かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

雪娘の櫛(創作掌編)~ハヤさんの昔語り#2-9~

 

 コーヒーを淹れるお湯の適温は、83度から96度だと言われている。

 ハヤさんはコーヒー豆によって、88度か93度に分けているそうだ。

「さらに言えば、美味しく飲める温度は60度から70度なので、お客様にお出しするとき、70度以下にならないよう心掛けています。温度計で測っているわけじゃないですが、長年の経験で」

 以前、私がハヤさんの珈琲店に客として通っていたとき、テーブルに置かれた熱いコーヒーに、すぐ手を伸ばすことはなかった。

 

「実は……、冷めてしまう前にひと口だけでも飲んでいだたきたいな、と思ってました。瑞樹さんが猫舌だと知るまでの話ですけれどね」

「そうだったの、気づかなかったわ」

「ちょうど良いと感じる温度は人それぞれですから。でも、あまりにも隔たりが大きいと誤解じゃ済まなくなります。僕が寸一だったときのことですが━━」

 と、江戸から明治の時代、寸一として生きた「前世」の記憶を持つ、ハヤさんの昔語りが始まった。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 四郎を可愛がってくれた叔父は独り身を通していたが、その訳を聞いたのは、亡くなる少し前のことであった。

 若い頃、叔父は家へ戻る道で、見知らぬ娘に出会ったという。

 雪の降るなか笠もかぶらず、薄い着物で佇んでいる姿が哀れで、素通りすることができずに連れて帰った。

 家で叔父の帰りを待っていた母親は驚き、囲炉裏の火を掻き立て、熱い汁物を拵えたが、娘は遠慮しているのか、囲炉裏端に近寄ろうともしない。

 それでも、ぽつりぽつりと言葉を交わすうちに、娘の人柄が伝わってくる。

「ただそこにいて、やさしく笑っているだけで、なんともいえず幸せな気持ちになったのだ。俺は娘を喜ばせたい一心で、飯も後回しにして風呂を炊いた。娘は困ったように俯いていたが、強く勧めると、ようやくうなずいてくれた」

 ところが、いつまでたっても娘は風呂から上がって来ず、湯を使う音すら聞こえない。

 心配して様子を見に行った母親が、高い声で叔父の名を呼んだ。

 駆けつけてみると、湯殿には誰もいない。

 ただ、湯船の湯のなかに、娘が差していた朱色の櫛が浮かんでいるだけだった。

 

「あれは雪娘だったのだろう。俺は悔やんでも悔やみきれなかった。火の側には寄せず、冷たい飯を食べさせ、水風呂に浸からせてやれば、共に暮らせたものを……」

 声を震わせ、涙を流す。

「俺が死んだら、棺桶に入れてくれ」

 繰り返し頼みながら、四郎に朱色の櫛を託したのだった。

 

 若者となった四郎が小夜と出会ったとき、叔父の涙と朱い櫛のことを思い出した。

(なんとしても、この娘を守らなくては……)

 と、心に決める。

 小夜は、何代にもわたり寒冷な高地に住む一族の出だった。

 四郎の嫁になるのは承知したが、夏のあいだは里帰りさせてほしいと言う。小夜は、暑さに耐えることができないのだ。

 四郎に否やは無かった。しかし、父と母はなかなか首を縦に振らない。

「何かと忙しい夏の盛りに居なくなる嫁など、聞いたことがない」

 と、顔をしかめるばかりだった。

  小夜の一族は昔、山の神様の子孫として敬われたと聞いているが、今はもう忘れ去られているようだ。 

 

 思いあぐねた四郎は、小夜を連れ、寸一のところへ知恵を借りに来たのだった。

 

 透き通るような白い顔をした小夜は、言い伝えられる雪娘の儚さではなく、明るい白銀のきらめきを持つ娘である。

 話をしてみると、不思議な力が備わっていることがわかった。

 人の体が発している熱を、目で見るようにありありと感じ取ることができ、しかも、その力を使って人を癒せるのだ。

 寸一に見せるため、小夜は四郎を床に横たわらせると、その体の上に袂から取り出した小石を置いていった。

「ここには余分な熱がこもっているから冷やす石、こちらは冷たくこわばっているから温める石……」

 つぶやきながら、いくつかの小石を置き終えて、にっこりと笑う。

「しばらくこのままにしていれば、体が楽になります」

 

 聞けば、石は山中で拾ってきたものだという。どの石にどんな効力があるのか、ひと目でわかるらしい。

 小石を載せたまま横になっている四郎の顔が、それとわかるほど和らいでくる。

 感心して褒めると、小夜は目を見張って答えた。

「たいそうなことではありません。けれど、喜んでもらえたのなら嬉しい」 

 

 寸一の助言に従い、四郎は渋る母親を説き伏せて、小夜の療治をためさせた。

 次は父親、兄弟、そして近隣の人びと──。

 

 やがて小夜は、自慢の嫁として、四郎の家で大事にされることとなった。

 

    △ ▲ △ ▲ △ 

 

「つまり、暑さに弱いのではなく、熱に対する感覚が人並みはずれて優れている、ということだったのね」

「ええ、その通りです」

 相槌を打ちながら、ハヤさんがコーヒーを淹れている。

 

「さあ、どうぞ」

 といって、私の前に置かれたのは、普段は使わない小さなデミタスカップだった。

 しかも、3つ並んでいる。

「僕は猫舌も同じだと思います。熱いのがダメというより、味覚が鋭いんですよ。だから、60度以下でも美味しく飲めるコーヒーを研究してみました。飲んで意見を聞かせてください」

 期待に満ちた目にうながされて、3つのカップのコーヒーを味わう。

 さて、困った……。

 ハヤさんのコーヒーは、いつでも同じように美味しいとしか、答えようがないのだ。

 

 

『はたらく細胞原画展』に行ってきました。

 

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去年、TVアニメ『はたらく細胞』について記事を書きましたが、今回は漫画の原画展に行ってきました。

   

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はたらく細胞』は、赤血球と白血球を中心とした体内細胞の人知れぬ活躍を描いた細胞擬人化ファンタジーです。

 

プロの漫画家さんですから当然といえば当然なのですが、ほんとうに絵がすばらしくて、見とれてしまいました。

漫画の原稿やカラーイラストの原画などに加え、「ネーム」とか「絵コンテ」と呼ばれる、1枚の紙を見開きにして、コマ割りしたところに、ラフなタッチで構図やセリフ、キャラクターなどを描いた貴重な原稿も展示されています。

 

原画はもちろん撮影禁止ですが、会場内には2箇所フォトスポットがありました。

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また、スタンプラリーがあり、会場と百貨店内の4箇所に設置されたスタンプを押して完成させると、オリジナルステッカーがもらえます。

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フォトスポットで撮影やスタンプラリーなど、いつもならちょっと面倒に感じてスルーしてしまうのですが、今回は童心にかえって楽しく遊んできました。

限定グッズのクリアファイルも購入、職場で使ったら癒されそうです。

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前回、掌編で人の体内世界について書きました。

主人公が「昔のSF映画」を思い出すシーンがあるのですが、これは『ミクロの決死圏』という映画のことです。

 

コメントしてくださった、かぴたん (id:RetCapt1501)さんも、この映画をご覧になっていると知り、

 “手塚治虫先生の「ミクロイドS」の影響を受けた作品だと聞いたことがあります。”

とコメントを返したのですけれど、後になってから何となく気になり調べてみたところ、

ミクロの決死圏』…1966年8月24日初公開

『ミクロイドS』…1973年3月26日号から同年9月3日号まで連載

━━ということで、真っ赤なカン違いでした(笑)。

コメントのやりとりがなければ、この先ずっとカン違いしたままだったに違いありません。

かぴたんさん、ありがとうございます。

 

ちなみに、私は『ミクロの決死圏』『ミクロイドS』『はたらく細胞』などの名作に、たくさんの影響を受けて前回の掌編を書きました。

 

 

 

テヅカ料理人学校の卒業実習(創作掌編)

 

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 自分でも感心するくらいがんばった1年が過ぎ、料理だけではなく自信も身につけた、と僕は思った。

 けれど今、「卒業実習室」へ向かいながら、胸のドキドキを押さえられない。

 

 昨日、僕は医師の診察を受け、そのまま絶食した。

 実習室に入り、白衣の技師から渡されたのは、カプセル内視鏡だ。

 外周に刻まれた螺旋状の突起を回転させて進むことができる、自走機能を搭載した内視鏡だった。

「従来のカプセル内視鏡は、消化器のぜん動運動によって運ばれていたので、飲んでから排出されるまで丸1日以上かかりましたが、この最新型の内視鏡ならば数時間で済みます」

 技師の説明にうなずきながら、小さなカプセルを飲み下す。

「機器が正常に作動していることが確認できました。それでは、コックピットへ移動してください」

 誘導されるままに場所を移った。

 

 卒業実習室の中央に設置されているのは、ドーム型のブースだ。

 内側はカプセル状の楕円形で、床に固定された座席が一つ、そして360度ぐるりと、大きな窓がついていた。

 本物の「窓」ではない。カプセル内視鏡から送信されてくる動画を、リアルタイムで映し出すスクリーンなのだ。

 僕が座席に座ると、技師はベルトでしっかりと固定した。

「映像だけではなく音や振動も再現されるので、時には座席が大きく揺れることがあります。ここはコックピットと呼ばれていますが、自動操縦の内視鏡ですから、操縦かんはありません。もし、気分が悪くなったら、インカムのボタンを押してください。いつでも外と交信できます」

 

 技師が立ち去ると、僕は深呼吸をしながら周りを見まわした。

(まるで、一人乗りの宇宙船か潜水艇みたいだ)

 これから「消化管」という、生命を維持するための一本の管、一筋の道を進む旅が始まるのだ。

 昔、テレビで観たSF映画を思い出す。

 物質をミクロ化する技術が進んだ未来世界で、手術不可能な患者を救うため、医療チームを乗せた潜航艇を細菌以下のサイズにミクロ化して、体内に送り込み治療するというストーリーだった。

 

 真っ暗だったスクリーンがまたたいて、息をのむような光景が表れた。

 幾筋ものひだが走る、なめらかな淡紅色の世界━━。

 そして、規則的に打つ鼓動の響きと、血液が動脈を流れる「ザーザー」という音。このふたつの音が、控え目だが頼もしいベース音のように、聞こえ続けていた。

 

 インカムから、ナビゲーターの声が流れてくる。

「ここは胃底部と呼ばれる胃の上部です。ここへ来るまでに、舌や喉など25種類以上の筋肉が働いて、気管の入り口をふさぎ、食道へ押し込みながら逆流を防ぐという『飲みこみ』の動作が、見事な連携で行われたのです……」

 淡々としているけれど、優しい女性の声だ。

 耳を傾けながら、外の風景に目をこらす。

 ひだの表面には無数のくぼみがあって、きらめく液体が泉のように湧き出てくるのが見てとれた。

「強酸性の胃液は雑菌を退治すると共に、食べ物のタンパク質をほぐして消化します。胃は、ただの袋ではありません。1分間に3回ほどくびれながら中身をまぜたり、空腹時には波打つような動きで内部の掃除もするのです」

 座席を揺らす、ゆるやかな動きのひとつひとつに目的があること知ると、それはどこかひたむきで、感動的にすら思える。

 胃から十二指腸へと下降しはじめたとき、なんとなく名残り惜しい気がした。

 

 けれど、しんみりとした気分は、十二指腸の片方の壁に、奇妙なまるい出っ張りを発見したことで消し飛んでしまった。

(2つもある! これって、ポリープというやつだろうか、大丈夫なのかな?)

 僕の不安を感じ取ったかのように、ナビゲーターの落ち着いた声が応える。

「手前の小さな突起からは膵液が、その先の大きな突起からは膵液に加えて胆汁が流れ出ています。膵液も胆汁もアルカリ性で、胃酸を中和する働きがあります。十二指腸では、タンパク質だけではなく脂質の分解が本格化するのです。脂質の50%から70%は、十二指腸以降で分解されるといわれています」

 つまり、とても大切な出っ張り、というわけだ。

 

 食べ物がさいごにたどり着くのが「腸」。

 最終的な消化と吸収を行なう小腸は、全長が6~7メートルもあり、十二指腸、空腸、回腸に分かれている。

 十二指腸を通り抜けて空腸まで来ると、目に映る風景は一変した。

 管をぐるっと一周する輪っか状のひだが数多く現れたのだ。ひだの表面には指先のような突起物が無数に生えている。

 その指先がすべて、自分に向かって差し伸べられているように感じて、僕は思わず座席の中で身を引いた。

 

「これらの絨毯の毛のような組織は『絨毛』といい、実際には高さ1ミリ前後の突起物です。入り組んだひだや絨毛は、表面積を格段に広げる効果があり、消化酵素によって分解されてきた栄養素に、より多く触れ、限られたスペースで最大限効率的に吸収することを可能にしています」

 おびただしい数の絨毛が、命の糧を求めてゆらめくトンネルを進みながら、僕は長い時間を過ごした。

 空腸から回腸にかけて、なだらかに構造が変わっていく。回腸の後半へ進むにつれて、絨毛は短くまばらになってきた。

 

 大腸まで来ると絨毛は見えなくなり、代わりに現れたのは、数百兆個という膨大な数の腸内細菌だ。細菌は種類ごとに集団を作って腸内に棲み着いている。腸内フローラと呼ばれるが、フローラとは植物群集、あるいはお花畑の意味があるそうだ。

 もちろん、僕の目に細菌のお花畑が見えるわけではない。けれど、今までの道のりとは違う、不思議な雰囲気を感じた。

「腸内細菌は免疫の活性化など、宿主であるヒトに対して有益に作用し、ヒトのほうは細菌に適した環境を提供しています。これを『共生』と呼びます……」

 

 

 自走機能により短縮されたとはいえ、4時間近いカプセル内視鏡の「旅」だった。 

 卒業実習を終えた後、服装を整えてから校長室へ向かう。テヅカ校長と一対一で話をするのは、これが初めてだ。

 校長は料理人ではなく医師免許を持つドクターで、大病を患ってから「食」の重要性を痛感し、料理の学校を設立する決意をした、と聞いている。

 向かい合ってみると、大きく温かな人だった。

 

「お疲れ様でした。今の率直な感想を聞かせてもらえますか?」

 深い関心を表して、校長が尋ねた。

「はい。人は食べたもので出来ている、と教わりましたが、今日の実習を受けて、ほんとうにそうだと思いました。これから僕が作る料理は、それを食べた誰かの一部になるということです。料理人として僕は、責任と、そして誇りを感じました」

「これはこれは、嬉しい言葉だ。ありがとう」

 テヅカ校長は顔をほころばせた。

「━━さて、こうして話すことができるせっかくの機会ですから、君のほうからも、何か質問や意見があればどうぞ」

 

 実はさっきから、気になっていることがあるのだ。

 目の前でほほ笑む相手の、黒縁めがねとベレー帽を見つめながら、僕は思いきって質問した。

「校長先生は、あのマンガの神様のご親戚なのですか?」

 テヅカ校長は楽しそうに笑い、それから真面目な表情になって、

「いえ、たまたま名字が同じというだけです。しかし私もまた、心やさしい科学の子たちが、より良い未来を拓いていくと信じる者のひとりです。たとえ、時代遅れだと言われても、ね」

 と、答えた。

 

テヅカ料理人学校の料理対決(創作掌編)

 

 学校を卒業したら、両親が営む小さな洋食屋を継ごうと決めた。

 子供のころから見ているので、大変さはそれなりにわかっている。とはいえ、僕には他に進みたい道もなく、どうせならいちばん身近な人に喜んでもらえる仕事をしようと考えたのだ。

 けれど、親たちは期待したほど嬉しそうな顔をしなかった。少し首をかしげて微笑む母のとなりで、父はしばらく無言のまま思案してから、

「まずは1年、専門学校へ通って調理師免許を取りなさい」

 とだけ言った。

 そして、父が選んだのが『テヅカ料理人学校』だったのだ。

 

 ネットで調べてみると、何と全寮制の専門学校で、充実したカリキュラムが高評価を得ているだけに学費は高かった。

 繁盛はしているものの、決して裕福とはいえない経済状態のなか、学費を一括前納してくれた両親のためにも、一生懸命勉強しようと気を引き締めた。

 

 テヅカ料理人学校では、先生を教授と呼ぶ。

 まさに、教え授けることに全力を尽くす人ばかりで、なかには学校の寮に住み、生徒と寝食を共にする教授までいた。

 一流の料理人でもある彼らは、まるでスポーツのように料理を教える。

 基礎練習の反復と継続、そして理論。

 先人が経験から体得した料理の勘どころと、その仕組みについて徹底的に解説する。基本の調理技術に加え、知識と理論をしっかり身につければ、応用が利き、アイデアが生まれるというのだ。

 

 学習した理論はどんどん実践していく、というのが学校の方針だった。

 個人あるいはチームで「料理対決」をする。学んだことを試してみる練習試合のようなものだ。

 決まった食材と限られた時間で料理を作り、試食した教授たちが勝敗の判定を下す。

 もともと僕は競争が苦手だ。

 苦労を分かち合いながら学ぶ仲間を相手に、勝ち負けを争うなんて、できればやりたくなかった。

 勝っても嬉しいというより戸惑う気持ちが強く、みんなの前で「負け」を言い渡されたときは、恥ずかしさで身が縮む思いがした。

 

 けれど、ほんとうの勉強はそこからが本番なのだ。

 負け組に対して、教授陣の厳しくも手厚いサポートが始まる。

「なぜ負けたのか?」

「何が不足していたのか?」

「どうすれば勝てるようになるのか?」

 言いわけ以外なら、どんな答えにも真剣に耳を傾け、何時間かかっても納得がいくまでつき合ってくれる。

 僕は幾度となく泣きながら、その「授業」を受けたのだった。

 

 勝つよりも、負けて学ぶことのほうがはるかに多い。「負けるが勝ち」という言葉を、これほどリアルに体感できるとは思わなかった。

 料理対決はトーナメント方式で行われる。

 勝ち抜き戦だけではなく、逆方向の「負け残り戦」が組み込まれているのが、テヅカ料理人学校の独自ルールだ。

 力不足で負けた生徒には、その力が足りなければ足りないだけ学習の機会を設けたい、という配慮である。

 

(楽々と勝ち抜いて、いつも優勝してしまう生徒は、どうすればいいんだろう?)

 と、自分にとっては無縁の心配が頭をかすめる。

 だけど、大丈夫。

「優勝者には特別に、教授が相手になって料理対決をする」

 というルールがあるのだ。

 優勝した仲間に聞いてみたところ、教授相手の対決で徹底的に打ちのめされた後のサポート授業は、それはそれはしんどかったらしい。

 誰もが「負けるが勝ち」を、骨身にしみて実体験できる仕組みになっていた。

 

 

【後編の『テヅカ料理人学校の卒業実習』に続きます…】

 

 

近くて遠いところ

 

先週の三連休最終日の夜、シーリングライトの蛍光灯が切れました。

椅子の上に乗っても天井のライトには手が届かない、それは引っ越してきてすぐ確認し、蛍光灯の交換は誰かに頼むしかない、と思っていました。

いざそのときが来てみると、カバーをはずさなければ蛍光灯の型番がわからないため、事前に買っておくことができず、人にお願いするにしても一度では済まないという面倒な状況です。

 

それならば、自力で何とかしようと考えました。

必要な高さは70cm程度、そして、高所は苦手でバランス感覚も良くないので、安定感を優先という条件で探しました。脚立や踏み台などいろいろ調べて、身体を安定させて作業がしやすい「上わく付き踏み台」が最適だとわかり、早速ネット注文しました。

 

 

発注した翌々日に「折りたたみステップ3段」は到着しました。高さもちょうどよく、「上わく」が付いているので、つかまりながら昇り降りができ、いちばん上の段に立つときは少し怖かったものの、無事にシーリングライトのカバーと切れた蛍光灯をはずすことができました。

折りたためば約8cmの厚さで、クローゼットの隅に収まります。

 

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見るからにお疲れさまの丸型蛍光灯。

同じ種類のものをネット注文し、翌日には品物が届きました。

 

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新しいナチュラル色の蛍光灯を取り付けた後、点灯してみると、不自然なほどの明るさでした(笑)。

蛍光灯が切れてからずっと、夜は壁際のダウンライトの薄明かり、朝は窓からの自然光という生活でした。当初は不自由に感じたのですが、すぐに慣れて落ち着き、交感神経と副交感神経の切り替えがスムーズになるのか深く眠れるというメリットもありました。

それでも、常態に戻ることができ、一安心です。

 

これで一件落着。

そう思ったのですが、数十分後、灯りがすっと暗くなりました……。

といっても、光の量が1~2割ほど減少しただけで、普通に明るいことは明るい。むしろ、消える前はこのくらいだったのかなという感じです。

うーん、これはいったいどういう現象なのでしょうか。

ちなみに、うちのシーリングライト、「National」製でした。

 

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「National」が「Panasonic」に変わったのは、2008年10月らしいので、11年以上前の製品ということになります。

蛍光灯だけではなく照明器具本体も、そろそろ交換時なのかもしれません。

賃貸住宅では、蛍光灯などの消耗品は借主が交換し、初めから部屋に付いている照明器具はオーナーさんの所有物なので、故障した場合は管理会社へ連絡して対処してもらわなければならないと聞きました。

今回は、故障かどうかも微妙なところです。

 

一難去ってまた一難、という感じですが、しばらく様子を見ることにしました。

ほんとうは、こういうのは苦手です。心配性なので、気が気じゃないのです。

けれど、思えば、ちょっとした「難」は尽きることがなく、いちいち気にしていると際限がありません。

「放念力」を身につける練習だと思って、しばらく様子を見ます。

 

カプセル(創作掌編)

 

 変わり者だが優しかった伯父が亡くなり、遺産としてカプセルホテルを相続することになった。

 今でこそ、スタイリッシュで快適な進化型が増えてきているけれど、僕が相続したのは、築25年を数える個性派のカプセルホテルだ。

 かつて伯父は、日本発祥のカプセルホテルが棺桶のようだと、海外から揶揄されていることを知り、

(それならば、いっそ……)と、思い立った。

「究極の安らぎ」をコンセプトに、独自路線を突き進んだのだ。

 

 カプセルベッドには、西洋の伝統的な棺をイメージしたデザインを取り入れた。見本として、海外から最高級の棺桶を取り寄せるほどの凝りようである。

  法規上、出入り口の密閉ができないカプセルベッドだが、仕切りのカーテンから、壁、床、天井まで、遮音と吸音の技術を駆使して防音性を追求した。また、就寝スペース全体に電波を遮断する施工をしたので、携帯電話やスマートフォンは使用不能だ。もちろん有線のインターネット接続もできない。

 カプセル内にテレビなどの電子機器は設置されておらず、夜間の照明は月光に近い0.3ルクス、目覚まし時計もアラーム音が鳴らない振動式だった。

 静謐を確保するために、便利さを捨てたというわけだ。

 

 新オーナーになった僕は、さっそく泊まってみることにした。

 カプセルホテルに宿泊するのは初めてだから、興味津々だ。カプセルベッドのなかは飲食禁止と聞いていたので、チェックイン前に夕食を済ませておく。

  創業時からの有能な支配人である羽生夫妻が出迎えてくれた。

 すでに伯父の葬儀で顔を合わせていたが、共に見事な銀髪だという以外は、年齢を感じさせない2人である。人材管理から建物内外のメンテナンスまで、すべてを取り仕切っており、ホテルにとって必要不可欠な存在なのだ。

 

 羽生夫人の案内で、ロッカールーム、個室タイプのシャワーブース、休憩スペースなどを見てまわったが、どこも清潔そのものだった。少数精鋭のスタッフによる、静かで整然とした仕事の成果だという。

 ここまで徹底しているからこそ、散らかしたり、騒がしい音を立てたりということを、各人が自粛し始めるのかもしれない。 

「オープン当初は、棺桶風のカプセルベッドが評判になり、ホラーファンのお客様が多かったのですが、今では、俗世間を離れてリフレッシュしたいというリピーターの方が主流になっております」

「ええ、わかります。僕も時々、押し寄せてくる情報を強制的にストップして、頭を休めたくなります。意志が弱いので実行できませんが」

 案内を済ませた羽生夫人は持ち場へと戻って行き、僕はシャワーを浴びてから寝支度を調えた。

 

 ベッドは寝心地がよく、ほかのカプセルで休む人たちの気配や物音も穏やかだ。

 それでも、なかなか寝付けない。

 気を紛らわす手段がないので、つまらないことをあれこれ考えてしまう。仕方なく僕は、浮かんでは消え、再び浮かびあがってくる考え事のループをそのままに、ひっそりと横たわっていた。

(一般的なホテルの部屋の設備は、便利さだけじゃなくて、退屈対策でもあるんだな。退屈を避けるために、僕はいつも、どれだけお金や労力を費やしていることだろう)

 時間が経つにつれ、まわりから聞こえていた身じろぎの音が、規則正しい寝息へと変わっていく。

 まるで、集合住宅の窓に灯る明りが、ひとつ、またひとつ、と消えていくようだ。

 寂しさと同時に、不思議な安らぎも感じる。だんだん呼吸が深くなり、僕はいつのまにか眠りに落ちた。

 

 翌朝、大人になってから初めてといっていいくらい、さわやかに目覚めた。

 休憩スペースでは、朝食サービスのパンとコーヒーが用意されている。プレーンなテーブルパンを味わっていると、近くの席にいた女性客の、

「ぐっすり眠れて、すごくリフレッシュした!」

「うん、リフレッシュのきわみだね」

 という会話が耳に入り、オーナーとして嬉しい気持ちになった。

 

 僕は上機嫌で自宅へ帰った。

 郵便受けに、伯父の顧問弁護士をしていた人からの手紙が来ていた。書類を整理していたら、オープン当日のカプセルホテルの写真が見つかった、と書いてある。

 キャビネ版というのだろうか、ハガキより少し大きめの写真が2枚、同封されていた。

 開店祝いのスタンド花が並んだホテルの全景を撮った写真である。建物自体はともかく、周囲の町並みが様変わりしていることに、25年という歳月を感じる。

 2枚目の写真を見て、僕は驚いた。

 オープニングスタッフが勢ぞろいしている記念写真で、まだ五十歳前後だった伯父のとなりには、羽生夫妻が立っている。

 その姿が、今現在とまったく変わらないのだ。

 

 もちろん、年齢を重ねても、見た目があまり変わらない人はいる。美しい銀髪も、昔はファッションとして染めていたのかもしれない。

 なにより古い集合写真だ。細部まで鮮明に写っているとは言いがたかった。

 しかし僕の頭は、突飛な思い付きでいっぱいになってしまった。

 たとえばギリシャ神話では、眠りと死は兄弟である。

「究極の安らぎ」がもたらさす眠りからの目覚めは、リフレッシュが極まって「リボーン」となったのではないだろうか。あのカプセルのなかでは、小さな死と甦りが繰り返されているのかもしれない。

 

 羽生夫妻は住み込みの支配人で、住居はカプセルホテルの地下にあった。

 もし、彼らが毎日、新しく生まれ変わりながら暮らしてきたとしたら、25年前からまったく年をとったように見えないのもうなずける。 

(奇跡のアンチエイジング・ホテルというわけだ。写真を羽生夫妻に見せて、僕の仮説が当たっているかどうか問い掛けてみたい)

 ばかげた妄想だとわかっていても、確かめずにはいられない衝動に駆られた。

 

 家を出て、再びホテルへと向かう。

 ところが、着いてみるとエントランスは閉じ、「本日休業」のプレートが出ていた。

(そういえば、この業界にはめずらしく、月1度の定休日を設けていると聞いたけれど、それが今日だったとは……。でも、羽生さんたちは館内に居るかもしれない)

 ぼくは、オーナーになったとき渡された鍵束を取り出し、建物のなかへ入った。

 

 地下へ降りていく。

 ボイラー室と電気室の先に、パーテーションで仕切られた住居スペースはあった。

 昨日、羽生夫人が案内してくれたときには閉まっていたドアが、今は開け放してある。

 声を掛けてみたが、返事は無し。

(ふたりで外出してしまったかな?)

 留守中に立ち入るわけにはいかない。それでも僕は好奇心を押さえられず、ドアの外から覗き込んだ。

 

 大きな四角い部屋を、コーナーごとに使い分けているようだ。

 バスルームだけは囲われているけれど、それ以外は壁で区切っていないので、全体が見渡せた。

 手前はダイニングとキッチン、その向こうが、落ち着いた雰囲気のリビングだ。いちばん奥は、寝室のコーナーとなっていて、シンプルなベッドが2台並んでいるのが、薄明かりの下で見てとれた。

 人の気配はない。

(やっぱり、明日にでもまた出直そう)

 その場を離れようとしたが、ふと違和感を覚えて振り返る。

 

 あれは、ほんとうにベッドだろうか……?

 ベッドにしては、奇妙な形状だ。

 僕はじっと眼をこらし、そして、思わず息をのんだ。

 寝室に並んでいたのは西洋の伝統的な棺で、その蓋は閉じられていた。

 

 

ノマドカフェの窓

 

 月末から月初にかけての数日間は、仕事がいつもより忙しいので、あまりブログ記事を書けませんでした。

 それでいながら、休日になると緊張が解けてぐだぐだになってしまい、パソコンに向かっても気力が湧きません。どうせなら、やることをやって心置きなく、ぐだぐだしたいものです。

 思いついた解決策が「場所を変えること」。

  

ノマドカフェ」で検索してみると、近所にもいくつかそういうカフェがありました。

 お店を決めたら、残る問題はノートパソコンを外で使う方法です。 

 Wi-Fi無線LANなのは知っていますが、実際にはどうすればいいのか…? 調べていくうち、スマホのデザリングを使えばいいことがわかりました。

「デザリング」とは、スマホをパソコンなどの電子機器と接続することで、インターネットが利用できるようになる機能のことです。接続方法は、Wi-Fi接続、Bluetooth接続、USB接続の3種類があります。

 もっとも簡単で、今回の利用に向いていたのが、USB接続でした。

 USBテザリングはほかの2つに比べて、パスワードの設定などをする必要もなく、USBケーブルさえあれば簡単に接続できます。

 

 いろいろ調べる手間ひまを、ブログ記事のほうに費やせばいいような気もしますが、こういうのも「別腹」なのかもしれません。

 いつもよりスピードアップして家事を済ませ、ノートパソコンをバッグに入れて出発しました。

 とても静かで落ち着いた雰囲気のカフェでした。

 パソコンで作業している人が多く、お客同士の会話もほとんど聞こえてきません。

 

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 下調べして決めておいた「ミニソフトセット」がとてもおいしかったです。

 

 私は場の雰囲気に影響を受けやすいので、2時間ほど集中してパソコンに向かうことができました。

 

 ノマドnomad)は「遊牧民」を意味する言葉です。ノートパソコンなどを持ち歩き、決まったオフィスではなく、Wi-Fi環境や電源コンセントのあるさまざまな場所で仕事する人を「ノマドワーカー」と呼ぶそうです。

 私のパソコンに「ノマド」と入力したら、「の窓」と変換されました。

 

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ノマドカフェの窓」

隣の人が席を立った隙に、あわてて撮ったのでブレてしまいました(笑)。