かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

レイ・ブラッドベリ『太陽の黄金(きん)の林檎』

 

レイ・ブラッドベリ1920年8月22日~2012年6月5日)はアメリカの作家。「SFの抒情詩人」「物語の魔術師」「エドガー・アラン・ポーの衣鉢をつぐ幻想文学の第一人者」などと称されています。

短編の名手で、好きな作品はいくつもありますが、最も題名が印象的な作品といえば、『太陽の黄金(きん)の林檎』です。

アイルランドの詩人イェイツの詩句、

The silver apples of the moon 月の銀の林檎

The golden apples of the sun 太陽の黄金の林檎

(『さまよえるアンガスの歌』)

からとった言葉で、物語のなかでも、登場人物がイェイツの詩に触れています。

また、「黄金の林檎」はギリシャ神話や北欧神話において、不老不死をもたらす神々の食べ物として登場する果実でもあります。

 

 

 冷えきった地球を救うために、太陽から『火』を持ち帰ろうとする宇宙船を描いた、1953年発表の短編です。

太陽の大きさは地球の約109倍、重力は約28倍、中心で起こっている核融合反応により、電気を帯びた粒子がガス状に集まった巨大なプラズマで、その表面温度は約六千度と言われています。

しかし、SFの抒情詩人ブラッドベリは、サイエンスよりフィクションに重きを置く作家です。

 このロケットは〈金杯号(コパ・デ・オロ)〉、またの名を〈プロメテウス〉あるいは〈イカルス〉といい、進行目標はほんとうに、あの光り輝く正午の太陽なのである。サハラ砂漠を横切るにひとしいこの旅のために、一同は喜び勇んで二千本のレモネードの壜と、千本のビールを積みこんだのだった。〈中略〉

この宇宙船では、涼しげでデリケートなものと、冷たく実際的なものとが、結びあわされていた。氷と霜の通路には、アンモニア化合物の冬と雪片が吹き荒れている。あの巨大な炉から飛び散った火花は、この船の冷たい外皮にぶつかって消えてしまうし、どんな炎も、ここにまどろんでいる二月の厳寒をつらぬくことはできないのである。

 

イギリスの詩人・批評家のコールリッジが用いた「不信の自発的停止」という概念があります。

詩や物語に描かれた虚構を、読者が一時的に「真実」として受け入れ、「こんな事はありえない」という不信を自ら棚上げして、作品の世界にひたる状態を意味しています。

もちろん、読者が「不信の自発的停止」を起こすかどうかは、創作者の技量次第というわけです。

ブラッドベリは、誰にも似ていない独特の作品世界を創りあげ、読者に不信を棚上げさせる技に優れていました。 

 

ブラッドベリがやってくる―小説の愉快

ブラッドベリがやってくる―小説の愉快

 

 

1961年から1986年のあいだに発表された9編のエッセイを集め、さらに8つの詩を加えた『ブラッドベリがやってくる──小説の愉快』では、全編にわたり「書くこと」への情熱が綴られています。

 

彼は「書いていて何がわかるのか」と自問し、以下のように答えました。

 まず第一に、われわれは生きているということがわかる。そして、生きているのは特別にあたえられた状態なのであって、もとからの権利ではないともわかる。ひとたび生命なるものを授与されたなら、今度は生命を保つべく働かなければならない。生きて動けるようにしてもらえた者は、生命から見返りを要求される。

 われわれの芸術は、こっちから期待するほどの救いにもならなくて、戦争、窮乏、羨望、我欲、老齢、死といったようなものを防ぎきってはくれないが、そのまっただなかにある人間を再活性化することはできる。

 第二に、書くことはサバイバルである。いかなる芸術も、良質の芸術であるならば、すべてそうである。

 かなりの人間にとって、書かないということは死につながる。

 

 生命の木にのぼり
 自分に石をぶつけ
 骨も折らず、魂もくじけずに
 また降りてくる法
 本文にくらべて
 さほど長くもないタイトルの
 ついた序文 
より

 

生命から要求される「見返り」とは、心の底から好きになれることを見つけ、それに熱意を注ぎ続ける行為なのかもしれません。

そのとき手近にあるものを、追いかけ、見つけ、すごいと思って好きになり、素直に反応していく。あとから振り返って、つまらないものに見えても、そんなことはどうでもよろしい。〈中略〉

詩神(ミューズ)に栄養をとらせる術は、要するに「好きなもの」を追いかけること、また現在および未来の自分が必要とするものと、そういう「好きなもの」を比較検討すること、簡単な性質のものから、より複雑なものへ、情報や知性に乏しいものから豊かなものへ移っていくこと、と言えるだろう。およそ無駄になるものはない。 〈中略〉

 詩神には、はっきりした形がいる。一日に千語の割で、十年から二〇年も書いてみたら、詩神に格好がついてくるだろう。文法やストーリー構成について、それが無意識に組みこまれる程度にわかってきて、詩神に無理な負担をかけなくなるのだ。 

 

 『いかにして詩神を居着かせるか』より

 

 ブラッドベリ自身、12歳でおもちゃのタイプライターを叩きはじめてから、1日千語ずつ書き続け、10年後の22歳のとき「ようやく本当にいいものが書けたと思った」といいます。初めて原稿料を得た短編『みずうみ』が生まれた瞬間です。

 

 

『太陽の黄金の林檎』で、宇宙船〈金杯号〉が太陽から杯ですくいとってきた『火』は、核融合エネルギーを象徴していると解釈することができます。

現在、原子力発電では、核分裂によって熱エネルギーを発生させていますが、核融合は、エネルギーの長期的な安定供給と環境問題の克服を両立させる将来のエネルギー源として期待され、世界中の科学技術者が研究に取り組んでいます。

物語のなかで宇宙船の船長が、

「さあ、これがエネルギー、火、震動、何と言っても構わない、それの入った杯だ。これでもって町の機械を動かしてくれ、船を走らせてくれ、図書館を明るくしてくれ、子供たちの顔色をよくしてくれ、毎日のパンを焼いてくれ」

と述懐しており、まさに「地上に太陽をつくる」とも例えられる核融合エネルギーそのものだと受け取れます。

 

また同時に、

「杯が太陽の中へ沈んだ。それは少量の神の肉をすくいあげた。宇宙の血、輝く思想、まばゆい哲学。それこそが銀河を動かし、惑星の配置を定め、生命の存在を命じたのだ」

という言葉には、ブラッドベリが生涯追い求め、この世に送り出してきた数々の物語こそ、太陽の黄金の林檎たち、なのではないかと思わせるものがありました。