かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

創業百年目のタイムトラベル(創作掌編)

 

『伝統と変化』を社是とする老舗製菓会社・翠雨堂(すいうどう)は、創業百年を迎えるにあたり、タイムマシンを使った記念イベントを実施した。

 近年、民間企業によるタイムトラベル事業が現実化したとはいえ、高額な料金に加えて、厳しい制約も課せられるため、まだまだ気軽に利用できる段階でない。

 それだけに、話題性と宣伝効果が見込めると、社長の四代目宗助は考えたのだった。

 

 時代の流れに沿った大衆向けの菓子を製造販売する一方で、創業当時の和菓子の味を守り続けてきた翠雨堂である。天才的な菓子職人だった初代宗助が考案した生菓子「翠雨」は、変わらぬ伝統を誇る看板商品となっていた。

 百年前に作られた「翠雨」を持ち帰り、試食会を開いて、現代の「翠雨」と食べ比べること、それが今回のタイムトラベルの目的であった。

 

 もちろん「過去への干渉」及び「歴史改変」は禁止されているので、そっくりの代替品として現代の「翠雨」を持って行き、交換してくるのである。タイムトラベラーは四代目宗助、そして、マシンのオペレーターと特別添乗員の計三名だった。

 無事、持ち帰ってきた「翠雨」は、そのまま、甘味界の著名人が待つ試食会場に運ばれ、その見た目と味わいが、百年のあいだ変わっていないことが明らかになった。

 創立百年記念イベントの動画はネット配信され、ソーシャルメディアで拡散し、情報番組のトピックニュースにも取り上げられた。予想を上回る成功である。

 

 

 その晩、翠雨堂の社長室では、宗助と娘の真希が、硬い表情で対峙していた。

「お父様がなぜ、耕市さんとの婚約を賛成してくださらないのか……。記念イベントが終わるまでは、答えを待てとのことでしたので、今日まで待ちました。けれど、どんな理由であっても、私の気持ちは変わりません」

 口調には決意がにじんでいる。

 真希が言うのも、もっともなことだ。翠雨堂のセキュリティシステムを担当している耕市は、優秀な好青年というだけでなく、初代宗助と二人三脚で店を守り立てた番頭、耕太郎の子孫でもある。一人娘の結婚相手として、申し分のない若者なのだ。

 

 宗助は静かに立ち上がり、金庫から古めかしい帳面を出してきた。

「これは一家相伝の重要書類、初代宗助が書き記した和菓子の制作日誌だ。さまざまなことが、実に細かく正確に記録されている。今回、タイムマシンで百年前の厨房へ行ったわけだが、この日誌があったからこそ、最適な日時を決められたのだよ」

「はい、初代がただ一人で、百個もの『翠雨』を作りあげ、初めて店売りした日ですね。斬新で独創的な生菓子ということで、大評判になったと聞いています」

「翠雨堂にとって記念すべき吉日だった。ところが日誌を見ると、その日の頁には走り書きで、まことに不穏な内容の文章が残っているのだ」

 

 宗助は開いた帳面を真希のほうへ向け、該当の箇所を指差した。

 そこには、乱れた筆跡で、兄弟同然に信頼してきた番頭への不信感が綴られていた。

「裏切り」……「しかし、何一つ証拠はない」……「信じ難いが、耕太郎の仕業としか考えられぬ」

 読み取れる言葉をつなぎ合わせ、真希は顔をこわばらせた。

 

「日誌のこの言葉が心に引っ掛かり、すぐには耕市君とのことを認められなかったのだ。時代錯誤なこだわりだといえばそれまでだが、初代に申し訳が立たない気がしてね。真希にはすまないと思っている」

 宗助は頭を下げ、ほろ苦い表情で話を続けた。

「それでな、私は一計を案じたのだ……」

 

 計画とは、タイムトラベルで百年前のその日を訪れた際、添乗員の目を盗んで初代宗助に会い、耕太郎の「裏切り」とは何なのかを尋ねる、というものだった。

 夜明け前から始めた渾身の菓子作りを終え、初代が自室で仮眠をとっていることは、日誌の記述により判っている。

 ところが、

「厨房で菓子の交換を終え、現場チェックとマシンの設定に余念がない二人の隙をついて抜け出すつもりが、あっさりばれて取り押さえられてしまった。彼は添乗員というより、監視員だったのだな」

 記念イベントは成功したが、宗助の計画は失敗に終わったのだった。

 

「タイムトラベルで決まりを破れば、厳しいペナルティが課せされるはずです。お父様は危険を冒して、事の真相を確かめようとなさったのですね」

 真希は表情をやわらげ、脇に置いてあった書類入れから、一枚の紙を取り出した。

「実はこれ、ある資料のコピーですが、読んでみると、お父様が耕太郎さんに対して、百年前に『借り』をつくったことがわかります。その借りを返す意味でも、私たちの婚約を認めてください、と説得するために用意したものです」

「どういうことだね? これもまた、古い日誌のようだが」

「耕市さんの家で保管されている、耕太郎さんの日記です。中身はまるで業務日誌のようですが、問題の日には、こんなことが書かれています」

 

「翠雨」の初売りの日、奇妙なことが起こった。

作り上げた百個のうち、十数個がすり返られていると、宗助さんが言い出したのだ。私から見れば、味も形も同じ菓子としか思えないのだが、何かが違うらしい。

宗助さんは、競合相手の菓子屋の仕業ではないかと疑っているが、そんなはずのないことは私が一番良く知っている。

何故なら、宗助さんが厨房を離れているあいだ、出入り口が見える場所で張り番をしていたのは、他ならぬこの私だからだ。

 

 真希は、呆然としている父親に向かい、ほほ笑みながら告げた。

「さすが天才菓子職人ですね。現代のものと交換された『翠雨』が、ご自分の作った菓子ではないと見抜かれたようです。日記によれば、この日からしばらくのあいだ、初代は耕太郎さんに八つ当たりのような態度をとっていたとか。温和な耕太郎さんがさりげなく受け流しているうちに、徐々におさまったみたいですけれど」

「……そうか、私が計画したタイムトラベルが原因で、あらぬ疑いをかけられて苦労したわけか」

 宗助は肩を落としてうなだれた。

 

 数日後、翠雨堂の社内に、二つのニュースが流れた。

 一つは、真希と耕市の婚約。

 もう一つは、社是『伝統と変化』が、

『伝統と変化、そして軌道修正』に変わったという発表である。