれた。

 

「はかりたがるのは人間の特性かもしれませんね。目に見えないものや、手に触れられないものをはかって確認したいわけです。そういえば、僕が寸一だったとき──」

 といって、ハヤさんが昔語りを始める。

 江戸から明治にかけて、寸一という行者として生きた「前世」の出来事が、記憶の底から浮かび上がってきたようだ。

 

   ▽ ▼ △ ▼ ▽

 

 正顕(しょうけん)という旅姿の僧侶が、寸一が寄宿している寺を訪ねてきた。

「こちらの村に、小野弦月(げんげつ)という者が庵を結んでいるはずなのですが、ご存知でありましょうか」

 弦月と顔見知りの寸一は、案内を買って出た。

 

 寺の外には、供らしき二人の若い僧が待っていて、寸一たちの後をうやうやしく付いてくる。

 行く道々、正顕は寸一に語った。

「弦月と私は、同じ年に入門し、切磋琢磨して修行した相弟子でした」

 ところが、弦月は修行半ばで出奔したという。

 弦月には年の離れた妹がおり、唯一の身内であった。その妹が重い病に伏し、今日明日の命だという知らせに、我を忘れて寺を飛び出したのだ。

 

 後に伝わってきた消息によると、妹の元へ駆けつけた弦月は、手遅れと言われても聞かず、評判の高い町医を頼み、また値の張る生薬を買い求めたため、大層な借銭を負ったという。

「その後、弦月は高利貸しと組み、怪しい商売を始めたようです。現世と冥府の間を行き来していた古の貴人、小野篁(おののたかむら)の後胤であると称し、代々受け継がれてきた秘伝により『業の秤』を完成させたと、裕福な商人相手に触れ回ったのです」

「業の秤というと、地獄で生前の悪行の軽重をはかるという、天秤のことですね。なるほど、人は現世利益を手にすれば、次に後世の安楽を願うもの。あらかじめ業の秤で罪の重さを知り、減じられるものなら減じておきたいという欲心に乗じたわけですな」

 寸一の言葉に、正顕は苦々しくうなずいた。

 

「弦月は、端然たる姿形と豊かな学識で客を魅了し、法外な祈祷料を納めさせたようです。しかし一方では、功徳を積むことを勧めていたとか。さらには、借銭を返すや否や足を洗い、業の秤と共に姿を消したと聞いております」

 寸一は、物静かな隠遁者としての弦月しか知らない。驚きを覚えつつ、

「仏者としての心を、捨て去ってはおられなかったのでしょう」

 と、答えた。

 

 やがて、弦月の庵室が見えてきた。

 寸一は眉をひそめて歩みを止める。

(これは……)

 内に人の気配はなく、かといって無人でもない。ただ冷え冷えとした気が漂っている。

 脇に立つ正顕が、「やはり」と呟いた。二日前、弦月から届いた便りには、病を得て死期を覚ったとあり、その上で、頼み事が一つ記されていたという。

 庵のなかへ入ると、果たして弦月は、西を向き合掌して端座したまま、眠るように事切れていた。

 正顕と寸一は、瞑目して手を合わせた。

 

 見ると、部屋の隅に黒い天秤が置いてある。

 片方の皿には、金色に彩色された木彫りの蓮花、もう片方には、一枚の紙片が載せられていた。秤はどちらにも傾くことなく、釣り合っている。

「紙には名が書かれておる。弦月……、お前は最期に、己を業の秤にかけたのだな」

 正顕は静かな声で語りかけ、外に待たせていた二人の僧を呼ぶと、天秤を運び出して打ち壊すよう命じた。

 弦月の頼みとは、業の秤の始末だったようだ。

 

 ややあって、外にせわしない足音が聞こえ、訪いを告げる声がした。

 旅装束の夫婦者である。

「お知らせくださり、まことに有難うございます」

 深く頭を下げる夫の横をすりぬけ、妻は亡骸に駆け寄った。弦月の安らかな横顔を見つめたまま、はらはらと涙を落す。

 あの時、兄の懸命な働きにより、妹は命を取り留めたのだ。

 

 正顕は金色の蓮花を、兄の形見として手渡した。

 

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   ▽ ▼ △ ▼ ▽

 

「弦月という人が安らかな様子だったのも、妹さんが幸せに暮らしているとわかっていたからでしょうね」

 私の言葉に、ハヤさんはうなずいた。 

「それにしても、本当に小野篁の子孫だったのかしら?」

「小野姓だったのは間違いないらしいですが、子孫かどうかは確かめようがありませんね」

 

「ところで、その妹さんだけれど、美人だった?」

 ふと思いついて尋ねると、ハヤさんは目を見張った。

「えっ? そうですね、悲しみに暮れていましたが、とても美しい人でした。でも、何でそんなこと聞くんですか?」

「美女の代名詞になっている小野小町は、小野篁の孫だといわれているのよ。弦月の妹さんがそれほど美しかったなら、後裔説の信憑性が高まるわね」