かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

かみふぶき(創作掌編)~銀ひげ師匠の魔法帖⑩~

 

 銀ひげ師匠の書道教室に通って来ている泰一郎君が、弟子入りを志願したそうだ。

 師匠からそのことを聞いて、晶太は驚いた。

「どっちの弟子ですか?」

「それがな、書道ではなく魔法の方なんだ。他の生徒さんたちが話しているのを耳に挟んで、私が魔法使いだということを知ったようだね。情報源は二人連れで、小さな女の子と年配の女性らしい」

「きっと、ゆなちゃんとお祖母さんですね」

 

 師匠は去年、書道教室で最年少の結奈ちゃんから、庭に立っているスケアクロウについて相談を受けた。すぐに問題解決の方法を見つけ、その後の経過も順調なため、

「先生は魔法使いのようだ」と言われている。 

 結奈ちゃんはともかく、お祖母さんの方は本物の魔法使いだと思って言っているわけではないから、そこのところは泰一郎君の誤解だけれど、銀ひげさんはほんとうに魔法使いなので、結果的には当たっているのだった。

「もし弟子入りしたら、ぼくよりひとつ年上だから、兄弟子になるんですか?」

「いいや、弟子の兄・弟というのは入門した順序で決まるから、晶太の方が兄弟子だね」

 来年、晶太が中学校へ入れば、泰一郎君にとっては下級生が兄弟子ということになる。ちょっと複雑な関係になりそうだ。

「今日、泰一郎君は改めて、面接のためにここへ来るから、晶太にも立ち会ってもらおうかな」

 

 

 お父さんが伝統芸能の家元だという泰一郎君は、すずやかな雰囲気の持ち主で、正座している姿が美しい。

 晶太も背すじを正して、銀ひげ師匠のななめ後ろに座った。

 一方、いつも自然体の師匠は、気楽な調子で話し始める。

「とりあえず大いに歓迎するよ。ここに居る晶太も、私がスカウトして弟子になってもらったくらいだからね。ただし、地道な努力の積み重ねが必要だということは、あらかじめ言っておく。毎日続けて、ざっと十年くらいが修行の期間かな」

「十年……」

 泰一郎君の表情が翳った。

「先生、僕も芸道を志す一人として、修行には相当な年月がかかることは承知しています。でも、たとえば、ある魔法だけを短期集中で特訓するというのはダメでしょうか?」

「ほお、ピンポイント・レッスンというわけだね。で、君が考えているのは、どういった種類の魔法なのかな」

「いちばん良いタイミングを知る魔法、です」

「タイミングと言ってもいろいろあるけど、具体的には、どんなことをするタイミング?」

 答えに詰まった泰一郎君の顔が、見る見るうちに赤くなった。

 

「ひょっとして、好きな女の子に告白するタイミングかな。相手はもしや、書道教室の生徒さんだったりして?」

 たたみかけるような質問に、

「……明里さんです」と、消え入りそうな声が答える。

「なるほど、そういえば明里さんとは、お稽古日が同じ曜日だったね。君が思いを寄せているとは、少しも気づかなかったよ」

 晶太は人が嘘をつくとわかる。そこを見込まれて、魔法使いの弟子にスカウトされたのだ。

 今の師匠の言葉は、明らかに嘘だった。

 けれど、そうとは知らない泰一郎君は、かえって落ち着きを取りもどしたようだ。

「書道を学ぶための場ですから、態度に出さないようにしています。自分の言動に責任を持ち、まわりに及ぼす影響を考えなさいと、いつも父に言われているので━━」

 

 ひと息ついた泰一郎君の口から、堰が切れたように言葉があふれ出てくる。 

「よく、当たって砕けろ、と言いますよね。僕が明里さんに告白して断られたら、とてもつらいですけれど、耐える覚悟はあります。

 でも、それだけじゃ済まないと思うんです。

 失恋しても、僕は書道教室をやめるわけにはいきません。父が先生の指導方針に感銘を受けて決めた教室ですし、僕自身もこのまま学び続けたい。そうすると、ここで顔を合わせるたび、明里さんに気まずい思いをさせてしまうかもしれません。

 それから、僕は今年のバレンタインデーに、明里さんの親友から告白されて、ほかに好きな子がいると言って断ったんですが、僕が明里さんに気持ちを伝えたせいで、二人の友情がぎくしゃくしないか心配です。

 もし、告白してうまくいったとして、僕は幸せですけれど、ここの書道教室は風紀が乱れているとか、変なうわさが流れたりしたら申し訳が立ちません。

 こんなふうに悩んでいるうち、手遅れになってしまったらどうしよう。

 でも逆に、あわてて早まって台無し、とかも怖い。

 ほんとにもう、どうしたらいいかわからないんです」

 胸のうちに溜めこんできた、たくさんの心配事を語りつくすと、泰一郎君は両手を膝に置いてうなだれた。

 

 いつからか面接というより、悩み相談みたいになってきたので、晶太は少しずつ師匠の後ろに下がり、目立たないように身を縮めていた。

(銀ひげさんはどんな魔法を使って、この悩みを解決するのかな?)

 あらゆるものには、それを司る神がいる。

 晶太が習っている魔法は、その神様に挨拶するところから始まる。唱える言葉は、独特の節がついた古めかしい日本語で、「ウタ」と呼ばれていた。

 挨拶して親しくなると、神様が合言葉を教えてくれる。できるだけたくさんの合言葉を集め、状況に応じて組み合わせ、八百万の神に力を貸してくれるよう頼むこと、それが魔法使いの仕事なのだ。

(ぼくだったら、どうするだろう)

 この頃は、そんなことも考えるようになったけれど、まだまだ晶太には難問だった。

 

「泰一郎君、チャンスの神様には前髪しかない、と言うよね。出会ったその時につかまなければならず、通り過ぎてからでは遅い。一瞬のタイミングをとらえるために必要なのは、魔法よりも、勇気と心構えかな。もし、100%の確率で神様の前髪をつかむ魔法があるとしても、それを習得するのは十年ではとても足りないだろうね。実のところ、この私もそんなすごい魔法は使えないよ」

 と、銀ひげ師匠は笑った。

「そうなんですか……」

「がっかりさせて悪いね。とはいえ、折角いろいろ打ち明けてくれたのだから、ちょっと面白い魔法を見せてあげよう」

 

 師匠が低い声で「ウタ」を唱える。

 すると、部屋を横切って一直線に走る、光の筋が浮かびあがった。

 赤くきらめく光線は、泰一郎君の胸もとから発していて、その先はガラス窓を抜け外へ向かっていた。

「これは、いわゆる運命の赤い糸ってやつさ。とはいっても、運命とはあまり関係がなくてね。今、君の胸のうちにある想いが、こうして輝きながら、まっすぐ明里さんへ向かっているんだよ」

「すごく、きれいですね」

 まばたきもせず光の糸を見つめる泰一郎君の身に、異変が起こっていた。

 

 額にかかった前髪が揺れ、勢いよくサラサラと伸び始めたのだ。伸びるそばから、ハラハラと散っていく。床に落ちかけては舞い上がり、渦を巻いて取り囲む。わずかな間に、泰一郎君のまわりは飛び交う髪の毛でいっぱいになった。

 まるで、灰色のふぶきに閉じ込められていくようだ。あれほど輝いていた運命の赤い光線を、かき消してしまうほどの勢いだった。

「ね? わかりやすいだろう。今の君は、ちょうどこんな感じさ。頭の中であれもこれも考えすぎて、いちばん大切なものを見失いかけている」

 銀ひげさんの解説も、吹き荒れる髪ふぶきの渦中にいる泰一郎君の耳には、なかなか届かないみたいだった。。

 

(これは、後で掃除するのが大変だな……)

 と思っていたけれど、呆然として帰っていく泰一郎君を玄関で見送って戻ると、教室の畳の上には何も落ちていなかった。

「師匠、今のは、髪の毛の神様に頼んで起こしてもらった魔法ですか?」

「いいや、違うよ。私はあまり、人の体に魔法を使うのは好きじゃないからね」

「だとしたら、何をどうしたんですか?」

 

 晶太の問いかけに応えて、銀ひげさんが指差した先には、習字用の筆が並んでいた。

 筆にはタヌキの毛が使われている。

「やっぱりタヌキは、化けるのが上手だね」

 と、師匠は楽しそうに言った。

 

 

レイ・ブラッドベリ『太陽の黄金(きん)の林檎』

 

レイ・ブラッドベリ1920年8月22日~2012年6月5日)はアメリカの作家。「SFの抒情詩人」「物語の魔術師」「エドガー・アラン・ポーの衣鉢をつぐ幻想文学の第一人者」などと称されています。

短編の名手で、好きな作品はいくつもありますが、最も題名が印象的な作品といえば、『太陽の黄金(きん)の林檎』です。

アイルランドの詩人イェイツの詩句、

The silver apples of the moon 月の銀の林檎

The golden apples of the sun 太陽の黄金の林檎

(『さまよえるアンガスの歌』)

からとった言葉で、物語のなかでも、登場人物がイェイツの詩に触れています。

また、「黄金の林檎」はギリシャ神話や北欧神話において、不老不死をもたらす神々の食べ物として登場する果実でもあります。

 

 

 冷えきった地球を救うために、太陽から『火』を持ち帰ろうとする宇宙船を描いた、1953年発表の短編です。

太陽の大きさは地球の約109倍、重力は約28倍、中心で起こっている核融合反応により、電気を帯びた粒子がガス状に集まった巨大なプラズマで、その表面温度は約六千度と言われています。

しかし、SFの抒情詩人ブラッドベリは、サイエンスよりフィクションに重きを置く作家です。

 このロケットは〈金杯号(コパ・デ・オロ)〉、またの名を〈プロメテウス〉あるいは〈イカルス〉といい、進行目標はほんとうに、あの光り輝く正午の太陽なのである。サハラ砂漠を横切るにひとしいこの旅のために、一同は喜び勇んで二千本のレモネードの壜と、千本のビールを積みこんだのだった。〈中略〉

この宇宙船では、涼しげでデリケートなものと、冷たく実際的なものとが、結びあわされていた。氷と霜の通路には、アンモニア化合物の冬と雪片が吹き荒れている。あの巨大な炉から飛び散った火花は、この船の冷たい外皮にぶつかって消えてしまうし、どんな炎も、ここにまどろんでいる二月の厳寒をつらぬくことはできないのである。

 

イギリスの詩人・批評家のコールリッジが用いた「不信の自発的停止」という概念があります。

詩や物語に描かれた虚構を、読者が一時的に「真実」として受け入れ、「こんな事はありえない」という不信を自ら棚上げして、作品の世界にひたる状態を意味しています。

もちろん、読者が「不信の自発的停止」を起こすかどうかは、創作者の技量次第というわけです。

ブラッドベリは、誰にも似ていない独特の作品世界を創りあげ、読者に不信を棚上げさせる技に優れていました。 

 

ブラッドベリがやってくる―小説の愉快

ブラッドベリがやってくる―小説の愉快

 

 

1961年から1986年のあいだに発表された9編のエッセイを集め、さらに8つの詩を加えた『ブラッドベリがやってくる──小説の愉快』では、全編にわたり「書くこと」への情熱が綴られています。

 

彼は「書いていて何がわかるのか」と自問し、以下のように答えました。

 まず第一に、われわれは生きているということがわかる。そして、生きているのは特別にあたえられた状態なのであって、もとからの権利ではないともわかる。ひとたび生命なるものを授与されたなら、今度は生命を保つべく働かなければならない。生きて動けるようにしてもらえた者は、生命から見返りを要求される。

 われわれの芸術は、こっちから期待するほどの救いにもならなくて、戦争、窮乏、羨望、我欲、老齢、死といったようなものを防ぎきってはくれないが、そのまっただなかにある人間を再活性化することはできる。

 第二に、書くことはサバイバルである。いかなる芸術も、良質の芸術であるならば、すべてそうである。

 かなりの人間にとって、書かないということは死につながる。

 

 生命の木にのぼり
 自分に石をぶつけ
 骨も折らず、魂もくじけずに
 また降りてくる法
 本文にくらべて
 さほど長くもないタイトルの
 ついた序文 
より

 

生命から要求される「見返り」とは、心の底から好きになれることを見つけ、それに熱意を注ぎ続ける行為なのかもしれません。

そのとき手近にあるものを、追いかけ、見つけ、すごいと思って好きになり、素直に反応していく。あとから振り返って、つまらないものに見えても、そんなことはどうでもよろしい。〈中略〉

詩神(ミューズ)に栄養をとらせる術は、要するに「好きなもの」を追いかけること、また現在および未来の自分が必要とするものと、そういう「好きなもの」を比較検討すること、簡単な性質のものから、より複雑なものへ、情報や知性に乏しいものから豊かなものへ移っていくこと、と言えるだろう。およそ無駄になるものはない。 〈中略〉

 詩神には、はっきりした形がいる。一日に千語の割で、十年から二〇年も書いてみたら、詩神に格好がついてくるだろう。文法やストーリー構成について、それが無意識に組みこまれる程度にわかってきて、詩神に無理な負担をかけなくなるのだ。 

 

 『いかにして詩神を居着かせるか』より

 

 ブラッドベリ自身、12歳でおもちゃのタイプライターを叩きはじめてから、1日千語ずつ書き続け、10年後の22歳のとき「ようやく本当にいいものが書けたと思った」といいます。初めて原稿料を得た短編『みずうみ』が生まれた瞬間です。

 

 

『太陽の黄金の林檎』で、宇宙船〈金杯号〉が太陽から杯ですくいとってきた『火』は、核融合エネルギーを象徴していると解釈することができます。

現在、原子力発電では、核分裂によって熱エネルギーを発生させていますが、核融合は、エネルギーの長期的な安定供給と環境問題の克服を両立させる将来のエネルギー源として期待され、世界中の科学技術者が研究に取り組んでいます。

物語のなかで宇宙船の船長が、

「さあ、これがエネルギー、火、震動、何と言っても構わない、それの入った杯だ。これでもって町の機械を動かしてくれ、船を走らせてくれ、図書館を明るくしてくれ、子供たちの顔色をよくしてくれ、毎日のパンを焼いてくれ」

と述懐しており、まさに「地上に太陽をつくる」とも例えられる核融合エネルギーそのものだと受け取れます。

 

また同時に、

「杯が太陽の中へ沈んだ。それは少量の神の肉をすくいあげた。宇宙の血、輝く思想、まばゆい哲学。それこそが銀河を動かし、惑星の配置を定め、生命の存在を命じたのだ」

という言葉には、ブラッドベリが生涯追い求め、この世に送り出してきた数々の物語こそ、太陽の黄金の林檎たち、なのではないかと思わせるものがありました。

 

 

創業百年目のタイムトラベル(創作掌編)

 

『伝統と変化』を社是とする老舗製菓会社・翠雨堂(すいうどう)は、創業百年を迎えるにあたり、タイムマシンを使った記念イベントを実施した。

 近年、民間企業によるタイムトラベル事業が現実化したとはいえ、高額な料金に加えて、厳しい制約も課せられるため、まだまだ気軽に利用できる段階でない。

 それだけに、話題性と宣伝効果が見込めると、社長の四代目宗助は考えたのだった。

 

 時代の流れに沿った大衆向けの菓子を製造販売する一方で、創業当時の和菓子の味を守り続けてきた翠雨堂である。天才的な菓子職人だった初代宗助が考案した生菓子「翠雨」は、変わらぬ伝統を誇る看板商品となっていた。

 百年前に作られた「翠雨」を持ち帰り、試食会を開いて、現代の「翠雨」と食べ比べること、それが今回のタイムトラベルの目的であった。

 

 もちろん「過去への干渉」及び「歴史改変」は禁止されているので、そっくりの代替品として現代の「翠雨」を持って行き、交換してくるのである。タイムトラベラーは四代目宗助、そして、マシンのオペレーターと特別添乗員の計三名だった。

 無事、持ち帰ってきた「翠雨」は、そのまま、甘味界の著名人が待つ試食会場に運ばれ、その見た目と味わいが、百年のあいだ変わっていないことが明らかになった。

 創立百年記念イベントの動画はネット配信され、ソーシャルメディアで拡散し、情報番組のトピックニュースにも取り上げられた。予想を上回る成功である。

 

 

 その晩、翠雨堂の社長室では、宗助と娘の真希が、硬い表情で対峙していた。

「お父様がなぜ、耕市さんとの婚約を賛成してくださらないのか……。記念イベントが終わるまでは、答えを待てとのことでしたので、今日まで待ちました。けれど、どんな理由であっても、私の気持ちは変わりません」

 口調には決意がにじんでいる。

 真希が言うのも、もっともなことだ。翠雨堂のセキュリティシステムを担当している耕市は、優秀な好青年というだけでなく、初代宗助と二人三脚で店を守り立てた番頭、耕太郎の子孫でもある。一人娘の結婚相手として、申し分のない若者なのだ。

 

 宗助は静かに立ち上がり、金庫から古めかしい帳面を出してきた。

「これは一家相伝の重要書類、初代宗助が書き記した和菓子の制作日誌だ。さまざまなことが、実に細かく正確に記録されている。今回、タイムマシンで百年前の厨房へ行ったわけだが、この日誌があったからこそ、最適な日時を決められたのだよ」

「はい、初代がただ一人で、百個もの『翠雨』を作りあげ、初めて店売りした日ですね。斬新で独創的な生菓子ということで、大評判になったと聞いています」

「翠雨堂にとって記念すべき吉日だった。ところが日誌を見ると、その日の頁には走り書きで、まことに不穏な内容の文章が残っているのだ」

 

 宗助は開いた帳面を真希のほうへ向け、該当の箇所を指差した。

 そこには、乱れた筆跡で、兄弟同然に信頼してきた番頭への不信感が綴られていた。

「裏切り」……「しかし、何一つ証拠はない」……「信じ難いが、耕太郎の仕業としか考えられぬ」

 読み取れる言葉をつなぎ合わせ、真希は顔をこわばらせた。

 

「日誌のこの言葉が心に引っ掛かり、すぐには耕市君とのことを認められなかったのだ。時代錯誤なこだわりだといえばそれまでだが、初代に申し訳が立たない気がしてね。真希にはすまないと思っている」

 宗助は頭を下げ、ほろ苦い表情で話を続けた。

「それでな、私は一計を案じたのだ……」

 

 計画とは、タイムトラベルで百年前のその日を訪れた際、添乗員の目を盗んで初代宗助に会い、耕太郎の「裏切り」とは何なのかを尋ねる、というものだった。

 夜明け前から始めた渾身の菓子作りを終え、初代が自室で仮眠をとっていることは、日誌の記述により判っている。

 ところが、

「厨房で菓子の交換を終え、現場チェックとマシンの設定に余念がない二人の隙をついて抜け出すつもりが、あっさりばれて取り押さえられてしまった。彼は添乗員というより、監視員だったのだな」

 記念イベントは成功したが、宗助の計画は失敗に終わったのだった。

 

「タイムトラベルで決まりを破れば、厳しいペナルティが課せされるはずです。お父様は危険を冒して、事の真相を確かめようとなさったのですね」

 真希は表情をやわらげ、脇に置いてあった書類入れから、一枚の紙を取り出した。

「実はこれ、ある資料のコピーですが、読んでみると、お父様が耕太郎さんに対して、百年前に『借り』をつくったことがわかります。その借りを返す意味でも、私たちの婚約を認めてください、と説得するために用意したものです」

「どういうことだね? これもまた、古い日誌のようだが」

「耕市さんの家で保管されている、耕太郎さんの日記です。中身はまるで業務日誌のようですが、問題の日には、こんなことが書かれています」

 

「翠雨」の初売りの日、奇妙なことが起こった。

作り上げた百個のうち、十数個がすり返られていると、宗助さんが言い出したのだ。私から見れば、味も形も同じ菓子としか思えないのだが、何かが違うらしい。

宗助さんは、競合相手の菓子屋の仕業ではないかと疑っているが、そんなはずのないことは私が一番良く知っている。

何故なら、宗助さんが厨房を離れているあいだ、出入り口が見える場所で張り番をしていたのは、他ならぬこの私だからだ。

 

 真希は、呆然としている父親に向かい、ほほ笑みながら告げた。

「さすが天才菓子職人ですね。現代のものと交換された『翠雨』が、ご自分の作った菓子ではないと見抜かれたようです。日記によれば、この日からしばらくのあいだ、初代は耕太郎さんに八つ当たりのような態度をとっていたとか。温和な耕太郎さんがさりげなく受け流しているうちに、徐々におさまったみたいですけれど」

「……そうか、私が計画したタイムトラベルが原因で、あらぬ疑いをかけられて苦労したわけか」

 宗助は肩を落としてうなだれた。

 

 数日後、翠雨堂の社内に、二つのニュースが流れた。

 一つは、真希と耕市の婚約。

 もう一つは、社是『伝統と変化』が、

『伝統と変化、そして軌道修正』に変わったという発表である。

 

 

 

水鏡(創作掌編)~ハヤさんの昔語り#2-7~

 

『真実の顔を映す鏡』というものを見てきた。

 普段、私たちが鏡のなかで見慣れているのは、左右反対の顔だ。それを反転して映す鏡がリバーサル・ミラー「反転鏡」で、一般に販売もされている。たまたま立ち寄った店で見掛け、興味津々でのぞき込んだのだった。

 

 外出から戻り、ハヤさんに報告すると、

「ずいぶん違って見えましたか?」と聞かれた。

「それほどでもなかった。期待が大きすぎたのかしら」

「文字だって鏡に映すと、印象が大きく変わって見える字と、ほとんど変わらない字とに分かれますよね。例えば瑞樹さんの『樹』と、同じキでもモクのほうの『木』とか……」

 

 話している途中で、江戸から明治にかけて行者として過ごした前世の記憶がよみがえったらしく、ハヤさんはふと言葉を途切らせ、おもむろに昔語りを始めた。

「そういえば、僕が昔、寸一だった頃──」

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 誰にも言えぬまま、心に重荷を抱える者は、カガミ沼に引き付けられるという。

 底知れない沼のほとりに立ち、水鏡に映った己の影と出会う。逆さまに浮かぶその姿は、ひどくゆがんで見えるのだそうだ。

 後悔と恨みが凝り固まった醜い顔。それでも目を背けずに踏み止まっていると、やがて、沼底から白く光る大蛇が現れ、水影を一息に吞み込んでしまう。

 すると、憑き物が落ちたように、心中が平らかになるというのだ。

 

 余程の事がなければ、自ら進んで、そのような恐ろしい目に遭いに行く者はいない。

 寸一も、嘉兵衛から請われるまで、カガミ沼に足を向けたことはなかった。

 

 名主の家柄に生まれ、村の人々からの信望も厚い嘉兵衛だが、どうしたはずみか気の病を患うようになった。

 独り考えあぐねたすえ、ある日、カガミ沼へ向かったという。

 水面に映るおぼろげな影に、ひたすら目を凝らす。

 どれほど時が経ったのか判然としなくなった頃、突如として、はっきりと顔が見えてきた。

「しかし、噂に聞いていたようなものではありませんでした」

 嘉兵衛は声をひそめ、寸一に語った。

 

「たしかに私の顔でありながら、とてもそうとは思えない。それほど、福々しい恵比須顔だったのです。しかも、しきりに話しかけてくるのですが━━」

 水鏡に映った恵比須顔の口から出てきたのは、すべて、嘉兵衛に向けたほめ言葉だった。ほめて、ほめて、ほめちぎった、という。

「初めのうちは、狐狸の類に化かされているのかと疑いましたが、亡き母さえ知らないはずの昔の出来事や、自分でも忘れていたようなささいな行いまでほめられているうちに、どうにも泣けてきて困りました」

 白い大蛇が現れることはないまま、日が暮れ始め、水影は薄闇に溶けて消えた。

 

 以来、不思議なほど胸の内が明るくなったそうだ。

 末の娘などは嬉しそうに、

「いつも噛みしめていた苦虫がいなくなった」と、言っている。

 心穏やかな日々の有り難さを身にしみて感じるにつれ、生真面目な嘉兵衛は、カガミ沼の主へ返礼をしていないことが気になった。

 かつては若い娘を人身御供としたのだとか、そんな痛ましい話も伝え聞くが、もう大昔のことだ。

「ならば代わりに、美しい絵姿を描いて奉るのが良いのではないかと思い立ちまして、慣れぬ絵筆に四苦八苦していたところ、見かねた末娘が手伝ってくれました」

 気恥ずかしげに言い、絵を広げてみせる。

 

「これはこれは、見事な出来栄えではありませんか」

 寸一は感心した。

「顔を突き合わせて描いたせいか、姿かたちが娘に似てしまい、それがまた、気がかりでもあるのです。万が一、沼の主様に気に入られて神隠しにあったら……」

 それならば、ということで、寸一は嘉兵衛に同行しカガミ沼へ赴いた。

 静かな沼だ。

 遥か昔、神が村を救い、村人が生贄を差し出した。

 繰り返されるうちに、娘を奪われた怨嗟の声が上がり始め、いつしか、神であったはずのものが、退治されるべき化け物と見なされた。

 そのような深く荒々しい係わりも、時の流れと共に薄れ、今では淡い気配が漂っているばかりだ。

 

 寸一にうながされるまま、嘉兵衛は娘によく似た絵姿を沼に浮かべ、

「足腰の立つ限り、毎年御礼に参ります」

 と、手を合わせ深々と頭を下げる。

 絵は、水の面をゆっくりと滑るように動いていき、沼の中ほどで沈んだ。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 私は聞かずにはいられなかった。 

「寸一の判断を疑うわけではないけれど、その後、末の娘さんは大丈夫だったの?」

「はい。それどころか、間もなく良縁に恵まれてお嫁に行きました。こういうことは誰とはなしに伝わっていくらしく、いつしか嘉兵衛さんのもとには、絵姿を沼の主に奉納してもらいたいというモデル志願の娘さんが、次から次へと訪れるようになったそうです」

「あらまあ……」

「何年かたって、寸一が嘉兵衛さんと顔を合わせたときには、すっかり福々しい恵比須顔になっていたとか」

 

 笑いながら、つくづくとハヤさんの顔をながめる。

 思えば、私たちはよく話をするので、鏡に映る自分の顔より、ずっと長く相手の顔を見ているのだ。

 私の視線を感じたハヤさんは、何か誤解したようで、

「よかったら、瑞樹さんのことをほめちぎりましょうか」

 と、言った。

 

 

 

釣り針(創作掌編)

 

 僕が大切にしている「家宝」は、振り子と手書きの体験記の2つで、曾祖父母が生きた証しの品だった。

 

 曾祖父はダウジングを生業としていた。

 ダウジングとは、Y字型やL字型の棒、あるいは振り子を使って、地下の水脈などを探し当てるという、占いのような技術だが、曾祖父は達人の域に達していた。

 依頼を受けて全国各地へ出向き、井戸や温泉、鉱脈はもちろん、地下遺跡に遺骨、ご先祖の埋蔵金まで発見したらしい。

 ダウジング用の振り子のおもりは、形、素材とも様々だが、曾祖父のは少し変わっていて、釣り針の形をしていた。

 

 曾祖父母は、当時としては珍しい恋愛結婚だった。仕事がら長旅に出ることが多く、共に暮らす時間は短かったけれど、家に帰ったときには、旅先で起こったことの一部始終を面白おかしく語って聞かせたようだ。

 曾祖母はその話を書き留め、清書したものを綴り、『釣り針記』という題をつけて、父親との思い出が少なかった息子に残した。

 今、僕の手元にあるのは、その原本なのだ。

 

 子供の頃はよく、こっそりと家宝の振り子を持ち出し、ダウジングごっこをして遊んだものだったが、やがて『釣り針記』にも興味を持つようになった。古風な文体に慣れてしまえば、曾祖母の文字は読みやすく、内容はリアルな冒険譚だ。

 地下に埋もれた一族の財宝を探し当てたとき、口封じのため捕らえられそうになり、いち早く察知して逃げ出した話など、手に汗握る出来事も少なくない。

(こんなにおもしろくて貴重な記録を、自分の家だけで独占するのはもったいない)

 そう考えた僕は、ブログを開設し、『釣り針記』を少しずつ公開することを思いついたのだった。

 

 原文の良さをそこなわない程度に、現代文に書き直し、補足の説明や画像も入れる。

 無難を絵に描いたような人生を歩んでいる自分と、進取の気性に富み、活力に満ちていた曾祖父との間に、目に見える接点ができたようで嬉しかった。

 ブログを読者登録してくれる人が増え、感想のコメントをもらうことも多くなるにつれ、ますます興が乗ってくる。会社から帰ると、まずパソコンに向かうのが習慣になった。

 

 想定外だったのは、ブログを通じて親しくなった人たちから、ダウジングの依頼が来始めたことだ。

 もちろん、井戸や温泉ではない。

 ちょっとした失せ物を地図上で探す、マップダウジングの依頼である。絶対捨てていないのに、どうしても見つからない眼鏡を、家の見取り図で探したのが最初だったと思う。

 僕は、あくまで「遊び」だ、ということを強調した上で引き受けた。たとえダウジングに成功しても、報酬やお礼は受け取らない。それは、無欲だからではなくて、責任を取りたくない小心さのためだった。 

 

 ところが、この前、飼って間もないシェットランドシープドッグが、散歩の途中で逃げ出したといって、その辺り一帯の地図が添付ファイルで送信されてきた。

 生き物の安否が係わっている、重い案件だ。

 送られてきた地図を見ると、奇遇なことに、現在僕が住んでいるところのご近所である。たとえマップダウジングでも、土地勘があるに越したことはない。

 釣り針の振り子が最も反応した場所は、僕も通勤の行き帰りに通る公園だった。

 

 すぐにメールで結果を知らせたところ、「今から見つけに行きます」という返信が来たので、少し心配になる。

 ネット上でのやりとりから察するに、相手は多分、若い女性だ。

 時刻は夜の10時、いくら町なかの公園とはいっても、物騒ではないだろうか。

 責任の重さに耐えかねた僕が、家を飛び出して公園に駆けつけてみると、そこには子犬を抱えた彼女がいた。

 

 さて、実はここからが本題である。

 

 それからというもの、僕は会社の帰りに、犬と散歩をしている彼女と、よく行き合うようになった。ほんとうは以前にも度々、すれ違っていたのかもしれない。

 ちょっと立ち話をしたり、途中まで一緒に歩いたりするだけで、僕の生活には今までにない華やぎが生まれた。

 ところが、浮かれ気分に水を差すような展開が待っていたのだ。

 

 彼女は顔をくもらせ、悩み事があるという。

 出来ればダウジングをしてほしいと頼んできたのだが、その内容は、同時に交際を申し込まれている2人の男性のうち、どちらかを選ばなければならない、というものだった。

「でもそれは、君自身が決めるのが筋だし、両方とも好きじゃないなら断ればいいだけじゃないの?」

 と、正論をぶつけてみたけれど、何やら複雑な経緯があって、そういうわけにもいかないらしい。

 

 仕方なく僕は、これまでの中でいちばん気が重い依頼を引き受けた。

 公園のベンチで、2人の候補者の写真を並べ、その上に振り子をかざす。

 曾祖父も書き残しているが、ダウジングというのは霊能力で行うわけではない。積み重ねてきた経験や、五感から得て蓄積した膨大な情報に、直接アクセスして答えをつかみとる技法なのだ。

 揺れている振り子を見つめるうちに、気持ちは静まり、頭の中が澄み切っていく。

 すると、ある瞬間、振り子の先に付いている釣り針から、何かを引っ掛けたような感触が伝わってくる。それは、かすかではあっても、間違えようのない感覚だった。

 

 けれど、今回は違っていた。

 僕の心の乱れを表すように、いつまでたっても振り子の動きは落ち着かず、不規則に揺れ続けている。

(これは、やっぱりダメだな……)

 そう思い、止めようとしたそのとき、振り子は大きく揺れて指から離れ、釣り針が僕のTシャツの襟元に食い込んでしまったのだ。

 あわてて外そうとしたが取れない。針先の下部にある「カエシ」のせいで、簡単には外れないようになっているからだ。

 

 結局、彼女に手伝ってもらって、何とか取り外したものの、Tシャツには穴があいてしまった。

 きまりわるさで顔が熱くなる。

 何故だか、僕を見つめる彼女の頬も、紅く染まっていた。

「ごめんなさい。やっぱり私、2人にちゃんと断ります。はっきりした理由もなく断るのは失礼と思っていたけれど、たった今、その理由が出来たみたい」

 といって、きらきらした目で笑う。

 

 ……いったい、ひいおじいさんの釣り針は、何を釣り上げたのだろう?

 

突発性難聴、その後。

 

今月中旬、耳に異常を感じて耳鼻科を受診したところ、「突発性難聴」と診断されました。 

toikimi.hateblo.jp

あたたかいコメントとスターに、励まされ支えられました。

ありがとうございます。 

 

ステロイドの内服治療を始めて6日目、耳鼻科で聴力検査をしたところ、聞こえが悪くなっていた右耳の聴力が、左耳と同じ程度まで回復していました。

それでも両耳とも低音部が軽度の難聴なのですが、日常生活で支障はありません。

ステロイド剤の副作用により、胃痛とむくみが起こっていたので、胃薬の増量と、むくみには漢方薬を処方してもらいました。

 

10日間の内服治療も無事終了し、初診から2週間後の今日、再び耳鼻科へ。

耳閉感(耳がつまったり、ふさがったような感じ)は、当初ほどひどくはないけれど残っていること、数日間、めまいと頭痛が続いていることを伝えます。

聴力検査では、左耳の聴力が良くなってきたため、右耳との差が出ていることがわかりました。耳閉感が治まらない原因はそのあたりにあるようです。

 

聴力検査結果のグラフを見ながら、

「これは、どの程度の難聴なんですか?」と尋ねると、

「左はほぼ正常、右も普通の健康診断の聴力検査ではひっかからないレベル」

ということでした。

自宅で流している音楽などが、気づかないまま大音量になっていないか心配だったので、ほっとしました。

いつもなら、つまらない質問で忙しいドクターを煩わせるのも……などと考えがちですが、ブログに記事を書くためなので、あれこれ聞いてしまいます。

「めまいと頭痛は、突発性難聴の後遺症ですか?」

「トツナン(突発性難聴)といっても、かなりメニエール寄りのトツナンだから」

先生によると、突発性難聴メニエール病は「兄弟、姉妹、いや、いとこ!」という関係らしいのです。

やっぱり、おもしろい先生でした。

 

むくみに効く漢方薬は、めまいにも有効なのでしばらく飲み続け、偏頭痛の予防薬と、胃薬も処方されました。

1ヶ月後に聴力検査をして、その時ほかの症状も治まっていれば治療終了の予定です。

 

 

AIサファリ(創作掌編)

 

 採用面接というより、お互いを知るための面談なので、堅苦しさを感じない雰囲気だった。場所も、交通アクセスと見晴らしの良いレンタル会議室だ。

 面談相手は、私と同世代のプロジェクトリーダーで、うらやましいくらい仕事への情熱を持っている上、日に焼けて健康そのものに見える。

 

 開設準備が進んでいる新型テーマパーク「AIサファリ」は、人工知能を搭載した動物型ロボットが主役のサファリパークだ。

 私はソフトウェア・エンジニアとして、AIサファリを運営する会社への転職を考えていた。現在、社員として働いている会社のほうが規模が大きく、収入も高いので、この転職はキャリアダウンということになる。

「もちろん、お金より、やり甲斐とかチャレンジスピリット重視というお考えでしたら、うちの会社のほうが断然おもしろいと思いますが……」

 と言いながらも、相手はもの問いたげな表情を隠せない。彼と違い、私が見るからに、石橋を叩いて渡るタイプだからだろう。

 

「仕事だけではなく、ライフスタイルそのものを変えてみたいと思っているんです。オフィスはAIサファリの敷地内にあって、希望すれば隣接する場所に建つコテージに住むこともできると知り、心が引かれました。人工的に造りだされたサヴァンナで暮らすなんて、めったにできない体験ですものね」

 と、説明する。ほんとうにそれは、私にとって重要な前提条件なのだ。

「確かにとても楽しいですよ。普通に仕事しているだけなのに、野性味あふれる気分になってきます」

 野性味あふれる、という表現がおもしろくて、私はそっと笑った。「実はですね」と、声をひそめる。

「2年ほど前のことになりますが、業界でもニュースになったのでご存知かもしれません。私が所属していたセクションで不祥事が起こりまして──」

 彼もそのニュースを耳にしたことがあるらしく、真顔になってうなずいた。

 

 当時、私がチームの一員として取り組んでいたのは、「ミニチュア・サファリ・ガーデン」という製品の開発だった。

 まさに、AIサファリの箱庭版である。

 本物そっくりのミニチュア動物ロボットが動き回る、リアルな世界観を持ったサファリ・ガーデンは、自室の一角に小さなサヴァンナを再現する商品になるはずだった。

 

 動物のしぐさと動きを画像解析するために、 開発チームでは、海外の企業からマイクロ・アニマルを購入した。ゲノム編集により遺伝子を改変し、ほぼ5分の1に小型化した、ライオン、シマウマ、象、キリンなどの動物たちだ。

 百獣の王と言われる雄ライオンも猫と同じくらいの大きさ、仔ライオンにいたっては片手に収まるサイズだった。しかし、どれほど小さくても、生きている動物の存在感は圧倒的である。私たちは日々、立体撮影した大量の映像データの処理に追われていた。

 ところが、そのさなか、マイクロ・アニマルを「作製」した企業が、生命倫理上の問題から国際機関の調査を受けることになったのだ。取引相手として名前が上がり、世間の非難を浴びることを恐れた会社は、急遽、ミニチュア・サファリ・ガーデンの開発を中止した。

 

「……この2年、何となく肩身の狭い思いをしてきました。法的な落ち度がなかったとはいえ、コンプライアンス上の問題を起こしたチームの一員だったわけですからね」

 率直に話したことで、彼の疑問は解消したようだ。

「そういうことなら、ぜひうちの会社に来て欲しいな。きっと、あなたの専門的なスキルを十二分に発揮できると思いますよ」

 近々の再面談を約束して、私たちは別れた。

 

 

 上機嫌で自宅マンションへ帰り、生体認証キーでドアを開ける。

 忍びやかな足音がして、私の唯一の「家族」が玄関まで出迎えにきてくれた。

「ただいま、ルスト。どうやらうまくいきそうよ」

 声をかけると、ルストは私の手に額を押しつけて挨拶する。

 

 2年前、私は忙しい仕事の合間をぬって、獣医師の指導のもと、片手に収まるほど小さな仔ライオンの世話を手伝っていた。そして、開発中止の騒ぎの際、煩雑な手続きを経て、その仔ライオンを自宅で飼育する許可を得たのだ。

 彼の名前はルスト。無邪気にじゃれていたルストも成長し、黄金色のたてがみを持つ、優雅さと風格を兼ね備えたライオンとなった。

 しかも、猫より大きくならないと言われていたにもかかわらず、今の体長はゴールデン・レトリーバーに近い。

 

 深い信頼関係を築いてきたとはいえ、この先、ルストがさらに大きくなっていくことが、怖くないといえば嘘になる。

 それでもやはり、ルストの成長は私の喜びなのだ。

 私たちのために、今よりもっと広い世界を用意しておかなければならない。

 実はそれが、転職の理由だった。