学校を卒業したら、両親が営む小さな洋食屋を継ごうと決めた。
子供のころから見ているので、大変さはそれなりにわかっている。とはいえ、僕には他に進みたい道もなく、どうせならいちばん身近な人に喜んでもらえる仕事をしようと考えたのだ。
けれど、親たちは期待したほど嬉しそうな顔をしなかった。少し首をかしげて微笑む母のとなりで、父はしばらく無言のまま思案してから、
「まずは1年、専門学校へ通って調理師免許を取りなさい」
とだけ言った。
そして、父が選んだのが『テヅカ料理人学校』だったのだ。
ネットで調べてみると、何と全寮制の専門学校で、充実したカリキュラムが高評価を得ているだけに学費は高かった。
繁盛はしているものの、決して裕福とはいえない経済状態のなか、学費を一括前納してくれた両親のためにも、一生懸命勉強しようと気を引き締めた。
テヅカ料理人学校では、先生を教授と呼ぶ。
まさに、教え授けることに全力を尽くす人ばかりで、なかには学校の寮に住み、生徒と寝食を共にする教授までいた。
一流の料理人でもある彼らは、まるでスポーツのように料理を教える。
基礎練習の反復と継続、そして理論。
先人が経験から体得した料理の勘どころと、その仕組みについて徹底的に解説する。基本の調理技術に加え、知識と理論をしっかり身につければ、応用が利き、アイデアが生まれるというのだ。
学習した理論はどんどん実践していく、というのが学校の方針だった。
個人あるいはチームで「料理対決」をする。学んだことを試してみる練習試合のようなものだ。
決まった食材と限られた時間で料理を作り、試食した教授たちが勝敗の判定を下す。
もともと僕は競争が苦手だ。
苦労を分かち合いながら学ぶ仲間を相手に、勝ち負けを争うなんて、できればやりたくなかった。
勝っても嬉しいというより戸惑う気持ちが強く、みんなの前で「負け」を言い渡されたときは、恥ずかしさで身が縮む思いがした。
けれど、ほんとうの勉強はそこからが本番なのだ。
負け組に対して、教授陣の厳しくも手厚いサポートが始まる。
「なぜ負けたのか?」
「何が不足していたのか?」
「どうすれば勝てるようになるのか?」
言いわけ以外なら、どんな答えにも真剣に耳を傾け、何時間かかっても納得がいくまでつき合ってくれる。
僕は幾度となく泣きながら、その「授業」を受けたのだった。
勝つよりも、負けて学ぶことのほうがはるかに多い。「負けるが勝ち」という言葉を、これほどリアルに体感できるとは思わなかった。
料理対決はトーナメント方式で行われる。
勝ち抜き戦だけではなく、逆方向の「負け残り戦」が組み込まれているのが、テヅカ料理人学校の独自ルールだ。
力不足で負けた生徒には、その力が足りなければ足りないだけ学習の機会を設けたい、という配慮である。
(楽々と勝ち抜いて、いつも優勝してしまう生徒は、どうすればいいんだろう?)
と、自分にとっては無縁の心配が頭をかすめる。
だけど、大丈夫。
「優勝者には特別に、教授が相手になって料理対決をする」
というルールがあるのだ。
優勝した仲間に聞いてみたところ、教授相手の対決で徹底的に打ちのめされた後のサポート授業は、それはそれはしんどかったらしい。
誰もが「負けるが勝ち」を、骨身にしみて実体験できる仕組みになっていた。
【後編の『テヅカ料理人学校の卒業実習』に続きます…】