記念日なので、彼は特別なレストランを予約した。
店の名は『レプリカーレ』といい、「三ツ星クラスの完全コピー料理」で評判のレストランだ。
「嬉しい。前に私が行きたがっていたのを覚えていてくれたのね」
ドレスアップした彼女が、瞳を輝かせて彼に笑いかける。
「うん、あの頃はまったく予約が取れなかったけれど、ようやくブームも落ち着いてきたみたいだね。それにしても、すごく高級感があふれているのに、お店の人に威圧感がなくてほっとしたよ」
「そうよね。お料理はレプリカでも、インテリアとサービスは本物っていうのが、このお店の売りだから。一流のサービスは、お客に居心地の悪さを感じさせないんですって」
小声で話していると、サービス係りのギャルソンがメニューを持ってきた。
熟慮の末、彼女が選んだのは「瀬戸内オーベルジュのディナーコース」だった。彼も同じものを注文する。
「僕にはよくわからないんだけど、レプリカ料理ってどういうものなの?」
すると、情報通の彼女は嬉々として答えた。
「たとえばね、3Dプリンターってあるじゃない。そのお料理版ってところかしら。本物のオリジナル料理の形状や味、香り、食感までコンピューターでデータ化して、それをレプリカ調理マシンで再現するのよ」
「なるほど。家庭用の電子レンジでも、材料さえ入れればボタンひとつで料理してくれるのがある。それの超ハイスペックバージョンということかな」
「ええ。でも、この『レプリカーレ』のお料理は、材料もレプリカなの。フードマテリアルという加工食材を使うから、本物のお肉やお魚を準備しなくていいのね。だから塩分や脂肪分、糖質も控えめで、カロリーは本物の半分以下、とてもヘルシーなのよ」
「えっ! 本物の食材を使わないんじゃ、栄養のほうはどうなってるの?」
びっくりして聞き返すと、彼女はおかしそうに笑った。
「こういうお店で食事する人は、栄養価より楽しみを求めているんだと思うわ。あ、でも生野菜は工場で栽培した本物だから、ビタミンやミネラルは摂れるわね。それに、フードマテリアルの主成分はプロテインらしいから、きっとたんぱく質も豊富よ」
前菜、スープ、魚料理、肉料理……とコースは順調に進んだ。
「とっても美味しいわ」
「そうだね」
ワイングラスを傾けながら見つめあう。ワインは本物なので、心地よく酔いが広がっていた。
「この、瀬戸内オーベルジュっていうのは、どこかに本物の店があるんだよね。いつか一緒に行きたいな」
「すてきね。ディナーコースはどれも、各地の人気レストランの看板メニューばかりなのよ。シェフと契約してデータの提供や監修をしてもらっているんですって」
「まるで、名店再現系のカップラーメンみたいだな」
2人は声をそろえて笑った。
ゆっくりと時間をかけて食事を楽しんだ彼と彼女は、大満足で店を出た。レプリカ料理のため、高級レストランでありながら、比較的リーズナブルな値段だった。
「今日はほんとうにごちそうさま。素敵なお店だったわね」
「うん、また来ようね」
美しい街並みを、やわらかな風が吹き抜けていく。2人は手をつなぎ、夜風で酔いを醒ますようにそぞろ歩いた。
「学生の時、この辺りでバイトしてたことがあるんだ。久し振りに来たら、すっかり変わっていておどろいたよ。昔は町工場や木造アパートの多い、庶民的なところだったけれど」
「大規模な再開発で、ファッショナブル・エリアに生まれ変わったのね」
「おしゃれなお店ばかりだから、ここじゃ締めのラーメンはムリそうだ」
「あら、フルコースを食べ終わったばかりなのに!」
彼女が目をみはると、
「どうしてかな? 何となく物足りないんだよね」
首をひねりながら、彼は答えた。
「それなら、いいお店に連れて行ってあげる」
そう言うと、彼の手を引っぱって歩き始める。間もなく、エリアのはずれにある有人駐車場が見えてきた。
高級車が並ぶ駐車場の脇に、小さな店が建っていた。あたたかみのある灯りが、レトロなガラスの商品ケースを照らし、白いのれんに大きく「おにぎり」の4文字が見える。
店の前には客が数組、ソーシャルディスタンスを保ちながら順番を待っていた。
「クチコミで見たの。『おにぎりのちとせ屋』っていうのよ。レストラン帰りに寄る人が、けっこう多いんですって」
最後尾に並びながら彼女がささやく。
「なるほど、コピーフードの後は、ソウルフードが欲しくなるんだね」
と、彼はうなずいた。
※ ※ ※ ※ ※
閉店時刻になったので、ちとせさんは店の照明を消した。
待つほどもなく、1台のリムジンが店の前に止まる。売れ残ったおにぎりを手提げに入れ、ドアを開けて待っている運転手に笑顔で挨拶して、後部座席に乗り込んだ。
「お母さん、お疲れ様です。おにぎり、今日もよく売れていたようですが、僕の夜食分は残っているかな?」
と、息子の圭一が聞く。
「大丈夫よ。5つあるから、一緒にいただきましょうね」
ちとせさんは満ち足りた気持ちで、車のシートに体を沈めた。
昔、若くしてシングルマザーになり、朝早くから夜遅くまで、ひたすらおにぎりを売り続けて、ひとり息子を育てた。
その仕事が好きだったから、さほど苦労とは思わなかった。
やがて、成人した息子が事業に成功すると、再開発計画のため移転を迫られていたおにぎり屋をたたみ、孫に囲まれて悠々自適の暮らしを始めたのだったが……。
孫も成長するにつれ自分の生活がいそがしくなり、「お祖母ちゃん、お祖母ちゃん」と寄ってこなくなる。時間を持て余すようになったちとせさんは、習い事などやってみたものの、たいして面白いと思えず、次第に気持ちがふさぐようになっていった。
そんなある日、圭一がちとせさんをドライブに連れ出したのだ。
「僕たち親子にとってのふるさと、懐かしいあの町を見に行きましょう」
「でも、あそこにはもう、昔の面影はないでしょうに」
「そうでもありません。お母さん、きっとびっくりしますよ」
息子の言う通りだった。
広々とした駐車場の脇に建つ『おにぎりのちとせ屋』を見たとき、以前と寸分変わらないその店構えに、ちとせさんは驚きのあまり声もでなかった。
「この店は、取り壊されたはず……」
「そうですよ。僕が記憶と写真を元に再現させたんです。でも建物や設備は最新式ですから、昔よりずっと快適ですよ。お母さん、もしよかったら、またこの店でおにぎりを売ってみませんか? サポートするスタッフも雇いますから、お母さんは好きなように、無理のない範囲でやってくれたらいいんです」
「なんだか、お店屋さんごっこみたいね」
「その通りです。楽しんでください」
目的のない暮らしに飽き飽きしていたちとせさんの心に、喜びとやる気が湧いてきた。
「圭一、ほんとうにありがとう。またこの店に出会えるなんて、信じられないほど嬉しいわ」
ちとせさんの言葉に、息子は顔をほころばせて笑った。
「気に入ってもらえて良かった。本物そっくりのレプリカを作るのは、うちの会社の主力事業です。近々この通りの向こうで、僕の新しいレストラン『レプリカーレ』がオープンしますから、一緒に車で通えますね」
(──あの日のことは忘れられない。いちどに何十歳も若返ったような気がしたものよ。この頃では、クチコミを見たといって来てくださるお客様も増えて、嬉しい限りだわ)
家へと向かう車のなかで、ちとせさんは幸せをかみしめた。