かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

「いろは歌」いろいろ

 

アルファベット26文字をすべて使って、意味のある短文にしたものをパングラム(pangram)と呼ぶそうですが、「いろは歌」は、美しい語句と深い意味とを兼ね備えた、ひらがな版パングラムの最高峰といえます。

 

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  色はにほへど 散りぬるを
  我が世たれぞ 常ならむ
  有為の奥山 今日越えて
  浅き夢見じ 酔ひもせず

 

作者は不明。

これほどの歌を作ることができる天才といえば━━、ということで、弘法大師空海(774~835)を作者とする説もありましたが、現在では否定的な意見が主流となっています。

 

確認されている文献上の初出は平安時代後期1079年の仏教経典「金光明最勝王経音義」です。「いろは歌」は七五調ですが、7字区切りで書かれています。

それが慣例となったのか、明治時代の教科書も7字区切りで書かれており、この区切り方で最後の文字を拾うと、暗号のように、ある言葉が浮かびあがってくるのです。

  いろはにほへ
  ちりぬるをわ
  よたれそつね
  らむうゐのお
  やまけふこえ
  あさきゆめみ
  ゑひもせ

「咎(とが)無くて死す」

無実の罪を着せられたまま亡くなった誰かの、遺恨が込められているのではないかという説が生まれ、平安時代の公卿・源高明や、歌聖と称えられた柿本人麻呂が、「いろは歌」の作者として挙げられました。

柿本人麻呂飛鳥時代歌人なので、日本語史の専門家からは妄説として一笑に付されたそうですが……。

 

そこで私もひとつ「妄説」を考えてみました。

 

日本には「御霊(ごりょう)信仰」というものがあります。無実の罪などで非業の死を遂げた人の、強い怨みを慰め鎮めることで、あるいは、神として祀ることによって、祟りから守護への転換を願う信仰です。

政敵の中傷により大宰府へ左遷されて亡くなった後、祟りを恐れた人々が「天神」として祀り、学問の神様となった平安時代の貴族・菅原道真公は、御霊信仰のもっとも有名な例とされています。

御霊信仰には、古代日本人の、畏怖の心に裏打ちされた、おおらかな合理性のようなものを感じます。すさまじい怨みのパワーの「怨」だけを浄化して、残った純粋なパワーを建設的に活用しようとする発想がすごい。

 

折り込まれた暗号は、「あなたに咎は無かった、無実だった」と明言し、祟り神を鎮め、守護神として昇華させているようにも見えます。

 「いろは歌」には、仏教の教えのひとつ「諸行無常」による無常観と日本的な美意識が詠まれ、さらには御霊信仰までも加わって、強い霊的パワー・アイテムとなっているのではないでしょうか。

 

その「いろは歌」が、平安時代後期から大正時代まで800年以上も、仮名を手習いするための手本として広く用いられたことで、子供を守護し、その心性に少なからぬ影響を与え続けてきたとしても不思議ではありません。

日本人の言葉遊びに傾ける情熱は、「いろは歌」によって育まれたのかもしれません。

 

推理作家の泡坂妻夫(あわさかつまお)さんは、ペンネームの由来を質問されて、

「近所に『泡坂』という坂があり、愛妻家だから『妻夫』にした」

と、答えたそうですが、実のところは本名の厚川昌男(あつかわまさお)のアナグラムでした。

著作『亜愛一郎の狼狽』に収められている『掘出された童話』という短編を読み、「いろは歌」以外にいくつも、ひらがな版パングラムが存在していることを知りました。

  

 

いろは歌」より古い「あめつち」

  あめ つち ほし そら やま かは
  みね たに くも きり むろ こけ
  ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる
  おふせよ えのえを なれゐて

 

明治時代に万朝報(よろずちょうほう)という新聞が、「ん」を入れた48文字という条件で懸賞募集し、一等になった「とりな歌」

  とりなくこゑす ゆめさませ
  みよあけわたる ひんかしを
  そらいろはえて おきつへに
  ほふねむれゐぬ もやのうち

  鳥啼く声す 夢覚ませ
  見よ明け渡る 東を
  空色映えて 沖つ辺に
  帆船群れゐぬ 靄の中

どこか明治の気風を感じさせるこの歌の、「東(ひんがし)」というところが、私は好きです。

 

 

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