かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

フライング・ブーケ(創作掌編)

 

 僕の大好きな人、みのりさんが、チャリティコンサートの招待券をくれた。

 みのりさんは、主催者側のスタッフなので、一緒に客席に座れるわけではないけれど、コンサート終了後に、夕食の約束をとりつけることができた。

 クラシックのコンサートだ。曲目は、チャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』。

 

 数年前の残念な思い出が、脳裏をよぎる。

 当時つきあいはじめたばかりの彼女に誘われて、僕はオペラを観に行った。

「有名な演目ではないけれど、いいかしら?」

 と言われ、よくわからないので気にもせず、二つ返事で出掛けていった。

 そして、外国人のオペラ歌手が、外国語で知らない歌を歌い、字幕はあったけれど、その日かけていた眼鏡の度が弱かったせいで、僕にはほとんど読めず、舞台でいったい何が繰り広げられているのか見当もつかないまま、眠気と闘い続ける3時間を過ごしたのだった。

 どうにか初デートの居眠りは回避できたものの、結局、彼女とはまもなく別れてしまった。

 

 同じ轍を踏みたくはないので、今度はちゃんと下調べする。

 すると、クラシックのコンサートには重要なマナーがあることがわかった。曲が終わっても、拍手をしてはいけないタイミングがあるというのだ。

 たとえば、4つの楽章がセットになった交響曲だと、最終の第4楽章の演奏が終わり、指揮者が手を下ろしたときが、正しい拍手のタイミングで、楽章の切れ目で拍手することは、原則NGなのだ。早まったタイミングの拍手は「飛び出し拍手」などと呼ばれる。

 ところが、それはあくまで「原則」だから、とてもすばらしい演奏だった場合、感動のあまり拍手してしまうことは「あり」だという。

 どちらにしても、前もって演奏される曲を聴いておくことが大切らしい。

 

 準備万端整えて、僕は当日を迎えた。

 昼間のチャリティコンサートのためか、会場の雰囲気は思ったよりカジュアルで、ちょっと安心する。

 ステージで開演前の音合わせが始まると、どうしても最大の弦楽器コントラバスに目を引かれた。なぜなら、みのりさんの趣味が、コントラバスの演奏だと聞いていたからだ。

(もし、みのりさんと結婚したら、あの大きな楽器も家族の一員になるんだな)

 と、空想の翼を広げているうちに、拍手のなか指揮者が現われ、演奏が始まった。

 

 チャイコフスキーの『悲愴』については、例の「飛び出し拍手」関連で、興味深い記事を読んだ。第3楽章が非常に盛り上がって終わるため、楽章の切れ目であると承知の上で、拍手が沸くことも珍しくないというのだ。

 第3楽章が終盤に近づくにつれ、僕の鼓動は高鳴った。

 弦楽器の弓が激しく動き、木管楽器は華やかに、金管楽器は迎え撃つように鳴り響く。ティンパニは轟き、シンバルが炸裂して、第3楽章は素晴らしく華麗に終わった。

 一斉に拍手が起こる。僕も夢中になって手をたたいた。

 指揮者は静かに立ったまま、背中で観客の称賛を受けとめている。第4楽章に入る動作と同時に、拍手はぴたりと止まるはずだ。

 

 けれどそこで、予想外の出来事が起こった。

 舞台袖から小さな女の子が、送り出されるように現れたのだ。ドレスアップして、手には立派な花束を抱えている。

 女の子は、ステージ中央までとことこ歩いていくと、指揮者に花束を渡し、はずかしそうに笑いながら戻っていった。

 戸惑いの拍手が続くなか、会場全体に疑問符が飛び交い、声にならないざわめきが広がっていく。

 

 そのとき、すばやく事態を収拾した人物がいた。

 みのりさんだ。花束の子が出てきたのとは逆の舞台袖から現れたみのりさんは、背筋をまっすぐ伸ばし、自然な足取りで指揮者に歩み寄ると、一礼して花束を預かり、静かに立ち去った。

 その間数秒、切れかけた糸はかろうじてつながり、何事もなかったように第4楽章が始まった。

 

 

 刺激的かつ感動的なコンサートだった。

 けれど僕にとってのメインステージはこれからだ。

 夕食の店は、美味しくて雰囲気のいいイタリアンレストランを予約した。スタッフに知り合いがいるので、落ち着ける席をお願いしてある。

 みのりさんと僕は、終わったばかりのコンサートの話で盛り上がった。ハプニングはあったけれど、無事に済んでしまえば笑い話だ。

「楽章の切れ目でしてしまう拍手を『飛び出し拍手』っていうらしいね」

「知らなかった、おもしろいわね。タイミングが早すぎる『Bravo』を、フライング・ブラヴォーと呼ぶのは聞いたことがあるわ」

「そういえば、女の子が渡した花束だけど、なぜ早まっちゃったの?」

 聞くと、みのりさんはワイングラスをかたむけながら、楽しそうに舞台裏の話を教えてくれた。

 

 第3楽章後の拍手があまりにも盛大だったため、舞台袖にいた主催者が勘違いして、花束贈呈役の子供を送り出してしまったというのだ。

 フライング・ブラヴォーならぬ、フライング・ブーケ……。

 さらに加えて、第4楽章を終えて戻ってきた指揮者に、

「ありがとうございます。それにしても先生、長いアンコールでしたね」

 と、満面の笑顔でコメントしたらしい。

 

 僕はみのりさんと一緒に笑ったけれど、笑い声は少しうわずっていたかもしれない。 

 話のとちゅうで、ドキリとしていたからだ。

 実は今日、ささやかなサプライズを用意している。ささやかといっても、一世一代くらいの勇気をふりしぼり、レストランのスタッフに小さな花束を渡して、デザートのとき持ってきてもらうよう頼んでおいたのだ。

 僕の花束のタイミングは大丈夫だろうか。

 早すぎたり、遅すぎたりしていないだろうか。

「みのりさん、この花の花言葉はね──」

 と、練習した台詞をちゃんとしゃべれるだろうか?

 

 花言葉は『あなたは特別な存在です』。

 

 

※ チャイコフスキー『悲愴』第3楽章の花束と、主催者のコメントのエピソードは、
指揮者・田久保 裕一さんのホームページ上のエッセイ「演奏会での拍手」に書かれている「実話」を元に創作しました。

田久保裕一の“エッセイ集”

 

 

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音楽隊の音楽会②(陸自)

 

少し前のことになりますが、9月1日に、すみだトリフォニー大ホールで開催された、

陸上自衛隊中央音楽隊 第155回定期演奏会』へ行ってきました。

 

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音楽隊のコンサートは、今年2月の海自に続き2回目です。

最高峰の吹奏楽を無料で鑑賞できる演奏会なので、チケット当選の倍率は相当高いようです。申し込み方法は、それぞれの音楽隊ごとに、はがき、往復はがき、インターネットなどがありますが、今回は陸自のホームページから申し込んで、当選すればメールが送信されてくる方式でした。

 

私はクラシック音楽に詳しくないので、残念ながら、知らない曲は「みんなおなじ」ように聞こえます。せっかくの音楽会で、万が一にも眠くなったりしないよう、予習しておくことにしました。

YouTubeで演奏予定曲を探してブックマークし、家事などをしているときに漫然と流すだけでも耳になじんできて、「いいな」とか「ここ好き」と思う箇所が出てきます。

そして、演奏会前日に、最初から最後までまとめて聴けば、点がつながって線になるように、なんとなく曲全体のイメージが出来あがり、ライブで聴くことへの期待も高まってくるのです。

 

さて、満を持して、すみだトリフォニーホールへ♪

 

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第1部の指揮者は、音楽隊の樋口隊長です。

① 国家「君が代

② スウェーデン・シグナル・マーチ 第1番

③ 祝典序曲 作品26

 ②~③は、スウェーデンと外交関係を結んで150年の節目に当たるということで、スウェーデンの作曲家の曲です。幕開けにふさわしく、きらきらと明るく勢いのある演奏でした。樋口隊長の天性の明朗さみたいなものが、舞台だけではなく、ホール全体に行き渡っていく感じです。

④ 「スペイン組曲 第1集」より “セヴィーリア”

 予習したYouTubeの動画は「with Dance」で、フラメンコの踊り手が共演していました。両手に持つカスタネット(パリージョ)と、床を踏み鳴らしてリズムをとる音(サパテアード)が、パーカッションで情熱的かつ軽快に表現されているように感じました。

⑤ パプアニューギニア国軍楽隊行進曲 マーチ「ポート・モレスビー」

 本邦初演の行進曲。パプアニューギニア軍楽隊に、過去3年にわたり演奏技術の面で支援してきたというお話を、司会の音楽隊員の方から伺いました。

⑥ 春~吹奏楽のための序曲

 演奏が始まってまもなく、中央音楽隊の歌姫・松永美智子さんが登場しました。現れたのは、ステージ後方のパイプオルガン前の高い位置にある合唱席で、ライトが当たると、まるで空中ステージのような趣きです。スウェーデンの民謡 “私が18歳だったとき”を、たおやかに歌う姿に見とれました。 


第2部は、客演指揮の新通英洋さんがタクトを振ります。

① 小組曲 1.小舟にて 2.バレエ

 今回の予定曲目のなかで、知っていた唯一の曲「小舟にて」が美しく優雅に演奏され、1曲目が終わったあとの深い余韻に、思わずといった感じの拍手が起こりました。
 新通さんは、笑顔で肩越しに振り返り、称賛に応えて大きく一礼をしてから、次の「バレエ」の演奏を始めました。一瞬でファンになりました。

② 第1組曲 1.シャコンヌ 2.インテルメッツォ 3.行進曲

 吹奏楽の古典的名曲として知られている曲ということで、皆さんがとても楽しそうに演奏されているのが印象的でした。

③ 歌劇「ピーター・グライムズ」より “4つの海の間奏曲”
  1.夜明け 2.日曜の朝 3.月の光 4.嵐

 静謐な夜明けから始まる豊かな情景にひたっているうち、さいごは激しく荒れ狂う北海の嵐のただなかまで運ばれていきます。ドラマチックなエンディングに、「Bravo!」の声と盛大な拍手が起こりました。

 指揮者の新通さんが、演奏し終えた楽譜を胸元に掲げ、共に拍手を受けている姿には、音楽に対する愛と敬意があふれていました。

 

 アンコールは、聞いたことはあるけれど曲名がわからないクラシックの、ランキング上位に入るのではないかと思われる曲です。

ビゼーアルルの女」第2組曲より “ファランドール

ほんとうに、すばらしい演奏でした。

 


「ファランドール」"Farandole" 陸上自衛隊 中央音楽隊『水曜コンサート』赤坂

 

アンコール2曲目は、樋口隊長の指揮で、

ベートーヴェン「第九」より “歓喜の歌” 

ソプラノ独唱の松永さんは、まず日本語で格調高く、優美なヴォカリーズをあいだに挟んでから、ドイツ語で力強く歌い上げました。「格好いい」の一言に尽きます。 

 

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 大満足で外へ出ると、雨上がりの道路に水たまりができていました。

2曲目のアンコール前、樋口隊長が、演奏会のあいだに雨が降ったことを告げ、

「どうぞ足元にお気をつけてお帰りください」

と、ごく普通のことをアナウンスしているのに、その何気なくユーモラスな語り口のため、客席に笑い声が広がったことを思い出しつつ、帰途につきました。

 

 

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いつか…(創作掌編)~銀ひげ師匠の魔法帖④~

 

toikimi.hateblo.jp

 

 銀ひげ師匠が『魔法使いネットワーク・ジャパン(MNJ)』の自然災害対策行動に参加しているあいだ、晶太は影武者たちと一緒に留守番していた。

「灰一」と「紺二」は、師匠が影武者の魔法をかけた作務衣で、洗濯のため2日ごとに交替する。お互いの記憶は、チェンジした瞬間から引き継がれ、共有されているようだった。

 影武者は、何もかも本人そっくりに見えるけれど、できないことが2つある。

 ほかの服に着替えること、そして、魔法を使うことだ。

 

 師匠が旅立ってから、4度目の日曜日、

(いつになったら、帰ってくるんだろう)

 考えこみながら書道教室へ行くと、お客さんが来ていた。

 きちんとした感じの、きれいなおねえさんで、師匠のことを親しそうに「ヒロさん」なんて呼んでいる。

「晶太、こちら玲奈ちゃん。私の師匠のお孫さん」

 今日の影武者当番「紺二」が、嬉々として紹介した。

 師匠の師匠といえば、晶太にとっては大師匠だ。

 

「玲奈ちゃん、御祖父様は元気?」

「90歳過ぎてから、足腰が少し弱ってきたみたいだって、このあいだ電話でぼやいてました」

(大師匠は、ずいぶん元気な人らしい)

「君の仕事の方は順調かな。前に会ったとき、独立を考えていると言ってたね?」

「おかげさまで順調です、もう2、3年くらいキャリアを積んだら、独立しようと思っているの」

「あいかわらず、真面目ながんばり屋さんだね」

(ということは、玲奈さんは魔法使いを継がないんだな。まあ、本業にしている人は、ほとんどいないと思うけど)

 ふたりの会話を聞きながら推理しているうち、挨拶が終わって、話が本題に入った。

 

「今日は、ヒロさんに相談があってきました。晶太君も、魔法使いの弟子として修行になるかもしれないから、いっしょに聞いてもらおうかしら。魔法というより、どちらかというと、つくも神系の異変なんだけれど──」

(つくも神系?)

 晶太が首をかしげていると、玲奈さんはバッグから、カバーのかかった1冊の本を取り出した。

星新一ショートショート・アンソロジー

 というタイトルの本だ。

 

「ちょうど1週間前でした。夜、部屋でくつろいでいたら、突然この本が、天井から降ってきたんです。単身者用のコンパクトなマンションで、高いところに棚はないし、もちろんロフトもありません」

「紺二」が本を手にとって、ぱらぱらとページをめくる。

「これは、玲奈ちゃんの本なのかい?」

「幼なじみがプレゼントしてくれた本です。実はまだ読んでいなくて、ずっと収納箱にしまい込んであったの。長持というのかな、物を収納する長方形の箱です。うちの蔵で見つけて、レトロですてきだから、こっちへ来るとき持ってきたんです」

 玲奈さんの話では、この1週間、仕事から帰ってくると、出掛けるときにはなかった物が、部屋のまん中に落ちているという。

「本だけじゃなくて、CDや洋服、アクセサリーとか、ぜんぶ長持にしまっていたものばかり」

 セキュリティには気をつけているし、ストーカーの影も感じない。

 やはり、怪しいのは長持だ。

 なんといっても、魔法使いの家の蔵にあった古民具なのだから、つくも神化して異変を起こしても不思議はない。

 晶太たち3人は、玲奈さんの住むマンションへ向かった。

 

 広くはなかったけれど、すっきりと片付いた部屋だった。壁ぎわに置かれた長持が、アンティークなインテリアのようで、おしゃれな感じだ。

 先に部屋に入った玲奈さんが、

「あ、また何か?」

 といって、立ち止まる。

 床の上に落ちていたのは、小さめの封筒だった。表に「玲奈へ」という手書きの文字が見える。

 玲奈さんは手のなかに隠すようにして、すばやく拾いあげた。

 

「それって、アンソロジーをプレゼントしてくれた幼なじみからの手紙?」

 と言って、「紺二」が持っていた本を開いて見せる。

「長いあいだ、ここに挟んであったんじゃない? このページのところで自然に開くんだよね」

 少し顔を赤くして、玲奈さんがうなずいた。

「なるほどね、謎が解けそうだ。玲奈ちゃん、最初に本が降ってきたときだけど、その前に、何か聞こえなかった?」

 玲奈さんは、思い当たることがあるように、目をみはった。

「そういえば、『いつか…』と、つぶやく声を聞いた気がします。ひとり暮らしをしていると、無意識のうちに独り言が多くなるし、空耳かと思っていたけれど」

「うん、やはりそうか。もしできたら、他の日に落ちていた物もいくつか、見せてもらえるだろうか」

「はい。もういちど長持のなかへ戻すのは気がすすまなくて、別にしてありますから」

 ふくらんだショッピングバッグを持ってきて、中身を広げる。

 

 華やかな色の洋服や、かわいいデザインのバッグ、本、CD、晶太にはよくわからない小物類、どれも新品で、ほとんどが買ったときのパッケージに入ったままだった。

 いつか着よう、いつか読もう、いつか聴こう、いつかそのうち、いつかきっと━━。

 心のつぶやきが聞こえてきそうだ。

 広げられた物たちを見つめている玲奈さんに、「紺二」は、開いた本のページを示しながら言った。

「つまりこういうことさ。『おーい、でてこーい』だよ」

 

『おーい ででこーい』は、ショートショートの神様・星新一の代表作のひとつである。

「中学校の教科書にも採用されているそうだよ。晶太は知らないのか?」

「師匠、ぼくはまだ小学6年生だから」

「おお、そうだったね。タイトルでネット検索すれば、物語の全文が載っているサイトもあるし、できればちゃんと読んでもらうのが望ましいのだが、仕方ない、今は時間がないから、あらすじを話すよ。いわゆるネタバレ注意だからね」

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 都会からあまりはなれていないある村で、山に近い所にある小さな社(やしろ)が、がけくずれで流されてしまった。
 ようすを見にいった村人たちは、径1メートルくらいの穴を発見する。
 のぞきこんでも、なかは暗くてなにも見えず、地球の中心までつき抜けているように深い感じのする穴だった。

「おーい、でてこーい」

 村人の一人が穴にむかって叫び、つぎに、石ころを拾って投げこんでみたが、底からはなんの反響もない。
 専門の学者が穴の深さを調べてみても、底を確認することはできなかった。

 そこで人々は、その穴を、無制限にモノを捨てられるゴミ箱として利用した。
 原子力発電所の廃棄物や不要になった機密書類、実験動物などの死骸、都会で発生する大量のゴミや不要品など、穴は捨てたいものを、なんでも引き受けてくれたのだ。

 ある日、以前にくらべていくらか澄んできたように見える青空から、

「おーい、でてこーい」と、叫ぶ声が聞こえる。

 しばらくして、声のした方角から小さな石ころが落ちてきた。

 

   △ ▲ △ ▲ △


「60年も前に、来たるべき環境問題を予言したといわれるSFの名作だけど、長持を司る神様は、もっと身近なことで警鐘を鳴らしたみたいだね。生まれたときから知っている可愛い玲奈ちゃんが、『いつか、いつか』といってばかりで、今を取り逃がしてしまうのが心配だったのさ」

「紺二」は、玲奈さんに星新一の本を渡しながら、

「そろそろ、幼なじみ君の手紙に返事を書きなさいって、言ってるのかもしれないね」

「でも……、もらってからずいぶん長い時間が経ってしまったし、それにSNSでは、ふつうにやりとりも続けているから……」

 そのとき、音をたてて天井から降ってきたものがあった。

 

 レターセットだ。

 数枚の封筒とレターパッドのセットが、何組も落ちてきたのだった。それぞれ、季節やイベントをモチーフにしたデザインのようだ。折に触れ買ってきては、なかなか言葉が見つからず、結局しまい込まれたレターセットの数々。

「おや、つくも神様が『時は今だ!』と、合図を送っているみたいだね」

「紺二」が笑顔で言った。

 

 晶太と「紺二」はマンションを後にした。

「結局、魔法を使わずに解決したね。玲奈さんは今ごろ、手紙を書いているかな」

「いやいや、あれでけっこう頑固な子だから、手紙じゃなくて、長持のほうを送り返すかもしれないぞ」

 などと、話しながら歩く。

 書道教室の玄関を開けたとき、おしゃべりを続けていた「紺二」が、いきなりくずれ落ちた。

(どうして?「灰一」と交替するのは明日の朝なのに)

 次の瞬間、はっと気づく。

 晶太は、抜け殻になった作務衣を飛び越えて、家のなかへ駆けこんだ。

 銀ひげ師匠が、戻ってきているのだ。

 

 

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しばらくスマホのない生活

 

9月1日の午後、スマホが突然、ネットワークに接続できなくなりました。

メールもLINEもつながりません。ネットワーク設定をやり直しても、再起動してみてもダメでした。

 

予告らしきものは、ずいぶん前からありました。

ブラウザでYahoo!天気のページを開くと、

お使いの環境では、Yahoo! JAPANがご利用いただけなくなります。

というようなお知らせが、ずっと出ていたのです。

気になって調べてみたら、

Yahoo! JAPANでは弊社ウェブサービスのセキュリティを強化するため、2018年9月末までに、インターネット通信暗号化方式「TLS1.0」および「TLS1.1」のサポートを順次終了いたします。

サポート終了後は、「TLS1.2」に対応していない古いブラウザーやパソコン、スマートフォンタブレット、ゲーム機などでは、Yahoo! JAPANの全ウェブサービスがご利用いただけなくなります。

とのこと。

 

Androidスマートフォンの場合、OSはAndroid 5以降へのバージョンアップが推奨されていて、Android 4.1~4.4でも、ChromeFirefoxなどのブラウザーアプリをダウンロードし、最新版にアップデートすれば利用可能だそう。

私のスマホAndroid 4.2なので、何もしなければ「順次終了」の対象です。

それでもなんとなく、Yahoo!が見られなくなってからでも間に合う、と高をくくり、そのまま放置していました。

これほど完全につながらなくとは……。

 

相当、古いスマホです。7~8年くらいかと思っていたら、介護中だった母の写真が残っていて、10年以上前のものだと気づきました。

さかのぼって最初の写真を見ると、通勤途中の公園で撮った紫陽花で、撮影日付は2007年6月になっています。

そのとき通っていた会社は、東日本大震災で老朽化した建物の外壁がひび割れ、取り壊すことになって引っ越しを余儀なくされました。

11歳のスマホ

いろいろあった人生の一大事〈第2弾・第3弾〉の時期を共に過ごしてきた、いわば老友です。

周りを見ると、2~3年過ぎたら買い替えを検討し始めるという人が多いなか、本当にお疲れさまでした。

思い出も愛着もありますが、「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」で、2020年東京オリンピックパラリンピックのメダルとして生まれ変わってもらおうと考えています。

 

2年前に、SIMロック解除の手続きをして、データ通信専用の格安SIMに変更し、ガラケー(通話とキャリアメールのみ)との2台持ちにしました。

ですから、スマホの買い替えは簡単なはずです。

国内メーカー・SIMフリー・あまり高額ではないもの、という条件で探すと、選択肢は1択でした。普段、日用品を送料無料で配達してくれるヨドバシさんでネット購入、翌日には新しいスマホが届きました。

 

さて、前スマホからSIMカードを取り出し、新スマホにセットしようとすると、

入らない!?

SIMカードのサイズは、「標準SIM」「microSIM」「nanoSIM」の3種類で、現在販売されている機種の多くはnanoSIMサイズに対応しているそうです。

手元にあるのはmicroSIM、新スマホはnanoSIM。

 

MVNO会社のウェブサイトで検索すると、SIMカードのサイズ変更の方法が載っていました。

SIMカードの追加(有料)を申し込む。

②新SIMカードが送られてきたら、設定して動作を確認する。

③旧SIMカードの解約を申し込む。

④解約した旧SIMカードを郵送で返却する。

手間も料金も時間もかかります。

しかも、登録している住所が、ファミリー割引の関係で別住所になっているので、結局nanoSIMカードを手にするのは、2週間近く先の予定です。

 

しばらく、スマホのない生活を送ることになりました。

今日でまだ3日ですが、不便というより、寂しい。

はてなブログのスターやブックマーク、コメントなど、楽しみにしているお知らせも受け取れず、なんだか味気ない毎日です。

 

 

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月見ヶ池(創作掌編)~ハヤさんの昔語り#2-2~

 

 在宅の仕事でアイデアに詰まり、気分転換を兼ねて散歩に出た。

「いい月夜ですね」

 といって、ハヤさんもついてくる。

 中天にかかる月は明るく、私は額のあたりに、ひんやりと澄んだ光を感じながら歩いた。

「なんとなく、頭が冴えてきたような気がする」

「それはよかった。月には神秘的な力がありますからね。そういえば、僕が寸一だったころ──」

 

 ハヤさんが、行者として生きていた前世の記憶を語り始める。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 山朽家は何代も続いた長者の家だったが、主の留守中に、家人と使用人が毒茸にあたり、ほとんど全ての者が亡くなった。難を逃れたのは、外へ遊びに出て気をとられ、昼飯を忘れた末の娘ただひとりだった。

 主は屋敷を閉め、生き残りの娘を連れて出て行ったきり、十数年戻らずにいる。

 

 長者屋敷の広大な庭の奥には「月見ヶ池」という池があった。

 漆を塗ったような水面に映る月影は、本物の月もかくやと輝き、折に触れ月見の宴が催されたという。

 今でも満月の夜には、物好きな若者が壊れた塀の隙間から入り込むことがあり、その者たちから、奇妙な話が伝わってきた。

 隙間から中に入ったはずが、元いた塀の外へ戻ってきてしまう。幾度か繰り返しても同じで、どうしても内側へ行くことができず、そのうち空恐ろしくなって逃げ帰った、というのだ。

 

 寸一は次の満月を待って、長者屋敷へ出向いた。

 塀の隙間を探すまでもなく、門が半ば開いている。内へ入ってみると、待ち構えたように立つ人影があった。

 月の光に照らされた顔を見て、思わず声を上げそうになる。

 はるか昔に別れたきりの、兄弟子だったのだ。とび抜けて知力に優れていたが、狷介な人物で、共に学んでいた師のもとから、別れも告げず姿を消してしまった。

「寸一、お前が来ることはわかっていた。いらぬ邪魔立てをするな」

 と言い放ち、返事も待たずに庭の奥へ歩み去る。

 

 追いかけていくと、月見ヶ池のほとりに立ち、池の中心へ右腕を差し伸べている後ろ姿を見つけた。漆黒の鏡のような水面には、見事な月影と、それに向かってゆらめきながら伸びていく、青白い腕の影が映っている。

 寸一は兄弟子が、師から固く禁じられていた妖術を使おうとしていることを察知した。

 もし、鉤爪そっくりに見えるあの指先が、水面の月影に届けば、影を通じて月の霊力を盗み取ることが出来るのだ。

「どうか、思いとどまって下さい。邪な術で得られる力は刹那的なもの。その先には破滅しかありません」

 理を分けて訴えると、兄弟子は舌打ちをして、肩越しに振り向いた。鋭い視線に射抜かれ、寸一は身動きができなくなり、そのまま暗い霧のなかに閉じ込められてしまった。

 

 どれほど時が経ったのかわからない。気づいてみれば、いつの間に戻ったものか、寄宿している寺の禅堂に端座していた。

 すぐさま表に出て未明の空を見上げ、暗然とする。

 月の下方の端が、えぐり取られたように欠けていたのだ。

(あのような月を見て、怯えない者があるだろうか。せめて今夜は、誰も目を覚まさぬよう願うばかりだ)

 まんじりともせずに夜を明かし、日の出と共に再び、月見ヶ池へ向かう。

 

 今宵、十六夜の月は、本来の全き姿で昇ってくることを、寸一は疑っていなかった。

 兄弟子がたどったであろう運命もわかっている。 

 寸一は、兄弟子の慢心より、古来より伝わる叡智のほうを信じていた。

『日』と『月』は、姉弟神であるといわれている。

 月の輝きは、姉神である『日』と分かち合われているものなのだ。

『月』から光を盗めば、必ず『日』が取り返しに来る。

 

 昨夜のまま開いている長者屋敷の門を抜け、奥へ進んで行くと、池の近くで事切れて横たわる、兄弟子の姿が目に入った。

 体半分が焼け焦げており、殊に右腕は酷く、炭と化していた。

 

   △ ▲ △ ▲ △ 

 

「せめてもの救いは、その死顔が安らかだったことです。思えば兄弟子は、けっして手に入らないものを求めてやまない人でした。自分でも如何ともしがたい渇望に、衝き動かされてきた一生だったのです」

 と、ハヤさんは沈んだ声で言った。

「もしかしたら、その人、寸一に最期を見届けてもらいたかったのかもしれないね。それにしても、あの月見ヶ池でそんなことがあったなんて……」

 昔語りを聞いているうち、私の脳裏に、長者屋敷の華やかな月見の宴のことが、断片的な光景として浮かんできた。

 

「瑞樹さん、さっきから時々、額を押さえているけれど、ひょっとして頭痛ですか?」

 立ち止まってハヤさんが尋ねる。

「なんとなく、おでこがチクチクするの。今夜ずっと、月の光を浴びていたせいかな。明日の朝起きてみたら、ここだけ火傷したみたいに赤くなっていたりしてね」

 答えると、ハヤさんはやけに楽しそうに笑った。

「だいじょうぶですよ。太陽の恵みも、月の霊力も、惜しみなく分け与えられているんですから。受け取って活用するのに、遠慮も心配も要りません。たぶん、ね」

 

 

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37兆2千億個の味方『はたらく細胞』

 

今年の夏は、アレルギー性の鼻炎に悩まされています。

医者に診てもらっていないので原因は不明ですが、「猛暑アレルギー」かもしれません。

久しぶりに薬局へ鼻炎薬を買いにいったら、抗ヒスタミン薬の中でも第2世代と呼ばれる、眠気や口の乾きが出にくいお薬が販売されていて、医療の日進月歩を感じました。

 

とはいえ、朝起き抜けにくしゃみ、鼻水、鼻づまりが一気に起こるモーニングアタックはなかなか治まらず、日中でもアレルギー症状が断続的に現れます。ボックスティッシュの消費は激しいし、のども痛くなるし、しょっちゅう鼻をかみに中座するので仕事にも差し障りがあるしで、とうとう季節はずれのマスク生活を送ることになりました。

真夏にマスクは暑苦しいですが、それで症状はずいぶんやわらぎました。

秋になっても改善しないようなら病院へ行こう、と思っています。

 

 

つい先日、テレビアニメ『はたらく細胞』がすごく面白いと勧められ、録画したもの何話か見せてもらいました。

【公式サイトより】

体内細胞擬人化アニメ『はたらく細胞TOKYO MXMBSBS11ほか各局にて毎週土曜日より絶賛放送中!
各サイトにて毎週月曜日より配信中!

 

Huluでも配信されていたので、他の回も視聴しました。 

原作は清水茜さんのコミック作品で、人間の体内にある細胞を擬人化し、コミカルであると同時に、本格的な世界観が構築されています。

主人公格のふたりは、新米赤血球(固体識別No.AE3803番)と白血球/好中球(固体識別No.U-1146番)で、「赤血球」「白血球さん」と呼び合っています。

 

 

人体の内部は、大きく複雑な街として描かれています。

血液循環によって、体中に酸素や二酸化炭素などを運ぶ赤血球は、赤いユニフォーム姿で、台車に荷物を載せ、宅配業者のように街中を駆けめぐります。

白い作業服の白血球(好中球)は、常にパトロールしています。ダガーナイフのような武器を使い、体内に侵入してきたウイルス、細菌などを駆除するのです。

 

第5話は『スギ花粉アレルギー』でした。

平和な体内に突然侵入してきた大勢のスギ花粉アレルゲン。

すぐに外敵侵入時の戦略司令官、ヘルパーT細胞へ報告されます。

花粉を異物と認識したヘルパーT細胞によって送りこまれたB細胞は、IgE抗体を噴射して、次々にアレルゲンを倒すのですが、抗体が大量に使われたことでマスト細胞(肥満細胞)が反応し、マニュアル通りに大量のヒスタミンを出してしまいます。

侵入を続けるスギ花粉アレルゲンを確認したマスト細胞は、さらにヒスタミン量を増やし、激しいくしゃみ、鼻水などの症状が引き起こされます。

すべては、異物を体外へ吹き飛ばし、洗い流そうとする自然な反応なのです。

その結果、スギ花粉だけではなく、その場にいるすべての細胞たちも、巻き込まれて被害をこうむり、大惨事になりました。

 

さらに追い討ちをかけるように体外から送り込まれくるのはステロイド。鼻炎薬の成分です。

細胞たちが擬人化されているのとは対照的に、ステロイドはロボットの姿をしています。敵味方関係なく攻撃し、有効成分切れになるまで暴れ続けます。

この未曾有の大災害は、記憶細胞により「スギ花粉がもたらす災い」「恐ろしい言い伝え」と記憶され、再度の侵入への備えが強化されるのです。

夏のあいだずっと、こんな騒動が体内で起きていたとは……。

 

花粉症などのアレルギー性鼻炎は、免疫システムの過剰反応、誤作動などと聞きますが、擬人化された細胞たちが、複雑な仕組みのなかで懸命にはたらいている姿を見ると、それも仕方ないかな、という気持ちになります。

むしろ、苦労をかけて相済まない、という思いです。

「それぞれが自分の仕事を全うしただけなのに、こんなことになってしまうとは……。こうなることがわかっていれば、いや、わかっていても、やるしかなかったな。どんな事情があろうと、職務放棄は許されない。それが俺たちの宿命」
白血球(好中球)のモノローグが胸に沁みました。

 

『人間の体のなかには、約37兆2千億個もの細胞たちが、毎日毎日、24時間365日、元気にはたらいています』 
 という、冒頭のナレーションを聞くたび、敬意と感謝を忘れず、自分の体を大切にしようと思ってしまう、健康にいい物語です。

 

  

 

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断片をたどって(創作掌編)

 

 さっきまで騒がしさが嘘のように、静かになった。

 私は、 ほっとして歩きつづける。不思議なくらい身も心も軽く、気分は上々だ。

 このところ、何かと大変だったけれど、済んでしまえばどうということもない。結局また、取り越し苦労だっだのだろう。

 今はただ、きらめくような幸福感に満たされている。

 

 道の先に、何か落ちていた。

 手のひらほどの大きさの、平たい断片だ。不定形としかいいようのない形で、表面には彩りゆたかな模様が描かれている。見ているだけで心楽しくなるデザインだったので、拾いあげてトートバッグに入れた。

 少し行くと、また小片を見つけた。色も形もさっきとは違う。やさしい中間色のグラデーションで、角が丸かった。

 

 私は、行く先々で断片を拾い集めながら、歩いていった。

 どす黒く濁った色もあれば、触れると手が切れそうなほど鋭い形もある。のっぺりしたもの、ふわふわしたもの、悲しいもの……。

(どんなひとが、落としていったのかな?)

 捨てていったのではないということは、わかっている。大切なものを落としていくほど、急いでいたのだ。

(ひとつのこらず拾って、届けてあげよう)

 やがてトートバッグはいっぱいになった。それなのに、少しも重くない。

 

 道がゆるやかなカーブを描いて、きれいな川に行き当たった。

 流れる水は明るく透きとおり、川底に敷きつめられた白い小石が、きらきらと光って見える。

 川幅は広いものの浅く、歩いてでも渡れそうだ。

 心を惹かれながら、しばらくながめていたけれど、落とし物を届けなくてはならないことを思い出した。

 見ると、川のそばに大きなミュージアムが建っている。あそこで落とし主に会えるかもしれない。

 

 ミュージアムの入り口は開放されていて、人影ひとつ見えなかった。

 エントランスホールの天井の高さに感心しながら入っていくと、奥から威厳のある老人が現れ、私を出迎えた。

「これを、持ってきました」

 トートバッグの中身を見せて説明する。

 老人は、表情を和らげてうなずくと、先に立って展示コーナーまで私を案内した。

 

 正面には、見たこともないほど大きな、壁画が描かれている。

 それは風景画だった。

 春の明るさ、夏の輝かしさ、透明な秋、静かな冬。四季のすべてが表現されていた。

 それはまた、人物画でもあった。

 私がこれまで、縁あって出会った人のすべてを見つけることができた。

 パノラマのように広がった絵の世界には、エピソードがちりばめられ、歌と音楽が流れ、物語が展開していた。

 暮らしがあり、旅があり、冒険があった。

 それらのすべてを、私は一目瞭然に見て取ることができたのだ。

 

 老人の合図で、奇妙な生き物が一団となって飛んできた。カエルによく似た姿をしており、色は空色で、背中に羽が生えている。

 かれらは、床に置かれたトートバッグのなかから断片を1つずつ取り出し、それを抱えたまま、次々に壁画の方へ飛んでいった。

 その動きを目で追ううち、完璧と思えた絵のあちらこちらに、欠落している部分があることに気づいた。

 空飛ぶカエルたちは、持っている欠片を、ぴたりぴたりと絵にはめこんでいるのだった。

 まるで、巨大なジグソーパズルにピースをはめていくように──。

 

 さいごのピースが収まった瞬間、絵と私が一体のものになったように感じた。

 頭が信じられないほど明晰に澄み切って、ようやく私は、自分が生まれてきた意味を覚ることができた。

 ずっと、人生に意味などないと思っていたが、あれは、ただ断片だけを見ていたからだったのだ。こうして全体がひとつにまとまってみれば、まさに意味そのものだった。

 

 奇妙な生き物たちは、仕事を終えて帰っていった。

 老人は退出する前に、いちどだけ振り向いて私を見たが、その顔には見覚えがあった。

 母方の曾祖父の顔だ。

 私が生まれる前に亡くなっているので、写真でしか知らないのだが、向けた顔の角度や表情まで、遺影そのままなのだ。

 わきあがってくる不安を振り払うように、私は壁画に向き直った。

 しかし、絵はすっかり精彩を失い、そればかりか、全体に無数の細かいひび割れが生じ始めているではないか。

(えっ、そんな!)

 悲鳴をあげようとしたが、弱々しいうなり声にしかならなかった。

 

 だれかがスイッチを入れたように、不快感と痛みが一瞬で身体中に広がった。ユニフォームを着た人たちが集まって、横たわった私の周りを動きまわっている。耳障りな機械音と薬品のにおいで、記憶の切れ端がよみがえってきた。

 私は数日間続いた高熱で意識を失い、救急搬送されたのだった。

 ようやく治療が一段落すると、今度は家族がやってきた。マスクと不織布のキャップで、顔の大部分が隠されていたけれど、泣いて喜ぶ姿を見て初めて、戻ってきてよかったのだ、と思う。

 

 時間切れで家族が連れ出されると、入れ替わりに、医療スタッフが来て仕事を始めた。

 陽気な女性で、いろいろ話しかけてくれるのはいいのだが、子供相手のような口調には辟易する。悪気がないのは承知しているし、これまで面倒をかけ、これからもお世話になる人なので、角が立たないように、穏やかにこちらの気持ちを伝えたいと思う。

 ところが、話し出そうとして戸惑った。

 思考はあれほど自由自在だったのに、まだ記憶が充分に戻っていないせいか、言語表現力がひどく不足しているようだ。

 四苦八苦してようやく出てきた言葉が、

「看護師のおねえさん、あたしはいくつだと思う?」である。

 

 看護師のおねえさんは、軽く目をみはり、手もとのクリップボードをすばやく確認してから答えた。

「星葉ちゃんは、ここのつよ。あら、もうすぐお誕生日が来るのねー」

 

 

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