かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

杯の店(創作掌編)

 

※ 今回の掌編は音楽付きです。

 猫p (id:nkobi1121)さんの演奏で、Piano Man

  


pianoman(piano)

 

 行きつけのバーが閉店することになった。

 古いビルが立ち並ぶ一角にある、バーテンダーひとりの小さな店だ。

 再開発プロジェクトにより、老朽化した建物がいくつか取り壊され、跡地にはオフィスや住宅などが入る複合ビルが建設されるらしい。

 

 私は月に2~3度のペースで、数年間通っていた。店は地下1階にあり、階段を下りていくあいだに、その日の疲れが肩から抜けていくのが心地よかった。

 客はひとりで来る人がほとんどで、静かに飲み、マスターと軽くおしゃべりして、あまり長居はしない。

 不思議なほど気持ちが落ち着く空間だった。

 

「ふつうは客が店を選ぶけれど、こちらでは、まるで店のほうが客を選んでいるみたいでした。私はこのお店に選んでもらえて、ほんとに良かったです」

 閉店がせまったある日、前々から思っていたことを伝えると、マスターは微笑んで一礼した。

 私はお酒にもカクテルにも、まったく詳しくない。何となく迷い込むようにしてこの店を見つけた夜、1杯目にジン・トニックを注文したけれど、缶入りでないものを味わうのは初めてだった。

 それからしばらくは、マスターにおすすめを聞いていろいろ作ってもらっていたが、いつしか『希望』という名前のオリジナルカクテルが、私のお気に入りになった。

 

 この店で飲み続けてきた『希望』も、今夜限りになる。ほっそりと背の高いコリンズグラスに満たされた液体は、いつも通り甘く華やかだ。

「マスター、もうお店は出さないんですか? 遠くても、私は通いますよ」

「ありがとうございます。ですが、ここで30年以上やってこられただけで充分です。店を閉めたら、妻の郷里へ移り住み、ふたりでのんびりと暮らすことにします」

 

 先客がふたり、マスターと丁寧に別れを交して出ていった。

 寄り添って階段を上っていく後ろ姿に、私は首をかしげる

「今のお客さん、それぞれ何度もお見かけしてますけど、ふたりそろっているところを初めて見ました」

「私も初めてです」

 マスターは必要以上のことを語らないけれど、私の空想は広がっていく。 

 他の客たちが頼んでいるお酒の名前は、けっこう気になるものだ。

 常連客の多くがそうであるように、あのふたりにも常に注文する定番があった。それが偶然、同じ『孤独』というオリジナルカクテルであることを、私は知っている。

(もしかしたら、あの人たちもお互いに気づいていたんじゃないかしら。ずっと、自分と同じカクテルを頼む人に親しみを感じていて、閉店の予告がきっかけで付き合い始めたのかもしれない)

 勝手な想像を楽しみながら、グラスを傾けた。

 

「マスター、お酒の名前で『孤独』と聞くと、ある歌の歌詞が浮かんでくるんですよ」

 と、話しかける。

 すると思いがけないことに、とても音楽的な答えが返ってきた。

 マスターが、静かに口ずさんだのだ。

  

 Yes, they're sharing a drink they call loneliness
 (そう、店の客たちは分かち合っている酒を
 「孤独」と呼んでいるが)

 But it's better than drinkin' alone
 (それでも、ひとりきりで飲むよりはいいのさ)

 

「もしかして、ビリー・ジョエルの『ピアノ・マン』でしょうか。このフレーズの歌詞を元に、お客様からリクエストをいただいて作ったカクテルです」

「そうです、『ピアノ・マン』です。それにしても、びっくりしました。とても歌がお上手なんですね。バックにピアノの演奏まで聞こえた気がしましたよ。もっと歌ってほしいくらいです」

「いえ、余興は短いほうが……。それより、よろしければお客様のために、オリジナルカクテルをお作りしますよ。何かリクエストはおありですか?」

 嬉しいサプライズプレゼントだ。

 

「ほんとですか? ありがとうございます。どうしよう、何にしよう」

 考えながら、空になった『希望』のグラスに目を落とした瞬間、ある言葉が口をついて出てきた。

 なぜだろう……、それは『失望』という言葉だった。

「失望、ですね。かしこまりました」

 心なしか、マスターの目がきらめいたような気がする。

 ミキシンググラスに氷と材料を入れ、柄の長いバースプーンでステアする姿を、私は魔法薬が調合されるのを待つ気分で見つめていた。 

「お待たせいたしました。オリジナルカクテル『失望』でございます」

 

 安定感のあるゴブレットにそそがれた『失望』は、ほろ苦く深みのある味わいだった。

「おいしいです。なんていうか、おとなの味ですね」

 ところが奇妙なことに、「おとなの味」と言っているそばから、幼い日の思い出がよみがえってくる。

 

──私は一番になれなかったのが悔しくて悲しくて、幼稚園から帰ってくるなり、すわりこんで大泣きした。

 そんな私の背中にあたたかい手を置き、祖母がずっとなぐさめてくれている。

「あんなに一生けんめいがんばったのだから、えらい、えらい」

 と、何度も繰り返しながら。

 やがて、泣くだけ泣いて気が済んだ私が、けろりとしておやつを食べ始めると、

「おやおや、いま鳴いたカラスがもう笑う」

 祖母は嬉しそうに笑い、つられて私も照れながら笑った。

 

「……そういうことがよくありました。子供のころは、今と違って負けず嫌いだったんですね。ひょっとしたら、あれが私にとって『失望』の原点なのかも」

 言いながら、両手でグラスを包みこむ。

 希望の大半は失望へと変わっていく。まれに実現しても、胸の内にあったときの完璧な輝きは失われてしまう。けれど、その失望のなかから、新しい希望は生まれてくるのだ。

 希望と失望を繰り返すなかで「一生けんめいがんばって」生きていれば、それで大丈夫そうな気がした。

 

 ゆっくりと味わって『失望』を飲みほした私は、マスターを見上げ、

「さいごに『希望』をもう1杯、お願いします」

 と、注文した。

 

 

     ☆ ★ ☆ ★ ☆ 

 

 

※※ この掌編を書いているとき『ピアノ・マン』が頭のなかで流れていました。ふと、記事に音楽を貼り付けることができたらいいのに、と思いましたが、いろいろむずかしそうなので断念……というタイミングで、猫pさんの記事に出会いました。

  

nkobi1121.hatenablog.com

 

猫pさんの野望のひとつに「ピアノのレパートリーを死ぬまでに1万にする」があるのだそうです。

レパートリー拡大のため、みなさんの好きな歌をどしどし教えてください。どんなマイナーな曲でも、音源がネットにあればok。クラシックは不可。腕がもげる。

とのお言葉に、思いきってお願いしてみたところ──、

 

nkobi1121.hatenablog.com

 

何と翌日には、読み応えのある記事のなかで、「音楽のブーケ」として届けられていました。しかも、他の方たちのリクエストを含め7曲も。

皆さんの好きな曲をじゃんじゃんどしどし教えてください。耳コピゆえと練習をしないゆえの不正確さを許してくれる方のみ。

耳コピ?(すごい…)、まさに、Piano Man、じゃなくて、Piano Nyan!

猫pさん、ありがとうございます!