かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

星月夜の撮影会(創作掌編)


 菫青館は、長年ホテル業界でキャリアを積んだ夫婦が、退職後に始めたペンションだった。料理とワインには定評があり、個性的なイベントが含まれた宿泊プランも用意されている。

 ウェブサイトによると、オーナー夫妻の趣味はカメラで、2人とも「平賀源内」のファンだそうだ。

 秋穂は、1泊2日の星月夜撮影会を予約した。

 

 初めて訪れた菫青館は、保養地にふさわしい落ち着いた雰囲気の建物だった。

 撮影会に先立って行われた星空撮影講座には、その日の宿泊客5組7名が全員参加していた。秋穂のような初心者もいれば、一眼レフカメラや広角レンズ、三脚などの機材を持参しているリピーターもいる。

 秋穂が希望した星景色の写真は、普通のカメラで撮ることはできない。

 菫青館で発明された特別なカメラを貸してもらうのだ。

 

 講座が始まるのを待つあいだ、同じ目的で来ている年配のご夫婦と言葉を交した。

「私たちの星は、末の息子なの。もう37年になるわ。生きていればちょうど40歳ね」

「想像もつかないな。あの子はずっと、小さいままだよ」

 秋穂はうなずいた。よくわかる、止まったままの時計を持ち歩いているようなものだ、肌身離さず……。

「私の星は、もうすぐ7回忌を迎える、親友です」

 友だちや仲間は何人もいた。けれど、ほんとうに心を開くことができたのは、奇跡のように出会えた、ただひとりの親友だけだった。

「まだまだ、おつらいわね」

「ええ、でも、星を見つけましたから」

 

  ペンションの女主人、Mrs.菫青館が、古めかしいカメラを手にやってきた。 

「お待たせいたしました」

 写真機と呼んだほうが似合いそうな、ごつごつとした重いカメラだ。

「こう見えて、最新式の部品を搭載しておりますのよ。必要な設定や操作などは、タブレットで行います。実際の作業は、アングルを決めてシャッターを切るだけ──、いえ、それは言葉のアヤで、プログラムのスタートボタンをフリックするだけです」

 秋穂たちは目をみはって聞き入った。

 

 町の明かりがほとんど届かない屋外は、幕を落としたような闇につつまれてる。

 それぞれに配られたライトの光をたよりに、Mr.菫青館の先導でしばらく歩き、広々とした高台に着いた。

「すごい……、まさに、降るような星空ですね」

 誰かがつぶやく。ほんとうに、この星空を見られただけでも、来たかいがある。

 参加者たちが思い思いに、撮影ポイントを探し始めた。

 

 秋穂はスマートフォンのコンパス機能を使って方角を確かめた。満天の星のなかから、すぐに目当ての星を見つける。

  Mrs.菫青館と一緒に、三脚を設置してカメラを据えた。試し撮りをしながら、細かい調整をしてもらう。シャッタースピードを遅くする長時間露光撮影なので、事前の設定が大事なのだ。

 準備が済むと、

「撮影の開始は、秋穂さんのタイミングでなさってください。あとはタイマーに任せて待つだけです」

 と言い、女主人はその場を離れた。

 

 秋穂は大きく息をついてから、撮影をスタートした。カメラのシャッターが閉じるのは25分後だ。

 静かに星空を見あげていると、宙に浮遊しているような気持ちになる。

 あのとき、ひとり夜道を歩いていて、ふと心を引かれた星──。

 まるで呼びかけるように瞬いていた。見つめるうち、もう2度と会うことのできない友の面影が浮かび、なつかしさで胸がいっぱいになった。

 秋穂のことをずっと見守っているあの星は、優しすぎるくらい優しかった親友そのものだ。季節が移り変わり、まわりの星座が動いていっても、ずっと同じ空できらめき続けている。一歩ずつ前へ進む力を、与えてくれる存在だった。

 

 けれど、星は日が昇れば消えてしまう。雲に覆われて見えない夜もある。

 そこに在るとわかっているのに、心弱く揺らぎ出すことが悲しかった。

 だからこそ、星月夜の撮影会にやってきたのだ。

 

 撮影の終了音が小さく鳴った。

 タブレットを操作して表示させた画面を、まばたきもせずに見つめる。

 夜空を横ぎっていく星の光跡は、規則正しく散りばめられた銀の針のようだ。

 同じ方向へ流れていく星々のなかで、たったひとつ動かない光の点が、秋穂に向かって燦然ときらめいていた。

 

 

 

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 ☆★☆★☆

 

この掌編は、長い間ストック・フォルダに眠っていました。

主人公が、菫青館で星の日周運動の写真を撮るというストーリーは出来ていたのですが、肝心な「何か」が欠けていました。

高岡ヨシさんの作品を拝読し、足りなかった「何か」を見つけ、完成させることができました。

ありがとうございます。

 

yoshitakaoka.hatenablog.com

 

 

エアコンから異音「ポンポン・ポコポコ」

 

今年の大型連休は、よく晴れて風の強い日が多かったように思います。

部屋でくつろいでいるとき、突然、つけていないエアコンから異音がしました。

「ポンポン」あるいは「ポコポコ」という音です。

けっこうな大きさで鳴り続いたので、休日のリラックスモードは瞬時に警戒モードへ切り替わりました。どことなく水気を含んでいる音でもあり、なおさら不穏な感じでした。

 

部屋は賃貸で、エアコンは付帯設備です。

これから暑くなる時季だというのに、もし故障ということになれば一大事。管理会社への連絡や修理立会い、料金の支払い等々が頭をよぎります。

ふと、少し前に換気扇を回し始めたことを思い出しました。

ためしに止めてみると、 異音は聞こえなくなりました。再び換気扇を回すと、また「ポンポン・ポコポコ」と鳴り出します。

因果関係はつかめたのですが、今までは、換気扇を回してもエアコンからこんな音はしなかったわけで、やっぱり故障なのか……。

 

「エアコン 換気扇 ポンポン」でネット検索してみたら、思った以上にいろいろ見つかりました。いちばん参考になったのがこちらです。

n-faq.daikincc.com

 

原因と対策がわかりやすく説明されていました。 

気密性の高い部屋で換気扇を使用すると、エアコンのドレンホース(エアコンから出る排水を室外へ出すためのホース)から屋外の空気が入り、室内機で発生した結露水がスムーズに流れず、ポコポコと音がすることがある。
また、強い風がドレンホースの先から逆流し、音が発生することもある。

 

なるほど、いくつかの条件が重なって、異音が発生したようです。

対策としては、

・ 部屋の換気口を開ける
・ 少し窓を開ける
・ 換気扇を止める 
・ ドレンホースの先端の向きを変える

 

それでも改善しない場合は、

・「ドレンホース用逆止弁」を取り付ける

これはエアコンの販売店に依頼しなければならないようです。

逆止弁は「おとめちゃん」(音を止める、の語呂合わせネーミングらしい)という名称で、市販もされているようですが、取り付けるにはドレンホースを切ったりしなければならず、DIYに慣れていないと難しい感じでした。

 

わが家のドレンホースの先端を見にいくと、ベランダの床すれすれのところで斜めにカットされていました。床に這わせてあるわけではなく、「向きを変える」のは無理そうです。

また、夜に入浴したあと換気扇を朝まで回しているので、その間、窓を開けっ放しというわけにもいきません。

 

頼みの綱は、部屋の換気口。

入居したのは冬で、最初に開閉をチェックしてからは、ずっと閉めっぱなしでした。

つまみを回して換気口を全開にし、あらためて換気扇を回してみると、エアコンから異音は発生しなかったので、ひと安心です。

部屋の換気口からは、勢いよく空気が流れこんできています。冬になったら寒そうですが、それはそのとき考えるとして、気になるのは「虫の侵入」のほうでした。 

虫が苦手なものですから、換気口の屋外側に網が張ってあるくらいでは、気が休まりません。

 

けれど、ちゃんと最適な商品がありました。 

東洋アルミ パッと貼るだけ 通気口用ホコリとりフィルター 室内 3491

東洋アルミ パッと貼るだけ 通気口用ホコリとりフィルター 室内 3491

 

 さっそく入手しました。

換気口のサイズに合わせ、手で切り離せるミシン目入りです。真ん中のつまみの部分をくりぬくこともでき、あとは透明な剥離紙をはがして貼りつけるだけ。

ほんとうに良くできた製品です。

 

2週間ほど経ちました。

何気なく見ると、貼ったときは白かったフィルターの色が、かなり変わってきています。

 

 f:id:toikimi:20180523094858j:plain

 

都会の空気はよごれているのですね。

説明書きには、「とりかえてネ」や「ハートマーク」がはっきり浮き出てきたら取り替え時です、とありました。

まだそこまではいっていないようですが、その時が来るのを、ちょっと楽しみに待っています。はがしてみたら、どれほどの状態になっているのか──。

好奇心というより、収穫への期待感といった気分です。

 

 

 

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ゲシュタルト療法「蛇口のワーク」

 

2ヶ月ほど前「蛇口をさがしてみよう」という記事で、統御感(物事を自分でコントロールできるという感覚)について書きました。

 

一般に、ポジティブ・シンキングとは、コップに半分入った水を見て「もう半分しかない」と考えるのではなく、「まだ半分もある」と考えることだといわれている。

しかし、統御感の高い人たちは、人生の舵は自分が握っているという強い意志を持っているので、コップの水を見て、

「蛇口はどこですか?」と質問する。

──というような内容でした。

 

すると、はてブ・フレンドの、なまケモノさんが、

flightsloth.hatenablog.com

 
という、すごくおもしろい記事のなかで、この蛇口の件に触れ、冒頭で「イラストは抜きでいきます」と表明されながら、すばらしい絵をさらりと(2枚も)お描きになりました。絵心と遊び心──、うらやましいなぁ。

そのうちの1枚がこちらです。

f:id:toikimi:20180322101838j:plain

 

見れば見るほど心引かれるイラストなので、いつかテーマとして記事を書ければと思っていたのですが、ここにきてようやく思いつきが実現し、この絵でゲシュタルト療法のワークをすることができました。 

ゲシュタルト療法とは「今‐ここ」に意識を向ける気づきの心理療法です)

 

半年ぶりのワークショップでした。

ファシリテーターは、長老的存在の「しげさん」です。 

まずプリントした絵を見せて、それまでの経緯を説明しました。

「この絵には、いろいろなものが描かれていますが、今、特に気になっているのはどれですか?」

と聞かれ、私は答えました。

「しずく、です」

 

蛇口の先から、ぽとりぽとりと落ちている水滴を見ていると、落ち着かない気分になるのです。

その瞬間にしか現れない、とらえどころのなさ。

思い浮かんだのは、このブログに載せている掌編のことでした。

過去に書きためたものを、いわば再創作しているのですが、ストックは残り半分どころか、そろそろ底をついてきます。

使い切ってしまったあと、ペースを落としても創作は続けていきたいのですが、新作のアイデアが湧いてくるかどうか心配でした。

出てくるかどうかわからないアイデアのイメージが、しずくと重なったのです。

「1滴1滴がとても大切。それなのに、量が少なくて足りるかどうか不安」

という気持ちでした。

 

しげさんの提案により試みたのは、ゲシュタルト療法のエンプティチェアという技法で、「しずく」の座布団を置いて対話をするワークです。

ワークショップの会場は20畳ほどの座敷なので、椅子の代わりに座布団を使います。

自分の座布団から「しずく」の座布団へ移り、「しずく」になってみました。

 

「私はただ現れて落ちるだけ。量が少ないとか大切だとかは、あなた(toikimi)の問題であって、私には何の関係もない」

という言葉が出てきました。

 

「しずく」との対話は平行線のままなので、自分の座布団に戻った私は、今いちど、絵に注意を向けました。

当初は、自然に地面から生えたような印象を持っていた蛇口ですが、ワークが進むにつれ変化してきました。

蛇口は、ハンドルをひねればいつでも、必要な量の水が出るように、私自身が設置したものだと感じたのです。ただし、実際に水が出るかどうかは、まだわかりません。

鳥のことも気になりました。何かを見張っているようにも見えます。

そこで、「鳥」の座布団を置いて座ってみると、言葉に詰まりながら、

「私は、水を飲みに来ただけ……」

と言ったところで──、

ホワイトアウトが起こったように、頭のなかが真っ白になりました。

 

もう何も出てきません。

しばらく固まっていると、

「今、何が起きていますか?」

しげさんが聞きました。

ゲシュタルト療法の基本的な問いかけのひとつです。

「頭のなかが空っぽになりました」

と現状報告して、私はがっくりとうなだれました。

「はぁ……」

思わず、大きなため息が出ます。

「疲れました。いろいろがんばってきたけれど、もう疲れました」

言いながら、前に傾いていく上半身を、両ひざに手を置いて支えました。

 

「姿勢が変わってきていることに気づいていますか? そのまま自分のとりたい姿勢をとっていいんですよ」

と言われ、ごろっと倒れてしまおうかとも思ったのですが、そうせずに、うつむいたまま両手のひらを見つめました。

「手が痛いのです」

 

1年近く前になりますが、両手の親指に腱鞘炎が発症し、日常的な動作(蛇口のハンドルをひねる、ボタンをとめるなど)に支障をきたすほどの痛みがありながら、治療を先延ばしにして悪化させてしまいました。

結局、数か月後に治療を受け、ステロイド注射で症状は治まったのですが、右手の親指は第1関節で軽く曲がったままです。

その腱鞘炎が再発したのです。

今度は左手だけで、気がつくと右手以上の関節拘縮が生じていました。すぐに前回と同じクリニックへ行き治療を受けたのが、ワークショップの2日前です。

 

手のひらを見ているうちに、さまざまな思いがあふれてきました。

こんなふうになって残念だ、申し訳ない、悲しい、という気持ち。

器用でも頑丈でもない自分の手が、ここまで働いてきたことへの労いと感謝。 

言葉に出していくうち、どうしようもなく泣けてきました。

 

「今度は手になって、toikimiさんに話しかけてください」

そうそう、ゲシュタルトのワーク中だったと思い出し、「手」になってみました。

「手」は、なんだかとてもさっぱりしていて、別に怒っても恨んでもいないし、先行きを心配してもいないようです。

「今までもこれからも、ずっと一緒だから」

という言葉が出てきたのが、印象的でした。

 

さいごにまた、自分の座布団に戻り、絵を眺めたとき、

「あっ」と声が出ました。

蛇口の下に置かれたコップを指さして、

「これは、私の両手です。いちばん大切なのは、しずくを受け留めようとしている、この両手なのです」

と言い、その瞬間、とてもあたたかい気持ちになりました。

自分の身体と「一心同体」というくらいに強い結びつきを覚えると、安心します。

そのあたたかさを充分に感じきって、ワークは終了しました。

 

ワークのあとの雑談タイムで、しげさんからセルフワークをひとつ教わりました。

入浴中、湯船につかってリラックスしているとき、自分の身体の一部と対話するというワークです。

しげさんご自身も時折、

「今日はよく歩いたから、ずいぶん疲れたろう」

と足に話しかけ、

「こき使いやがって、少しは加減しろよ」

と、文句を言われたりするそうです。

 

私も「食べすぎちゃってゴメンね」と胃にあやまることはありますが、「胃」になって対話するという発想はなかったので、今度やってみようと思います。

 

なまケモノさんのおかげで有意義なワークをすることができました。

ありがとうございます。

 

 

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小鬼と話す方法(創作掌編)


 ※ ひとつ前の掌編『新しい家~New Home~』の続きになります。 


  バルコニーというものは、家の内と外を分ける境界のひとつだ。小鬼が住むのにちょうどいい場なのかもしれないと、紀久代は思った。

 

 朝、窓を開け、さり気なく姿を見せてくれる小鬼に、

「おはよう」

 と、声をかける。

 季節は初夏から夏へ向かい、雨と明るい晴天が繰り返されている。野原はあふれんばかりの生命力を誇っていた。

 仕事に出るときは、「いってきます」。

 帰ってきたら、「ただいま」。

 小鬼が引っ越してきてから、なんとなく毎日が楽しい。

 

 半世紀近い昔の記憶をさぐり、小鬼についてあれこれ聞いた話を思い起こしてみる。

 子供の頃、かわいがってくれた近所のおばあさんは、昔話をたくさん知っていたし、その土地で起きた不思議な出来事にも精通していた。

「小鬼は人間のことばをしゃべらない。けれど、小鬼と話す方法はある」

 と、紀久代に教えてくれたのだ。

 

 その1、小鬼に話しかけるときは、横向きになり横顔を見せて話す。

 その2、いちどに多く話さず、答えが返ってこなくても気にせず、のんびりと続ける。

 その3、小鬼のことばを聞くときは、体の向きを変えて、「背中で聞く」こと。

「せなかで聞くって?」

「そうだねぇ、後ろにいる小鬼のことを気に掛けながら、静かに耳を澄ませるんだよ。だからといって、声が耳に聞こえるというものでもないが……」

 説明するのがむずかしそうだった。

 おばあさんには仲好しの小鬼がいて、随分おもしろい話を聞かせてくれたらしい。

「紀久代ちゃん、小鬼に名前を尋ねてはいけないよ。名前を教えてくれるのは、お別れする時だけなんだ」

 と、少し寂しそうに言った。

 

 長いあいだ埋もれていた知識を実践するに当たり、紀久代はホームセンターでガーデニング用の椅子を買ってきた。車輪がついていて、移動したり向きを変えたりしやすく、花壇のそばで座ってみると、ほどよい高さだった。

「おはよう、あなたが来てくれて、私はうれしいわ」

 照れながらの第一声が、棒読みのようになって苦笑する。

 小鬼は目も耳も鋭敏だそうだから、ささやくように話しかけた。どちらにしても、集合住宅のバルコニーで大きな声は出したくない。

 話し終えた後、椅子を回して花壇に背を向け、しばらくじっと待ってみたけれど、何も起こらなかった。

(でも、これでいい)

 と、思った。

 

 毎日あいさつし、週に1、2回は座って語りかけることで、生活にリズムが生まれた。

 おもしろい事があると、小鬼に聞かせたくなる。返事のほうは、背中にあたる日差しのぬくもりを楽しむくらいの気楽さで待った。

「あなたが住んでいた空き地ね、あの面積で建売の住宅が4軒も建ったのよ。基礎工事の土台を見たときは、それぞれの敷地をパズルみたいに組み合わせていてびっくりしたけれど、建ってしまえば普通のお家だったわ」

 と、報告したり、

「エレベーターでとなりの部屋の人と一緒になったの。そしたらね、前に住んでた方はバルコニーに時々カラスが来るので怖がっていたけれど、今はもう大丈夫みたいでよかったですね、と言われたわ。あなたのおかげよね、ありがとう」

 小鬼効果に感謝したりした。

 

 ときには、誰にも言えなかった愚痴をこぼしてしまう。

「私と創太に、老後の面倒をかけたくないと考えて、両親は介護付きのマンションへ引っ越したの。もちろん、すごくありがたいことなんだけれど、そのために家を売ってしまったのが、ほんとうは悲しかった。帰る場所がなくなってしまったみたいで。あの、なつかしい小さな家は、もうこの世から消えてしまって……」

 途中で、言葉を飲みこむ。 

 小鬼が空き地の野原を転々として、ここまでやってきたことを思い出したのだ。感傷にひたっていたことを、少し恥ずかしく思い、紀久代はうなだれた。

 

 ふと、胸の奥で、水底から泡が立ちのぼるような感覚があった。

 いくつもの小さな泡は水面に届き、はじけて短いことばになる。

 

  生きること

  は

  変わり

  続けること

 

 思わず振り返ると、小鬼が飄々としたまなざしで、紀久代を見つめていた。

 

  

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新しい家~New Home~(創作掌編)

 

 紀久代が引っ越してきたマンションの部屋には、ルーフバルコニーが付いていた。

 とはいっても、その名から連想される高級なものではなく、建築基準法斜線規制によって、建物の造りが途中から階段状なった結果、中途半端に広いバルコニーが出来てしまった、ということなのだ。

 

 賃貸契約の仲介をしてくれた不動産屋さんは、

ガーデニングや家庭菜園ができる花壇付きなんです。コンセプトマンションの走りだった物件ですよ」

 と、目を輝かせたけれど、居住者は単身の勤め人が多く、せっかくのコンセプトも宝の持ち腐れになっているようだ。タタミ1畳ほどもある花壇の土は乾いてひび割れ、前の住人がガーデニングを楽しんだ形跡はなかった。

 

  50歳を過ぎて想定外のひとり暮らし、右往左往して日々を過ごしているうちに、いつの間にか花壇には、どこからともなくやってきて根付いた野草が数種類、寄せ植えしたように生えていた。

 同じ階の人たちの大半が、花壇に覆いをかけ、上にできたスペースを活用していると知ったのは、後になってからのことだ。

 バルコニーに出現した小さな野原──。

 放置するわけにはいかないと思いながら、平日はカウンセラーとして契約している会社や法人に通い、週末には高齢の両親と、ひとり息子の創太のアパートを交互に訪ねて世話をやいているので、なかなか手がつけられずにいた。

 

 半年ほど経ち、ようやく新しい暮らしに慣れてきた頃、まずは創太、続いて両親から、

「そんなにしょっちゅう来てくれなくても大丈夫だから、もっと自分の生活を楽しんで」

 というようなことを言われた。嬉しくも寂しい、お役御免だ。

 

 突然あたえられた自由時間を持て余した紀久代は、しかたなく町を散策し始めた。

 アクセスの良さだけを理由に選んだ場所でも、歩きまわっているうちに、少しずつ愛着がわいてくる。

 おもしろい小売店や感じのいいカフェも見つけたけれど、いちばん心引かれたのは、建て込んだ町なかに存在する、ささやかな野原だった。

 周りを家に囲まれた更地、何かの建設予定地、手入れがされなくなって久しい庭など、町の片隅で放任されたスペース──。

 ちょっとした空き地に自生する草花の生命力には、目をみはる思いがした。発見するたび、散歩コースに組み入れた。

 紀久代のお気に入りは、自宅にほど近い空き地だった。ご近所のせいか、バルコニーの野原と植生が似かよっていて親しみを感じる。

 

 そしてなによりも、そこで小鬼の姿を見かけたのが、決め手になった。

 

 手のひらに収まりそうな小鬼は、夕焼けの色をした赤鬼だった。あっという間に姿を隠してしまったけれど、乳白のオパールを思わせる短い角が1本あることも見てとれた。


 紀久代が生まれ、小学生の頃まで住んでいた土地では、小鬼は珍しくはあっても身近な存在だった。当時はどの家でも、親戚のなかに1人や2人は、見たことがあるという者がいた。

 紀久代自身も、学校の帰り道で小鬼とすれちがったとき、びっくりするのと同じくらい嬉しかったことを思い出す。嬉々として、そういう不思議にくわしい年寄りのところへ報告しに行ったものだ。

 

(あの時とくらべると、ずいぶん小さく見えるのは、私がおとなになったせいかしら。それとも場所柄かしら? 都会では小鬼も生きにくいでしょうね)

 散歩の途中で通りかかるとき、空き地に出来た野原と、そこに住んでいるなつかしい生き物に思いをはせた。

 

 けれど、町なかの野原は、たいてい期限付きだ。

 先週までは草が生い茂っていた場所が、次の週末には跡形もなく整地されている光景を何度か見た。

 そしてとうとう、特別に思っている空き地にも「建築予定」の看板が立ってしまったのだ。
 胸がふさがるような気持ちのまま家に帰った。夕飯の支度も忘れて考えに沈むうち、窓の外が暗くなっていく。はっとして時計を見ると、8時近い時刻になっていた。

 

 紀久代は意を決して、その夜ふたたび、あの空き地へ向かった。

 人通りが絶えた道で、建築予定の看板の正面に立つ。

「赤鬼さん」

 ささやくような低い声で語りかける。

「私は、すぐそこに建っているマンションの801号室に住んでいる者です。もうご存知かもしれませんが、この野原は近いうちになくなってしまいます。それで、もし、まだ行く先が決まっていないようでしたら、私のところへいらっしゃいませんか。うちのバルコニーには、こことよく似た場所があります。狭苦しい野原ですが、よろしかったら住んでみてください」

 一気に言うと、逃げるように立ち去った。こんなに真剣になったのは久しぶりのことだ。

 

 紀久代の思いが通じたのか、翌朝になると、小鬼はバルコニーの野原に引っ越してきていた。

 

 

 

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今こそ『時の娘』

 

スコットランド出身の推理作家ジョセフィン・テイの歴史ミステリ『時の娘』(1951年発表)は、時を超えて永く読まれ続ける名作中の名作です。

国史の予備知識がなくても、物語として、知的エンタテインメントとして、心から楽しめる1冊。

 

時の娘 (ハヤカワ・ミステリ文庫 51-1)

時の娘 (ハヤカワ・ミステリ文庫 51-1)

 

 

英国の薔薇戦争の昔、王位を奪うため、いたいけな王子を殺害した悪虐非道の王、リチャード三世。

捜査中不慮の事故に会い、退屈な入院生活を送るグラント警部は、ふと一幅の肖像画を手にした。思慮深い双眸。誰か判らないが、犯罪者の顔つきではない。

だが、これがあの悪人リチャード王のものだと知った警部に疑問がめばえた。

彼は本当に伝説どおりの悪の権化だったのか?

王の隠された素顔に興味をもった警部は、かくして純粋に文献のみから歴史の真相を推理する。

安楽椅子探偵ならぬベッド探偵登場!

探偵小説史上に燦然と輝く歴史ミステリ不朽の名作。 

 ~文庫本カバーに掲載された紹介文~

 

出合ったのはずいぶん昔ですが、何度も読み返している本です。

フェイクニュースという言葉を見たり聞いたりすると、この本を思い出します。

テーマとして、偽史(pseudohistory:意図的に偽造され流布された結果、信じられるようになった偽りの歴史)を扱っているからです。

 

『時の娘』の探偵役グラント警部は、一般的に信じられている「歴史」よりも、自身の違和感や疑問を大切にしました。情報を集めて取捨選択しながら推理し、自分で判断して答えを出したのです。

 

★☆これ以降の文章には、多少ネタバレ的な内容が含まれています。『時の娘』を先入観なく楽しまれたい方は、この先に進まないことをお勧めします☆★

 

 

 

 

 

スコットランドヤード(ロンドン警視庁)のアラン・グラント警部は、もともと「人の顔」に興味がありました。

「警察の仕事につくずっと以前には、人々の顔を眺めるのは彼にとっては楽しいことだったし、そののち、警視庁に入ってからは、その趣味は個人的な楽しみと同時に職業的な利点にもなってくれたのだった」

「人間の顔を何かのカテゴリーに分類するのことは不可能だったが、個々の顔を性格づけることは可能だった」

というように、顔を見て直観的に人格を読み取る、慧眼の持ち主だったのです。

 

犯人追跡中に片脚と背骨を痛めて入院し、ベッドから動けずにいたグラント警部は、 見舞客が退屈をまぎらわすために持ってきてくれた歴史上人物の肖像画の束から、たまたまそれとは知らずに、リチャード3世の肖像画を手にします。

 

 f:id:toikimi:20180507155911p:plain

『時の娘』の表紙にもなっている肖像画です。

 

グラント警部は、描かれた男性の非常に個性的な、人の心を惹きつける眼の表情に、強い印象を受けました。

「この男は裁判官か? 軍人か? 王子か? 誰か、非常な責任ある地位にあり、その権威の責務を一身に負っていた人物だ。あまりに良心的すぎた人物だ」

 

ところが、シェイクスピアの戯曲にも描かれたリチャード3世は、生まれつき背骨が曲がっていて醜悪な容貌を持ち、兄のエドワード4世が病死した後、狡猾な策略で王位を簒奪して、自分の甥である2人の幼い王子をロンドン塔に幽閉し殺害したとされる、イギリス史上稀代の悪王です。

納得がいかないグラント警部は、病室担当のナースから歴史の教科書を借りたり、見舞いにきた部下に歴史書の入手を頼んだりして、独自の「調査」を始めました。

 

そして、同時代の法律家サー・トマス・モアの権威ある歴史書『リチャード三世史』を読み、週刊誌記者の書いたゴシップ記事のような記述に不快感を覚えます。

リチャードがボズワースで戦死したとき、モアはたった8歳だったことを知り、憤然とするグラント警部。

「この歴史書に書かれていることは、すべて伝聞でしかないのだ。そして、もし、刑事が何より忌むものがあるとすれば、それは伝聞である。とくに、伝聞証拠となるとなお悪い」

推理小説ファンとしては、思わずにやりとしてしまう箇所でした。

 

ベッドから離れられないグラント警部のために、友人が強力な助っ人を引き合わせてくれました。大英博物館で歴史の研究をしている青年、ブレント・キャラダインです。

最良の調査員を得たグラント警部は、信用の置けない伝聞証拠より、関係者たちが実際にとった行動のほうを重視して、史料を調べるよう指示します。

「行為こそ言葉にもまして多くを語る」という考えの信奉者だったのです。

様々な文献や書簡を読みこむうち、グラント警部はリチャードに対して敬愛の念を抱くようになりました。

「彼はおそらく、歴史上でも最高の、明るい治世を築いたろうに」

といって、悲運の死を惜しみます。

 

 グラント警部とキャラダイン青年は、「誰が得をするのか」という犯罪捜査の定石で推理を重ねた結果、真犯人について確信を得るのです。

 

 

本の中でも触れられていますが、17世紀から18世紀にかけて、リチャード3世擁護論が興りました。リチャードの汚名を雪いで名誉回復を目指す歴史家と歴史愛好家たちの活動は現在まで続いています。

「リカーディアン」 (Ricardian )と呼ばれる人々です。

リカーディアンの働きかけで、リチャード3世の遺骨を探すための発掘プロジェクトがスタートし、ついに2012年、遺骨がイングランド中部レスターで発見されました。

 

530年の眠りから覚めた リチャード3世【Richard 3】 - Onlineジャーニー

 

 DNA鑑定の結果、本人のものと断定された遺骨には、頭部に8ヶ所以上の戦傷があり、壮絶な最期をうかがわせるものでした。強い脊椎側彎症も確認されています。

専門家によって、顔も復元されました。

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 発見された遺骨は、レスター大聖堂に再埋葬されました。

数万の人々が、市内を進む葬列を見守り、ヨーク家の象徴である白薔薇を捧げました。埋葬の式典では、エリザベス女王からの直筆メッセージが読みあげられたといいます。

 

本のタイトルである『時の娘』(The Daughter of Time )は、古いことわざ「真理(真実)は時の娘」から取られています。

その意味は──、

 本当のことは時が経つにつれ、明らかになるものである

 

 

あたたかな手(創作掌編)

 

 朝、バス停まで歩く道の途中で、紗里は風変わりな洗濯物に気づいた。

 2階のベランダに並んでいるのは、大きさといい形といい、料理用のミトンそっくりに見える。けれど、キッチングッズとして売っているようなカラフルなものではなく、色がすべてベージュ系だった。

 淡いピンクベージュから、茶色に近いものまで、グラデーションを作るように干してある。

(奇妙なテルテル坊主、なにかのおまじないかな?)

 風に吹かれて揺れているようすが可笑しくて、見上げながら歩をゆるめた。

 

 ちょうどその時、いちばん端に干してあったミトンが、風にあおられてふわりと舞いあがり、紗里の目の前に落ちてきた。

 あわてて両手で受けとめる。

 まぢかで見ると、濃いベージュ色をしたミトンには、指の境い目や爪の形が刺繍で描かれている。リアルというよりはデフォルメされたデザインが、なんともユーモラスだ。

 手首のところにボタンで閉じられるフラップが付いているから、料理に使うミトンではない。

(なんだろう、これ?)

 会社に遅刻してしまいそうだとは思ったけれど、このまま持って行くわけにはいかないし、だからといって、道ばたに置き去りにもできない。

 

 ミトンが干してある家は2階家で、1階と2階の入り口が別々になっている。

 取りあえず持ち主に返さなければと思い、紗里は外階段を上っていった。

 ドアにはプレートが掛かっていて、

  アトリエ 容(YO-U) ~柳沢 容子~

 と、飾り文字で記されていた。

 

 インターフォンのボタンを押すと、おだやかな声で応答があったので、落ちてきたミトンを拾ったことを伝える。

 少し間があってからドアが開き、銀髪の女性が現れた。

「出るのが遅くなってごめんなさい。ひざが痛くて、さっと動けないのよね」

 と言いながら、表情は明るくかがやいている。紗里はひと目で親しみを覚えた。

 

 ミトンを渡した後、思わず問いかける。

「ここで創っていらっしゃるんですか?」

「ええ、ここは私が半分趣味で始めた工房なのだけれど、このミトンのおかげで、すっかりいそがしくなってしまったの」

「料理用のミトンではないですよね?」

「これ、ミトン型のカイロケースなの。すべてオーダーメードで作っているのよ」

 紗里が目をみはると、容子さんは微笑みながら、アトリエの中を見せてくれた。

 

 大きな窓から光が差し込んでいる部屋には、型紙や布、ミシン、裁縫道具があり、広々とした作業台の上に立てかけられた「手」のイラストが目を引いた。

「すべすべとしたシルク混の布は若い女性の手、働き者のお母さんなら麻かしら。年齢を刻んだ手の肌理を表すには、縮緬や厚味のある帆布ね。そして、色やサイズ、デザインの見本の中から、いちばんイメージに近いものを組みあわせて、お客さまに選んでいただくの」

「このミトンは、実際のだれかの手をイメージして作られているんですか?」

 紗里は好奇心に駆られてたずねた。

「ええ、指の長さや、爪の形など、その方にだけわかる大切な個性や特徴を付け加えてね。そうして、この世でたったひとつのミトンが出来あがるというわけ」

 説明する容子さんの声は楽しそうで、紗里も自然と笑顔になった。

 

 カイロを入れたミトンはあたたかく、身体に当てれば、その痛みやこわばりをやわらげてくれるのだろう。

 幼いころ、「おなかがいたい」と訴えると、やさしく包むように手を当ててくれた母を思いだす。

 容子さんは、作業台に置かれたミトンを指し示して、

「ふつうのサイズの手より、かなり大きめでしょう。きっと、幼い頃の思い出のなかでは、これが『実物大』なのね」

 と、言った。

「たしかに、そうですよね」

「そうそう、もっと大きな、野球のグローブみたいなのを作ったこともあるのよ。昔、かわいがってくれた、職人のお祖父さまの手で、その方にとっての『実物大』ね。ずっしりとしたそのミトンを頭の上にのせると、子供時代に帰ったようでなつかしく、心が落ち着くと、知らせてくださったわ。作り手冥利につきるわねぇ」

 

 聞いているうちに紗里自身も、なつかしい手のあたたかさが思い出され、身体ごと容子さんに向き直った。

「私にもミトンを作ってくださいますか?」

 いきおい込んでお願いすると、

「もちろんですよ」

 にっこりとうなずいて、引き受けてくれた。

 

 

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