かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

はくろく踊り~ハヤさんの昔語り#2-16~

 

 用事があって土曜日のオフィス街へ行った。

 交通量は多いが人影は少ないので、歩道が広く感じる。

 途中で大通りから一本入って歩いているとき、ふと横道に目をやると、そこでは思いがけない光景が繰り広げられていた。

 

「車両通行止」の立て看板で仕切られ、道は一時的な広場となっている。夏空に翻る万国旗のもと、路上に敷かれたブルーシートでは、大宴会の真っ最中だったのだ。

 さらに、宴会場のわきには、カラフルなミニマスコットを浮かべたビニールプールが据えられており、子供たちが歓声をあげながら「おもちゃすくい」をしていた。はだしで走りまわっている子もひとりやふたりではない。

 

(これは、お祭り……?)

 私の疑問に答えるように、町会の名前をしるした大きなのぼり旗がひらめいた。

 たしかにこの辺りは、高層オフィスビルの裏に、物干し台がある二階家や、レトロなおもむきのマンションが建っているという町並みだ。人が住んで家庭を営み、町内会があって、手作り感あふれる夏祭りを開催しているのだろう。

 盆踊りのやぐらや縁日の屋台がなくても、十分すぎるほどの非日常空間で、参加している人たちは、心底楽しんでいるようだった。

 

 用事を済ませて家へ帰り、ハヤさんに話すと、おもしろそうに耳を傾けてくれた。

 ハヤさんは、現世では珈琲店の店主だが、江戸から明治にかけて「寸一」という行者だった前世の記憶を持つ人物である。

「寸一の頃のお祭りは、どんな風だったのかな」

 水を向けてみたところ、何か思い出したらしく、口元に笑みが浮かんだ。

 

   ▽ ▼ △ ▼ ▽

 

 寸一が修行の旅に出ていた折のこと、山中で心引かれる石に出会った。

 白く大きな石で、木の下陰にぼうと浮かび上がる姿は、内側から淡い光を放っているように見える。

 向かい合って坐り、息を整えて静かに見つめていると、やがて石は寸一に語り掛けてきた。

 今は石であるが、昔は鹿であったと──。

 

 鹿として生まれ、仲間と共に暮らしていたが、仲間が老いて死に、仲間の子らが死んだ後も、長く生き続けた。いつしか、身は白く輝いて白鹿(はくろく)となり、霊力を得た為、群れを離れて山に棲むことにしたという。

 物語るうち、石は次第に白鹿の姿を取り戻し、明るい目で寸一に名乗った。

「私の名は七助」

 名付けたのは、お竹という娘だった。一人で山に遊ぶのが好きな賢い娘で、出会ったその日から、互いにかけがえのない友となったのだ。

「いつの頃であったか、お竹の村に災厄が降りかかったことがある。私は知らせに来たお竹を背に乗せ、山を下ると村中を駆け回って災いを払ったものだ。お竹は紅い衣を頭から被って顔を隠していたが、まことに勇ましく誇り高い姿であった」

 七助はなつかし気に目を細めた。

 お竹と七助のつながりは途切れることなく続き、お竹がこの世を去ってからは、七助も石となり深い眠りについたのだった。

 

 二、三日のち、寸一が里へ下りると、村は祭りのさなかであった。

 祭りには、はくろく踊りというものがあり、白い鹿頭の面をつけた七人の舞い手が、列をなして村中を踊り歩く。剣を持った童子が共に踊っているが、その中でひときわ目を引いたのは、ただ一人紅い小袖を着た女童の姿であった。

 

   ▽ ▼ △ ▼ ▽

 

「長い年月を生きて霊力を得た動物のことは、経立(ふったち)と呼ばれ恐れられたのですが、悪さをするものばかりじゃなく、七助のように災いを払ってくれる経立もいたんですね」

 ハヤさんの言葉に、私はうなずいた。

「悪いニュースのほうが、広まりやすいのよ。でも、お竹と七助が村を救ったことは、はくろく踊りとして長く伝わっていくのね」

 

 思うに、寸一の目に留まるほど石が気を放っていたのは、祭りが近くなって、七助の眠りが覚めかけていたからではないだろうか。

 年に一度のはくろく踊りを、どこかで楽しそうに見物しているお竹と七助の姿が、ありありと目に浮かんだ。