ダーウィン(1809年~1882年)は22歳のとき、イギリス海軍の測量船ビーグル号に乗船し、世界一周をしました。5年にわたる航海中に行った自然観察と調査、標本の採集から、生物は進化するという説「進化論」が生まれたのです。
帰国後は原因不明の体調不良に悩まされ、公職に就くことなく、ロンドン南東25キロのダウン村の自宅に、いわば引きこもって暮らしました。
ダウン・ハウスと呼ばれる邸宅で、きわめて規則正しい生活を送りながら『種の起源』(1859年)を著したのですが、その一方で、庭の植物など身近な生物を詳細に観察し、仮説を立て、実験を繰り返すという、生物学の研究を続けました。
なかでもミミズの観察と研究は、40年以上に及ぶものでした。
『ダーウィンのミミズの研究』(福音館書店)は、杉田比呂美さんの絵が何ともいえずユーモラスであたたかい、「かがく絵本・図鑑」です。
著者の新妻昭夫さんは動物学者で、ふと見つけた「ダーウィンのミミズの本」に興味を引かれます。正式なタイトルは『ミミズの作用による肥沃土の形成とミミズの習性の観察』(1881年)という、ダーウィンが最後に書いた本でした。
ダーウィンは1837年、28歳のときミミズの研究を始めます。
そのきっかけは、ウェッジウッドの叔父ジョサイア2世の、
「牧草地はミミズが作った」という一言でした。
(ちなみに、ジョサイア2世は、有名なイギリスの陶磁器メーカー「ウェッジウッド社」の経営者です)
平らで草が青々と生えている牧草地も、かつてはでこぼこで石ころだらけ、土もざらざらでした。それがいつのまにか、細かくしっとりとした土になっているのは、ミミズが土を食べて土のフンをする、そのためではないか。
ダーウィンとジョサイア2世は、10年ほど前に土を良くするため石灰をまいたという牧草地を掘ってみます。すると、地表から7.5センチくらいのところで白い石灰が出てきました。
地面にまかれた石灰の上にミミズがフンをして、10年で7.5センチも埋めてしまったわけです。
この発見を、ダーウィンはロンドンの地質学会で発表しますが、
「そもそもミミズみたいなちっぽけな動物に、そんなすごいことができるわけがない!」
との反対意見も出されました。
その後、結婚して移り住んだダウン・ハウスで、ダーウィンは本格的なミミズの研究に取りかかります。
家の裏庭に続く牧草地の一角に、白亜の破片をばらまき、毎日観察を続けました。
そして29年後、62歳になっていたダーウィンは、牧草地を掘り、地表から深さ17.5センチのところに白亜の筋を発見するのです。
「たいらな土地では、ミミズが石を埋める速度は1年あたり6ミリ前後」
と、ダーウィンは結論を出しました。
進化論をはじめてとなえた学者として有名なダーウィンが、いっぽうではミミズというちっぽけな生きものを40年もかけて観察し、実験をくりかえしていた! ミミズなんてめずらしい動物ではない。だれでも知っているけど、だれも注目しない動物だ。そんなミミズが地球の表面をたがやしているのもおどろきだが、それを証明するために生涯をささげた人がいたということにわたしは感激してしまった。
「感激してしまった」著者の新妻さんは、もし1年に6ミリなら、150年後の今、牧草地にまいた白亜の破片は、1メートル近い深さまで沈んでいるのではないかと考え始めます。
その予想をどうしても確かめたくなり、ロンドン在住の友人に依頼して、ついに、ダウン・ハウスの庭を掘る許可を得ました。
ところが、実際に掘ってみると……。
なぜ予想とちがうのだろう?
〈中略〉
もっともっと、掘ってみたい。
もっともっと、しらべてみたい。
生まれた時代も国も違うふたりの科学者が、「もっとしらべたい!」という探究心で通じ合っていることを感じました。