銀ひげ師匠が『魔法使いネットワーク・ジャパン(MNJ)』の自然災害対策行動に参加しているあいだ、晶太は影武者たちと一緒に留守番していた。
「灰一」と「紺二」は、師匠が影武者の魔法をかけた作務衣で、洗濯のため2日ごとに交替する。お互いの記憶は、チェンジした瞬間から引き継がれ、共有されているようだった。
影武者は、何もかも本人そっくりに見えるけれど、できないことが2つある。
ほかの服に着替えること、そして、魔法を使うことだ。
師匠が旅立ってから、4度目の日曜日、
(いつになったら、帰ってくるんだろう)
考えこみながら書道教室へ行くと、お客さんが来ていた。
きちんとした感じの、きれいなおねえさんで、師匠のことを親しそうに「ヒロさん」なんて呼んでいる。
「晶太、こちら玲奈ちゃん。私の師匠のお孫さん」
今日の影武者当番「紺二」が、嬉々として紹介した。
師匠の師匠といえば、晶太にとっては大師匠だ。
「玲奈ちゃん、御祖父様は元気?」
「90歳過ぎてから、足腰が少し弱ってきたみたいだって、このあいだ電話でぼやいてました」
(大師匠は、ずいぶん元気な人らしい)
「君の仕事の方は順調かな。前に会ったとき、独立を考えていると言ってたね?」
「おかげさまで順調です、もう2、3年くらいキャリアを積んだら、独立しようと思っているの」
「あいかわらず、真面目ながんばり屋さんだね」
(ということは、玲奈さんは魔法使いを継がないんだな。まあ、本業にしている人は、ほとんどいないと思うけど)
ふたりの会話を聞きながら推理しているうち、挨拶が終わって、話が本題に入った。
「今日は、ヒロさんに相談があってきました。晶太君も、魔法使いの弟子として修行になるかもしれないから、いっしょに聞いてもらおうかしら。魔法というより、どちらかというと、つくも神系の異変なんだけれど──」
(つくも神系?)
晶太が首をかしげていると、玲奈さんはバッグから、カバーのかかった1冊の本を取り出した。
というタイトルの本だ。
「ちょうど1週間前でした。夜、部屋でくつろいでいたら、突然この本が、天井から降ってきたんです。単身者用のコンパクトなマンションで、高いところに棚はないし、もちろんロフトもありません」
「紺二」が本を手にとって、ぱらぱらとページをめくる。
「これは、玲奈ちゃんの本なのかい?」
「幼なじみがプレゼントしてくれた本です。実はまだ読んでいなくて、ずっと収納箱にしまい込んであったの。長持というのかな、物を収納する長方形の箱です。うちの蔵で見つけて、レトロですてきだから、こっちへ来るとき持ってきたんです」
玲奈さんの話では、この1週間、仕事から帰ってくると、出掛けるときにはなかった物が、部屋のまん中に落ちているという。
「本だけじゃなくて、CDや洋服、アクセサリーとか、ぜんぶ長持にしまっていたものばかり」
セキュリティには気をつけているし、ストーカーの影も感じない。
やはり、怪しいのは長持だ。
なんといっても、魔法使いの家の蔵にあった古民具なのだから、つくも神化して異変を起こしても不思議はない。
晶太たち3人は、玲奈さんの住むマンションへ向かった。
広くはなかったけれど、すっきりと片付いた部屋だった。壁ぎわに置かれた長持が、アンティークなインテリアのようで、おしゃれな感じだ。
先に部屋に入った玲奈さんが、
「あ、また何か?」
といって、立ち止まる。
床の上に落ちていたのは、小さめの封筒だった。表に「玲奈へ」という手書きの文字が見える。
玲奈さんは手のなかに隠すようにして、すばやく拾いあげた。
「それって、アンソロジーをプレゼントしてくれた幼なじみからの手紙?」
と言って、「紺二」が持っていた本を開いて見せる。
「長いあいだ、ここに挟んであったんじゃない? このページのところで自然に開くんだよね」
少し顔を赤くして、玲奈さんがうなずいた。
「なるほどね、謎が解けそうだ。玲奈ちゃん、最初に本が降ってきたときだけど、その前に、何か聞こえなかった?」
玲奈さんは、思い当たることがあるように、目をみはった。
「そういえば、『いつか…』と、つぶやく声を聞いた気がします。ひとり暮らしをしていると、無意識のうちに独り言が多くなるし、空耳かと思っていたけれど」
「うん、やはりそうか。もしできたら、他の日に落ちていた物もいくつか、見せてもらえるだろうか」
「はい。もういちど長持のなかへ戻すのは気がすすまなくて、別にしてありますから」
ふくらんだショッピングバッグを持ってきて、中身を広げる。
華やかな色の洋服や、かわいいデザインのバッグ、本、CD、晶太にはよくわからない小物類、どれも新品で、ほとんどが買ったときのパッケージに入ったままだった。
いつか着よう、いつか読もう、いつか聴こう、いつかそのうち、いつかきっと━━。
心のつぶやきが聞こえてきそうだ。
広げられた物たちを見つめている玲奈さんに、「紺二」は、開いた本のページを示しながら言った。
「つまりこういうことさ。『おーい、でてこーい』だよ」
『おーい ででこーい』は、ショートショートの神様・星新一の代表作のひとつである。
「中学校の教科書にも採用されているそうだよ。晶太は知らないのか?」
「師匠、ぼくはまだ小学6年生だから」
「おお、そうだったね。タイトルでネット検索すれば、物語の全文が載っているサイトもあるし、できればちゃんと読んでもらうのが望ましいのだが、仕方ない、今は時間がないから、あらすじを話すよ。いわゆるネタバレ注意だからね」
△ ▲ △ ▲ △
都会からあまりはなれていないある村で、山に近い所にある小さな社(やしろ)が、がけくずれで流されてしまった。
ようすを見にいった村人たちは、径1メートルくらいの穴を発見する。
のぞきこんでも、なかは暗くてなにも見えず、地球の中心までつき抜けているように深い感じのする穴だった。
「おーい、でてこーい」
村人の一人が穴にむかって叫び、つぎに、石ころを拾って投げこんでみたが、底からはなんの反響もない。
専門の学者が穴の深さを調べてみても、底を確認することはできなかった。
そこで人々は、その穴を、無制限にモノを捨てられるゴミ箱として利用した。
原子力発電所の廃棄物や不要になった機密書類、実験動物などの死骸、都会で発生する大量のゴミや不要品など、穴は捨てたいものを、なんでも引き受けてくれたのだ。
ある日、以前にくらべていくらか澄んできたように見える青空から、
「おーい、でてこーい」と、叫ぶ声が聞こえる。
しばらくして、声のした方角から小さな石ころが落ちてきた。
△ ▲ △ ▲ △
「60年も前に、来たるべき環境問題を予言したといわれるSFの名作だけど、長持を司る神様は、もっと身近なことで警鐘を鳴らしたみたいだね。生まれたときから知っている可愛い玲奈ちゃんが、『いつか、いつか』といってばかりで、今を取り逃がしてしまうのが心配だったのさ」
「紺二」は、玲奈さんに星新一の本を渡しながら、
「そろそろ、幼なじみ君の手紙に返事を書きなさいって、言ってるのかもしれないね」
「でも……、もらってからずいぶん長い時間が経ってしまったし、それにSNSでは、ふつうにやりとりも続けているから……」
そのとき、音をたてて天井から降ってきたものがあった。
レターセットだ。
数枚の封筒とレターパッドのセットが、何組も落ちてきたのだった。それぞれ、季節やイベントをモチーフにしたデザインのようだ。折に触れ買ってきては、なかなか言葉が見つからず、結局しまい込まれたレターセットの数々。
「おや、つくも神様が『時は今だ!』と、合図を送っているみたいだね」
「紺二」が笑顔で言った。
晶太と「紺二」はマンションを後にした。
「結局、魔法を使わずに解決したね。玲奈さんは今ごろ、手紙を書いているかな」
「いやいや、あれでけっこう頑固な子だから、手紙じゃなくて、長持のほうを送り返すかもしれないぞ」
などと、話しながら歩く。
書道教室の玄関を開けたとき、おしゃべりを続けていた「紺二」が、いきなりくずれ落ちた。
(どうして?「灰一」と交替するのは明日の朝なのに)
次の瞬間、はっと気づく。
晶太は、抜け殻になった作務衣を飛び越えて、家のなかへ駆けこんだ。
銀ひげ師匠が、戻ってきているのだ。