かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

スケアクロウ(創作掌編)~銀ひげ師匠の魔法帖⑥~

 

 銀ひげ師匠の書道教室で最年少のゆなちゃんから、相談事があった。

 「話を聞いたかぎりでは、どうも魔法がらみに思える。それより気になるのが、なぜ私に、この手の相談を持ちかけてきたか、ということなんだが……」

「ひょっとして、師匠の正体を見抜いたとか?」

 言いながら、晶太は首をかしげた。

 銀ひげさんが魔法使いであることを知る人は少ないし、たとえ公表したとしても、信じる人はもっと少ないだろう。

 

 ゆなちゃんは、成人クラスに通っているお祖母さんに付いてきて、お習字に興味をもち、書道教室に入った子だ。まだ自分の名前の文字「結奈」を、繰り返し練習している初心者だった。

「どんな相談だったんですか?」

「なんでも、庭に立っているスケアクロウに、異変が起きているらしい」

スケアクロウというと、かかし、のことですよね」

 銀ひげさんは「お、知っていたか……」と、残念そうにつぶやいてから、話を続けた。

 

 スケアクロウを作ったのは、去年の夏休み、ゆなちゃんの家にホームステイしていた留学生だった。日本アニメのファンということで、出来栄えのクオリティはかなり高いようだ。当時4歳だったゆなちゃんに合わせて、背丈は1メートルくらい。キリッとした顔立ちで、コスプレ風の衣装をまとい、両手に細身の剣を持っている。

 家庭菜園の脇に設置されたスケアクロウは、ミニトマトを目当てに集まってくる鳥を追い払い、家族みんなに感謝されていた。

 

 今年から、お母さんの仕事がいそがしくなったため、野菜作りはやめてしまったけれど、スケアクロウはそのまま、ガーデン・オーナメントとして残っている。

 ドワーフやウサギ、カエルなど、ほかの置物たちと共に、ゆなちゃんが庭遊びするときの「お友だち」に仲間入りしたのだ。

  ところが、その大切なスケアクロウの顔つきが、すっかり変わってしまったという。

 

「ゆなちゃんが言うには、とても悲しそうで、つらそうで、見ていられないらしい」

 と聞いて、晶太は背中がぞくぞくしてきた。

「なんだか、呪いの人形みたいな感じですね」

「実際に見てみないことには何もわからないから、これから行くつもりだ。晶太もアシスタントとして、一緒に来るかい?」

 怖いもの見たさもあるし、魔法の勉強でもある。

 

 家を訪ねると、ゆなちゃんとお祖母さんが出迎えてくれた。

「わざわざお越しくださいまして、ありがとうございます」

 お祖母さんは、申し訳なさそうに言った。

「風雨と日光にさらされて、顔の塗料がうすれてしまったせいでしょうが、ゆなにとっては大事な友だちですから、ひどく心配しているようです。以前、先生がペンキ塗りや補修のお仕事をされていた、と伺ったことがあるので、折を見て、ご相談に上がろうと思っておりましたが──」

 どうやらゆなちゃんは、お祖母さんの先を越して行動しただけで、魔法使いだと見破ったわけではなさそうだ。

 

 銀ひげ師匠は晶太を従えて、さっそく庭へ向かった。

「ウタ」と呼ばれる魔法の呪文を唱える師匠の声が、低く流れてくるのを聞きながら、晶太はスケアクロウから目が離せずにいた。その顔に浮かんだ表情が、ほんとうに痛々しいことに驚いたのだ。

 師匠はしばらくのあいだ、かがみこんだり、周りを調べるようにまわったりしてから戻ってきて、ゆなちゃんに告げた。

 

「ゆなちゃんの言うとおり、このスケアクロウは今、すごくつらい気持ちでいるみたいだね。自分がまったくの役立たずで、ひとりぼっちだと思い込んでいる。ゆなちゃんが心配していることも、庭にいる仲間たちのことも、気づくことができないんだ」

「どうしてなの?」

「作物をねらう鳥を追い払うために作られて、そのためだけに働いてきたから、鳥以外のものは目に入らなくなっているのさ」

「かわいそうに……、助けてあげられないの?」

 目に涙をためて聞かれると、師匠は頼もしく応えた。

 

「私には、ヤシロ―という名の、とてもかしこくて優しいカラスの知り合いがいる。このスケアクロウも、相手がヤシロ―なら、姿を見ることができるし、声も聞けるだろう。話をしていくうちに、だんだん仲よくなってくれば、ゆなちゃんのことも、ヤシローから教えてあげられる」

「そのカラスを、追い払ったりしない?」

「そうだね、たぶん最初のうちは追い払おうとするだろう。気持ちが通じるまで時間がかかるかもしれない。だから、いつかスケアクロウが、ゆなちゃんのことに気づくまで、待っててあげてほしい。毎日あいさつして、『ここにいるよ』と、伝えてあげてくれないだろうか」

 ゆなちゃんは大きくうなずいてから、明かりが灯ったように笑った。

 

 書道教室へ戻る道すがら、晶太は感心して師匠を振り仰いだ。

「鳥と話せるなんて知りませんでした」

「いや、私は鳥と話などできないさ。たまたま、意志が通じ合うカラスを知っていただけでね。ヤシロ―は長年連れ添った奥さんに先立たれて、さびしい思いをしているし、あのスケアクロウと友だちになったら、きっとお互いのためにいいんじゃないかな」

「そうだったんですか。ゆなちゃんだけじゃなくて、お祖母さんも喜んでくれてよかったですね」

 

 帰り際、お祖母さんは銀ひげ師匠に、こう言ったそうだ。

 

「ゆなの気持ちに寄り添い、上手くお話をしてくださって、ありがとうございました。おかげさまで何日か振りに、ほんとうに嬉しそうなあの子の笑顔を見ることができました。先生はまるで、魔法使いのようでしたわ」

 

 

 

『骨盤にきく』~「身がまま」に生きる知恵~

 

新刊コーナーに並べられていた本の、表紙の絵と文字に引かれて手に取ったことをよく覚えています。

骨盤にきく―気持ちよく眠り、集中力を高める整体入門 (文春文庫)

骨盤にきく―気持ちよく眠り、集中力を高める整体入門 (文春文庫)

 

 

ゲシュタルト療法を知る数年前に買った本なのですが、今あらためて読んでみると、ずいぶん共通するところがありました。

『骨盤にきく』という書名がすでに、ゲシュタルト療法的です。

「あなたの骨盤がしゃべるとしたら、何て言っていますか?」

 

 骨盤にはその人の身心の勢い=体力・意欲が正直に現れます。

「元気がない」と本人が言っていても、本当は体力があり余っているのに活かすことができないだけなのか、本当に身体の力が抜けてしまっているのか、あるいは孤独な状況がそこにあるのか、意欲といっても単なる思い込みなのか━━骨盤は嘘をつきません。〈中略〉

 身体は体内のリズムや環境の変化に応じて、常に自分で自分を調整しようとします。それが一番端的に現れるのが骨盤の動きなのです。

 私たちの骨盤の機能がどんどん落ちているいま、身体の内側の声をきいてみよう、骨盤の声に耳を傾けてみようという提案をしたいのです。

(第一章 骨盤は嘘をつかない)

 

 著者の片山洋次郎さんは、1950年川崎市生まれ、現在『身がまま整体 気響会』を主宰。

二十代の半ばにギックリ腰になり、初めて「整体」を体験したことがきっかけで、整体やカイロプラクティックのような「治す」技術そのものに興味を持ちました。

周りの人に試してみたところ、痛みや凝りなどのいろいろな症状がとれてしまうので、だんだん人に頼まれて、整体をするようになります。

 やっていくうちに分かったのは、軽く触れているだけで、背骨や骨盤が自分で勝手に動いて「治って」しまうということでした。

野口整体の生みの親、野口晴哉(はるちか)さんの整体法から多くを学び、直接師事したことはないものの、その考え方に触発されて、独自の、より身体の声にしたがった整体技術を発見していきました。

  1. 緊張のある筋肉に対して、少し(ストレッチして)よけいに緊張を与え、あとは身体が自らの反作用でゆるもうとする反応を利用する。
  2. 身体の「歪み」に対しては、「歪んで」いる方向にちょっとだけ動かし、身体が自らゆるんで、「歪み」を解放しようとする反応を利用する。

「ゆるめる」というのが、片山さんの整体技術の基本です。

 

  • すべての緊張はみぞおちに通じる
  • 寝つきが悪い原因は腰椎1番
  • 集中度の高い人は腰椎4番に弾力がある
  • 「ムカツく」のは胸椎5番の過緊張
  • 愛と悲しみの胸椎4番 

 などなど、いかに身体と心とが影響を与え合っているのかが伝わってきます。

 

骨盤のねじれと孤独

骨盤底部の過緊張に加えて、縮みやすい左側の下だけがギュッと縮み、上は右側のほうだけが拡がって、骨盤がねじれた形で固まっている人は、とくに孤独感が強く、周りの世界にリアリティを感じられなくなります。

 本当に孤独なときは、誰かと一緒にいることや誰かに近づこうとすることで、かえってより孤独が深くなってしまう。こういうときは独りでいたほうがいいのです。

「独り」の覚悟ができると、骨盤の底部の緊張とねじれは自ずとゆるんでゆきます。

 ある種の「気構え」は、逆に身体状況を変えます。

「孤独」に向き合い自覚することはとてもつらい過程かもしれませんが、あえて覚悟を決めてみる。寂しさに任せ相手によりかかるコミュニケーションの悪循環をきっぱりと断ち、骨盤がゆるんでくるのを待ってみる。

 

興奮と虚脱のサイクルから抜け出す━━「待つ集中」

いろいろなプレッシャーがあるなか、「待つ」ということは、時に大変勇気のいることです。しかし、身体の声をきき、内側のリズムにしたがってはじめて、本物の集中状態や深い手応えへと進んでいくことができるのです。

 物事がよくない方向へ転がっていくとき、人は必ずあわてています。すぐにでも結果を出そうとしている。その流れをあえて変え、タイミングを遅らせるほうにズラしていくと、全然違ったことが見えてきます。状況に興奮しているだけなのか、本当に心が動いているのかが分かります。これは人生のあらゆることにおいても通じる身体技術です。

 とくに焦って落ち着きをなくしているときに、「待つ」ということは、骨盤上部の緊縮=自律的集中を呼び込むということなのです。 

 

集中力の三ステップ

集中力の段階に応じて、骨盤は変化していきます。

  1. ファースト・ステップ……こめかみとあごの間、首の横が緊張する。通常は腰椎4番の高さにある腸骨が上に持ち上がる。「やらなくちゃ」と思って軽くのぼせた状態で、やろうとする意欲はあっても、実際に行動のともなった集中力にはならない。
  2. セカンド・ステップ……頭頂部と骨盤底部がギュッと締まる。呼吸は止まりやすい。いわゆる興奮状態。「やらなきゃいけない」と感じながら仕方なしに何かをやっているときにも、ここまでの集中状態には持っていくことができる。
  3. サード・ステップ……後頭部の下のほうが縮み、骨盤は上部が縮む。こめかみの緊張はゆるんで、頭にも骨盤にも弾力がある。このとき丹田に最大級の力がこもり、呼吸は深く長い。もっともクリアに集中力が発揮でき、非常に覚醒度が高くなる。深い充足感があり、集中した後ゆるんでいくときも、それが静かに長く続く。 

 仕事でも、芸術でも、趣味でも、サード・ステップの理想的な集中状態を、日常的につくり出せている人は、それだけで、生きるということを十分に味わい尽くしているのです。

ですから、子どもの教育で一番大切なのは、その子が本当に自分から楽しくてやっているかどうかを、見ていてあげることだといいます。本当の集中力を身につけさせることができるのは、思いきり自分がやりたいことをやりたいようにやったという身体の経験だけだからです。

 

「普通に生きている」ことが最大の奇跡

片山さんの整体で独特なのは、

「生きることのトータルの中で身体をとらえている」というところです。

 たとえばがんの場合、すでに医学的にはやることのなくなった人でも、呼吸を深くするとよく眠れ、気分が軽くなります。 

 身近で介護している人に、そのやり方を覚えてもらう。がんを患っている人は、感覚が鋭敏になっているので、ちょっとさわってゆるめるだけで気持ちよく感じるそうです。たとえ上手なさわり方でなくても、介護における最良のコミュニケーション法の一つになり得るのです。

 がんは進行するほど急速に「老化」してゆきます。骨盤が急速に拡がってゆく。そのとき骨盤を矯正するのではなく、あえて老化を促進するようにゆるめていきます。そのほうが楽になります。

 生きるということは、成長することだけではなく、老いることも重要なファクターです。がんのような病気とのかかわりだけでなく、うまく老化するということは、命にとって積極的な意味を持つのです。

 

身体こそ安住の地

自分自身の身体の声をきく。「聴く」ということは、受動的なようでいて、実は能動的であり、それは「響き合おうとする主体的な姿勢」だといえます。

 私という生はどこに向かおうとしているのか、何を求めているのか──答えはすべて身体が知っています。心静かに耳を傾けるとき、深い呼吸の中から自然に湧き上がってくるものなのです。〈中略〉

 答えはどこか別のところにあるのではなく、常に身体の内にある。

 

ちなみに、私の骨盤は、

「共に歩いていく、共に生きていく」というような言葉をつぶやいていました。 

 

 

『植物はそこまで知っている』~ウチノキについて~

 

20年前のこと。当時働いていたオフィスで、園芸好きの社員が空き瓶を利用した水栽培を始めました。

社内に置いてある観葉植物の、伸びた茎や小枝をカットして、水につけておくと根が生えてきます。

「いずれ持ち帰って、鉢に植え替える」と言っていたのですが、そのままにして退職。

 

残された植物は2種類で、1つはポトス、もう1つは不明でしたが、多分ユッカだと思われます。世話をする人がいなくなってしまったので、しかたなく水換えなどしていました。

やがて、そのオフィスから移転することになったため、水栽培は自宅へ持ち帰りました。

それぞれ鉢に移して面倒を見ていましたが、残念ながらポトスの方は枯れてしまい、うちの植物はユッカ(推定)だけになりました。 

 

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呼称「ウチノキ」

週に1回程度、水遣りして、葉についたホコリをぬぐうくらいしかしていませんが、定期的に新しい葉を生やし、無事に育っています。

去年の2月に引っ越したときは、部屋の片付けが一段落するまでという約束で、ウチノキを姉に託しました。ところが、引っ越しの疲れが出たのか、首を痛めて通院することになったため、引き取ってきたのは数ヶ月後でした。

 

連れ帰ったウチノキの葉は、ずいぶん色があせてしおれかかっていました。

姉の話では、きちんと水遣りして、日にも当てていたのに、少しずつ弱っていったそうです。

「寿命かな?」と思いながらしばらく様子を見ていると、ウチノキはみるみる元気になってきました。

おそらく、水をあげるタイミングがこまめ過ぎたのでしょう。「土の表面がカラカラに乾いたら与える」というのが、観葉植物の正しい水遣りらしいのですが、私はいつも適当にやっていたので、適当にしか伝えていませんでした。

と、原因はわかっても「情」は別もので、ウチノキに対する愛着が一気に強まりました。

20年も一緒に暮らしてきたのだから、何か絆のようなものが形成されているのでは?

 

そういう疑問に答えてくれる本がありました。

 

植物はそこまで知っている (河出文庫)

植物はそこまで知っている (河出文庫)

 

 

『植物はそこまで知っている』~感覚に満ちた世界に生きる植物たち~(河出書房新社
ダニエル・チャモヴィッツ 著
矢野真千子 訳

著者のダニエル・チャモヴィッツ氏は、コロンビア大学を卒業後、エルサレムヘブライ大学で遺伝学の博士号を取得しており、テルアヴィヴ大学教授、および同大学マンナ植物バイオ科学センターの所長という、最先端の科学者です。

1990年代、イェール大学で博士過程終了後の特別研究員をしていたころ、周囲に光があるかないかを植物自身が判断するのに必要な遺伝子群を発見し、それらが植物だけでなくヒトにも存在しており、同様の役割を果たしていることを知りました。

「植物と動物の遺伝子は、それほど違わないのではないか」と気づいたチャモヴィッツ氏は、植物とヒトの生物学上の類似性を追究するようになりました。

 

 厳密に言えば、植物は「知っている」という私の言葉の使い方は正しくない。植物には中枢神経系、つまり体全体の情報を調整している「脳」は存在しないからだ。

そもそも植物とヒトのふるまいを同等に扱うことはできない。植物が「見る」あるいは「匂いを嗅ぐ」と書いたからといって、それはかならずしも植物に目や鼻(あるいは感覚器から得られる入力情報を感情に結びつける脳)があるという意味にはならない。

(プロローグ)

読み始めてすぐ、ウチノキと私とのあいだの感情は、一方通行であることがわかりました。

 

 植物は「植物にとって可視的な環境」をいつもモニタリングしている。植物は、あなたが近づいてくるのを知っている。あなたがそばに立って、見下ろしているのを知っている。青いシャツを着ているか、赤いシャツを着ているのかも知っている。 

 もちろん植物は、あなたや私が見ているのと同じ光景を「見て」いるわけではない。〈中略〉それでもさまざまな方法で光を見ているし、私たち人間には見えない色まで見ている。

(1章 植物は見ている)

人間には、明暗を知るロドプシンと、赤・青・緑の光を受け取るフォトプシン、そして体内時計を調節しているクリプトクロムという光受容体があることがわかっていますが、植物のシロイヌナズナには、現在、少なくとも11の光受容体の存在が確認されているといいます。

植物は動物と違い、より良い環境を選んで移動することができない分、変化する状況に合わせて生長するため、高度な感覚機能と調整機能を進化させてきたのです。

 

果実は熟すとき、大量のエチレンガスを発生します。すると、そのエチレンの「匂いを嗅ぎ」、周囲の果実も連鎖反応を起こして、さらに早く熟していきます。

それは、同じ場所に生っている実がいっせいに熟したほうが、動物や鳥類を呼び寄せやすく、種子の拡散を確実するための戦略なのです。

(2章 植物は匂いを嗅いでいる) 

 

植物は、触られることで反応する「TCH遺伝子」(touchから命名された)を持っており、接触や風雨などの物理的な刺激にリアクションします。

人に葉をさわられるなどの接触は、植物にとって警戒すべきストレスであり、もし、ひんぱんに繰り返されるようなら、その部分の生長を抑えて防御し、ときには枯れさせて切り離すことで、全体が生き延びる可能性を高めるのです。

接触が引き起こす生長阻害」は植物全般に見られる現象だと認められています。

(3章 植物は接触を感じている)

 

植物に音楽を聴かせることで生長を促すという説がありますが、厳密に科学的なコントロールを施した実験では、音楽が影響を与えるという結果は出ていません。

今のところ、植物は進化の過程で聴覚を獲得する必要がなかった、と考えられていますが、もしかすると、受粉におけるハチの羽音のような、高周波の振動に反応しているのではないか、という仮説が立てられているそうです。

 (4章 植物は聞いている)

  

人間が「耳石」によって平衡感覚を維持しているように、植物にも重力の方向を感知する「平衡石」が存在しています。土のなかの種が、芽を上に根を下に伸ばすよう、姿勢を変えることができるのは「平衡石」の働きによるものです。

(5章 植物は位置を感じている) 

 

紫外線や病原体による攻撃などが植物にストレスを与えると、その個体のゲノムに変更が生じて、DNAの新しい組み合わせが出現します。

どんな生き物もそうですが、植物もストレスを生き延びる方法を探さなければならず、その方法の一つが、新しい遺伝子のバリエーションをつくり出すことなのです。

さらには、ストレスを受けてDNAの新しい組み合わせをつくり出しただけでなく、その子孫の植物が、直接そのストレスを受けていないにもかかわらず、同じDNAの組み合わせをつくっているといいます。

2006年、スイスのバーゼルにあるバーバラ・ホーンの研究室は、こうした「世代間継承記憶」の初の証拠を提示しました。

(6章 植物は憶えている)

 

 

いまでこそ、バラとヒトはどこからどう見ても違う生き物だが、一部に同じ遺伝子を保持し続けている。〈中略〉

 たとえ遺伝的に共通する過去があったとしても、分岐してからの長大な年月をかけた進化を無視していいことにはならない。植物とヒトは共に、外的現実を感じ、知る能力を持っている。だが、それぞれの進化の道筋は、ヒトにしかない能力を与えてきた。植物にはない能力、それは知能を超えた「思いやる」という心だ。

(エピローグ)

 

ウチノキの記事を書くにあたり、この本を選んだのですが、読んでみたら飛び抜けて興味深い内容でした。

エピローグを締めくくる次の一文が、深く心に残りました。

 

「木はあなたという個人を憶えておくことはできないけれども、あなたのほうは、その特別な木のことを、これからもずっと憶えていられる。」

 

 

 

春を告げる焚き火(創作掌編)

 

 ある資源フォーラムにおいて、大変ユニークな発表があった。

 テーマは「焚き火と燃料費の相関研究」である。

 

 調査対象となった「A地域」は、定住者の多い郊外の地区で、落葉樹が多く植わっており、晩秋から初冬にかけて焚き火(落ち葉焚き)が盛んに行われていた。

 しかし、1990年代以降、専門施設以外でのゴミの焼却が危険視され始め、条例による規制が急速に進んだ結果、落ち葉はゴミ収集へ出すというのが一般的になる。

 研究グループは、落ち葉焚きの習慣が消えた時期と、燃料費が上昇し始めた時期が一致することに着目し、仮説を立てたのだった。

 データによる裏付けとして、スクリーンにグラフが映し出される。

 

 発表された研究内容の要旨は次の通りだ。 

「多くの動物や鳥類は、その脳のなかに、季節を予知して四季の変化に適応するための仕組みを持っています。繁殖行動、羽や毛の抜け替わり、渡り鳥の到来、リスやクマの冬眠などが、毎年決まったタイミングで的確に繰り返されるのも、その仕組みのおかげです。

 そういった脊椎動物の脳内では、生命活動の司令塔である視床下部に、『春告げホルモン』と呼ばれる、甲状腺刺激ホルモンが直接働きかけ、季節の情報を全身に伝えていることが、近年明らかになってきました」

 

「その能力を人間は持っていない、と考えられています。もちろんカレンダーや気象情報によって、知的には予測できますが、『春告げホルモン』を持つ動物や鳥類の本能的な確信にはとても及びません。

 ですから、『もしかすると、この寒さは厳しくなる一方で、もう二度と春が来ることはないかもしれない』という疑いを、冬のあいだずっと、心の奥底で持ち続けることになります。その無意識の不安が、必要以上に燃料を買い込ませ、暖房器具の設定温度を上げさせるのです」

 

「さて、そのように、どうすることもできない根深い不安感をなだめるため、昔の人たちは、様々な儀式を生活に取り入れてきました。

 焚き火もその一つではないかと、私たちは考えています。

 明るく暖かい季節の終息を象徴する落ち葉を集めて燃やし、火で浄化して天に返すことで、春が復活するという約束を受け取る、それが焚き火の重大な効能だったのではないでしょうか」

 

 以上の仮説に基づき、研究グループは「A地域」の町会や自治会、商店街の連合会などに呼びかけて、広範囲で継続的な「焚き火イベント」を行った。

 焚き火の許可が下りない場所では、プロジェクションマッピングを用いて、炎の色とゆらぎを再現した。「焚き火イベント」は地域住民に好評をもって迎え入れられ、今年で5回目を数える。

 ここで再びスクリーンに、近年5年分の検証データを追加したグラフが表示された。

 燃料費の減少傾向が、明白に見てとれた。

 

 フォーラム終了後、主賓として招待された2人の重鎮、B氏とC氏は、夕暮れの街中をそぞろ歩いていた。

「そういえば昔、私の母は『冬来たりなば春遠からじ』と繰り返し言っていたが、あれは呪文の一種だったのかもしれませんね」

 と回想するB氏に、C氏が答える。

「あの研究グループが発表した、焚き火の春告げ効果ですか? 荒唐無稽というわけではありませんが、現実的ではないでしょう。地域コミュニティが機能している郊外の町だからこそできたことで、都市部で実施するとなると難しいと思います」

「おっしゃる通りです。プロジェクションマッピングでも有効らしいが、焚き火テーマひとつでは、都会の人にすぐ飽きられてしまう。春告げ効果を上げるためには、大勢の人々が自分から積極的に集まり、一定時間その場に留まってながめる必要がある。それを単発ではなく、継続的に繰り返さなければならないわけですから……」

 B氏は問題点を数えあげ、とても無理だというように肩をすくめた。

 

「一から始めようとすれば、大掛かりなプロジェクトになりますね。莫大な費用に見合うだけの、燃料費の減少が望めるはずもありません」

 結論づけたC氏は、ふと立ち止まった。となりを歩いていたはずのB氏がいない。

 驚いて振り返り、数メートル後ろで、目を見張り立ち止まっている姿を見つけた。

「B先生、どうされましたか?」

 足早に引き返して尋ねると、

「一からつくる必要は無いかもしれない。すであるものを利用すれば……」

 C氏は、B氏の視線の先に目をやった。

 

 クリスマスのイルミネーションに輝く、大通りの街路樹の列━━。

 通常よりはるかに大勢の人々が、ひしめき合い、ゆっくりと歩きながら、あるいは立ち止まって、ライトアップされたツリーを見あげている。

 両氏の脳裏に、焚き火を思わせる光で統一されたイルミネーション・ツリーが、街という街にあふれる未来の映像が浮んだ。

 

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りおさん(id:ballooon さん)素敵な画像をありがとうございます☆

 

 

トイレの夢パターンの話

 

今日、昼休みに職場の同僚と喋っていて、

『就寝中、トイレに行きたくなったとき、見る夢のパターン』

についての話で盛り上がり、おもしろかったので書き留めておきたい。

敬体ではなく常体で書きたい内容である。

 

話し相手の彼女のパターンは、とにかく「きたないトイレ」。

実生活でも夢のなかでも、きたないトイレには耐えられず、それなら我慢する方を選ぶという。

一方、彼女の夫の場合は、「トイレのドアがこわれて開かない」だそうだ。

ドアに何かが引っかかって、どうしても開けられず、焦っているうちに目が覚める。

 

私の場合は、「人がいる」。

夢のなかでトイレを探し当て、いざ、というところで誰かが入ってくる。あるいは、学校のトイレのような場所で、他に人がいるのに、ドアが無かったり、閉まらなかったりして個室状態を確保できず、あきらめるパターンが多い。

そう話すと彼女は、

「私なら平気」と言って笑ったので、驚いてしまった。

でも確かに、明るく社交的な彼女のことだから、居合わせた他人とも、にこやかに挨拶しつつ用を足せるかもしれない。

うらやましい……。

 

深層心理というほどではないけれど、人それぞれの個性が際立って興味深かった。

 

 

『クリミナル・マインド』の格言(補足)日本のことわざ

 

以前、海外ドラマ『クリミナル・マインド FBI行動分析課』の、始まりや終わりのシーンで引用される格言について記事を書いたのですが──、

 

toikimi.hateblo.jp

 

➃英訳→再和訳で原形がわからなくなった気がすることわざ。

シーズン8 第6話「殺しの教室」
独学で千日学ぶより、一日良き指導者につけ。(日本のことわざ)

 

この「日本のことわざ」が何なのか思い浮かばず、ずっと頭の隅に引っかかっていました。

 

ところが、ふと、英語ではどう言っているのかな?と思い、いつもは吹き替えでしか観ない『クリミナル・マインド』を字幕で視聴したところ、ちゃんと画面に出ていたのです。まさに「灯台下暗し」でした。

 

 “Better than a thousand days of diligent study is one day with a great teacher”

 – a Japanese proverb

 

  千日の勤学より 一時の名匠

 (せんにちのきんがくより いちじのめいしょう)

 

出典は、『諺草』(ことわざぐさ)、筑前国福岡藩に仕えた儒者、貝原好古(かいばら・よしふる)が江戸中期の元禄12年(1699)に著した諺や俗語の解説書。

意味は、独学で千日も勤勉に学習するより、短期間でも優れた指導者について学ぶほうが効果があがる、ということ。

同類のことわざとして「三年学ばんより三年師を選べ」があるそうです。

 

とはいえ「逆も真なり」で、孔子ソクラテスレオナルド・ダ・ヴィンチなど、偉大な独学者も数多く存在します。

名匠(優れた師)の方は案外、独学者だったりするのかもしれません。

 

この格言が冒頭に出てくる、シーズン8第6話「殺しの教室」では、事件とは別のエピソードとして、BAUのプロファイラー、デレク・モーガンが、同僚のDr.スペンサー・リードにソフトボールの練習を強要するシーンがあります。

アメリカンフットボール奨学金で大学に進学し、柔道は黒帯というスポーツ万能のモーガンと、IQ187、数学・化学・工学の博士号を持つ天才リードは、兄弟のように仲良し。

「子供のころからスポーツには、イヤな思い出しかない」とぼやくリードは、

「重力プラス空気抵抗プラス浮力、後はスイングの速度を調整すれば……」

物理の数式らしきものを計算しながら、バッターボックスに立ちます。

そこで、モーガンが言い放つ台詞が、

 

 “Don't think.just feel”

 「考えるな、感じろ」

 

 映画『燃えよドラゴン』(1973年)に出てくる、ブルース・リーの名言です。

モーガンのアドバイスによりリードは、FBI対シークレットサービスの試合本番で、見事な結果を出しました。

 

ちなみに、第6話ではラストでもうひとつ格言のナレーションが入るのですが、それは、

他人のためにできる最高のことは、自分の財産を分け与えることではなく、相手の持つ財産に気づかせること

 ベンジャミン・ディズレーリ (イギリスの政治家、小説家)

 

 

種から山桜を育てる『ミニ盆栽』

 

『かえるさんの星占いらぼらとりー』というブログで、日々、ヒントとギフトをいだたいていますが、このあいだ、趣味に関してのキーワード、

 “植物等を「育てる」、チェックをする”

を見たとき、あることを思い出しました。

 

www.kaerusan01.com

 

一昨年、友人から引越し祝いに、『ミニ盆栽』~山桜を育てる栽培セット~をもらいました。

ミニ盆栽とは、背丈が10cm以下で、掌にのるサイズの小さな鉢植えのこと。マンションなど庭のない家でも楽しめるので、年齢や性別を越えて人気らしいです。 

けれど当時は、心身ともに余裕が無く、しまい込んだまま失念していました。

  

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ラッピングされた状態でも、文庫本的なサイズ感です。

 

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【セット内容】

鉢・培養土・説明書・種・鉢底アミ

 

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種は5つ

説明書を読んで、たじろぎました。

 

はじめに(山桜は発芽の難易度の高い商品です。) 

 

私は、栽培が容易といわれるポトスを枯らしたことがあります。心もとない限りです。

 

1.種まき前の下準備

 山桜は種まき前に、種を冷蔵庫へ入れ、冬を(疑似)体験させます。
※種まきは、発芽時期が真冬と真夏にならないように逆算し、タイミングを合わせて行ってください。
 秋に種をまいた場合は、翌年の暖かい時期に発芽する事があります。
 種をまいた時期・環境によっては、発芽に1~2年かかる場合があります。

【冷蔵庫での低温期間】 1~3ヶ月
【発芽適温】 15~20℃
【発芽日数】 1~3ヶ月
【 開 花 】  4年以上

 

タイミングを合わせて、と言われましても、発芽日数が1~3か月、場合によっては1~2年ともなると、私の頭では逆算不能です。これも難易度の高さの内ということでしょうか。

それでも「思い立ったが吉日」というわけで、種を冷蔵庫へ入れました。

 

そういえばたしか、山桜を詠んだ有名な歌があった、と思ったら覚え違いで、

やまざくら、ではなく、あだざくら、でした。

 

 明日ありと思ふ心の仇桜、夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは

 

親鸞上人が九歳の時、得度を受けるため慈円僧正のもとを訪れたところ、すでに夜も更けていたので、

「もう遅いから明日にしよう」と言われ、その際に詠んだ歌だと伝えられています。

 

 

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