かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

山里町の恵み(創作掌編)

 

 営業部長のお供で、クライアントと会食することになった。

 本来なら、研究開発チームのリーダーが行くはずだったのに、突然のぎっくり腰で、若手の陽一にお鉢が回ってきたのだ。

 連れて行かれたのは、本格的な日本料理の店で、道路から入り口までの間が、風情のある小道になっていた。完全個室のゆったりとした座敷で、仲居さんが付きっ切りで世話してくれる。陽一は、料理や飲み物が足りているかどうか気を配る必要もなく、ただ、まわりのペースに合わせて食べ、少しだけお酒を飲み、適度に相槌を打っていればよかった。

 

 すっきりとした器に、品良く盛りつけてある料理の数々。

 美しくあしらわれた「つまもの」の葉を見て、祖母の顔が浮かんだ。

 

 祖母が暮らしている山里町は、名は体を表すの土地バージョンのような、山里そのもの、という町だ。

 数年前、豊かな自然の恵みである樹や草の葉を、料理の「つまもの」として高級和食店に出荷する試みが始まり、予想を超えて軌道にのった。町ぐるみのビジネスを支えたのはお年寄りで、祖母もそのひとりだった。

 

 庭に生えている葉っぱを売るだけなのだが、かなりの手間と注意力が必要な作業だ。

 陽一が泊りがけで訪ねていたとき、ちょうど祖母のところへ、急ぎの発注依頼FAXが届いたことがあった。葉の種類と数量が書かれた注文書を手に、祖母は手際よく、若葉や芽を摘みとり、色かたちのよくないものを除いてから、丁寧にパック詰めしていた。

 その表情は真剣そのもので、長時間にわたり背中を丸めたまま集中している姿に、頭が下がる思いがしたのだった。

 

(ばーちゃんが摘んだ葉っぱも、こんなふうに料理を引き立てているのだろうか)

と考えているとき、不意に場の雰囲気が変わった。

 まだ卓上に並ぶ器を残したまま、仲居さんがさりげなく退出し、クライアントの表情が仕事モードに切り替わったのだ。

 陽一に対して、新製品についての疑問点が問いかけられた。

 現場でもチェック済みの、やや不安定な部分を、いくつかピンポイントで確認され、突然のことで動揺しながらも、

『問題点を明らかにすれば、改善につながる』

というリーダーの方針通り、ひとつずつ率直に答えていく。

 となりに座っている営業部長の両手が、膝の上で開いたり閉じたりしているのが見え、気をもんでいることが伝わってきたけれど、他に仕様がなかった。

 

 ありがたいことに、質問タイムは短時間で無事に済んだ。先方は満足したようで、なごやかな雑談が再開される。

 ところが、緊張から解放されたとたん、みぞおちやお腹のあたりが絞られるように痛み始めたのだ。

(困ったな、このタイミングで……)

 うろたえる陽一の視界に飛び込んできたのは、煮物の器に残っていた木の芽の、瑞々しい緑色だった。

 木の芽は山椒の若葉で、サンショオールという成分が胃腸の働きを調える──。

 祖母から教わった知恵を思い出し、箸でつまんで口に運ぶと、清冽な香りと辛みが広がり、痛みがすーっとやわらいだ。

 

 

 帰り道、陽一は祖母のことを考えていた。

(今度、ばーちゃんをこっちに招待して、ご馳走しよう)

 できれば、山里町が「つまもの」を納品している店がいい。世界に誇りうる和食の美しさ、それに一役買っている葉っぱたちの晴れ姿を、祖母に見せてあげたかった。   

 

 

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『クリミナル・マインド』の格言

 

『クリミナル・マインド FBI行動分析課』は、2005年秋に始まったアメリカのテレビドラマで、現在はシーズン13が米CBSネットワークで放送中とのことです。

FBIの行動分析課(BAU)に所属するプロファイラーがチームを組み、シリアルキラーなどの特殊犯罪を捜査し、行動科学的に犯人像を分析して解決する、1話完結型のドラマ。

事件現場を管轄する警察やFBI支局からの要請により、専用ジェット機で全米各地に飛ぶので、大都市から辺境の地までが舞台となっているのも見所です。

 

非情で凄惨な犯罪には目を背けたくなりますが、『クリミナル・マインド』の魅力は何といっても、レギュラーメンバーのキャラクターとチームワークの素晴らしさにあると思います。

また、始まりや終わりのシーンで、毎回さまざまな格言のナレーションが入るのですが、ドラマの内容に沿った言葉が、登場人物の声で語りかけられるので、とても印象的です。


criminalminds.seesaa.net

格言を引用するにあたり、ファンにとって感謝してもしきれない、こちらのサイトを参考にさせていただきました。ありがとうございます。

 

シーズン1‐第1話「シアトルの絞殺魔

邪悪さとは超自然的なものから生まれるわけではない。人間そのものに悪を行う力があるのだ。ジョゼフ・コンラッド) 

おまえが深淵を覗き込むとき、深淵もおまえを覗き返している。フリードリヒ・ニーチェ

初回だけあって、まさに『クリミナル・マインド』の全シーズンに通低する格言です。

 

異常犯罪者の心の闇や、犠牲となった人たちの苦痛と向き合うことで、プロファイラーたちは計り知れない精神的ダメージを受けます。観ているほうも感情移入してつらくなりますが、救いとなるのは家族や仲間との絆、そして、ユーモアあふれる会話とエピソードなのです。

 

同じ第1話のなかで、台詞による格言の応酬シーンがあるのですが、何度観ても楽しい。

BAUの創設者にして伝説的なプロファイラーでもあるギデオンが、若手プロファイラーのモーガンに、

やってみろ。しくじったら、うまくしくじれ。(サミュエル・ベケット

と渋くアドバイスをすると、すかさずモーガンが応じます。

「やってみる」のではない。「やるか、やらぬか」だ。ヨーダ) 

思わず「10秒巻き戻し」して、もう1度観たくなるシーンです。

 

BAUの捜査官たちが、過酷な任務に立ち向かっていけるのも、

シーズン4 第17話「悪魔払い」
悪を罰しない者は、悪を行えと言っているのだ。(レオナルド・ダ・ヴィンチ

シーズン7 第22話「プロファイラー入門」
悪人にとっての勝利は、善人が何もしないことだ。エドマンド・バーク)

という、信念あってのことなのでしょう。 

 

格言の作者、発言者は、ほんとうにバラエティ豊かです。

①心理学界の三大巨匠。

シーズン4 第12話「ソウルメイト」
秘密を守り通せる人間はいない。口を堅く閉じれば、今度は指先がしゃべり出す。全身から真実がにじみ出るのだ。ジークムント・フロイト

シーズン7 第12話「ピアノマン
トラウマは苦しみの源とは限らない。それぞれの目的に沿ったものをもたらすのだ。(アルフレッド・アドラー

シーズン8 第21話「子守キラー」
子供は、大人の言葉ではなく人となりから学ぶ。カール・ユング

 

英米政治家の競演。

シーズン10 第2話「地獄めぐり」
遠い過去まで振り返ることができれば、遠い未来まで見渡せる。ウィンストン・チャーチル

しがみつくより手放す方が、はるかに力を必要とする。(J.C.ワッツ)

 

③まるで呼応しているようなノーベル賞受賞者の言葉。

シーズン4 第6話「幼児誘拐」
本当に自然なものは夢だ。夢だけは腐ることがない。ボブ・ディラン

シーズン9 第5話「66号線」
人生は夢、かなえなさい。マザー・テレサ

 

➃英訳→再和訳で原形がわからなくなった気がすることわざ。

シーズン8 第6話「殺しの教室」
独学で千日学ぶより、一日良き指導者につけ。(日本のことわざ)

 

⑤登場回数の多い偉人ふたり。

シーズン1 第2話「キャンパス連続放火犯」
想像力は、知識よりも重要だ。知識には限界があるが、想像力は世界さえ包み込む。アルバート・アインシュタイン

シーズン9 第10話「いたずら電話」
人間性に絶望してはならない。我々は人間なのだから。アルバート・アインシュタイン

シーズン2 第5話「消えない傷跡」
世の中は苦難に満ちているが、またその克服にも満ちている。ヘレン・ケラー

シーズン6 第12話「魂を呼ぶ者」
人生でもっとも素晴らしく美しいものは、目に見えないし触れることもできない。心で感じ取るしかないのだ。ヘレン・ケラー

 

⑥シーズン1からシーズン10まで、印象深い格言の数々。

シーズン1 第10話「悪魔のカルト集団」
思想は人の間に壁を作り、夢や悩みは人を結びつける。(ユージーン・イヨネスコ)

シーズン2 第4話「サイコドラマ」
素顔で語るとき、人は最も本音から遠ざかるが、仮面を与えれば真実を語り出す。オスカー・ワイルド

シーズン3 第19話「記憶を失くした殺人犯」
かつてのあのまばゆいきらめきが、今や永遠に奪われても、たとえ二度と戻らなくても、あの草原の輝きや、草花の栄光が還らなくても嘆くのはよそう、残されたものの中に力を見出すのだ。ウィリアム・ワーズワース

シーズン4 第14話「愛しき骸」
信じる者に対して証拠は不必要である。信じないものに対して証明は不可能である。(スチュアート・チェイス

シーズン5 第12話「人形の館」
人生はチェスとは違う。チェックメイトの後もゲームは続くのだ。アイザック・アシモフ

シーズン5 第14話「仮面の男」
私の持っているものが私を意味するなら、それを失ったときの私は何者なのだろう。(エーリッヒ・フロム)

シーズン6 第13話「殺人カップル」
苦悩に対する憤りは、苦悩自体に向けられるのではなく、その意味のなさに対するものである。フリードリヒ・ニーチェ

過去に体験した苦痛は、今日の自分と大いに関係がある。(ウィリアム・グラッサー)

シーズン7 第6話「よみがえり」
死というのは物語の終わりと同じ。タイミングによってそれ以前の出来事の意味がかわる。(メアリー・キャサリンベイトソン

シーズン7 第10話「血に染まった拳」
誰もが天国に行きたがるが、死にたがる者はいない。ジョー・ルイス)

シーズン8 第3話 「家族ゲーム
行動とは、その人の本当の姿が映し出される鏡である。ゲーテ

シーズン8 第15話「622」
世界は全ての人を壊し、多くの人は壊された場所が強くなる。アーネスト・ヘミングウェイ

シーズン9 第13話「帰郷」
許すことで過去は変わらないが、未来が広がるのは確かである。(ポール・バーザ )

シーズン9 第22話「テセウスの迷宮」
縛り首になる定めの者が、溺れ死ぬことはない。(ことわざ)

人はしばしば、運命を避けようとした道で、その運命と出会う。(ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ)

シーズン10 第1話「容疑者X」
私は頭の中にとどまりすぎて、正気を失ってしまった。エドガー・アラン・ポー

シーズン10 第8話「サドワース・プレイスの少年たち」
人があなたをどう扱うかはその人の宿命だが、どう反応するかはあなた次第だ。(ウェイン・ダイアー)

 

先月Huluでシーズン11が配信開始となり、毎日1話ずつ大事に視聴しました。

そしてまた、心に残る言葉と出合いました。

シーズン11 第5話「暗闇のアーティスト」
庭には、植えたつもりのない物の方が多く育っている。(スペインのことわざ)

おもしろいことわざですね。いろいろ想像が広がりました。

ドラマの中では、殺人に至る衝動が育っていたわけですが、そういう破滅的なものばかりとは限りません。

見慣れすぎていて気づかないだけで、よく観察してみれば、風に乗って飛んできた種や、旅人の靴底から落ちた種が、思いがけない花を咲かせているかもしれないのです。

 

 

 

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ハヤさんの昔語り〔完〕~再会~(創作掌編)

 

 ハヤさんの店は珈琲の専門店なので、フードメニューに載っているのはトーストとゆで卵だけだった。

 それでも、午後になると「本日の焼き菓子」なるものが現れ、私はよくコーヒーと一緒に注文している。

 ある日、店に入ろうとして、その焼き菓子を納品している人物を目撃した。

 

 席に落ち着き、コーヒーと日替わりの焼き菓子を頼んでから、

「さっき、お菓子を届けにきていた人、きれいな女性だったけど、ひょっとして奥さま?」

 たずねると、ハヤさんは目を見張って答えた。

「いえ、あれは妹です。駅前の洋菓子店でパティシエをしているので、出来立ての焼き菓子を毎日届けてもらっているんですよ」

「あ、そうなの」

 前世で寸一だったころの話ばかり聞いているから、現世のことを知ると少し驚く。

 

 本日の焼き菓子はマドレーヌだった。

 コーヒーと共に味わいながら、昔語りが始まるのを心楽しく待った。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 お千代様は、かねがね言っていた。

「私があの世へ行く時は、けっして呼び返さぬよう頼んであるのですよ」

 というのも、昔から、家の者が息を引き取ると、旅立とうとしている魂を引き戻すため、家長が屋根に上り、大声で名を呼ぶという習わしがあったからだ。

(いつかはそういう日が来るのかもしれないが、それは、ずっと先のこと)

 と、寸一たちは思っていた。

 

 しかし、胸が塞がるような知らせは、突然やってきた。

 寸一はすぐさま、伊作と長太郎を連れて、お千代様の屋敷を訪ねた。会うことは叶わないまでも、せめて敷地の一隅に、身を置いていたかったのだ。

 

 この屋敷で幾度となく、催されてきた集いを思い出す。

 寸一の祈祷により神隠しにあった魔を祓う、というのは名目で、その実、この上なく和やかな歓談の会であった。

 一同そろって出掛けたこともある。

 心清らかな娘を守護したと伝えられる「羽衣」の、奉納舞を観た宵祭り。

 皆が、寸一の寄宿する寺を訪ねてきた折は、近隣のサトという妻女に頼み、亡き母から教わった料理を供して喜ばれた。

 お千代様は、伊作の家族がふえるたび、祝いの品を届けさせたという。

 石工になりたいと言い出した長太郎には、付き合いのある石屋を引きあわせた。

 

 やがて、屋根の上に、屋敷の当主が姿を現した。

 お千代様との約束を守ってか、ただ静かに、明るく晴れた空を見上げている。

 

 伊作と長太郎が、身をふるわせて泣き始めた。

 寸一は居たたまれなくなって、その場を離れた。嘆きを共にすることも出来ないほど、激しい悲痛に苛まれていたのだ。

(なんとしたことだ)

 これまで、幾人もの肉親や知音と死に別れてきたが、これほどの喪失感を覚えたことはない。

  

 慟哭をこらえつつ、よろめき歩いて何処かへ身を隠そうとしたとき、前を遮るように人影が立った。

 美しい娘が、なつかしげに微笑みを浮かべ、寸一を見つめている。

 思わず顔をそむけながら、

「どなたかは存じませぬが……」

 と言うと、染み入るような優しい声が返ってきた。

 

「寸一さん、私ですよ」

 はっとして見つめ返す。

「あなたは……、お千代様」

 火花のようにひらめく思いに、体が揺らいだ。

 寸一は、すべてを思い出したのだ。

 前世からの深い縁で結ばれていた、お千代様のことを━━。

 

「今生では添い遂げることは叶いませんでしたが、こうして会えたこと、それだけでいいのです」

 お千代様は心安らかな顔で、西の山の方角へ去っていった。

 この地では皆、其処から旅立っていくのだ。


   △ ▲ △ ▲ △

 

「もう、泣かないでください……」

 と言われて、初めて自分が涙を流していることを知った。

「思い出してくれたのですね。今度は私のほうが先に、あなたを見つけました」

 ハヤさんの言葉に、私はうなずく。

 

 私が昔、千代だったとき、雨ノ森の草庵で寸一と出会った。

 寸一は気づかなかったが、私はすぐに宿命の相手だとわかった。

 しかし、もう孫もいるような身だったので、言い出すことができなかったのだ。切ない限りではあったけれども、すべてを胸の内に隠した。

 時折、寸一たちを招いて話をするのが、なによりの幸福だった。

 

「ようやく再び、巡り会えました」

 こぼれ出た言葉は、時空を超えた木霊のように、永く響いた。

 

 

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漂流の「作法」

 

ニッポン人異国漂流記

ニッポン人異国漂流記

 

  

以前、作家の吉村昭さんのエッセイで、

鎖国』していた日本には海洋文学がないと言われるが、それは違っている。江戸時代に漂流し帰還した者たちから聴取した、何作もの「漂流記」こそ、日本独自の海洋文学ではないか──。

という内容の文章を読み「漂流記」の存在を知りました。

 

漂流者といえばジョン万次郎が有名ですが、彼以外にも、漂流した後に帰国を果たした人々がいました。

帰還した漂流民は、不可抗力とはいえ国禁を犯した容疑者と見なされ、長崎奉行所や各藩で取り調べを受けました。

このときに作成された訊問書である「口書(くちがき)」、「漂流記」、またはその写本類などが多数現存していて、漂流の実態を読み解くことができるのです。

 

弁才船(べざいぶね:江戸から明治にかけて使われていた大型木造帆船)の漂流が始まるまでには、一定のパターンがあり、「作法」が共有されていたことをうかがえます。

①天候が急変して強風が吹き始める。

②帆を降ろし、梶(かじ)だけを頼りにして漂う。

③船が破損し浸水が激しくなる。

④船底に溜まった海水(アカ:淦)を、桶でリレー式に運び上げて排出。スッポンと呼ばれる手動式のポンプも使用された。同時に漏水箇所に応急の防水処理を施す。

 

あらゆる措置を講じても、船体の破損や浸水が止まらず、転覆の危険がせまってくると、

⑤大声を上げて念仏を唱える。

⑥神籤(くじ)を引いて占う。

 遭難中、重大な選択を迫られたとき、もっとも信頼された指針は神籤であった。方角や船の位置を占い、淦の浸水個所を占い、帆柱を伐るべきかどうかという船の運命はもちろん、上陸すべきかどうかなども、神籤で占って決定した。

⑦全員が髻(もとどり)を切ってざんばら髪になる。 

髪にまつわる呪術は、古代以来の慣習であった。髻を切るなどの逸脱した髪型や、中世おいて烏帽子をかぶらないなどということは、社会的立場や地位を転換することでもある。〈中略〉

すなわち非日常的な状態にあるとき、髪型が蓬髪(乱れたままの髪)であることは、航海安全の保障には、毛髪の呪術がはたらいていることを示している。

切り取った髻は、伊勢大神金毘羅大権現、海神や龍神、船神などの諸神仏に捧げるため、海中に投下するという慣習もありました。

取り調べにおいて、髪を切り払わなかったことで、叱責される例もあります。 

 

さらに、いよいよとなると、

⑧捨て荷(刎ね荷)をする。

⑨帆柱を切断する。

理由として、帆柱に当たる風圧で転覆する、または、船体が緩んで沈没するおそれがある、ということが挙げられています。帆柱は、例えば一八〇〇石積み(約270トン)19人乗りの船で1メートル近い太さがあり、切断するのは危険をともなう大変な作業です。

人の命よりも積み荷の米を大事にする時代であり、捨て荷をしながら帆柱を伐ることなく、無事に帰還した場合、

「遭難を装って積み荷を売り払ったのではないか」

と、役人から厳しく詰問されたという記録も残っています。

 

船乗りとして出来得る限りの手を尽くしたあとは、積み荷という現世の利益を捨て、髪を切り払うことで社会的地位と日常を捨て、神仏を心の拠りどころにしたのです。

 

帆柱を失えば、もはや操船不能となります。

碇に長い綱をつけ海中に垂らして船を安定させ(「たらし」と呼ばれる状態で、現在のシーアンカー)、ついに漂流が始まるのです。 

 

 

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ハヤさんの昔語り〔四〕~かくし味~(創作掌編)

 

 行きつけの珈琲店で、店主のハヤさんと雑談をしているうち、話題が「おふくろの味」になった。

すいとん、という料理をご存知ですか?」

「もちろん。子供のころ、よく母が作ってくれましたね。休みの日のお昼ごはんに食べることが多かったかな」

 作るのを手伝ったこともある。煮立てたしょうゆ味のだし汁に、小麦粉と水を混ぜた生地をスプーンですくって落とす。小麦粉の団子は初め鍋底に沈み、火が通ると浮かび上がってきた。

 具は大きく斜めに切った白ネギだけ、最後にとき卵を回し入れて出来上がり──。

 

「おや、卵でとじるんですね」

「そうしません?」

「それぞれでしょう。キノコや葉物野菜、根菜類を入れたり、味噌仕立てのすいとんもあるようです」

 この上なくシンプルな料理だと思っていたけれど、バリエーションは豊富なようだ。

 

「私が寸一だったころ、長く暮らしていた村では、すいとんについて独特の風習がありました」

 と、ハヤさんが話し始めた。

「江戸から明治にかけての時代です。他家に嫁いだ女性は、料理の味付けから何から、嫁ぎ先に合わせるのが当然とされていました。ところが、すいとんだけは実家での作り方を持ち込めたのです」

「おもしろい。どうして、すいとんだけ?」

「それほど主要な料理ではなかったからでしょうか。だとしても、お嫁さんにしてみれば、生まれ育った家の味を伝えられるわけですから、嬉しかったに違いありませんよね」

 

   △ ▲ △ ▲ △ 

 

 寸一が寄宿していた寺のそばに、サトという娘が住んでいた。

 幼くして母親を亡くし、父親とふたりで暮らしてきたが、このほど嫁に行くことが決まったばかりだ。相手は同じ村の若者で、本人も家族もいたって気のいい人たちだった。

 ところが、父親と一緒に挨拶にきたサトの顏を見て、寸一はふと胸騒ぎを覚えた。白い花のような笑顔の裏に、翳りを感じたのだ。

(何か心配事があるのではないか……)

 懸念を抱いたまま、帰っていく後ろ姿を見送った。

 

 それとなく気に掛けていたため、サトが流行り病で寝付いたと耳にした折には、いち早く家を訪ねた。

 一睡もしていないのだろう、赤い眼をした父親が寸一を出迎えた。

「ただの風邪だと思っていたら、急に熱が上がり、うわごとばかり言うようになって……」

 寸一は付きっきりで、出来る限りの手当てをした。傍らで父親が声をふるわせ、娘の名を呼び続ける。

 その甲斐あってか、幾度か生死の境をさまよいながらも、サトは病の峠を越えた。

 

 ひと月後、婚礼はつつがなく行われた。

 先立って礼を述べに来たサトは、曇りひとつない晴れやかな顔をしていた。

「病にふせっていたとき、ふしぎな夢をみました。いままで見たことがないほどきれいな場所で、おっかさんに会ったのです。なつかしくて、うれしくて、もう二度と離れるのはいやだと言ったのに、追いかえされてしまった」

「おふくろ様は、おサトが生きて、幸せになることを望んでおられたのだよ」

 寸一は、おだやかに答えた。

「はい、おっかさんは嫁入りのことも知っているようでした。それで別れるまえに……」

 と、サトは声をひそめ、

すいとんをこしらえるときの、かくし味をおしえてくれたのです」

 

   △ ▲ △ ▲ △ 

 

「おサトは幼いころに食べた、すいとんの味を覚えていました。けれど、作り方を教わる前に、母親は亡くなってしまったのです。自分でいろいろ工夫してみたものの、母の味とはどこか違う、何か足りない気がする。そのことを人知れず悲しく思っていました」

 生真面目で心の優しい娘だったのだろう。

 けれど、私が気になっているのは、かくし味のほうだ。あの世まで聞きに行って来たとは、いったいどういうレシピだったのか。

「土地には『ツルイモ』という、細長いイモの一種が自生していました。固くて繊維が多いので、そのままでは食べられませんが、すりおろして乾かし、粉にしたものをすいとんの生地に混ぜると、とても風味がよくなるそうです」

 

 ハヤさんの話では、おサトは5人の子の母になり、そのうち娘は3人だそうだ。

 もしかしたら、今でもどこかで、かくし味が利いて風味ゆたかなすいとんを、よろこんで食べている家族がいるかもしれない。

 

 

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石の名前と言い伝え

 

天然石、いわゆるパワーストーンに凝っていた時期があります。

ネットショップでビーズ等を購入し、ブログや書籍で情報を集め、鉱物図鑑を愛読するなど、「石三昧」な日々を送っていました。

記憶力の衰えを痛感するようになって久しいというのに、数年前に覚えた石の名前を未だに(それほど)忘れていません。好きなものは別腹といいますが、記憶のほうも同じなのでしょうか。

 

好きな石はたくさんありますが、私にとって特別な石は「セラフィナイト」です。

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深いグリーンの石のなかに、絹糸のような光沢のある模様が見られます。フェザーインクルージョンと呼ばれ、天使の羽を連想させるところから、熾天使セラフィム」に由来する流通名「セラフィナイト」が付きました。

優しく繊細なヒーリングストーンと言われています。

 

私はもともと寝つきが悪く、市販の睡眠改善薬を常用している時もありました。

パワーストーンに興味を持ったのも、心を癒す石の力で、安眠を得られるかもしれないと思ったからです。

ネットショップの画像と説明文から、何となくセラフィナイトに心が引かれ、ブレスレットを購入しました。就寝時に身につけてみたところ、不思議と眠れるようになったのです。

たまたま、石との相性がよかったのか、あるいは、思い込み効果によるものなのか。

どちらにしても結果優先ということで、それ以来セラフィナイトのブレスレットは眠るときの必須アイテムになっています。

 

 

アイオライト」は、ギリシャ語の「スミレ色(ion)」と「石(lithos)」を合わせた言葉です。和名も「菫青石(きんせいせき)」 

この石の特徴は「多色性」にあります。光にかざしながら角度を変えると、紫がかった青色から、灰色がかった黄色まで、違った色合いに見えるのです。

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※左右の画像とも、真ん中の石がアイオライトです。

 

 この多色性ゆえに、昔バイキングが航海中、羅針盤代わりに使用したという伝説のある石です。

そこからアイオライトは、冷静に進むべき道を見つけ、正しい方向へ導く石と言われるようになりました。

言い伝えと石のパワーとがリンクしているところがおもしろく、魅力を感じます。 

 

 

モルダバイト」は、厳密に言えば「石」ではなく「天然ガラス」です。

テクタイト(隕石が落下した際、熱と衝撃により地上の物質が融解して出来た天然ガラスの総称)の一種で、チェコモルダウ川付近で発見されたところから、「モルダバイト」と名付けられました。

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※空中で急速に冷えて固まったため、原石の表面には特有の細かい窪みが見られます。

 

1,450万年前の神秘の石、宇宙と地球のエネルギーが融合した物質として、人智を超えたパワーを秘めていると考えられています。

隕石が御神体になっている神社もありますし、天から飛来してきたものに神秘的な力を感じるのは自然なことだと思います。

 

 

私自身は、セラフィナイト以外で効力を実感したことはなく、ただ、かわいい石たちが身の回りにあって嬉しい、というくらいのスタンスです。

受けている恩恵に気づいていないだけなのかもしれませんが……。

 

他にも、モルダバイトをもとに『ガラスの小石』という掌編を書いたり、「アストロフィライト」という石の美しい和名「星葉石(せいようせき)」にちなんだ名前「星葉(ほしは)」を主人公に付けたりして、楽しんでいます。

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アストロフィライト 英語版ウィキペディア(PD)

 ※放射状に広がる結晶の形と強い金属光沢から、星葉石の名前が付きました。

 

 

 

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ハヤさんの昔語り〔三〕~石工になった長太郎~(創作掌編)

 

 人から聞いたばかりの「セレンディピティ」という言葉を、受け売りで解説し始めると、

「舌をかみそうな言葉ですね」

 カウンターの向こうでコーヒーを淹れながら、店主のハヤさんが言った。

 セレンディピティは、18世紀のイギリスの作家ウォルポールの造語で、ペルシアの寓話『セレンディップの三人の王子たち』が語源となっている。

 物語のなかで王子たちが旅に出て、途中で遭遇する思いがけない出来事を、機転によって幸運に変えていくところから、もともと探していなかった何かを発見し、その価値を見い出すことをセレンディピティというのだ。

 

 おもしろそうに話を聞いてもらえて満足した私は、香り高いコーヒーをゆっくりと味わった。

「このあいだは、伊作とザシキワラシの話をしたので、今日は長太郎のことを話しましょうか」

 ふと思いついたようにハヤさんが、前世で寸一という行者だったころの昔語りを始める。


   △ ▲ △ ▲ △

 

 ある日のこと、寺の庭で薪割りをしていた寸一のところへ、長太郎が息を切らして駆け込んできた。

 聞けば、不思議な石を見つけたという。

 長太郎は今朝、裏山へ山菜を採りにいった。

 しかし、いつになくよいものが見つからず、つい奥へ奥へと分け入っていく途中、足をとられてころんでしまったのだ。

 つまづいたのは、枕くらいの大きさの石だった。ずいぶん長い年月そこにあったらしく、すっかり苔むしているが、自然のままの形ではないようだ。

 しゃがみこんでつくづく見るうち、はっと気がついた。

「これは、観音さまじゃないか」

 飛び退くようにして離れると、そのまま駆け出して知らせにきたのだった。

 

 寸一は早速、長太郎と共にその場所へ向かった。

「たしかに観音像だが、仏師の仕事ではないな」

 付近を探してみると、他にもふたつ、人の手が加わったらしい石が見つかった。

 兜のような形の石と、平たい面に花が彫られている石。

「これらはみな……、墓石だ。埋まっていた身体は、はるか昔に土に還り、成仏を果たしているようだが」

 それでも、石に込められた深い思いは残っていて、幻影のように、寸一の心に浮かび上がってきた。

 

 落ち延びてきた、身分の高い武家の妻女。老母と幼い姫を連れていた。屈強な家臣が一同を護り、少年がかいがいしく働いている。

 ようやくたどりついた地に、四人は隠れ住んだのだ。和やかな家族のように支え合い、厳しい暮らしを生き抜いた。

 やがて老母が亡くなると、少年は観音像を彫って墓石とした。

 武士には兜を、奥方のときには花を刻んだ。

 

「お姫様と、男の子は、それからどうなったの?」

 草むらのなかに倒れている石を見つめながら、長太郎が尋ねる。

「少年も立派な若者になっていただろうから、姫と一緒に里へ下りて、仲良く暮らしたのではないかな」

 寸一は長太郎と一緒に墓石を起こし、よごれをぬぐい、読経して丁重に供養した。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

「長太郎が石工になりたいと言い出したのは、それから間もなくでした。お千代様の口利きで石屋の弟子にしてもらったんですよ」

「山の中で石につまづいたおかげで、一生の仕事が決まったんだね。長太郎は立派な石工になったのかしら」

 私が聞くと、ハヤさんはにっこり笑って答えた。

「それはもう──。寸一の墓石を彫ったのも、長太郎だったんですから」

 

 

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