かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

「いろは歌」いろいろ

 

アルファベット26文字をすべて使って、意味のある短文にしたものをパングラム(pangram)と呼ぶそうですが、「いろは歌」は、美しい語句と深い意味とを兼ね備えた、ひらがな版パングラムの最高峰といえます。

 

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  色はにほへど 散りぬるを
  我が世たれぞ 常ならむ
  有為の奥山 今日越えて
  浅き夢見じ 酔ひもせず

 

作者は不明。

これほどの歌を作ることができる天才といえば━━、ということで、弘法大師空海(774~835)を作者とする説もありましたが、現在では否定的な意見が主流となっています。

 

確認されている文献上の初出は平安時代後期1079年の仏教経典「金光明最勝王経音義」です。「いろは歌」は七五調ですが、7字区切りで書かれています。

それが慣例となったのか、明治時代の教科書も7字区切りで書かれており、この区切り方で最後の文字を拾うと、暗号のように、ある言葉が浮かびあがってくるのです。

  いろはにほへ
  ちりぬるをわ
  よたれそつね
  らむうゐのお
  やまけふこえ
  あさきゆめみ
  ゑひもせ

「咎(とが)無くて死す」

無実の罪を着せられたまま亡くなった誰かの、遺恨が込められているのではないかという説が生まれ、平安時代の公卿・源高明や、歌聖と称えられた柿本人麻呂が、「いろは歌」の作者として挙げられました。

柿本人麻呂飛鳥時代歌人なので、日本語史の専門家からは妄説として一笑に付されたそうですが……。

 

そこで私もひとつ「妄説」を考えてみました。

 

日本には「御霊(ごりょう)信仰」というものがあります。無実の罪などで非業の死を遂げた人の、強い怨みを慰め鎮めることで、あるいは、神として祀ることによって、祟りから守護への転換を願う信仰です。

政敵の中傷により大宰府へ左遷されて亡くなった後、祟りを恐れた人々が「天神」として祀り、学問の神様となった平安時代の貴族・菅原道真公は、御霊信仰のもっとも有名な例とされています。

御霊信仰には、古代日本人の、畏怖の心に裏打ちされた、おおらかな合理性のようなものを感じます。すさまじい怨みのパワーの「怨」だけを浄化して、残った純粋なパワーを建設的に活用しようとする発想がすごい。

 

折り込まれた暗号は、「あなたに咎は無かった、無実だった」と明言し、祟り神を鎮め、守護神として昇華させているようにも見えます。

 「いろは歌」には、仏教の教えのひとつ「諸行無常」による無常観と日本的な美意識が詠まれ、さらには御霊信仰までも加わって、強い霊的パワー・アイテムとなっているのではないでしょうか。

 

その「いろは歌」が、平安時代後期から大正時代まで800年以上も、仮名を手習いするための手本として広く用いられたことで、子供を守護し、その心性に少なからぬ影響を与え続けてきたとしても不思議ではありません。

日本人の言葉遊びに傾ける情熱は、「いろは歌」によって育まれたのかもしれません。

 

推理作家の泡坂妻夫(あわさかつまお)さんは、ペンネームの由来を質問されて、

「近所に『泡坂』という坂があり、愛妻家だから『妻夫』にした」

と、答えたそうですが、実のところは本名の厚川昌男(あつかわまさお)のアナグラムでした。

著作『亜愛一郎の狼狽』に収められている『掘出された童話』という短編を読み、「いろは歌」以外にいくつも、ひらがな版パングラムが存在していることを知りました。

  

 

いろは歌」より古い「あめつち」

  あめ つち ほし そら やま かは
  みね たに くも きり むろ こけ
  ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる
  おふせよ えのえを なれゐて

 

明治時代に万朝報(よろずちょうほう)という新聞が、「ん」を入れた48文字という条件で懸賞募集し、一等になった「とりな歌」

  とりなくこゑす ゆめさませ
  みよあけわたる ひんかしを
  そらいろはえて おきつへに
  ほふねむれゐぬ もやのうち

  鳥啼く声す 夢覚ませ
  見よ明け渡る 東を
  空色映えて 沖つ辺に
  帆船群れゐぬ 靄の中

どこか明治の気風を感じさせるこの歌の、「東(ひんがし)」というところが、私は好きです。

 

 

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さかな顔の姫君(創作掌編)

 

※ 先日、『雷理さん』の記事を拝読し、ブクマコメントのやりとりから生まれた掌編です。
www.rairi.xyz

 

 

 静かな水底で、ヒメマスとキングサーモン(和名:マスノスケ)が、朝のあいさつを交わしています。

「おはよう、ぼくの姫君。いい夢を見たかい?」

「おはよう、マスノスケさん。とても不思議な夢を見ていたの」

 といって、ヒメマスは夢語りをはじめました。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 真澄(ますみ)姫は、誠実で思いやりのある人柄だったので、身近に仕える者たちからも深く愛されていました。

 しかし、どれほど献身的な衛士でも、すきま風のように入りこんでくる、心ない陰口をくいとめことはできません。

「気の毒な姫……、父王そっくりの『さかな顔』ではないか」

「亡き母上の美貌を受け継がなかったとは、残念なことです」

 含み笑い、目くばせ、ジョークに潜んだ毒──、素知らぬ顔で聞き流してはいても、姫君の心は、つきささる棘の痛みを感じていたのです。

(今度生まれてくるときは、魚になりたい……)

 そんなふうに願うこともありました。

 

 父王は、大切な真澄姫にふさわしい結婚相手をさがしていました。

 近隣の諸国や名家からの申し込みは少なからずありましたが、姫の幸せを考えると、どの候補者も気に入りません。

 そんな折、かねてより親交のあったサモン国王の即位式に、主賓のひとりとして招待されたのです。真澄姫を伴って列席し、思慮深く文武両道に秀でた若き王を、心から讃えました。

 

 即位式の後は、盛大な舞踏会が催されました。

 新王は、真澄姫をパートナーに選んで踊りつづけ、そして、ラストダンスが終わると同時に求婚したのです。

「多くの人たちに囲まれていながら、あなたはどこかさびしそうに見えた。それで私は、ダンスを申し込んだのです。しかし、踊っているあいだに気づきました。本当にさびしかったのは、私の方だったのです。どうか、私の妻になってください」

 

 ふたりは祝福されて結婚し、ずっと幸せに暮らしました。

「生まれ変わってもまた、あなたと結婚したい」と、王は王妃に言いました。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

「そうだったのか、やっぱり、ぼくたちの出逢いは運命なんだね」

 マスノスケはやさしく、ヒメマスを見つめます。

 あのとき、大雨で湖があふれ、海に運ばれてしまったヒメマスは嘆きましたが、マスノスケと巡り会ったことで、新しい世界がはじまったのです。

 マスノスケに寄りそって泳ぐヒメマスの体は、いつしか婚姻色と呼ばれる美しい紅色に染まっていました。

 

 

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田房永子さん『呪詛抜きダイエット』のゲシュタルト療法

 

ゲシュタルト療法のプレトレーニング期間中は、ずっと単発のワークショップに参加していたので、「ゲシュタルトのワークショップは初めて」という方と、ご一緒する機会が何度かありました。

そのなかのひとりから、田房永子さんのコミックエッセイを読んで、ゲシュタルト療法に興味を持ったと伺い、いつか読んでみようと思いながら、そのままにしていました。

 

2年半の時を経て──、

先日、読者登録をさせていただいている Mmcさんの、

「これまで読もうと思って読んでいなかった田房永子さんの毒母まんがを四冊、一気読みした……」

という記事を拝読し、

mmc.hateblo.jp

 触発されて、私もようやく読むことができました。

 

呪詛抜きダイエット

呪詛抜きダイエット

内容(「BOOK」データベースより)

私が太っているのは呪いのせい!?
鏡を見られない人、写真撮られるのが嫌いな人、必読!
運動や食事制限の前に、するべきことがあった!
母親や親戚、友達や恋人にいつのまにか植えられていた「私は太っていなければならない」という呪い。抜いてみたら、バラバラだった心と体がひとつになった―!

 

まるで、体が何かにのっとられた感じで、食べずにはいられないエイコ。

ある出来事にショックを受け、10ヶ月ものあいだ苦しんだ末、

──さすがにこれは、病院でみてもらってよいレベルなのでは…?

自ら判断して、精神科クリニックを訪れます。

処方された「不安をおさえる薬」を飲み、いくつかの症状はなんとなくおさまったけれど、「過食症」は治らず、

──自分がどうしてこんなに食べてしまうのか、理由をつきとめないと治らないんじゃないだろうか?

と考え、様々なセラピーや治療、ボディワークをリサーチして体験します。

 

そのうちのひとつが、ゲシュタルト療法でした。

プロの漫画家さんは本当にすごい。

ワークの流れと間合い、参加している人たちの表情や姿勢、心象風景、場の雰囲気など、とてもわかりやすく的確に描かれているのです。

 

ワークの最中にエイコは、すごくイヤな気持ちになり、無意識のうちに手をにぎりしめるのですが、ファシリテーター(促進者役のセラピスト)はすぐに気づいて、

 「今、右手に力が入っていますね。右手がしゃべるとしたら何て言ってますか」

と言葉をかけます。

すると、エイコの右手は「殺してやる」と言いました。

 「殺してやる!」

 「そのくらい私は?」

 「怒ってます!」

 「怒りは体のどこにありますか」

 「全身」

 「それを感じてくださいね」

 まさに、ゲシュタルト療法の真髄に触れるような、やり取りだと思います。

 

寝る前に数ページだけ読むつもりでしたが、一気に読み切ってしまいました。

その後、なんとなく寝付けないまま横になっていたのですが、奇妙なことが起こりました。

特に感情は動いていないのに、涙が流れるのです。涙はしばらくの間、はらはらと静かに流れ続けました。

とても不思議な感覚でした。

 

そして翌朝、キッチンに立っていて突然、

「あっ、しまった!」と思ったのです。

 

──その涙がしゃべるとしたら何て言ってますか?

と、問いかけるべきでした。

後の祭りですが、なんとも悔やまれます。

 

 

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おみやげ(創作掌編)~銀ひげ師匠の魔法帖⑤~

 

 MNJの自然災害対策行動に初参加して1ヶ月あまり、ようやく帰ってきた銀ひげ師匠の様子は変わりはてていた。

 ひげは伸び放題でボサボサ、顔も手も日に焼けて、小さな傷や虫刺されの跡がいくつも見える。

(こんなんで明日からの書道教室、だいじょうぶだろうか?)

 晶太は心配になった。

 ひげはカットすればいいし、日焼けや傷跡も、魔法もしくはメイクでごまかせるかもしれない。

 いちばんの問題は、目だ。

 底光りしているような、鋭い目つき。

 

(魔法使い仲間といっしょに野山を駆け回っていると、こんな風になっちゃうのか。よっぽどハードだったのかな)

 晶太の思いに気づくこともなく、師匠は、

「あー、やっぱりウチがいちばんだなぁ」と、鋭い目をほそめる。

 とりあえずお茶を入れて、差し出しながらたずねた。

「危険と隣り合わせの、大変な活動だったんですか?」

「いや、そんなことはない。ただひたすら、力のありそうな自然物に挨拶して、合言葉を採集していく地道な作業さ。たとえ千にひとつでも災害時に役立って、人の命や生活を守ることができるかもしれないと思うと、気は抜けなかったけれどね」

 ふと、思い出したようにひざを打ち、

「一度だけ、変わった生き物に出くわしたっけ」という。

 

 山奥でひとり、地道な作業にいそしんでいた師匠が出会ったのは、都会風のカジュアルファッションに身を包んだ、若い夫婦だった。

 高くそびえ立つ木々のあいだから突然、場違いなふたり連れが現れたことに驚き、師匠は右手に細身の巻物、左手に携帯電話を握りしめて身がまえた。記された合言葉の数が魔法使いの力量を表し、時には武器にもなる巻物、そして、いざとなったら仲間に助けを呼べるケータイだ。

「今は、山でも結構ケータイがつながるから、便利だよね」

「で、そのふたりは何ものだったんですか?」 

「きわめて上手く、人間に化けたキツネ。あまりにも完璧に化けたまま、長いあいだ人間の世界で暮らしたせいで、キツネの姿に戻れなくなってしまった『ヒト・キツネ』とでも呼ぶべき生き物さ」

 銀ひげ師匠以上に、仰天して怯えたヒト・キツネの夫婦だったけれど、自然災害対策行動中の魔法使いだと知ると、打ち解けて話を聞かせてくれた。

 

 どうやら、その山のどこかに、ヒト・キツネのコミュニティがあるらしい。町なかの路地裏にひっそりと祀られている稲荷神社から、異世界を通ってつながる抜け道が、何本か存在しているそうだ。

 キツネでもヒトでもない、中途半端な生き物となってしまった彼らは、同類を求めて山のコミュニティに集まる。そこで結婚相手を見つけたり、子供を育てたりするのだ。

「元の姿に戻れなくなっても、本体はキツネだから、生まれてくるのは子ギツネなんだよね。人間界では育てられないから、コミュニティのなかに共同保育所をつくっているらしい。年寄りのヒト・キツネが子ギツネの面倒を見ているあいだ、親たちは町に働きに出ているのさ」

 

 美男美女のヒト・キツネ夫婦は、目に涙をたたえて語った。

「たとえ離れて暮らしていても、こうして会いに来られるうちは幸せです」

「子供の成長を見ることは喜びそのものですが、不安でもあります」

 なぜならば、子ギツネが一定の年齢になると、そのままキツネとして生きるか、それとも親のようにヒト・キツネの道を行くのか、どちらか選ばなければならないからだ。

「もしキツネを選べば、二度と再び会うことはできません……」

 子ギツネへのおみやげだろうか、それぞれ百貨店の紙袋を手に提げたふたりは、足早に立ち去っていった。

 

「おっと、それで思い出した。晶太におみやげを買ってきたんだ」

 と、リュックから取り出したのは、温泉饅頭の菓子折りだった。有名な温泉ホテルチェーンのものだ。

「最終日は、温泉でお疲れさま会だったんだ。宴会ではみんな、気の利いたかくし芸を披露するものだから、順番が回ってきたときは、どうしたものかと悩んだよ」

「何をやったんです?」

「晶太にも見せたことがあるよね、習字用の筆を魔法使いのほうきにする、あれ」

 よく覚えていた。

 このほうきで空を飛びまわるんだ! と、期待したのも束の間、タヌキの毛で出来た毛筆だから「化けるのは得意でも、飛ぶのはからっきしダメ」という言葉にがっかりしたことを──。

「オチの台詞を決めたら、一瞬シーンとしてから、すごく微妙な拍手と笑い声が巻き起こってね」

 飄々と笑う銀ひげさんの顔を見ているうちに、晶太のほうも、気の抜けた笑いがこみあげてくる。

(まあ、とにかく、無事に帰ってきてよかった……)

 ほっとしたせいか、笑いといっしょに涙もこぼれた。

 

 

 

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星新一さんの世界『きまぐれ星のメモ』

 

ショートショートの神様」星新一さんのことを教えてくれたのは、高校時代の同級生でした。

文庫本を何冊も買って読み耽りましたが、長い長い年月を経た今、手元に残っているのはエッセイ集1冊です。

 

きまぐれ星のメモ (角川文庫)

きまぐれ星のメモ (角川文庫)

 

 

10年間(1957年~1967年)の作家生活の中で、書き綴った100余点のエッセイが収録されています。

独特の乾いたユーモアと澄んだ文体はそのままで、星新一さんの世界に楽しく滞在することができます。精緻なショートショート作品に比べると、星さんの人間的な「素」が感じられて、興味の尽きない内容です。

 

「ホテルぐらし」は、作品のほとんどを書斎で執筆してきた星さんが、自宅の前で始まった地下鉄工事の騒音と振動に耐えかね、近所のホテルに部屋を借りて仕事をしたときの話です。

勝手がちがうホテルぐらしで、まるで能率があがらず、手すさびにヤニ取り装置のついたパイプを掃除しようとしたところ、ヤニが飛んで壁にべっとりついてしまいました。

 あわてて紙でこすったら、その黒いベトベトがひろがってしまった。これはいかんとばかり、石けんをつけ水でこすったら、こんどは壁紙ににじんでしまった。大きなしみあとができた。

 

「進退に窮した」「一部屋ぶんの壁紙はりかえ代を請求されるだろうか」「こんな苦悩にさいなまれた人は百万人に一人あるかないかだろう」と動揺する星さんが、なんとなく微笑ましい。

一計を案じ、薬局でシミ抜きの方法を聞くこと思いつき、フロントに鍵をあずけて外出しようすると━━、

 その時、係が私に言った。

「恐れ入りますが、お部屋を移っていただけませんか……」

 もやばれたのかと、私はどきりとした。

 ばれていないとしても、他の部屋に移されては、薬品による方法を試みるひまもない。絶望的になった時、係がさらに言ったのである。

「……じつは、きょう、あの室の壁紙をはりかえることになっておりますので」

 とても信じられない現象だが、事実だった。もしかしたら神は存在するのではないかと、私はそれ以来ひそかに思いはじめている。

 

「常識のライン」では、SF作家仲間たちのあいだで、奇妙な言葉遊びが流行っていることを紹介しています。

「命みじかし、たすきに長し」とか、
「涙かくして尻かくさず」だとか、
「女房が病気で、坊主を上手に書いた」などなど、

 支離滅裂というか、ナンセンスというか、ばかばかしい限り。しかし、そこが面白いわけで、げらげらと笑う。笑うのは健康にいいそうだから、少しは有益といえるかもしれない。

〈中略〉かくしてSF作家変人説がひろまっていく。

 

「まともきわまるSF作家が看板では、どこに魅力があるというのだ」

自ら問いながら、

「答え、みなきわめて常識的な人間である」と、実際のところを明かす星さん。

むしろ、一般の人以上に常識を持ちすぎ、持てあましているからこそ、常識を覆すおかしさを感受して笑い、常識外のことだけを作品にできるという、パラドックスめいた現象について語っています。

 

そして、なんといっても圧巻なのは「創作の経路」です。

 ほかの作家の場合はどうなのか知らないが、小説を書くのがこんなに苦しい作業とは、予想もしていなかった。

という星さんは、締め切りが迫ると、ひとつの発想を得るためだけに、8時間ほど書斎にとじこもるといいます。無から有をうみだすインスピレーションを得るまでの様子は、まさに格闘そのものです。

メモの山をひっかきまわし、腕組みして歩きまわり、溜息をつき、無為に過ぎてゆく時間を気にし、焼き直しの誘惑と戦い、思いつきをいくつかメモし、そのいずれにも不満を感じ、コーヒーを飲み、自己の才能がつきたらしいと絶望し、目薬をさし、石けんで手を洗い、またメモを読みかえす。けっして気力をゆるめてはならない。

 これらの儀式が進むと、やがて神がかり状態がおとずれてくる。といっても、超自然的なものではない。思いつきとは異質なものどうしの新しい組合せのことだが、頭のなかで各種の組合せがなされては消える。そのなかで見込みのありそうなのが、いくつか常識のフルイの目に残る。さらにそのなかから、自己の判断で最良と思われるものをつまみあげる一瞬のことである。分析すれば以上のごとくだが、理屈だけではここに到達できない。私にはやはり、神がかりという感じがぴったりする。 

 この峠を越せば、あとはそれほどでもない。ストーリーにまとめて下書きをする。これで一段落、つぎの日にそれを清書して完成となる。清書の際には、もたついた部分を改め、文章をできるだけ平易になおし、前夜の苦渋のあとを消し去るのである。

 

このような経路をたどって、1001編を超すショートショート作品が、この世に送り出されました。没後21年を経過しても、星新一さんの本が文庫で店頭に並び、新たな読者を待っているのは嬉しい限りです。

 

ちなみに、私がいちばん好きなのは『鍵』(新潮文庫「妄想銀行」所収)です。

偶然に拾った鍵の、不思議な美しさに魅せられた男が、その鍵で開けることのできるドアを探して世界中を旅する、というお話。

結末はもちろん、意表をつきながら深い余韻を残す、星新一ワールド屈指の素晴らしさです。

 

 

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ソウルメイト(創作掌編)~ハヤさんの昔語り#2-3~

 

 家で仕事をするのは好きだけれど、まったく外へ出なかった日は、もの足りない気持ちになる。 

 そう言うと、ハヤさんが意味ありげにうなずいて答えた。

「閉じ込められた魂は、自由を求めるものです。『憧れる』のもとになった古語『あくがる』には、魂が体から離れてさまよう、という意味がありましたね」

「なるほど……。私がコンビニへお菓子を買いにいくのも、憧れを満たしている行為というわけか」

 まぜかえしながら、ハヤさんの昔語りが始まるのを待った。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 お千代様の屋敷で、年に幾度か行われている集いの席で、伊作が語った話である。

「母は亡くなる数年前から、脚の具合を悪くして、表へ出られなくなりました。それでも膝行りながら、家の内のことをやってくれて、ほんとうにありがたいことでした」

 と、涙ぐむ。 伊作は先頃、母親の一周忌法要を終えたばかりだ。

 その母御の生前に起こったという、不思議な出来事だった。

 

 ある晩、寄り合いで引き止められて帰りが遅くなった伊作は、昇り始めた月の明かりを頼りに、夜道を急いでいた。

 ふと、視界をかすめるように動いていく淡い光を感じて、立ち止まる。

 振り向くと、握りこぶし大の火の玉が、宙に漂っていた。

(人魂!)

 話に聞くほど、おどろおどろしいものではない。きらめく光の粒をあつめたような、美しい玉だ。

 

 驚いたことに、その人魂らしきものは、まるで伊作から逃げるかのように、急に進む方向を変えて、木の陰に隠れた。

 好奇心に駆られ、思わず一歩踏み出すと、今度は背後から耳をかすめるように現れて、手を伸ばせば届きそうなほどの距離に浮かんでいる。

(別の人魂なのか? それとも、自由自在に消えたり現れたりできるのだろうか?)

 火の玉がふわりと動きはじめた。

 少し先に行っては止まり、行っては止まり、という動きを繰り返す。伊作を誘っているようにも見える。

 ちょうど帰り道と同じ方向だ。引き返すわけにも、道をそれるわけにもいかず、伊作はゆっくりと付いていった。

(そういえば、前にお千代様が「本所七不思議」というのを教えてくれたっけ。そのなかに「送り提灯」という怪があったな)

 

 家が近づくと、伊作は胸騒ぎを覚えた。

 独りで留守をしている母のことが、心配になってきたのだ。

 火の玉が家の戸口に吸い込まれるように消えるのを見て、履物を脱ぎ飛ばし、寝所へ急ぎ向かう。母は布団の上で半身を起こして、大きく目を見開き、駆け込んできた伊作を見つめた。

「夢のなかで楽しく月夜の散歩をしていたら、何者かに追いかけられ、あわてて家に逃げ帰ってきたところで、目が覚めた」

 という。

 

「思えば、いくつになっても少女のようなところのある母でした。山菜取りに行ったはずが、珍しい草花や、巣から落ちた小鳥の雛を、大切そうに持ち帰ったりして……。そんな母が家から出られないのが不憫で、おぶって散歩に行こうとしたのですが、恥ずかしがるものだから、結局、数えるほどしか出掛けられませんでした」

 おそらく伊作の母御の魂は、深い眠りのなかで、不自由な体から抜け出し、思うままに野山や町中を散歩していたのだろう。

  

   △ ▲ △ ▲ △

 

 ハヤさんが私を見て、

「伊作がこの話をしたとき、お千代様がはっとしたように目を見張ったのです。思い当たることがあったに違いないのですが、口をつぐんだままでした。瑞樹さん、何か覚えていませんか?」

 と尋ねる。

 

「──うん、思い出した。私が千代だったとき、誰にも話さないと約束したことだったから、黙っていたの。でも、もう時効だよね」

「誰と約束したんです?」

「千代の、年の離れた弟。とても頭のいい人で、学問の道へ進んだのだけれど、結核に罹ってしまい、志半ばで帰ってきたの。実家の離れで長いあいだ療養していたから、千代は折に触れ見舞っていたのよ」

 

 ほっそりと白い顔に、穏やかな笑みを浮かべて、弟は言った。

 ときどき、魂が抜け出して、空を飛びまわるのだと。

 とても心楽しく、もう二度と、病に疲れた身体へ戻れなくてもいいと思う。

 そして、ある日、もうひとつの魂と出合った。

 顔も見えず、話ができるわけでもない。それでも、ひとりよりふたりでいることの喜びは、計り知れなかった。

 この世に、自分と同じような人がいる。そのことが不思議なほど、心強く思われた。

 

「伊作さんが最初に見つけたのは、きっと弟の魂だったのね。追いかけようとしたので、お母様の魂がかばうようにさえぎり、伊作さんを家まで連れて帰ったんだわ」

 今はもう、この世にいない人たちの優しさが、胸に沁みた。

  

 

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HSP~炭鉱のカナリヤ以外の道~

 

HSP」とは、Highly Sensitive Person(人一倍敏感な人)の略で、エレイン・N・アーロン博士が提唱した概念です。

1991年に高敏感性(高感受性)に関する研究を始め、現在も続けているアーロン博士は、ご自身がHSPであり、また、Highly Sensitive Child(HSC=人一倍敏感な子)の親でもあります。

 

ひといちばい敏感な子

ひといちばい敏感な子

 

 実は、「敏感な人」の研究は、50年ほど前からありましたが、「敏感」という言葉ではなく、「感覚的な刺激を受けやすい」「恥ずかしがり屋」「内向的」「怖がり」「引っ込み思案」「消極的」「臆病」と表現されてきました。この本を書いた理由の一つは、敏感な子どもに対し、このような言葉を使ってほしくない、もっと正確で、敏感な気質を新しい角度からとらえるような名前が欲しいと思ったからです。

 

アーロン博士の著作『ひといちばい敏感な子』には、その子供がHSCかどうか知るためのチェックリストが載っています。

たとえば、

・すぐにびっくりする

・服の布地がチクチクしたり、靴下の縫い目や服のラベルが肌に当たったりするのを嫌がる

・しつけは、強い罰よりも、優しい注意のほうが効果がある

・親の心を読む

・ユーモアのセンスがある

・うるさい場所を嫌がる

・細かいこと(物の移動、人の外見の変化など)に気づく

・石橋をたたいて渡る

・物事を深く考える
……
……

などなど、23項目にわたるリストです。

 

また、アーロン博士は、HSPの根底にある性質には「4つの面がある」と説明しています。

1.深く処理する

2.過剰に刺激を受けやすい

3.感情反応が強く、共感力が高い

4.ささいな刺激を察知する

この4つの面が全て存在するということが特徴的で、たとえ感覚が過敏な人であっても、4つのうち1つでも当てはまらないなら、おそらくHSPではないというのです。

 

『ひといちばい敏感な子』の訳者、明橋大二さんは、30年近く、心療内科医、スクールカウンセラーとして、さまざまな子供たちを診ていくうちに、同じ環境でも、それをあまり意に介さず流せる子と、敏感に反応する子がいるということ、親や他人の気持ちを敏感に察知して、相手に合わせた行動を執る子と、マイペースな子がいるということに気づきました。

 敏感な子は、大人にとっては、ある意味、いい子だけれど、本人としては、けっこうしんどい生き方をしています。そのしんどさが積もり積もった時、身体や行動上の、さまざまなSOSとして出してくることもあるのではないか。

 それらの子供や、若い人たちに、

「この世には、人一倍敏感な人というのがいるんだよ」と紹介すると、驚いて、

「自分は全くそのとおりだ」と言うのです。

そんな時に、アーロン博士の「HSP」という言葉を知り、強く共感を覚えたのだそうです。

 

私自身も、アーロン博士の本を読み、「自分は全くそのとおりだ」と思った一人です。

昔からずっと、部屋着のTシャツを裏返しに着ている謎が解けました(笑)

(タグを切り取っても、その「切り口」が当たるのが嫌で、気の持ちようだけではなく、時には皮膚が赤く腫れたりします)

動揺しそうな状況を回避することや、定期的に一人になる時間を確保することを、普段の生活で最優先してきた理由もわかりました。

 

さて、非常に興味深いことに、HSPと呼ばれる人たちの特性は生まれ持ったもので、どの文化でも一定の割合(15%~20%)存在し、それは人間だけにとどまりません。

この特性がハエから鳥・魚・犬・猫・馬、そして霊長類にまで及ぶ100以上の種に存在することがわかっており、行動を起こす前に注意深くなるという、生物としての生き残り戦略であるといわれています。

 

HSPはまた、人類の存続にとって良くない変化が起こりかけたとき、いち早く感じ取り警鐘を鳴らす「炭鉱のカナリヤ」の役割を担っているのではないか、とも考えられています。

その昔、炭鉱において発生する、有毒ガス早期発見のための警報として使用されたという「炭鉱のカナリヤ」。

人類のために重要な価値をもつ役割だと思います。

しかし、一般個人としてはどうなのだろうと考えたとき、

『HSCを育てることは、人生で最大の、そして最高に幸せな挑戦です』

という、アーロン博士の言葉が指針になるかもしれません。

  

 

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