かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

ガンリキさんの休日(創作掌編)

 

 私は専門的なガラス器具を製造する会社で働いており、そろそろ勤続30年になる。

 主力商品は「吸い玉」と呼ばれる球状のガラスカップで、古い歴史を持つカッピングという療法で使用する器具だ。熱や機械を使ってカップ内の圧力を下げ、皮膚に吸着させて血流に働きかける民間療法である。

 熱に強い硬質ガラスの吸い玉は、熟練したガラス職人がひとつひとつ製作していた。なかでも、社外秘の特殊な技術で作られた【特製】吸い玉は、他社の追随を許さない製品だと自負している。

 

 製造工程の仕上げは検品である。

 私は検品部門のチーフなのだが、慣例によって「ガンリキさん」と呼ばれていた。ガンリキとは眼力のことで、検品の最終段階で行われるのが、目視によるチェックであることから付いた名称だ。

 部下だけではなく工場長でさえ、「ガンリキさん」には一目置いてくれる。呼び掛けられるたび、身が引き締まる思いだった。

 

 かえりみれば、目視検品の業務についたばかりの頃は、ほんとうに大変だった。
 先輩から「中心視ではなく周辺視で」と指導を受けたが、理屈はわかっていても、なかなか出来ることではない。知らず知らずのうちに、目を見開いて歯を食いしばり、ベルトコンベアで流れる商品を凝視しているのだった。まさに「中心視」そのもので、視野が狭くなって見落としが増える上、とても疲れる。首筋や背中がこわばって、夜も眠れないほどだった。

 当時はよく、社内にある治療施設へカッピングの施術を受けに通ったが、その効果のありがたさを身をもって知ったことは、よい経験だったと思う。

 

 反復と継続の力は大したもので、次第に私は検品の熟練者となっていった。

 はたからは、ボーっと座っているように見えるらしいが、実はリラックスしながらも、極度の集中を保っているのである。すると、機械的な検査では発見することのできない、わずかなひずみさえ瞬時にわかる。私の眼にはその吸い玉が、「曇って」いるように見えるのだ。

 いつしか私の技量は認められ、前任者の定年退職に伴い「ガンリキさん」の座に着いたのだった。

 管理職としての仕事をこなし、後進を育てる一方、現場にも立ち続けた。すると思いがけないことに、私の検品技術は、さらなる進化を遂げたのである。

 ある特定の吸い玉が、「輝いて」見えるようになったのだ。

 曇って見えるのが商品基準を満たしていない表れだとしたら、輝いているのはその逆で、基準をはるかに超えた【超・特製】吸い玉というわけだ。

 

 工場長に報告したところ、数日後に、ある人物と引き合わされた。

 相手は会社の上得意で、受け取った名刺の肩書きは「整身体セラピスト」となっている。同席した営業部長によれば、一流有名人のクライアントを多く抱える、カリスマセラピストだという。

「前々から『ガンリキさん』のお噂を伺い、一度お目にかかりたいと思っていました。今日は、ガンリキさんの眼に輝いて見えるという【超・特製】吸い玉を、ぜひ優先的に購入させていただきたいと、お願いしに来たんですよ」

 と、セラピストは笑顔で言った。

 私はそれまで、成功者というと、押しが強くて威張り散らすイメージを持っていたが、彼はまったく違い、誠実さと無邪気さを兼ね備えた人柄だった。

 


 長いあいだ、私にとって休日は、休んで英気を養うか「家族サービス」の日だったが、この頃では、ただ楽しむために妻と外出することが増えた。

「名所めぐりのお出掛け」と、妻は言っている。

ガンリキさんゆかりの名所・イベントをめぐる日帰り旅」が、正式名だそうだ。

 そもそものきっかけは、カリスマセラピストの彼と、時々ランチを共にする習慣ができたことである。ウマが合うというのだろうか、私たちは初対面ですっかり意気投合したのだ。行く店は決まっていて、彼のクライアントがオーナーシェフを務めるレストランだった。

「料理人だけしているときは大丈夫だったのに、店を経営し始めたら首・肩・腰をやられました」

 という店主は、【特製】吸い玉を使ったカッピング療法の大ファンなのだ。

 そして、大ファンはシェフだけにとどまらない。プロスポーツのアスリートや舞台俳優、ダンサー、演奏家など、国内外で活躍する人たちの名前が、食事中の明るく楽しい自慢話のなかで語られるのであった。

 

 自分が検品して世に送り出した製品が、広い世界で役に立っていることを知り、私は不思議な感動を覚えた。

 家に帰って妻に話すと、好奇心旺盛な彼女は、名前が挙がった選手の試合、アーチストの舞台などのスケジュールを調べ出し、私たちの「名所めぐり」が始まったのだ。

 最初は、妻にせがまれるままにつき合ったのだが、いざ目の当たりにすると、新しい世界が開かれたような気がした。どんな分野であれ、自分が選んだ道を極め続ける人たちは、独特の輝きを放っている。

 見つめる私の胸に喜びが湧きあがり、そのなかには、私自身の仕事に対する静かな誇りも混ざっていた。

 ふと、隣を見ると、妻の顔も嬉しそうに輝いているのだった。