寝入りばな、美里はカラスの声で目をさました。
近くにある公園には木が生い茂っていて、カラスが巣を作っている。朝晩、呼び交わすように鳴く声は、普段から聞きなれていた。
(こんな夜遅くにめずらしい。カラスって鳥目じゃないの?)
不思議に思って耳をすます。
自分ではよく覚えていないけれど、美里は幼いころ、カラスのことばを聞きわけていたそうだ。
「あれは、オハヨウ、いまのは、サヨウナラ」
などと、得意そうに通訳していたらしい。そのうち、母が美里の音感のよさに気づき、ピアノを習わせた。
20数年たって、音楽教室のピアノ教師をしているわけだから、好きな音楽を仕事にできたのは、カラスのおかげといえなくもない。
子どもから大人になっていくあいだのどこかで、カラス語を忘れてしまった美里だけれど、今夜のように、鳴き声にじっと耳をかたむけていると、
(なんだか会議でもしているみたい。みんなで真剣に議論してる)
そんな気がしてくる。
だとしたら、いったい何を話し合っているのだろうと、あれこれ想像しているうちに、いつのまにか眠ってしまった。
あくる朝、起きたばかりの美里は、また、カラスの声を聞いた。
昨夜と違い、声をそろえて鳴いている。
――カラス、カラス、カラス!
はっきり、そう聞こえる。
――カラフル、カラフル、カラフル!
と、鳴いている一団もある。
ふたつのパートに分かれたカラスたちが、掛け合いのコーラスでもしているみたいに、「カラス」と「カラフル」を交互に繰り返している。
ひとしきり続いた鳴き声がやむと、歌のリフレインのような響きが耳に残った。出かけるしたくをしているあいだも、しばらく消えなかった。
音楽教室の仕事のあと、美里は近所のデイサービス・ミモザに寄った。
ミモザは、お年寄りにいろいろなサービスとレクリエーションを提供する地域の施設で、来月行われる「いきいきミモザ・フェスタ」というイベントの打ち合わせに呼ばれていたのだ。
ときどきピアノ伴奏のボランティアをしている美里は、スタッフの一員に数えられている。フェスタ恒例のミニコンサートで、童謡や唱歌、なつかしの歌謡曲のなかから、どれを選ぶのか意見を求められた。
「今年は、あらかじめ利用者さんたちにリクエストしていただき、その中から人気のある曲を選んだらどうでしょうか」
と提案すると、チーフ介護士の梅乃さんがすぐに賛成してくれた。
次の議題は、バザーで販売する手のひらサイズのぬいぐるみについて。
ミモザのスタッフや利用者さんでつくっている手芸チームの腕前は確かで、手作りぬいぐるみの模擬店はフェスタの人気企画だ。
「去年は、野菜のぬいぐるみが大好評だったけれど、今年はどうしようか……」
みんな首をひねって考えている。
美里は、ふと今朝のリフレインを思い出し、遠慮がちに手をあげた。
「鳥はどうでしょう。たとえば、色とりどりの、カラフルなカラスとか?」
すると、意外にも同意してくれる人が多かった。
「おもしろいわね」
「まるっこい形にしたら、きっとかわいいわよ」
「じゃ、今年はカラスでいきましょうか。賛成の人は?」
あっさり決定してしまった。
「いきいきミモザ・フェスタ」はお天気にも恵まれて大盛況だった。
カラフルなカラスのぬいぐるみも、飛ぶように売れた。
ミニコンサートでは、さいごに伴奏した「ふるさと」が、会場にいた人たち全員の大合唱になった。拍手がおさまらず、アンコールまでやった。アンコールのリクエストが集まったのは、
――カラス なぜなくの
で始まる「ななつのこ」だ。
フェスタのお客さんが帰っていったあと、残ったスタッフで片付けをした。心地よい疲れと、無事に済んだ安堵感で、なごやな雰囲気だった。
突然、そばにいた梅乃さんが声をたてて笑いだした。
「町会長さんの、あの困りきった顔を思い出したら、なんだかおかしくって――」
「え、町会長さんですか?」
美里は聞き返した。たしかに、町会長さんは見かけた。威厳のある、押し出しがいい人で、3人のお孫さんたちにかこまれてにこやかにしていた。
「そうよ。あの方、ついこのあいだ町会の集まりで、町からカラスを一掃するって、いきまいていたのよ」
梅乃さんの言葉に、
「カラスですって?」
「それはまた、どうして」
みんな、口々に言いながら集まってくる。
「ちょっと前に、カラスが電車にぶつかって止めたというのが、ニュースになったでしょう。そのとき、カラス特集みたいなのがあって、小さな子どもを襲うこともあると放送されたらしいのよ」
「その番組、私も見たような気がするわ」
「町会長さん、それで急にお孫さんのことが心配になったのね。専門の業者に頼んで、カラスを退治しようと言いだしたの」
梅乃さんは肩をすくめた。
「うちの町内は、それほどカラスが多いわけではないし、過激なことをしなくても、エサになる生ゴミの管理とか地道な対策をとった方がいいと、私は言ったのよ。でも、すっかり前のめりになって、聞く耳持たない感じだった。それが、今日――」
また、思い出し笑いがこぼれる。
まわりに集まった人たちのなかにも、「わかった」というようにうなずく人がいた。
「そういえば、町会長のお孫さん、カラスのぬいぐるみを何色も買ってくれたわ」
「楽しそうに『ななつのこ』も歌っていたわねー」
どうやら、かわいい孫たちがカラスに親しみをもったため、町会長さんの気持ちもゆらいだらしい。
帰りぎわ、梅乃さんにこっそり、
「急がば回れ、ということもある。あなたのおっしゃった地道なやり方のほうが、効果的かもしれませんな」
と、耳打ちしたのだという。
みんなで笑い合って、ふっと静かになった瞬間、窓の外からカラスの鳴き声が聞こえてきた。
「あら、カラスもよろこんでいるわ」
「きっと『ありがとう』って鳴いてるんじゃない?」
梅乃さんがおどけて言った。
美里は耳をすませた。
たしかにカラスたちは、ひとつのことばを繰り返している。けれど、「ありがとう」という意味ではないようだ。
カラス語を知っていた幼いころの記憶をさぐっているうち、ぱっとひらめくようにわかった。
思わず苦笑いがうかぶ。
この鳴き声を人間の言葉に直せば、おそらく、こんな感じだ。
してやったり!