かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

しばらくスマホのない生活

 

9月1日の午後、スマホが突然、ネットワークに接続できなくなりました。

メールもLINEもつながりません。ネットワーク設定をやり直しても、再起動してみてもダメでした。

 

予告らしきものは、ずいぶん前からありました。

ブラウザでYahoo!天気のページを開くと、

お使いの環境では、Yahoo! JAPANがご利用いただけなくなります。

というようなお知らせが、ずっと出ていたのです。

気になって調べてみたら、

Yahoo! JAPANでは弊社ウェブサービスのセキュリティを強化するため、2018年9月末までに、インターネット通信暗号化方式「TLS1.0」および「TLS1.1」のサポートを順次終了いたします。

サポート終了後は、「TLS1.2」に対応していない古いブラウザーやパソコン、スマートフォンタブレット、ゲーム機などでは、Yahoo! JAPANの全ウェブサービスがご利用いただけなくなります。

とのこと。

 

Androidスマートフォンの場合、OSはAndroid 5以降へのバージョンアップが推奨されていて、Android 4.1~4.4でも、ChromeFirefoxなどのブラウザーアプリをダウンロードし、最新版にアップデートすれば利用可能だそう。

私のスマホAndroid 4.2なので、何もしなければ「順次終了」の対象です。

それでもなんとなく、Yahoo!が見られなくなってからでも間に合う、と高をくくり、そのまま放置していました。

これほど完全につながらなくとは……。

 

相当、古いスマホです。7~8年くらいかと思っていたら、介護中だった母の写真が残っていて、10年以上前のものだと気づきました。

さかのぼって最初の写真を見ると、通勤途中の公園で撮った紫陽花で、撮影日付は2007年6月になっています。

そのとき通っていた会社は、東日本大震災で老朽化した建物の外壁がひび割れ、取り壊すことになって引っ越しを余儀なくされました。

11歳のスマホ

いろいろあった人生の一大事〈第2弾・第3弾〉の時期を共に過ごしてきた、いわば老友です。

周りを見ると、2~3年過ぎたら買い替えを検討し始めるという人が多いなか、本当にお疲れさまでした。

思い出も愛着もありますが、「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」で、2020年東京オリンピックパラリンピックのメダルとして生まれ変わってもらおうと考えています。

 

2年前に、SIMロック解除の手続きをして、データ通信専用の格安SIMに変更し、ガラケー(通話とキャリアメールのみ)との2台持ちにしました。

ですから、スマホの買い替えは簡単なはずです。

国内メーカー・SIMフリー・あまり高額ではないもの、という条件で探すと、選択肢は1択でした。普段、日用品を送料無料で配達してくれるヨドバシさんでネット購入、翌日には新しいスマホが届きました。

 

さて、前スマホからSIMカードを取り出し、新スマホにセットしようとすると、

入らない!?

SIMカードのサイズは、「標準SIM」「microSIM」「nanoSIM」の3種類で、現在販売されている機種の多くはnanoSIMサイズに対応しているそうです。

手元にあるのはmicroSIM、新スマホはnanoSIM。

 

MVNO会社のウェブサイトで検索すると、SIMカードのサイズ変更の方法が載っていました。

SIMカードの追加(有料)を申し込む。

②新SIMカードが送られてきたら、設定して動作を確認する。

③旧SIMカードの解約を申し込む。

④解約した旧SIMカードを郵送で返却する。

手間も料金も時間もかかります。

しかも、登録している住所が、ファミリー割引の関係で別住所になっているので、結局nanoSIMカードを手にするのは、2週間近く先の予定です。

 

しばらく、スマホのない生活を送ることになりました。

今日でまだ3日ですが、不便というより、寂しい。

はてなブログのスターやブックマーク、コメントなど、楽しみにしているお知らせも受け取れず、なんだか味気ない毎日です。

 

 

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月見ヶ池(創作掌編)~ハヤさんの昔語り#2-2~

 

 在宅の仕事でアイデアに詰まり、気分転換を兼ねて散歩に出た。

「いい月夜ですね」

 といって、ハヤさんもついてくる。

 中天にかかる月は明るく、私は額のあたりに、ひんやりと澄んだ光を感じながら歩いた。

「なんとなく、頭が冴えてきたような気がする」

「それはよかった。月には神秘的な力がありますからね。そういえば、僕が寸一だったころ──」

 

 ハヤさんが、行者として生きていた前世の記憶を語り始める。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 山朽家は何代も続いた長者の家だったが、主の留守中に、家人と使用人が毒茸にあたり、ほとんど全ての者が亡くなった。難を逃れたのは、外へ遊びに出て気をとられ、昼飯を忘れた末の娘ただひとりだった。

 主は屋敷を閉め、生き残りの娘を連れて出て行ったきり、十数年戻らずにいる。

 

 長者屋敷の広大な庭の奥には「月見ヶ池」という池があった。

 漆を塗ったような水面に映る月影は、本物の月もかくやと輝き、折に触れ月見の宴が催されたという。

 今でも満月の夜には、物好きな若者が壊れた塀の隙間から入り込むことがあり、その者たちから、奇妙な話が伝わってきた。

 隙間から中に入ったはずが、元いた塀の外へ戻ってきてしまう。幾度か繰り返しても同じで、どうしても内側へ行くことができず、そのうち空恐ろしくなって逃げ帰った、というのだ。

 

 寸一は次の満月を待って、長者屋敷へ出向いた。

 塀の隙間を探すまでもなく、門が半ば開いている。内へ入ってみると、待ち構えたように立つ人影があった。

 月の光に照らされた顔を見て、思わず声を上げそうになる。

 はるか昔に別れたきりの、兄弟子だったのだ。とび抜けて知力に優れていたが、狷介な人物で、共に学んでいた師のもとから、別れも告げず姿を消してしまった。

「寸一、お前が来ることはわかっていた。いらぬ邪魔立てをするな」

 と言い放ち、返事も待たずに庭の奥へ歩み去る。

 

 追いかけていくと、月見ヶ池のほとりに立ち、池の中心へ右腕を差し伸べている後ろ姿を見つけた。漆黒の鏡のような水面には、見事な月影と、それに向かってゆらめきながら伸びていく、青白い腕の影が映っている。

 寸一は兄弟子が、師から固く禁じられていた妖術を使おうとしていることを察知した。

 もし、鉤爪そっくりに見えるあの指先が、水面の月影に届けば、影を通じて月の霊力を盗み取ることが出来るのだ。

「どうか、思いとどまって下さい。邪な術で得られる力は刹那的なもの。その先には破滅しかありません」

 理を分けて訴えると、兄弟子は舌打ちをして、肩越しに振り向いた。鋭い視線に射抜かれ、寸一は身動きができなくなり、そのまま暗い霧のなかに閉じ込められてしまった。

 

 どれほど時が経ったのかわからない。気づいてみれば、いつの間に戻ったものか、寄宿している寺の禅堂に端座していた。

 すぐさま表に出て未明の空を見上げ、暗然とする。

 月の下方の端が、えぐり取られたように欠けていたのだ。

(あのような月を見て、怯えない者があるだろうか。せめて今夜は、誰も目を覚まさぬよう願うばかりだ)

 まんじりともせずに夜を明かし、日の出と共に再び、月見ヶ池へ向かう。

 

 今宵、十六夜の月は、本来の全き姿で昇ってくることを、寸一は疑っていなかった。

 兄弟子がたどったであろう運命もわかっている。 

 寸一は、兄弟子の慢心より、古来より伝わる叡智のほうを信じていた。

『日』と『月』は、姉弟神であるといわれている。

 月の輝きは、姉神である『日』と分かち合われているものなのだ。

『月』から光を盗めば、必ず『日』が取り返しに来る。

 

 昨夜のまま開いている長者屋敷の門を抜け、奥へ進んで行くと、池の近くで事切れて横たわる、兄弟子の姿が目に入った。

 体半分が焼け焦げており、殊に右腕は酷く、炭と化していた。

 

   △ ▲ △ ▲ △ 

 

「せめてもの救いは、その死顔が安らかだったことです。思えば兄弟子は、けっして手に入らないものを求めてやまない人でした。自分でも如何ともしがたい渇望に、衝き動かされてきた一生だったのです」

 と、ハヤさんは沈んだ声で言った。

「もしかしたら、その人、寸一に最期を見届けてもらいたかったのかもしれないね。それにしても、あの月見ヶ池でそんなことがあったなんて……」

 昔語りを聞いているうち、私の脳裏に、長者屋敷の華やかな月見の宴のことが、断片的な光景として浮かんできた。

 

「瑞樹さん、さっきから時々、額を押さえているけれど、ひょっとして頭痛ですか?」

 立ち止まってハヤさんが尋ねる。

「なんとなく、おでこがチクチクするの。今夜ずっと、月の光を浴びていたせいかな。明日の朝起きてみたら、ここだけ火傷したみたいに赤くなっていたりしてね」

 答えると、ハヤさんはやけに楽しそうに笑った。

「だいじょうぶですよ。太陽の恵みも、月の霊力も、惜しみなく分け与えられているんですから。受け取って活用するのに、遠慮も心配も要りません。たぶん、ね」

 

 

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37兆2千億個の味方『はたらく細胞』

 

今年の夏は、アレルギー性の鼻炎に悩まされています。

医者に診てもらっていないので原因は不明ですが、「猛暑アレルギー」かもしれません。

久しぶりに薬局へ鼻炎薬を買いにいったら、抗ヒスタミン薬の中でも第2世代と呼ばれる、眠気や口の乾きが出にくいお薬が販売されていて、医療の日進月歩を感じました。

 

とはいえ、朝起き抜けにくしゃみ、鼻水、鼻づまりが一気に起こるモーニングアタックはなかなか治まらず、日中でもアレルギー症状が断続的に現れます。ボックスティッシュの消費は激しいし、のども痛くなるし、しょっちゅう鼻をかみに中座するので仕事にも差し障りがあるしで、とうとう季節はずれのマスク生活を送ることになりました。

真夏にマスクは暑苦しいですが、それで症状はずいぶんやわらぎました。

秋になっても改善しないようなら病院へ行こう、と思っています。

 

 

つい先日、テレビアニメ『はたらく細胞』がすごく面白いと勧められ、録画したもの何話か見せてもらいました。

【公式サイトより】

体内細胞擬人化アニメ『はたらく細胞TOKYO MXMBSBS11ほか各局にて毎週土曜日より絶賛放送中!
各サイトにて毎週月曜日より配信中!

 

Huluでも配信されていたので、他の回も視聴しました。 

原作は清水茜さんのコミック作品で、人間の体内にある細胞を擬人化し、コミカルであると同時に、本格的な世界観が構築されています。

主人公格のふたりは、新米赤血球(固体識別No.AE3803番)と白血球/好中球(固体識別No.U-1146番)で、「赤血球」「白血球さん」と呼び合っています。

 

 

人体の内部は、大きく複雑な街として描かれています。

血液循環によって、体中に酸素や二酸化炭素などを運ぶ赤血球は、赤いユニフォーム姿で、台車に荷物を載せ、宅配業者のように街中を駆けめぐります。

白い作業服の白血球(好中球)は、常にパトロールしています。ダガーナイフのような武器を使い、体内に侵入してきたウイルス、細菌などを駆除するのです。

 

第5話は『スギ花粉アレルギー』でした。

平和な体内に突然侵入してきた大勢のスギ花粉アレルゲン。

すぐに外敵侵入時の戦略司令官、ヘルパーT細胞へ報告されます。

花粉を異物と認識したヘルパーT細胞によって送りこまれたB細胞は、IgE抗体を噴射して、次々にアレルゲンを倒すのですが、抗体が大量に使われたことでマスト細胞(肥満細胞)が反応し、マニュアル通りに大量のヒスタミンを出してしまいます。

侵入を続けるスギ花粉アレルゲンを確認したマスト細胞は、さらにヒスタミン量を増やし、激しいくしゃみ、鼻水などの症状が引き起こされます。

すべては、異物を体外へ吹き飛ばし、洗い流そうとする自然な反応なのです。

その結果、スギ花粉だけではなく、その場にいるすべての細胞たちも、巻き込まれて被害をこうむり、大惨事になりました。

 

さらに追い討ちをかけるように体外から送り込まれくるのはステロイド。鼻炎薬の成分です。

細胞たちが擬人化されているのとは対照的に、ステロイドはロボットの姿をしています。敵味方関係なく攻撃し、有効成分切れになるまで暴れ続けます。

この未曾有の大災害は、記憶細胞により「スギ花粉がもたらす災い」「恐ろしい言い伝え」と記憶され、再度の侵入への備えが強化されるのです。

夏のあいだずっと、こんな騒動が体内で起きていたとは……。

 

花粉症などのアレルギー性鼻炎は、免疫システムの過剰反応、誤作動などと聞きますが、擬人化された細胞たちが、複雑な仕組みのなかで懸命にはたらいている姿を見ると、それも仕方ないかな、という気持ちになります。

むしろ、苦労をかけて相済まない、という思いです。

「それぞれが自分の仕事を全うしただけなのに、こんなことになってしまうとは……。こうなることがわかっていれば、いや、わかっていても、やるしかなかったな。どんな事情があろうと、職務放棄は許されない。それが俺たちの宿命」
白血球(好中球)のモノローグが胸に沁みました。

 

『人間の体のなかには、約37兆2千億個もの細胞たちが、毎日毎日、24時間365日、元気にはたらいています』 
 という、冒頭のナレーションを聞くたび、敬意と感謝を忘れず、自分の体を大切にしようと思ってしまう、健康にいい物語です。

 

  

 

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断片をたどって(創作掌編)

 

 さっきまで騒がしさが嘘のように、静かになった。

 私は、 ほっとして歩きつづける。不思議なくらい身も心も軽く、気分は上々だ。

 このところ、何かと大変だったけれど、済んでしまえばどうということもない。結局また、取り越し苦労だっだのだろう。

 今はただ、きらめくような幸福感に満たされている。

 

 道の先に、何か落ちていた。

 手のひらほどの大きさの、平たい断片だ。不定形としかいいようのない形で、表面には彩りゆたかな模様が描かれている。見ているだけで心楽しくなるデザインだったので、拾いあげてトートバッグに入れた。

 少し行くと、また小片を見つけた。色も形もさっきとは違う。やさしい中間色のグラデーションで、角が丸かった。

 

 私は、行く先々で断片を拾い集めながら、歩いていった。

 どす黒く濁った色もあれば、触れると手が切れそうなほど鋭い形もある。のっぺりしたもの、ふわふわしたもの、悲しいもの……。

(どんなひとが、落としていったのかな?)

 捨てていったのではないということは、わかっている。大切なものを落としていくほど、急いでいたのだ。

(ひとつのこらず拾って、届けてあげよう)

 やがてトートバッグはいっぱいになった。それなのに、少しも重くない。

 

 道がゆるやかなカーブを描いて、きれいな川に行き当たった。

 流れる水は明るく透きとおり、川底に敷きつめられた白い小石が、きらきらと光って見える。

 川幅は広いものの浅く、歩いてでも渡れそうだ。

 心を惹かれながら、しばらくながめていたけれど、落とし物を届けなくてはならないことを思い出した。

 見ると、川のそばに大きなミュージアムが建っている。あそこで落とし主に会えるかもしれない。

 

 ミュージアムの入り口は開放されていて、人影ひとつ見えなかった。

 エントランスホールの天井の高さに感心しながら入っていくと、奥から威厳のある老人が現れ、私を出迎えた。

「これを、持ってきました」

 トートバッグの中身を見せて説明する。

 老人は、表情を和らげてうなずくと、先に立って展示コーナーまで私を案内した。

 

 正面には、見たこともないほど大きな、壁画が描かれている。

 それは風景画だった。

 春の明るさ、夏の輝かしさ、透明な秋、静かな冬。四季のすべてが表現されていた。

 それはまた、人物画でもあった。

 私がこれまで、縁あって出会った人のすべてを見つけることができた。

 パノラマのように広がった絵の世界には、エピソードがちりばめられ、歌と音楽が流れ、物語が展開していた。

 暮らしがあり、旅があり、冒険があった。

 それらのすべてを、私は一目瞭然に見て取ることができたのだ。

 

 老人の合図で、奇妙な生き物が一団となって飛んできた。カエルによく似た姿をしており、色は空色で、背中に羽が生えている。

 かれらは、床に置かれたトートバッグのなかから断片を1つずつ取り出し、それを抱えたまま、次々に壁画の方へ飛んでいった。

 その動きを目で追ううち、完璧と思えた絵のあちらこちらに、欠落している部分があることに気づいた。

 空飛ぶカエルたちは、持っている欠片を、ぴたりぴたりと絵にはめこんでいるのだった。

 まるで、巨大なジグソーパズルにピースをはめていくように──。

 

 さいごのピースが収まった瞬間、絵と私が一体のものになったように感じた。

 頭が信じられないほど明晰に澄み切って、ようやく私は、自分が生まれてきた意味を覚ることができた。

 ずっと、人生に意味などないと思っていたが、あれは、ただ断片だけを見ていたからだったのだ。こうして全体がひとつにまとまってみれば、まさに意味そのものだった。

 

 奇妙な生き物たちは、仕事を終えて帰っていった。

 老人は退出する前に、いちどだけ振り向いて私を見たが、その顔には見覚えがあった。

 母方の曾祖父の顔だ。

 私が生まれる前に亡くなっているので、写真でしか知らないのだが、向けた顔の角度や表情まで、遺影そのままなのだ。

 わきあがってくる不安を振り払うように、私は壁画に向き直った。

 しかし、絵はすっかり精彩を失い、そればかりか、全体に無数の細かいひび割れが生じ始めているではないか。

(えっ、そんな!)

 悲鳴をあげようとしたが、弱々しいうなり声にしかならなかった。

 

 だれかがスイッチを入れたように、不快感と痛みが一瞬で身体中に広がった。ユニフォームを着た人たちが集まって、横たわった私の周りを動きまわっている。耳障りな機械音と薬品のにおいで、記憶の切れ端がよみがえってきた。

 私は数日間続いた高熱で意識を失い、救急搬送されたのだった。

 ようやく治療が一段落すると、今度は家族がやってきた。マスクと不織布のキャップで、顔の大部分が隠されていたけれど、泣いて喜ぶ姿を見て初めて、戻ってきてよかったのだ、と思う。

 

 時間切れで家族が連れ出されると、入れ替わりに、医療スタッフが来て仕事を始めた。

 陽気な女性で、いろいろ話しかけてくれるのはいいのだが、子供相手のような口調には辟易する。悪気がないのは承知しているし、これまで面倒をかけ、これからもお世話になる人なので、角が立たないように、穏やかにこちらの気持ちを伝えたいと思う。

 ところが、話し出そうとして戸惑った。

 思考はあれほど自由自在だったのに、まだ記憶が充分に戻っていないせいか、言語表現力がひどく不足しているようだ。

 四苦八苦してようやく出てきた言葉が、

「看護師のおねえさん、あたしはいくつだと思う?」である。

 

 看護師のおねえさんは、軽く目をみはり、手もとのクリップボードをすばやく確認してから答えた。

「星葉ちゃんは、ここのつよ。あら、もうすぐお誕生日が来るのねー」

 

 

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ユングの臨死体験

 

以前から臨死体験の話には興味を持っていましたが、両親が他界したことで、関心が深まったように思います。

「死の受容のプロセス(否認~怒り~取引~抑うつ~受容)」で有名なエリザベス・キュブラー・ロス博士の本を読むうち、さらに広範囲に知りたくなり、たどりついたのが、
立花 隆 著『臨死体験〈上・下〉』(文春文庫)でした。

 

臨死体験〈上〉 (文春文庫)

臨死体験〈上〉 (文春文庫)

 

 

【内容】
まばゆい光、暗いトンネル、亡き人々との再会──死の床から奇跡的に蘇った人々が、異口同音に語る不思議なイメージ体験。
その光景は、本当に「死後の世界」の一端なのだろうか。
人に超能力さえもたらすという臨死体験の真実を追い、著者は、科学、宗教、オカルトの垣根を超えた、圧倒的な思考のドラマを展開する。 

 

 「私はかねて臨死体験に興味をもっていた」という著者は、1990年にワシントンのジョージタウン大学で、13ヵ国300人の研究者と体験者を集めて開かれた、臨死体験研究の第一回国際会議に出席し、1年間をかけての取材は、日本各地はもとより、アメリカ、カナダ、イタリア、インドにまで及びます。

先述のロス博士をはじめ臨死体験研究の第一人者や、国内外の体験者へのインタビュー、最新の脳生理学から精神世界まで、幅広く多方面にわたる理論や実験の紹介など、圧倒的な知的探究心には敬服しました。

 

臨死体験の話は、日本の歴史的文献にも記されていて、その最初は、平安時代初期の仏教説話集『日本霊異記』だといわれます。

推古天皇の時代、聖徳太子の侍者をしていた男が、聖徳太子が亡くなった4年後に死ぬのですが、3日間過ぎてから突然生き返り、妻子に語ったという話です。

彼は、かぐわしい香りに満ちた五色の雲の中を歩き、黄金の山で亡き聖徳太子に出会います。そして、

「はやく家に帰って仏を作る場所を掃除せよ」

といわれ、現世に戻ってくるのです。

 

たくさんの文献や証言に触れるうち、著者に生じてきた不満は、体験者の原体験そのものと、その表現との間にある深い落差でした。

「その落差がどれくらい大きいかは、その人の言語表現能力、記憶力、観察力、内省能力などにかかってくることだから一口には何ともいえない」

 しかし、ここに、このすべての能力をかねそなえた原体験者自身が記録者になったという稀有の体験例がある。〈中略〉精神医学の巨人、C・G・ユングその人である。ユング自身が臨死体験をしているのである。それが彼の自伝(邦訳・みすず書房刊)の中に詳細に記されている。

  読んでいて心躍るような、スーパースターの登場です。

 

ユングは1944年のはじめに、心筋梗塞につづいて足を骨折するという災難に遭い、意識喪失のなかで譫妄状態となって、さまざまの幻像(ヴィジョン)をみました。

幻像はちょうど、危篤に陥って酸素吸入やカンフル注射をされているときに始まり、そのイメージがあまりにも強烈だったので、ユングは「死が近づいたのだ」と思います。

「とにかく途方もないことが、私の身の上に起こりはじめていたのである」

 

『青い地球をユングは見た』

 私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのがみえ、そこには紺碧の海と諸大陸がみえていた。脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。私の視野のなかに地球全体は入らなかったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭は素晴らしい青光に照らしだされて、銀色の光に輝いていた。地球の大部分は着色されており、ところどころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。 

このあとさらに続く地球の姿の記述に、著者(立花隆)は驚きました。アポロが撮った地球の写真と一致していたからです。

(1968年にアポロ8号から撮影された写真が、初の地球の全体写真といわれています)

 

『私は存在したもの、成就したものの束(たば)である』

ユングは、しばらくの間「私が今までにみた光景のなかで、もっとも美しいものであった」という地球を眺めたあと、自分の家ほどもある大きさの、隕石のような黒い石塊が、宇宙空間をただよっているのを発見します。その石塊は中がくり抜かれて、ヒンドゥー教の礼拝堂になっていました。

ユングがその中に入り、岩の入り口に通じる階段へ近づいたとき、不思議なことが起こります。

自身の目標、希望、思考したもののすべて、そして、地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように、ユングから消え去り、離脱していったのです。

その過程はきわめて苦痛でしたが、残ったものもいくらかはありました。

かつて、自分が経験し、行為し、身のまわりで起こったことのすべてが、まるで「今ともにある」というような実感です。

『これこそが私なのだ』という深い納得でした。

 

 このようにして、ユング臨死体験を通じて、人間存在の本質を洞察するにいたるのである。

 人は死ぬとき、この世に属する一切のものを捨てていく。それと同じことが、臨死体験でも起こる。捨てられて消えていくのは物質的存在だけではない。この世に属する思いの一切が捨てられ、欲望や我執の一切が、希望さえ含んで消えていく。全てを捨てて捨てていったとき、最後の最後にギリギリ残るものは何なのか。これこそが私、といえるものは何なのか。それは私のまわりで起きたできごとの総体であり、私自身の歴史であり、私の成就したものの総体であるとユングはいう。

 

まさに、「三途の川とお花畑だけが臨死体験なのではない」ということを証明する、稀有の体験例です。

 

 

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影武者(創作掌編)~銀ひげ師匠の魔法帖③~

 

【連作掌編の第3話です】 

toikimi.hateblo.jp

 

 銀ひげ師匠のところに、初めて、『魔法使いネットワーク・ジャパン(MNJ)』から、自然災害対策行動のお知らせが来た。

 群れることを好まない魔法使いたちも、たまに集うのは歓迎するみたいだ。

 師匠は感無量である。

「これでやっと私も、一人前の魔法使いと認められたわけだ。やっぱり弟子を持てたからかなぁ。君に感謝するよ」

「救助活動をするんですか?」

 晶太がたずねると、

「いいや、そういう専門的なことができるのは、精鋭中の精鋭さ。私のような一般の魔法使いは、チームで手分けして、地道な作業をするんだ。例えばね──」

 といって教えてくれた。

 

 山や川に古くから存在する自然物、樹齢の長い樹々、大きな岩石などは、その地の守護神になっていることが多いので、挨拶して親しくなる。授かった合言葉は、災害時に精鋭魔法使いが活用できるよう、MNJで一括管理する。

 さらに、昔から各地に言い伝えられている「予兆」のメンテナンスも重要。
「蛇が樹に登れば大水」のヘビ
「雉が騒ぐと地震」のキジ
「銀杏の葉が早く落ちた年は大雪」のイチョウ
「湖がドンドン鳴ると大風が吹く」の湖
 など、それぞれを司る神様に挨拶して、引き続き土地の人たちのため、異変を前触れしてくれるよう頼む。

 

「しばらく旅に出なければならぬ。晶太、留守をお願いできるかな」

「はい」

「半月以上の間、書道教室を休業するわけにはいくまい。影武者の魔法を使おう」

 といって、普段着にしている作務衣を2着、並べて広げた。

 両方とも似た色合いだけれど、どちらかというとブルーグレーのほうを「灰一」、グレーブルーのほうを「紺二」と名付ける。

「2着、使うんですか」

「洗い替え用にね。灰一と紺二は2日ごとに交替するから、休んでいる方の洗濯を頼むよ。普通に洗濯機で洗って、日に干して乾かし、たたまずハンガーのまま奥の部屋につるしておいてほしい」

 

 師匠は、作務衣を司る神様から授かっている合言葉に続けて、「ウタ」と呼ばれる魔法の呪文を唱えた。

「いいかい、晶太。日頃から身近にある物の合言葉を知るように努めていれば、いざという時、こうしてスムーズかつスピーディに魔法をかけることができるのだよ」

「わかりました。師匠、影武者の魔法はうまくいったのでしょうか?」

「もちろん」

「灰一も紺二も作務衣のままで、ちっとも変わってないですけど……」

「ははは、そっくりなのが2人揃っているところを、誰かに見られたらまずいだろう。だから、私が同じ屋根の下にいるときは、このままなのさ」

 

 あくる朝、銀ひげ師匠は勇んで旅立っていった。

 晶太はバス停まで付いていき、リュックを背負った背中を見送った。

(ずいぶん中年になってからの初参加だけど、まわりにうまくなじめるだろうか?)

 心配しながら書道教室へ戻ってくると、「灰一」を着た影武者が、師匠とまったく同じ姿と声で、

「おかえり」といって、晶太を迎えた。

 

「灰一」と「紺二」が影武者を交替するのは、2日にいちど、朝の8時に設定されていた。

 普段は、学校帰りに寄って、部屋のすみに落ちている作務衣を拾い集め洗濯する。

 チェンジする瞬間も見てみたいので、休みの日には朝から書道教室へ行った。そばで観察していると、だんだん話し方の速度が落ちてきて、顔が無表情になったと思ったら、突然、畳のうえに崩れ落ちた。中身は空っぽ、ただの作務衣に戻っている。

 間もなく廊下に足音がして、入れ替わったばかりの影武者が現われ、何事もなかったみたいに、さっきまでしていた話を続けるのだった。

 

(こんどは、抜け殻になるときじゃなくて、入るときを見てみよう)

 次の休みの日、楽しみにして出掛けていくと、影武者「灰一」が言った。

「おはよう、晶太。今日はこれから、お客が来るんだよ」

「えっ!」

「成人クラスの生徒さん。急に転勤することが決まって、当分のあいだ書道教室に通えなくなるそうで、その挨拶にね」

 あと30分で8時だ。挨拶だけで済むならいいけれど、話が長引いたりしたら、影武者が入れ替わる瞬間を目撃されてしまう。

 気をもむ晶太にはお構いなしで、「灰一」はのんびりとお茶を準備をし始める。

 玄関の引き戸が開く音がして、

「おはようございます。こんな早い時刻に、すみません」と、男の人の声が聞こえた。

 

 出迎えにいった「灰一」師匠は、朗らかに挨拶をかわし、そのまま来客を連れて戻ってくる。

「こちらは、子供クラスの生徒さん。今朝は習字の朝稽古に来ています」

 などと紹介されたので、仕方なく晶太は、後ろのほうの長机で墨を磨りはじめた。

 「灰一」は、相手を「和之さん」と親しそうに呼んで、お茶をすすめている。ひとしきり続いた話が途切れ、ふと静かになったので、

(もう、帰るのかな?)

 目をあげてようすをうかがうと、お客がしみじみとした口調で語り始めた。

 

「こちらの書道教室へ通っていて、いちばん嬉しく思っていたことが何だったか、先生はおわかりになりますか?」

「さあ、なんでしょう?」

「実は、ずっとファーストネームで呼んでもらっていたことなんです。最初に練習した文字が、自分の名前の『和之』だったので、まず先生が呼び始めて、他の生徒の皆さんもそれにならって呼んでくれるようになった。慣れないうちは、気恥ずかしかったんですけれどね」

 といって、首をすくめる。

「この年齢になると、家では『お父さん』だし、会社では名字か役職で呼ばれます。学生時代の友人とは、お互い忙しくてめったに会えません。気がつけばもう、ずいぶん長い間、名前で呼ばれることなどありませんでした。だから、なんだか嬉しくてねえ、おかしな話ですが」

「いえ、おかしいことはありません。名前は大切ですよ。だから、初心者の生徒さんには、最初に自分のお名前を、練習することを…、お勧めして…、いるんです」

 

(まずい、「灰一」師匠の話し方がゆっくりになってきた。もう時間切れだ!)

 晶太はとっさに、合言葉と「ウタ」を唱えた。

 呪文に応え、玄関のガラス戸が音をたてる。誰かが握りこぶしで叩いているような音だ。

「おや、お客さん、かな? ちょっと…、失礼」

 ゆるりと立ち上がった「灰一」が教室から出ていく。入り口に近いところに座っている晶太の耳に、作務衣が床に落ちる「バサッ」という音が聞こえた。

  和之さんは何も気づかず、お茶をすすっている。

 

(さあ、これから、どんなふうにごまかそうか)

 必死に知恵をしぼっているとき、玄関の戸を開け閉めする音がして、ブルーグレーの作務衣を抱えた「紺二」が、教室へ戻ってきた。

「あれっ、その作務衣はどうしたんです。どなたかいらっしゃったのでは?」

 和之さんが目をまるくして尋ねる。

「この作務衣は、洗濯して外に干しておいたのですが、どうやら風に飛ばされたらしい。今、拾ったご近所さんが、届けに来てくださったんですよ」

「ああ、そうだったんですか。この辺はまだ、人情味があっていいですよね」

「まったくです」

 お客のもとへ戻りながら、「紺二」は晶太にだけ見えるよう、横顔に共犯者の笑みを浮かべてうなずいた。

 

(やるなあ、さすが銀ひげ師匠の影武者……)

 晶太は、胸をなでおろしながら感嘆したのだった。

 

 

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ドラマ『パンとスープとネコ日和』になごみました。

 

『パンとスープとネコ日和』は群ようこさんの小説です。

2013年にWOWWOWの連続ドラマ(全4回)として放送されましたが、私は先日、Huluで視聴したところです。

 

【ネタバレ注意】

 

WOWWOWウェブサイトのストーリー紹介

ずっと母との2人暮らしだったアキコ(小林聡美)は、母の突然の死、そして勤めていた出版社の理不尽な人事異動で、母の営んでいた食堂を自分でやっていく決心をします。
自分のセンスで改装したアキコの新しいお店は、パンとスープだけというシンプルなメニュー、お手伝いのしまちゃん(伽奈)との2人だけの小さな店。
ある日現われた1匹のネコと暮らし始めるアキコ、そして、アキコの周りには、楽しく世話をしてくれる、商店街の大人たち…。

 

【ネタバレ注意】

 

 「しっかりしている」「さっぱりしている」などと、周囲の人たちに評されているアキコですが、仕事上で信頼関係を築いてきた料理学校の理事長、山口先生(岸 惠子)からは、「自分が何を好きか分かっている人」と言われます。

『自分が何を好きかわかっている人はね、いろんな力を呼び込むことができるのよ』

 

アキコの人柄を反映するように、ドラマも慌てず騒がず、落ち着いて進行していきます。

住居の1階で「お食事処 カヨ」を営んでいた母親が、店で倒れて救急搬送され、そのまま亡くなってしまうというところから、動き出すストーリー。

大盛りメニューが学生に好評で、常連客も多かった母の店をたたみ、編集の仕事を続けるアキコに、経理部への人事異動が通告されます。昇進ではありますが、

『本を作る現場にいられないなら、私にはこの会社にいる意味がありません』

と言い切るアキコ。

会社を辞め、母親の店をすっかり改装して、「sandwich ä」という、日替わりスープと2種類のサンドイッチ(パンを3種類から選べる)の店を作り始めます。

もともと料理が好きで、専門家の山口先生から「センスも才能もある」と褒められているアキコでした。

『シンプルなメニューで、自分にできることから始めます。自分のやりたいお店をやってみる、それが今の私の決心です』

アキコは山口先生への手紙で、胸の内を報告します。

  

そして、店がオープンしてまもなく、亡き母の旧友が現れ、シングルマザーだった母親の相手(つまり、アキコにとっては父親)の所在を知ることになります。

並べてみると、いくらでも「ドラマチックに」盛り上げることのできる内容なのですが、この作品では、起こる出来事をただそのままに、淡々と描いていくのです。

ことさらに表面を波立てたりしない分、ゆっくりと流れていく時間と日常が感じられ、「人生の仕切り直し」や「再生」というテーマも自然に伝わってきます。

 

静かにエピソードが紡がれていくなかで、アキコの心の声が強く響いたのは、「たろ」という同居ネコが出て行ってしまった時でした。

『私、お店と自分のことだけを考えていたのでしょうか。飼っていたネコが、いなくなりました』

 

ある夜、仕事から帰ってきたアキコを待ち受けるように、玄関の前で座っていたネコ。そのまま、なんとなく一緒に暮らし始めた「たろ」は、家族を失って独りになったアキコのそばに、そっと寄り添う存在でした。

いなくなった「たろ」はラスト近く、また店の前に姿を現します。アキコが再会できるかどうかわからないまま、物語は幕を閉じます。

 

思いがけない人生の転換期を、さまざまな人たちと触れ合って過ごしてきたアキコは、山口先生への手紙に思いを綴りました。

『私は気づきました。今までの自分は、自分自身が不自由にしていたのだということに。先生、私、真面目すぎました。これからは不良になります。自分が自由になれて初めて、人との時間は始まるのだということに気づきました』

 

 

アキコを演じた小林聡美さんは、トークイベントのインタビューで、

「こういうドラマにイラっとしない方に見てほしい(笑)。『何も起こらないじゃないか!』と怒られても困るので、ゆとりのある方に見てほしい」

と、ユーモアを交えて答えていらっしゃいますが、私はむしろ、このドラマを観ているあいだ、忘れていたゆとりを取り戻せたように感じました。

 

 

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