かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

オリヴァー・サックス著『火星の人類学者』の勇気

 

『火星の人類学者』(早川書房)は、脳神経科医であり作家でもあったオリヴァー・サックスの「医学エッセイ」です。

  

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

 

 

本の扉に書かれた言葉──、

 この七つの物語の主人公たちに

さらには、

「わたしを信頼し、人生を分かち与え、体験をこれほど真摯に語ってくれた人々、そして長年の間に友人となった七人の人々に本書を捧げる」

という謝辞に、サックスの人柄を感じます。

 

書き綴られた「物語の主人公たち」は、サックスの診察を受けていた患者だけではなく、取材とインタビューの対象者も含まれています。

診療室で患者を観察するかわりに、家を訪ね、経験を共にして、実生活をじかに探究するため、サックスは長年過ごした病院を離れました。

「あちこちを往診して歩く医者、それも人間経験のはるかな極限の地まで往診する医者」

と、なったのです。

 

この本には、事故による脳の損傷ですべてが白黒に見える全色覚異常に陥り、それでもなお描き続ける画家、激しいチックを起こすトゥレット症候群でありながら巧みに執刀する外科医など、抱えている症状をアイデンティティの一部として組み込み、独自の生き方を編み出している人たちが登場します。

そのなかでも、とりわけ印象深かったのが、テンプル・グランディンでした。

本の標題にもなっている「火星の人類学者」とは、彼女が自らを表現した言葉です。

自閉症患者のなかでももっともすばらしい人物のひとり」と称されるテンプルは、動物学で博士号を取り、コロラド州立大学で教え、非虐待的な家畜施設の設計者として事業を経営し成功をおさめています。

 

彼女は、アスペルガー症候群と呼ばれている「高機能」自閉症でした。 

生後6ヶ月のころ、母親の腕のなかで身体を硬直させ、10ヶ月になるころには「罠にかかった動物のように」爪をたてたといいます。

人間関係の「普通」のルールや行動様式はまったく理解できず、破壊的かつ暴力的になっていて、3歳のとき診断を受けた神経学者からは、おそらく一生施設暮らしになるだろうと言われました。

 

ところが、たまたま機会があって障害児のための幼稚園に通うことになり、スピーチ・セラピーを勧められました。そこで、新たに獲得した言語力が支えとなって、彼女はゆっくりと発達しはじめたのです。

テンプルには高度な知性と集中力、コンピュータのような記憶力がありました。

「普通の人」である定型発達者が何気なく行っているコミュニケーションを、彼女は大変な知的努力をしながら、「完全に論理的な作業」によって成し遂げようとします。何年もかけて頭のなかに厖大な経験のビデオ・ライブラリーのようなものをつくりあげ、それを何度も何度も再生して、さまざまな状況で人がどんなふうに行動するかを予測するのです。

 

サックスが、神話やドラマに感動するかどうかを尋ねると、テンプルは、

ギリシャ神話の、舞いあがって太陽に近づきすぎ、翼が溶け、墜落して死んだイカルスのことは理解できるが、神々の愛には当惑する。シェークスピアの『ロミオとジュリエット』では「いったい彼らはなにをしているのか?」と首をひねったし、『ハムレット』となるとわけがわからない━━と答えます。

単純で力強く、普遍的な感情なら理解できるものの、複雑な感情やだましあいとなるとお手上げだというのです。

「そういうとき、わたしは自分が火星の人類学者のような気がします」

というテンプルの言葉からは、いかにまわりの人々が彼女とは違っているか、いかにその人々を人類学者のように理解しようと努めているかが伝わってきます。

 

取材のための滞在中、テンプルの自宅に案内されたとき、サックスは寝室のベッドの横に置いてある、奇妙で大きな装置に気づきました。

その装置には、分厚く柔らかなパッドにくるまれた幅90センチ、長さ120センチほどの重い木の板が2枚、斜めについていました。2枚の板はV字型になるように細長い底の部分が蝶番でとめられ、人の身体がおさまる樋になっています。一方の端にはコントロールボックスがあり、頑丈なチューブで産業用のコンプレッサーにつながっていました。

それは、肩から膝まで、しっかりと心地よい圧力を与えてくれる「締め上げ機(ハグ・マシーン)」だというのです。

 

どうしてそんな圧力をかけたいのか、という質問の返答は、次のようなものでした。

 小さいころ、彼女は抱きしめてもらいたくてたまらなかったが、同時に、ひととの接触が怖かった。抱きしめられると、とくにそれが大好きだが大柄な叔母であったりすると、相手の感触に圧倒された。そんなとき、平和な喜びを感じるのだが、同時に飲みこまれるような恐怖もあった。それで━━当時、まだ五歳になったばかりだったが━━力強く、だか優しく抱きしめてくれて、しかも自分が完全にコントロールできる魔法の機械を夢見るようになった。何年かたった思春期のころ、子牛を押さえておく締め上げシュートの図を見て、これだと思った。それを人間に使えるように改良すれば、魔法の機械ができる。

 大学の寮で「締め上げ機」を使った彼女は、嘲笑と疑惑の視線を浴びました。精神科医には「退行」か「固着」だと言われました。

しかし、彼女は独特の頑固さと粘り強さ、意志、そして勇気で、まわりの意見や反応をすべて無視し、自分の感覚の科学的「妥当性」をつきとめようとしました。

「グランディンのハグ・マシーン」は、現在も、アメリカの子供の施設で使用されているそうです。

 

彼女は「締め上げ機」を実際に使っているところを、サックスに見せてくれました。 

それは、見たこともないほど奇妙な光景だったが、同時に素朴で感動的でもあった。効果のほどは疑いようがなかった。大きくてこわばっていることが多かったテンプルの声が、機械のなかに横になっていると、だんだん柔らかく穏やかになっていった。「わたしは、機械の圧力をどこまで優しくできるかに集中します。それには完全に身を任せなければなりません……さあ、ほんとうにリラックスしています」それから静かに付け加えた。「きっと、ふつうはほかのひととの関係でこの気持ちを味わうのでしょうね」

20分ほどして起きあがった彼女は、見るからに穏やかになり緊張が解けていて、サックスにもやってみるかと聞きました。

好奇心に動かされて機械に入ったサックスは、「愚かしいまねをしているようなぎこちなさ」を感じながらも横になり、用心深く圧力を調節してみます。すると、かつて深い水底でダイビングスーツごしに水に抱きしめられたときのような、安らかな心地よさを感じることができました。 

「締め上げ機を試したあと、リラックスしたわたしたちは、テンプルが基礎的な実地調査の大半を行なっている大学の実験農場へ車で出かけた」

という描写が、なんとも微笑ましく、目に浮かぶようでした。

 

 滞在最終日、空港までサックスを送る車の中で、テンプルは口ごもりながら涙を浮かべ、胸の内を語ります。

……わたしが死んだらわたしの考えも消えてしまうと思いたくない……なにかを成し遂げたい……権力や大金には興味はありません。なにかを残したいのです。貢献をしたい━━自分の人生に意味があったと納得したい。いま、わたしは自分の存在の根本的なことをお話しているのです。 

驚嘆したサックスは、車を下りて別れを告げるとき、

「あなたを抱きしめさせてください。おいやでないといいのですが」

と言って、テンプルを抱きしめました。

 

 

2015年、オリヴァー・サックスが亡くなったとき、テンプル・グランディンは追悼メッセージを寄稿していますが、そこには、サックスが亡くなる数週間前に発表した論説を読み、彼に次のような手紙を送ったと書いてあります。

わたしは記事の最後にあった「もしAとBとCが違っていたらどうなっていたでしょう」というところで泣き出してしまいました。もしそうだったなら、もしかしたらわたしたちの人生が交差することはなかったかもしれません。

あなたは、わたしの人生に大きな影響を与えました。あなたの人生は価値あるものです。他人に人生の意味を教えることで、多くの人の役に立っています。