僕が大切にしている「家宝」は、振り子と手書きの体験記の2つで、曾祖父母が生きた証しの品だった。
曾祖父はダウジングを生業としていた。
ダウジングとは、Y字型やL字型の棒、あるいは振り子を使って、地下の水脈などを探し当てるという、占いのような技術だが、曾祖父は達人の域に達していた。
依頼を受けて全国各地へ出向き、井戸や温泉、鉱脈はもちろん、地下遺跡に遺骨、ご先祖の埋蔵金まで発見したらしい。
ダウジング用の振り子のおもりは、形、素材とも様々だが、曾祖父のは少し変わっていて、釣り針の形をしていた。
曾祖父母は、当時としては珍しい恋愛結婚だった。仕事がら長旅に出ることが多く、共に暮らす時間は短かったけれど、家に帰ったときには、旅先で起こったことの一部始終を面白おかしく語って聞かせたようだ。
曾祖母はその話を書き留め、清書したものを綴り、『釣り針記』という題をつけて、父親との思い出が少なかった息子に残した。
今、僕の手元にあるのは、その原本なのだ。
子供の頃はよく、こっそりと家宝の振り子を持ち出し、ダウジングごっこをして遊んだものだったが、やがて『釣り針記』にも興味を持つようになった。古風な文体に慣れてしまえば、曾祖母の文字は読みやすく、内容はリアルな冒険譚だ。
地下に埋もれた一族の財宝を探し当てたとき、口封じのため捕らえられそうになり、いち早く察知して逃げ出した話など、手に汗握る出来事も少なくない。
(こんなにおもしろくて貴重な記録を、自分の家だけで独占するのはもったいない)
そう考えた僕は、ブログを開設し、『釣り針記』を少しずつ公開することを思いついたのだった。
原文の良さをそこなわない程度に、現代文に書き直し、補足の説明や画像も入れる。
無難を絵に描いたような人生を歩んでいる自分と、進取の気性に富み、活力に満ちていた曾祖父との間に、目に見える接点ができたようで嬉しかった。
ブログを読者登録してくれる人が増え、感想のコメントをもらうことも多くなるにつれ、ますます興が乗ってくる。会社から帰ると、まずパソコンに向かうのが習慣になった。
想定外だったのは、ブログを通じて親しくなった人たちから、ダウジングの依頼が来始めたことだ。
もちろん、井戸や温泉ではない。
ちょっとした失せ物を地図上で探す、マップダウジングの依頼である。絶対捨てていないのに、どうしても見つからない眼鏡を、家の見取り図で探したのが最初だったと思う。
僕は、あくまで「遊び」だ、ということを強調した上で引き受けた。たとえダウジングに成功しても、報酬やお礼は受け取らない。それは、無欲だからではなくて、責任を取りたくない小心さのためだった。
ところが、この前、飼って間もないシェットランドシープドッグが、散歩の途中で逃げ出したといって、その辺り一帯の地図が添付ファイルで送信されてきた。
生き物の安否が係わっている、重い案件だ。
送られてきた地図を見ると、奇遇なことに、現在僕が住んでいるところのご近所である。たとえマップダウジングでも、土地勘があるに越したことはない。
釣り針の振り子が最も反応した場所は、僕も通勤の行き帰りに通る公園だった。
すぐにメールで結果を知らせたところ、「今から見つけに行きます」という返信が来たので、少し心配になる。
ネット上でのやりとりから察するに、相手は多分、若い女性だ。
時刻は夜の10時、いくら町なかの公園とはいっても、物騒ではないだろうか。
責任の重さに耐えかねた僕が、家を飛び出して公園に駆けつけてみると、そこには子犬を抱えた彼女がいた。
さて、実はここからが本題である。
それからというもの、僕は会社の帰りに、犬と散歩をしている彼女と、よく行き合うようになった。ほんとうは以前にも度々、すれ違っていたのかもしれない。
ちょっと立ち話をしたり、途中まで一緒に歩いたりするだけで、僕の生活には今までにない華やぎが生まれた。
ところが、浮かれ気分に水を差すような展開が待っていたのだ。
彼女は顔をくもらせ、悩み事があるという。
出来ればダウジングをしてほしいと頼んできたのだが、その内容は、同時に交際を申し込まれている2人の男性のうち、どちらかを選ばなければならない、というものだった。
「でもそれは、君自身が決めるのが筋だし、両方とも好きじゃないなら断ればいいだけじゃないの?」
と、正論をぶつけてみたけれど、何やら複雑な経緯があって、そういうわけにもいかないらしい。
仕方なく僕は、これまでの中でいちばん気が重い依頼を引き受けた。
公園のベンチで、2人の候補者の写真を並べ、その上に振り子をかざす。
曾祖父も書き残しているが、ダウジングというのは霊能力で行うわけではない。積み重ねてきた経験や、五感から得て蓄積した膨大な情報に、直接アクセスして答えをつかみとる技法なのだ。
揺れている振り子を見つめるうちに、気持ちは静まり、頭の中が澄み切っていく。
すると、ある瞬間、振り子の先に付いている釣り針から、何かを引っ掛けたような感触が伝わってくる。それは、かすかではあっても、間違えようのない感覚だった。
けれど、今回は違っていた。
僕の心の乱れを表すように、いつまでたっても振り子の動きは落ち着かず、不規則に揺れ続けている。
(これは、やっぱりダメだな……)
そう思い、止めようとしたそのとき、振り子は大きく揺れて指から離れ、釣り針が僕のTシャツの襟元に食い込んでしまったのだ。
あわてて外そうとしたが取れない。針先の下部にある「カエシ」のせいで、簡単には外れないようになっているからだ。
結局、彼女に手伝ってもらって、何とか取り外したものの、Tシャツには穴があいてしまった。
きまりわるさで顔が熱くなる。
何故だか、僕を見つめる彼女の頬も、紅く染まっていた。
「ごめんなさい。やっぱり私、2人にちゃんと断ります。はっきりした理由もなく断るのは失礼と思っていたけれど、たった今、その理由が出来たみたい」
といって、きらきらした目で笑う。
……いったい、ひいおじいさんの釣り針は、何を釣り上げたのだろう?