かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

耳がボワーンとする。

 

先週の日曜日の朝、目を覚ますと耳が変でした。

どちらの耳というわけではなく、ボワーンとしていて、ちょっと「つまっている」ような感じもします。

違和感を覚えながら2日間過ごし、3日目に、会社の会議室で雑談していたとき、壁に跳ね返って右耳に聞こえてくる声の響きが、明らかに異様だったため、耳鼻科を受診しなければと思いました。

 

ちょうど翌日の水曜日に、胃カメラ検査の予定があって休暇をとっていました。

検査はお昼過ぎに終わったので、いったん自宅に戻ってから、耳鼻科のクリニックへ行きました。

症状を説明し、ファイバースコープで、耳、鼻、のどの状態を診てもらいます。外耳から圧を加える鼓膜の動きの検査もしました。

耳がつまったように感じるのは、鼻の奥と耳をつなぐ耳管(じかん)が腫れ、空気圧の調整がうまくできない「耳管狭窄症」の症状に多いらしいのですが、特に異常なし。

 

続いて、聴力検査です。

防音室でヘッドホーンを両耳にあて、いろいろな種類と高さの音の聞こえを検査します。何年か前に健康診断で受けた聴力の検査より、ずっと詳しく時間もかかりました。

その結果、右耳の突発性難聴と診断されました。

自分ではわかりませんでしたが、低い音の聞こえが悪くなっているそうです。

 

以前、突発性難聴になった友人から話を聞いたことがあって、早期の治療開始が重要だと知っていたので、思わず、

「まだ間に合いますか?」

と、先生に尋ねました。

発症後2週間以内なら治療効果が見込める、とのことでした。

※2週間までなら大丈夫ということではありません。耳の聞こえが悪くなっていたら、1日でも早く受診したほうがいいです。

ステロイドの内服治療です。合わせて、胃潰瘍予防の胃薬と、耳の血流を良くする薬も処方されます。

 

突発性難聴は、突然耳の聞こえが悪くなる原因不明の疾患ですが、ストレスや過労、睡眠不足、糖尿病などがあると起こりやすいそうで、

「何かストレスがありましたか?」と聞かれました。

「そういえば、今日、胃カメラの検査だったので、先週から気になっていました」

と答えたところ、先生は苦笑まじりに、

「それは、かなしすぎる!」

 

(この先生、おもしろい)と思いました。

確かに、聴力を失いかねない病気の原因が、胃カメラの心配によるストレスだったとしたら、それはずいぶん「かなしい」話に違いありません。

 

突発性難聴は症状の程度にもよりますが、3分の1が完治、3分の1が回復しても難聴が残り、3分の1は治らずに終わると言われているそうです。発症して約1ヶ月で聴力が固定してしまうため、早期発見、早期治療がとても重要なのです。

内服治療の期間は10日間と決まっていて、徐々にステロイドの量を減らしながら飲み続けるので、治療説明書にはスケジュール表も載っていました。

 

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薬の性質上、途中で内服を中断することはできず、効果がなくても治療は1回で終了とのこと。

 

うっかり飲み忘れたりしたら大変です。

これもかなりのストレス…(苦笑)

 

 

 

胃カメラ3度目で「鎮静剤」

 

最初に「胃部内視鏡検査」を受けたのは20数年前、定期健康診断のバリウム検査(上部消化管造影検査)で異常が見つかり、二次検査として胃カメラを飲みました。

かかりつけの病院で、医師1名、看護師2名の3人体制でした。予想以上に苦しかったこと、検査のあいだじゅう看護師さんのひとりが、背中をさすって慰め励ましてくれたことをはっきり覚えています。もしかすると、患者(私)があばれたとき、取り押さえる役目を担っていたのかもしれません。

結果は「問題なし」でした。

 

2回目は7~8年前で、やはりバリウム検査からの二次検査です。健診センターの専門外来で胃カメラ検査を受けました。

医師・看護師1名ずつで、看護師さんは何かあったらすぐ駆けつけられるくらいの距離で待機している感じです。

医療技術の進歩で、20年前よりはるかに楽になったとはいえ、かなりの異物感はありました。つらそうな素振りを見せると、

「モニターを見ていると気がまぎれますよ」

とのアドバイスをもらいました。

たしかに、モニター画面と、女性ドクターのダイナミックな「スコープさばき」に気をとられているうちに、検査は終わってしまいました。

検査後、別室で説明を受けましたが、炎症による出血の痕跡はあるものの治癒済みで、

「いかにも痛そうな胃ですね」と言われたのが印象に残っています。

 

現在働いている会社では、生活習慣病予防健診の検査項目にバリウム検査はなく、その代わり、5年に1度の「節目検診」で内視鏡検査があります。

今年がその年でした。

 

3度目の胃カメラでは、鎮静剤を使用するかどうか選べるようになっていました。

まわりの経験者に聞いてみると、

「眠っているあいだに終わった」

「検査中、検査直後の記憶がない」

とのこと。数千円の別途料金がかかりますが、迷わずこちらを選択しました。

 

検査前日は夕食を軽めにしてアルコールは控え、午後9時以降、口にしていいのは水分のみです。

当日、予約した医療機関に行き、まずは同意書・問診票などを記入してから、検査着に着替えました。

検査室のそばの、カーテンで仕切られたブースのような場所で、リクライニング・チェアに座って、胃の中の泡を取りのぞくための薬を飲みます。

さらに、水分や電解質を含む輸液剤を点滴しながら、のど麻酔(ゼリー状の薬を3分間のどに溜めておく方法)をします。

検査室に移動してベッドに横向きに寝たあと、登場したドクターに挨拶し、くわえるタイプのマウスピースを着け、準備が整った段階で鎮静剤が点滴されました。

 

「寝落ち」こそしませんでしたが、意識はぼんやりしてとぎれがち、のどに違和感を覚えたことや、「もうすぐ終わりますよ」と肩に触れられた記憶が残っている程度です。

検査が終わると、うながされるままベッドからブースに戻りました。

倒したリクライニング・チェアに横になり、1時間ほど安静にして、鎮静剤の効果が切れるのを待ちます。

画像を見ながらの検査結果説明では、慢性胃炎による出血の痕跡が見られるものの、炎症は治まっており、潰瘍もないので、治療の必要なしとのことでした。

 

半年ほど前から、胃の痛みが断続的に続き、いつもなら増えることはあっても減ることのない体重が減少していたので、ちょっと心配だったのですが、もう回復しているとわかってほっとしました。

鎮静剤を使用した場合、検査1時間後から飲水が可能となり、むせがなければ食事をしてもかまいません。また、当日は乗用車・バイク・自転車の運転は控えます。

 

電車で自宅へ戻り、遅めの昼ごはんを食べたあと、一休みしたいところだったのですが、もう一箇所、行かなければならない医療機関がありました。

そちらは後日、記事にしたいと思います。

 

 

 

魔女のおにぎり(掌編創作)~銀ひげ師匠の魔法帖⑨~

 

 銀ひげ師匠の「妹弟子」という人が、書道教室を訪ねてきた。

 名前は、ちとせさん。

 書道の妹弟子ではなく、魔法の妹弟子なので、つまり魔女だ。

 どことなく、晶太が小さいころから知っている看護師さんに似ている。注射が上手で、いつもゆったり構えているその看護師さんが好きだったから、一目でちとせさんに親しみを感じた。

 

 ちとせさんは、おにぎりの専門店をやっているという。

(おにぎりって、あんまり魔女っぽくないかも……)

 と思ったけれど、師匠の考えは違っていた。

「おにぎり専門店。なるほど、魔女にうってつけの仕事だな」

 感心したように笑っている。

 

「いいかい、晶太。大抵のものには、それを司る神様がいるが、稲には『稲魂(いなだま)』といって、まあ、別格の神霊が宿っているわけさ。その神様にお伺いを立てながら精米し、おにぎりに最も適したごはんを炊き上げるというのは、魔女の腕の見せどころだろうね」

 師匠のことばに、ちとせさんは大きくうなずいた。

「それにね、うちのおにぎりは出汁(だし)で炊いているの。出汁には、かつお節や昆布などの海の幸、シイタケなど山の幸が、渾然一体となっているのよ。それぞれの食材の力と持ち味を引き出して、バランスをとりながら全体の完成度を上げていく。毎日が真剣勝負よ」

「まさに魔女のスープだな」

 

 ちとせさんは、その特製おにぎりを、手土産として持ってきてくれた。

「美味しいのはもちろん、毎日食べても飽きない、しばらく食べないと恋しくなる、という味だなぁ」

 目をほそめて味わう師匠の声を聞きながら、晶太は夢中で食べきってしまった。すごく楽しかった遠足のとき、お昼に食べたおにぎりを思い出す。

 そう言うと、ちとせさんはとても嬉しそうな顔をした。

「冷めてもおいしい、というより、冷めたときこそ最高においしく食べられるよう、いろいろ工夫を凝らしているの」

 

 満ち足りた気持ちになって、2杯目のお茶を飲んでいるところで、ちとせさんが居住まいを正す。

「実はちょっと、お知恵を拝借したくて」

 と言いながら、バッグから取り出したのは、小さな朱塗りのお椀だった。

「このお椀が私のもとにやってきた、そもそものいきさつは━━」

 

 

 ちとせさんのお店は、古民家をリノベーションした建物だった。

 キッチンの奥には、昔ながらの「土間」があり、そこに「かまど」も残っていて、ガスで炊けるよう改造してある。

 土間の、踏み固められた黒い土のうえに立って、火加減を見ながらごはんを炊いていると、不思議に心が落ち着くのだった。

 

 その朝も、土間で炊きあげたごはんをキッチンの作業台に広げて湿気を飛ばし、頃合いを見て、すばやくにぎっていった。さいごに残った半端な量のごはんは、丸くボール型にまとめて、商品のおにぎりとは別にしておく。

 作業が一段落つき、「さて」とばかりに、試食を兼ねた朝ごはん用の丸いおにぎりに手を伸ばしたときだった。

 

 どうしたわけか、おにぎりがちとせさんの指先を逃れてころげ落ち、そのまま土間をころがっていって、隅の暗がりに消えてしまったのだ。

 あわてて土間へ下りてのぞきこむと、その場所にはかなり大きな穴があいていた。おにぎりのひとつやふたつ、難なくのみ込んでしまいそうなほどの穴だ。

「あらやだ、今まで全然気づかなかったわ」

 落ちてしまったおにぎりを放置するわけにはいかないが、まだまだ仕事も残っている。ちとせさんは仕方なく、キッチンへ戻った。

 

 ようやく時間がとれて、懐中電灯を片手におにぎりを回収しに行くと、おどろいたことに、穴のそばには、手紙の上にのせられた朱塗りのお椀が置かれていた。

 手紙の文字は達筆すぎて読みにくいところはあったものの、だいだいの内容は、

  • 私はこの土地の「根の国」の主である。
  • あなたのおにぎりが大変気に入った。
  • これからは時々、注文の使いを差し向けるので、その都度、俵型のおにぎりを三個、穴のわきに置くように。
  • 礼として『無尽蔵の椀』を授ける。

  というものだった。

 

 

「おお、町なかの家にまだ、根の国へ通じる穴が残っているとはね。しかも、なかなか気さくな神様らしい。良いご縁が結べそうだな」

「ええ、ありがたいことです。それからは、2、3日置きに注文をくださるようになったのだけれど、使者が真っ白なダイコクネズミだったの……」

 ちとせさんは、少し困り顔になって、

「うちは食べ物屋ですから、いくら神様の使いとはいえ、ネズミが出入りするのはちょっとね。それで、畏れながらご配慮を賜りたい、という手紙を書いたのよ。そうしたら今度は、矢文で注文が来るようになって」

「やぶみ?」

 晶太が首をかしげると、

「弓矢の矢に、手紙を結び付けたものよ。小さな矢で、矢先もとがっていないから、危ないことはないけれど、いつ飛んでくるかわからないので、気が気じゃないのよね」

 と言って、苦笑いした。

 

「それは厄介だな。だからといって、矢文もやめてくれとは、なかなか言い出せないだろうね。今日の相談事というのは、そのことかい?」

 ちとせさんは、「まさか!」というふうに目をみはり、その場に置いてある小さな朱塗りのお椀を指さした。

「相談にのっていただきたいのは、こちらのほう。『無尽蔵の椀』という名前の通り、このお椀でお米を量ってみたところ、いつまでも米びつが空にならなかったわ」

「授かった人物が長者になるレベルの宝物だ。無尽蔵が適用されるのは、米だけなのかな?」

「ええ、お米だけ。だから私が持っていても、宝の持ちぐされなの。うちの店でお米を仕入れている契約農家さんとは、深い信頼関係で結ばれています。こういうお椀が手に入ったので、もうお米は買いませんなんて、私にとっては有り得ないことですから」

 

『無尽蔵の椀』を、広く役立ててくれる誰かに託したい、というのが、ちとせさんの願いだった。

「そういうことなら、魔法使いネットワーク・ジャパン(MNJ)の自然災害対策行動本部に問い合わせてみよう。災害時の炊き出しなどに大活躍しそうだ」

「ありがとうございます。よかった、これで肩の荷が下りたわ。──それじゃ、そろそろおいとましますね」

 帰りじたくを始めたちとせさんを、師匠が引き止める。

 

「ウタ」と呼ばれる呪文を唱えながら、銀ひげ師匠は筆に朱墨を含ませた。

 一気呵成に書き上げたのは、それぞれ太さの違う3つの同心円だ。

 厚手の半紙に書かれた三重丸、どこかで見たことがあると思ったら、

「あら、これは弓道の的ね」

 と、ちとせさんが言った。

「その通り。この的を、君の作業の妨げにならない方角に貼っておきなさい。それなりの的を掲げれば、ところ構わず飛んでいた矢も、正鵠を射るようになるだろうさ」

 

火点し(創作掌編)~ハヤさんの昔語り#2-6~

 

 ハヤさんの珈琲店には、店名の入った小さな看板があり、外が暗くなるとLEDの灯がともる。

 タイムスイッチによる自動点灯で、徐々に日没が早くなる時期には、すぐ気づいてタイマーの設定時刻を変えるのだが、日が長くなる場合は忘れがちだった。

 

「まだ日が暮れていないのに点く明かりって、なんだか『もののあはれ』を感じる」

 つぶやくと、ハヤさんは「えっ?」という表情で、私を見た。

「僕は光熱費の無駄使いが気になります。LEDだから、微々たるものなんですけれどね」

 私のほうこそ、(えっ?)だった。

 江戸から明治にかけての時代に、行者として生きていた前世の記憶を持ち、折に触れ昔語りをしてくれるハヤさんには、あまりそぐわない発言だ。

(いやいや、店舗経営者として、とても健全で大切な感覚よね。経費削減は小さなことの積み重ねだもの。お客様へのサービスは別みたいだけど……)

 

 私の胸のうちを知るはずもないハヤさんは、

「火を点すといえば、僕が寸一だったころ──」

 といって、静かに昔語りを始める。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 深く心を通わせている若者と娘がいた。

 しかし、それぞれの家でただ一人の跡継ぎだったため、連れ添える望みは無いとわかっていた。

 

 家を捨てることはできず、かといって、恋を諦めることもできない。行き先の見えない闇の中では、互いを思う心だけが、すべてになる。

(今日も変わらず、あなたを思っている)

 そのことを伝え合わずには、一日も過ごせないほどだったので、二人はひそかな約束を交わした。

 

 娘の家の近くに、古い池がある。

 池の中ほどには、石を組んで出来た小さな島があった。そこに、水神を祀る祠が設けられていて、細い橋が架かっている。

 日が落ちて暗くなると、娘は家を抜け出し、橋を渡って祠に向かった。祠のなかには、若者が供えた高価な絵ろうそくが立っている。

 真心の証しとして、娘はろうそくに火を点した。

 

 足早に家に戻った娘は、突き出し窓の隙間から、暗い池に灯る明かりを見守った。

 ほどなくして若者が橋を渡り、小さく燃える灯を消しに来る。その瞬間を見届けるまで、身じろぎもせずに待ち続けるのだった。

 二人だけにわかる合図は、同時に、ひたむきな願掛けでもあった。夜毎にわずかずつ短くなっていく絵ろうそくに、儚い願いを託したのだ。

 

 ところが、ろうそくより早く、娘の命が燃え尽きそうになった。

 若者の家に縁談が持ち込まれたという噂を聞き、張りつめていた心の糸が切れてしまったのだ。病の重さは、呼ばれた医者が眉をひそめるほどだった。

 寝床から身を起こすこともままならない娘は、涙の枯れた眼で、うつろに宙を見つめていた。

(もはや、ろうそくに火を点しに行くこともできない。あの人は、私が心変わりしたと思い、縁談を受けてしまうだろう)

 

 しかし、若者の決意は固かった。

 持ち込まれた縁談を断り、訳を問いただす両親に、ついに娘のことを打ち明けたのだ。治る見込みのない病だと聞かされても、頑として気持ちを変えず、

「万が一、あの人が亡くなるようなことがあったら、出家して菩提を弔いながら一生を終えます」

 とまで、言ってのけた。

 

 花嫁衣裳をまとった娘は、歩くことができず、輿で運ばれて嫁入りをしたが、その白くやつれた顔は、喜びで輝いていた。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

  私が何も言わないうちに、ハヤさんは答えた。

「瑞樹さん、大丈夫ですよ。病は気からとはよく言ったもので、若者と結婚した娘は、すっかり元気になり健康を取り戻しました。子宝にも恵まれて、たしか2番目に生まれた男の子が、娘の実家の後継ぎになったはずです」

「それは良かったわね! でも、今のお話には、寸一が全然出てこなかったけど?」

 と、私は尋ねた。

 

「寸一はこの話を、若者や娘ではなく、別の当事者から聞いたんですよ。ああ、当事者といっても人ではありません。池に棲んでいた河童です」

「河童!?」

「はい、昔から独りで池を守っていた河童です。ある晩突然、寸一を訪ねてきて、火の点け方を教えてくれ、と言ったのです」

 

 二人の恋を見守り、その行方を心から案じていた河童は、娘が病に罹って若者との約束を果たせそうもないと知ると、代わりに自分が絵ろうそくに火を点すことを考えたのだ。そして、寸一が渡した火打石の使い方を一生懸命覚え込み、池に戻っていった。

 河童の働きで、娘が病で寝付いているあいだも絶えることなく、ろうそくは灯り続け、若者の決意を支えたのだった。

 

「河童は水の世界の生き物ですから、火への恐怖心は大きかったと思いますけれど、娘のために必死だったようです」

「……好きだったんでしょうね」

「そうですね。結婚した二人は、水神様への感謝を忘れず、よく連れ立ってお参りをしていました。その姿を見るのがつらいと言って━━」

 

 ある夜、寸一のもとを訪れた河童は、何度も火打石のお礼を言ったあと、旅に出ることを告げた。

 その後、再び池には戻らなかったという。

 

 

アゲハ(創作掌編)

  

 私たちアゲハの体のなかには、「らせんの教科書」というものが備わっていて、いつ何をどうすればいいか、自然にわかるようになっている。 

 卵に穴を空けて外に出るタイミングも、ひと休みしてから卵の殻を食べることも、その都度「らせんの教科書」に教わった。

 先のことはわからない。

 けれど、ひとつも心配はいらなかった。葉っぱを食べて、休息する、それだけを繰り返していれば充分なのだ。

 

 私たちのおかあさんは、きょうだいでやわらかい葉っぱを取りあわなくてすむように、卵をひと粒ずつ離して産んでくれた。だから、きょうだいは近くにいないけれど、別のおかあさんの卵から出てきた仲間とは、ときどき出会う。

「ねえ、知ってた? 僕たちの体の、黒白まだらの模様って、鳥のフンの擬態なんだよ。擬態っていうのは、マネして似せることだけど」

 彼は大変な知りたがりで、難しいことばを使うのが好きだ。

 らせんの教科書を「遺伝情報」、衣替えは「脱皮」、私たちが隠し持っている唯一の武器であるツノのことを「臭角」などと呼ぶ。

 そういえば、最初に会ったときも、

「君は、孵化したときのこと、どれくらい記憶してる?」

 あいさつ代わりに、そう質問してきた。

 

 私は余計なことを知りたくない。

 なぜ、私たちの体を鳥のフンに似せているのか、その理由は考えたくない。

 それよりも、葉っぱの筋だけを残してきれいに食べつくすことや、光と風を楽しむことのほうが大切だった。

 

 4度目の衣替えは、そうなるとわかっていても驚いた。これまでと打って変わって、鮮やかな緑色の衣装だったから、嬉しいような、少し恥ずかしいような気持ちになった。

 彼も衣替えをすませただろうか?

 少し前から、姿を見なくなっていたけれど……。

 仲間がいつのまにか消えていく、それもまた、自然なことなのだ。

 だからといって、さびしいことに変わりはなかった。

 

 ひとまわり大きくなった私は、せっせと葉っぱを食べて過ごした。

 そして、あるとき突然に、

「これがさいごの食事だ」と、わかった。

 探しまわって見つけた場所に、何度も糸を張りめぐらせて土台をつくり、体を糸の帯で結びつける。 

 気にいっていた緑色の衣装を脱ぎ落とすと、サナギというものになった。

 もう、どこにも行けないし、何も食べられない。

(ここで終わり、ってことなのかしら)

 それならそれでいいと思った。これ以上、ひとりぼっちでいてもつまらない。

 

 しばらくすると、サナギのなかで私は溶け始めた。

 怖かったけれど、まっ先に、その恐怖心が溶けていったので、今まで感じたことのない深い安らぎにつつまれた。

 恐怖心というものがあったから、警戒することを知り、ここまで生きのびてこられたのだ。それが無くなったということは、ほんとうにもう「終わり」なのだろう。

(思い出だけは、さいごまで消えないでいてほしい)

 その願いどおり、思い出より先に、光と時間が溶けて消え、私は深い眠りに落ちた。

 

    

  羽ばたきなさい  

  羽ばたきなさい

  羽ばたきなさい……

 

 微かな声が、何度も何度もささやくのを、闇のなかで私は聞いた。

(羽ばたく、ですって?)

 あまりに的外れなことばだったので、思わず笑った。

 その瞬間、どこかでスイッチが入り、機械仕掛けのようにすべてが動き出した。溶けずに残っていたらしい「らせんの教科書」が活気づいて、今まででいちばん大掛かりな変化が始まった。

 

 晴れた日の朝、チョウに生まれ変わった私は、サナギの外へ出た。縮んだハネを伸ばし、ゆっくりと乾かす。

 日が高くなるころ、その先の世界に向かって、飛び立った。

 これからは、花の蜜を吸い、恋をして、卵を産む。

 そして、もうひとつ大切な役割があることも知った。

 サナギのなかで眠り続ける仲間に、「羽ばたきなさい」と呼びかける仕事だ。

 

「やあ、無事に羽化を果たしたんだね。おめでとう!」

 

 いくら広い世界だといっても、こういうしゃべりかたをするアゲハが、他にいるとは思えない。

 いかにも気楽そうな飛びかたで近寄ってきた彼に向かって、

「今まで、どこに行ってたのよ!」

 と、きつい口調で問いただした。

 

「人間の子供に捕まって、昆虫用飼育ケースのなかで暮らしてた。透明度の高いアクリルボックスだったおかげで、人間の生態をじっくり観察できたよ。今朝、羽化して成虫になると、外に放してくれたから、さっそく君を探しにきたんだ」

「……そうだったの。やさしい人間でよかったわね。でも、そんなふうに閉じ込められていたのなら、先にチョウになった仲間からの呼び声は聞こえなかったんじゃない? よく無事に、羽化を果たせたわね」

「そんなのは聞こえなかったけれど、ちゃんと遺伝情報が伝達されて、この通り完全変態を成し遂げたよ。そもそも、どうして呼び声が必要なのかなぁ……?」

 考えごとに夢中になりながら、彼は私のあとを付いてきた。

 

「あっ、かなり説得力のある仮説を思いついたぞ! 遺伝情報とは、つまり、過去のデータの蓄積だから、今ここで起こっていることは、今ここにいる僕たちにしかわからないんだ。だから、もし災害が発生するとか、有害物質が大気を汚染するとかで、生存に適さない状況だったら、非常事態をサナギに知らせてやらなければならない。その時は『羽ばたきなさい』じゃなくて『眠り続けなさい』と呼びかけるのさ。ふさわしい環境になるまで、越冬サナギみたいに羽化を先に延ばすよう指示して、種の存続を守るのが、僕たちの役目なんだ!」

 

 話し続ける彼のことばを、私は途中から聞いていなかった。

 なぜなら、想像した以上に美しい、花という生き物が一面に咲く場所を、すぐそこに見つけたからだ。

 

 

ちょっと錯視

 

トイレの掃除をしていて、「あれっ」と思いました。

残り少なくなったトイレットペーパーをホルダーからはずし、新品のとなりに並べて置いたら、明らかに芯のサイズが違う……。

一瞬、お値段すえおきで容量を減らす実質的な値上げかな?と考えましたが、それなら新品のほうの芯が大きくなるはずですし、そもそも、このトイレットペーパーは同じパッケージに入っていたものでした。


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 試しに積み重ねてみると、芯は同じサイズでした。

 「錯視」、目の錯覚という現象だったのです。

 

錯視といえば、矢印の向きで長さが違って見える、これ↓

 

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ミュラー・リヤー錯視」というそうです。

(フランツ・カール・ミュラー・リヤー/1857~1916ドイツの心理学者、社会学者)

 

そこで思い出したのが、私が勤務している会社の名前です。

『エービーシー』のようにカタカナ+長音記号が並んだ名称なのですが、社名(横書き)のゴム印を書類などに押すと、傾いて見えるのです。しかも、右下がりに。

初めは、私が不器用なため、まっすぐ押印できていないせいだと思いました。

けれど、ほかにも同じことを言っている人がいたので、もしかしたら何か錯視的な原因かもしれないと考え直しました。

 

今回、検索してみてわかったのですが、ポップル錯視」(文字列傾斜錯視)という現象があるのだそうです。

 

もともとは図形上で起こる現象として知られていたが、特定の文字を並べただけでも発生するということが確認された…〈中略〉

発生する理由は、並んだそれぞれの文字の横棒(平行線)が段階的にずれているからであり、「杏マナー」では横棒が右に向かって順に低い位置に来ているため、全体が右下がりに見える。文字の並びを逆にすれば逆に右上がりに見える。

はてなキーワードより)

 

杏マナー」「十一月同窓会」などが、例として挙げられることの多い文字列です。

「猫マナー」というのもありました。

 

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1行でもけっこう傾いて見えますが、並べてみるとさらに──、

 

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目の錯覚とわかっていても不思議です。

 

そこで、会社の名前でも「ポップル錯視」を証明しようと思い、同様に並べてみたのですが、傾きはほとんど感じられませんでした。

 

……残念です。

 

 

オリヴァー・サックス著『火星の人類学者』の勇気

 

『火星の人類学者』(早川書房)は、脳神経科医であり作家でもあったオリヴァー・サックスの「医学エッセイ」です。

  

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

 

 

本の扉に書かれた言葉──、

 この七つの物語の主人公たちに

さらには、

「わたしを信頼し、人生を分かち与え、体験をこれほど真摯に語ってくれた人々、そして長年の間に友人となった七人の人々に本書を捧げる」

という謝辞に、サックスの人柄を感じます。

 

書き綴られた「物語の主人公たち」は、サックスの診察を受けていた患者だけではなく、取材とインタビューの対象者も含まれています。

診療室で患者を観察するかわりに、家を訪ね、経験を共にして、実生活をじかに探究するため、サックスは長年過ごした病院を離れました。

「あちこちを往診して歩く医者、それも人間経験のはるかな極限の地まで往診する医者」

と、なったのです。

 

この本には、事故による脳の損傷ですべてが白黒に見える全色覚異常に陥り、それでもなお描き続ける画家、激しいチックを起こすトゥレット症候群でありながら巧みに執刀する外科医など、抱えている症状をアイデンティティの一部として組み込み、独自の生き方を編み出している人たちが登場します。

そのなかでも、とりわけ印象深かったのが、テンプル・グランディンでした。

本の標題にもなっている「火星の人類学者」とは、彼女が自らを表現した言葉です。

自閉症患者のなかでももっともすばらしい人物のひとり」と称されるテンプルは、動物学で博士号を取り、コロラド州立大学で教え、非虐待的な家畜施設の設計者として事業を経営し成功をおさめています。

 

彼女は、アスペルガー症候群と呼ばれている「高機能」自閉症でした。 

生後6ヶ月のころ、母親の腕のなかで身体を硬直させ、10ヶ月になるころには「罠にかかった動物のように」爪をたてたといいます。

人間関係の「普通」のルールや行動様式はまったく理解できず、破壊的かつ暴力的になっていて、3歳のとき診断を受けた神経学者からは、おそらく一生施設暮らしになるだろうと言われました。

 

ところが、たまたま機会があって障害児のための幼稚園に通うことになり、スピーチ・セラピーを勧められました。そこで、新たに獲得した言語力が支えとなって、彼女はゆっくりと発達しはじめたのです。

テンプルには高度な知性と集中力、コンピュータのような記憶力がありました。

「普通の人」である定型発達者が何気なく行っているコミュニケーションを、彼女は大変な知的努力をしながら、「完全に論理的な作業」によって成し遂げようとします。何年もかけて頭のなかに厖大な経験のビデオ・ライブラリーのようなものをつくりあげ、それを何度も何度も再生して、さまざまな状況で人がどんなふうに行動するかを予測するのです。

 

サックスが、神話やドラマに感動するかどうかを尋ねると、テンプルは、

ギリシャ神話の、舞いあがって太陽に近づきすぎ、翼が溶け、墜落して死んだイカルスのことは理解できるが、神々の愛には当惑する。シェークスピアの『ロミオとジュリエット』では「いったい彼らはなにをしているのか?」と首をひねったし、『ハムレット』となるとわけがわからない━━と答えます。

単純で力強く、普遍的な感情なら理解できるものの、複雑な感情やだましあいとなるとお手上げだというのです。

「そういうとき、わたしは自分が火星の人類学者のような気がします」

というテンプルの言葉からは、いかにまわりの人々が彼女とは違っているか、いかにその人々を人類学者のように理解しようと努めているかが伝わってきます。

 

取材のための滞在中、テンプルの自宅に案内されたとき、サックスは寝室のベッドの横に置いてある、奇妙で大きな装置に気づきました。

その装置には、分厚く柔らかなパッドにくるまれた幅90センチ、長さ120センチほどの重い木の板が2枚、斜めについていました。2枚の板はV字型になるように細長い底の部分が蝶番でとめられ、人の身体がおさまる樋になっています。一方の端にはコントロールボックスがあり、頑丈なチューブで産業用のコンプレッサーにつながっていました。

それは、肩から膝まで、しっかりと心地よい圧力を与えてくれる「締め上げ機(ハグ・マシーン)」だというのです。

 

どうしてそんな圧力をかけたいのか、という質問の返答は、次のようなものでした。

 小さいころ、彼女は抱きしめてもらいたくてたまらなかったが、同時に、ひととの接触が怖かった。抱きしめられると、とくにそれが大好きだが大柄な叔母であったりすると、相手の感触に圧倒された。そんなとき、平和な喜びを感じるのだが、同時に飲みこまれるような恐怖もあった。それで━━当時、まだ五歳になったばかりだったが━━力強く、だか優しく抱きしめてくれて、しかも自分が完全にコントロールできる魔法の機械を夢見るようになった。何年かたった思春期のころ、子牛を押さえておく締め上げシュートの図を見て、これだと思った。それを人間に使えるように改良すれば、魔法の機械ができる。

 大学の寮で「締め上げ機」を使った彼女は、嘲笑と疑惑の視線を浴びました。精神科医には「退行」か「固着」だと言われました。

しかし、彼女は独特の頑固さと粘り強さ、意志、そして勇気で、まわりの意見や反応をすべて無視し、自分の感覚の科学的「妥当性」をつきとめようとしました。

「グランディンのハグ・マシーン」は、現在も、アメリカの子供の施設で使用されているそうです。

 

彼女は「締め上げ機」を実際に使っているところを、サックスに見せてくれました。 

それは、見たこともないほど奇妙な光景だったが、同時に素朴で感動的でもあった。効果のほどは疑いようがなかった。大きくてこわばっていることが多かったテンプルの声が、機械のなかに横になっていると、だんだん柔らかく穏やかになっていった。「わたしは、機械の圧力をどこまで優しくできるかに集中します。それには完全に身を任せなければなりません……さあ、ほんとうにリラックスしています」それから静かに付け加えた。「きっと、ふつうはほかのひととの関係でこの気持ちを味わうのでしょうね」

20分ほどして起きあがった彼女は、見るからに穏やかになり緊張が解けていて、サックスにもやってみるかと聞きました。

好奇心に動かされて機械に入ったサックスは、「愚かしいまねをしているようなぎこちなさ」を感じながらも横になり、用心深く圧力を調節してみます。すると、かつて深い水底でダイビングスーツごしに水に抱きしめられたときのような、安らかな心地よさを感じることができました。 

「締め上げ機を試したあと、リラックスしたわたしたちは、テンプルが基礎的な実地調査の大半を行なっている大学の実験農場へ車で出かけた」

という描写が、なんとも微笑ましく、目に浮かぶようでした。

 

 滞在最終日、空港までサックスを送る車の中で、テンプルは口ごもりながら涙を浮かべ、胸の内を語ります。

……わたしが死んだらわたしの考えも消えてしまうと思いたくない……なにかを成し遂げたい……権力や大金には興味はありません。なにかを残したいのです。貢献をしたい━━自分の人生に意味があったと納得したい。いま、わたしは自分の存在の根本的なことをお話しているのです。 

驚嘆したサックスは、車を下りて別れを告げるとき、

「あなたを抱きしめさせてください。おいやでないといいのですが」

と言って、テンプルを抱きしめました。

 

 

2015年、オリヴァー・サックスが亡くなったとき、テンプル・グランディンは追悼メッセージを寄稿していますが、そこには、サックスが亡くなる数週間前に発表した論説を読み、彼に次のような手紙を送ったと書いてあります。

わたしは記事の最後にあった「もしAとBとCが違っていたらどうなっていたでしょう」というところで泣き出してしまいました。もしそうだったなら、もしかしたらわたしたちの人生が交差することはなかったかもしれません。

あなたは、わたしの人生に大きな影響を与えました。あなたの人生は価値あるものです。他人に人生の意味を教えることで、多くの人の役に立っています。